◆兄と弟と紅茶の時間
※無双のバラズの後日談的なもの。
「あっ、シャーさん。お疲れ様ですっ!」
ジャッキールの家に遊びに来たつもりが、扉を開けるといきなり高貴そうな少年が出迎えてくれて、シャー=ルギィズは、ちょっと面食らっていた。しかも、彼と来たら掃除をしているらしく、濡れ雑巾などを握っている。
シャーが驚くのも無理はない。そこにいるのは、リル・カーン。つまり、現王シャルル=ダ・フールの王弟にあたる王子なのだ。しかも、彼はシャルル=ダ・フールとは対立関係にある先王妃サッピアの息子である。
そして、シャーの正体がアレであるので、つまるところ、シャーと半分血の繋がった弟なのだった。
シャーにしてみれば、宿敵女狐の子でありつつ、ろくろく面識もなかった弟。弟と名のつく兄弟は他にいたが、事情が事情だけにそんな良い関係など築けるわけもなく、リル・カーンともそうであった筈だったが。
「あれっ、リル、何をしてるんだ?」
「はい。ジャッキール先生がお買い物にお出かけしたので、お部屋のお掃除を任されましたっ!」
「は? 誰に何頼んでんのあいつ」
シャーは思わず毒づいてしまう。
「今日は"とくばいび"だそうです」
「はぁっ? 何あいつ、相変わらず、頭わいてんな!」
シャーはあきれた様子になった。仮にもリル・カーンは王子様なのだ。しかも、母のサッピアは大概恨みを買っているし、政敵も多いのだ。
「しかし、リル一人で置いてってなんかあったらどうするんだよ!」
「えっと、それは私も修行しておりますし」
「それはそうだけどさあ」
お前だけでは頼りない……といったら、リル・カーンは流石に傷つくだろうから、シャーは言葉を濁す。
と不意に、表の扉がとんとん叩かれた。
「おい、誰か来ているのか?」
返事を待たずに扉が開かれる。でてきたのは、見覚えのある髭面の男だ。今日は何か内職中なのか、前掛けをしているが、木屑がついている。
ザハークは彼らを一瞥して、一言。
「なぁーんだ、三白眼のやつか」
「なぁーんだ、はこっちの台詞だよ。なにしてんの蛇王さん」
「何と言われても、俺は隣に住んでいるからな。エーリッヒのやつが一方的に異変があれば見にこいと言うから、人の気配がすると覗かねばならんのだ」
「なるほどねー。蛇王さん護衛につけてるわけだ」
「奴が勝手にな。やれやれ、特売なんぞ毎週やってるというのになー。では、俺は仕事中なので帰るぞ」
「あ、じゃー、またねー」
ひらっと手を振ると、ザハークは帰ってしまう。
「なるほど、お隣が蛇王さんだとそういう利点があるかあ」
シャーは納得してうなずいた。確かに、ザハークはそんじょそこらの護衛官よりよほど強い。守りもかたい。ジャッキールもそれは同じであるが、彼は時々妙に抜けているところがあって、なんとなく不安になることもあるのだが、ザハークの仕事はより正確でここぞという場面では絶対に落とさない。
普段は何かと喧嘩しているジャッキールとザハークだが、あれでお互い信頼し合ってもいるので、ジャッキールがザハークが隣にいることを見越して出かけたのなら、まあアリなのかもしれない。
そんなことを考えたところで、シャーは、ハッと我に返る。
「いやいや、だからってリルに掃除とかさせちゃダメだろ! 身分とか考えると! やっぱ、アイツ頭わいてんなあ」
「いえいえ、いいんですよ」
慌ててリル・カーンが止めに入る。
「私は先生の弟子ですし。それに、私もお掃除好きなんです」
リル・カーンは照れたように笑いつつ、
「お掃除していると、心が晴れやかになりますしね。ジャッキール先生にもそれも練習だぞって言われました」
「あのダンナの部屋なんて、掃除するトコすらねーじゃん」
シャーは呆れたように肩をすくめた。元々潔癖症気味のジャッキールの部屋は、いつでも綺麗だ。隅々まで掃除されていて、ホコリらしいホコリも見たことがない。
「リル、あんま、真に受けなくていいからな。掃除これくらいにしておこうぜ。オレも来ちゃったし」
シャーがそういうと、リル・カーンはあっと声を上げた。
「それもそうですね。来客が来たのにお掃除していては非礼です。先生も来客が来たら、お茶をお出ししてもてなすように言ってました」
「ん?」
「せっかく、いらしてくれたんですし。先生にお台所使っていいってきいていますから、お茶のご用意しますね!」
シャーは少し引っかかる所をおぼえたが、リル・カーンは笑顔で台所に行ってしまう。
「おいおい、大丈夫か。手伝おうか」
お茶といっても、今まで自分で湯を沸かしたこともあるかどうか。あくまで世間知らずな王子様のリル・カーンを心配して、シャーは後を追いかけつつ、ちょっと複雑な気持ちになるのだ。
(あの野郎、……オレがふらっと来ることわかってるはずだろうし。来客が来たら茶を出せとか……、もしやして行動読んでそんな指示を……。くそ、ムカツクなあ。つくづくお節介なんだから)
*
どうにかお茶を淹れたところで、リル・カーンと対峙する。
なるほど、慣れない手つきではあるものの、手順もあっているようだし、これはジャッキールが事前に仕込んでいるのかもしれない。
「どうぞ」
「ああ、ありがとうな」
そういってリル・カーンに淹れて貰った茶をすする。
(なんなんだろうな、この光景)
リル・カーンは知らないだろうが、とにかく彼は宿敵の子で弟。しかも王子様。それなのに、こんなあばら家……といえばジャッキールは怒るかもしれないが、とにかくあばら家で向かい合っている。
「ジャッキール先生のお茶はおいしいんですよ。お菓子によく合うお茶を選んでもらっているんだって言ってました」
「へぇー、でも、あの甘ければどうでもよさそうな、あのダンナの舌にそんな繊細さあるっけ?」
「リーフィさんに選んでもらっているそうです。リーフィさんってお茶にも詳しいんですね!」
「は? あのオッサン、また抜け駆けかよ!!」
ジャッキールはリーフィと親しい。並んでいると外見の雰囲気からか、兄妹感もちょっとあるので安心感も強い。とはいえ、とにかく奴はシャーを出し抜くのである。リーフィとシャーには秘密で一緒に買い物に行くなどしていて、なんとなく腹が立つ。
「お菓子も、お出ししていいって。いただきましょうね」
「あーそうだな」
(くっそ、コレも事前に行動読まれて準備されてたかと思うと、なんか腹立つ)
予想が当たって物凄いドヤ顔になっているジャッキールの顔が脳裏に浮かぶと、自然と眉間にしわが寄ってしまうシャーだった。
そんなことを考えながら、シャーは焼き菓子を上品に口に運ぶリル・カーンを見やる。リル・カーンは無邪気で可愛らしい感じの少年だ。シャーの知る両親とは似てもつかない。
(本当、コイツ、誰に似たのかなあ……。外見どころか、性格なんかこれっぽっちも)
「どうかいたしましたか?」
視線を感じたらしく、リル・カーンがきょとんとして小首をかしげる。
「い、いやあ、なんでも……」
慌ててそうごまかしつつ、シャーは顎に手を当てた。
「そういや、リルは、ココにちょくちょく来てんのかい?」
「はい、ジャッキール先生がお時間のある時にですが」
「ジャッキールなんて、ずっとお休みみたいなもんじゃん。でも、いいのか、こんなトコ来てさあ」
「普段は、お手紙で色々教えていただいているんです。剣の振り方とかでわからなくなったことなど。でも、実際見てみないとわからないことも多くって、それでときどきここに来させていただいているのです」
「そりゃそうだなあ」
「ジャッキール先生にお屋敷に来ていただいてもよいのですが、母がああなので、良からぬ輩も多くて。別荘にいるときならまだ大丈夫かなと思うのですが、ご迷惑をおかけしてまでご足労願うのは恐縮で……」
ぱっとリル・カーンは微笑んで、
「でも、こちらだと蛇王さんにも、弓矢を教えていただけるんですよ。だから、私が出向いた方が都合がいいのです」
「それはそうかもしれないなあ」
シャーはため息をつきつつ、ちょっと悪戯っぽく笑う。
「オレにとってはただのうるさくてお節介焼きなオッサンだけどさ。ジャッキールって、結構いい師匠なの?」
「はい。剣だけでなく、いろいろな古典などもご存じですし、色んなことを教えていただけます。先生は外国の出身だとおっしゃっておりましたが、あれだけご存じなのはどこかで勉強されてたいたんですよね」
リル・カーンは、感心したように言った。
「でも、リルにも他にも剣術の先生とかいるだろ。大丈夫なのか、そこんとこ」
「私は体が弱くて、剣術が苦手でしたから」
リル・カーンは、ことりと茶碗を置いてため息をついた。
「剣術の先生はいましたが、私が上達しないのであまり仲良くなれなくて……。それもあって、何人か人が変わったり、疎遠になってしまうことが多かったのです。剣はこの国の成人男子のたしなみですが、母や周囲も形だけ覚えればよいと。なので、ここしばらくは武術からは遠ざかっていたのです」
「そうか。まあ、師匠としてはどうだかしらねーけど、ジャッキールは剣士としては一流だからねえ」
シャーは茶を一口啜る。
「自分は異国の剣術を使っていることが多いけど、アイツ、その気になれば剣と名のつくものは何でも使えるからさあ。前にオレの剣貸したら、一瞬で動きまで写しとりやがるの。好んでやらないけど、蛇王さんの太刀筋も完璧に真似できてるみたいだしな。剣に関することなら、何でも教えてくれるよ。”剣だったら”な」
感心しつつも、思わず注釈をつけたのは、ジャッキールが得意なのはあくまで剣と名のつくものだけだからだ。小剣や短剣なども得意だが、槍や弓による射撃などはあまり得意ではないらしく、披露してよと挑発しても絶対に乗ってこない。どちらかというとまんべんなく何でもできるザハークに比べて、極端なところがジャッキールらしいが、シャーからしてみると十分特異な能力だとは思う。
「はい、私にはもったいない、とても素晴らしい方なんです。ですから、ナズィルやネガル……っていうのは、私の後見人と乳母なんですが、彼らにも私が剣術の先生にそんなに懐くのは珍しいって言われてしまっています」
「まあ、それはそうかもなあ」
(っていうか、あの顔だし……)
シャーは、ポリポリと頬をかきやる。
(そりゃ、あのダンナ、顔だけみてれば役者張りの二枚目なんだけどさあ、強面にはちがいねえし、雰囲気こみだと、どう考えてもカタギに見えない感じなんだが……)
そういうジャッキールを信頼して彼を預けるとか、なかなか後見人のじいさんも大胆な男な気がする。
「そういうのもあって、時々ジャッキール先生に会って色々相談したりするんです。ほかの使用人達には言えないことも多いですし。だから、こちらに寄せていただいた方が、私には楽しいんです。街もお忍びで歩けますし」
「まあそれもそうかなあ。コッソリ街歩きすんのって、気分転換にはなるよな」
シャーは実感を込めて頷く。
「あ、それにですね……」
といいかけて、リル・カーンはシャーをちらりとみて、少しはにかむように言いよどむ。
「なんだ?」
「いえ、その……」
リル・カーンは苦笑して、
「こちらだと、ほら、ときどきお客様がいらっしゃるでしょう?」
「ああ、今日のオレみたいな」
「はい」
リル・カーンは、笑顔を向ける。
「こんな風におもてなしして、お話できるの、とても楽しいです」
「そうかぁ。オレがリルだったら、オレみたいな客が来たら超イヤだとおもうけどなぁ~」
「そんなことありませんよ。シャーさんとお話できてうれしいです」
やや慌てるようにそう言って、彼は微笑んだ。
「シャーさんとたくさんお話できるの、とても楽しいですよ。シャーさんみたいに楽しい方は、お屋敷にも宮殿にもいないですから」
「そうか。愉快な奴だと思ってくれてたら、オレも楽しいよ、リル」
シャーは苦笑しながら、茶をすする。
(ま、いっか)
なるほど、たまにはこういうのもいい。
ちょっとおかしな状況だけれど、平和でとても良いことじゃないか。
「でも、オレが話できるのは、ロクな話じゃないけどな。教育に悪いって、あのダンナに見つかったら超怒られるから、何話したかは秘密だぜ?」
「はい」
リル・カーンは素直にそう頷く。
そういうシャーとリル・カーンの左手の中指に、同じような銀色の指輪がきらりとひかっている。
珍しくシャーも、普通の兄弟ってこんな感じなのかなあ、と感傷的なことを考えるのだった。
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