◎戦士の信条

※ジェイブ=ラゲイラの語りによる、ジャッキールが彼に雇われていた時代の話。


「肉体も精神も消耗品ではありませんか」

 不意にそんなことを真顔で答える彼に、私は困惑していた。

「何かを守る為に、血を流すのが当たり前でした。そうでなければ、私のような者は何を守ることも成し遂げることもできません。だとしたら、命の代償はそれほど重い物とも思えません。私は、そのやり方しか知らない」

 彼はあまりにもまっすぐな目で見て私を見て言うのだった。

 その眼差しに、私はいつかの別人を思い出している。

 何故、"彼ら"はいつもそうなのだろう。そのまっすぐすぎる視線はいつだって私に苦く突き刺さるのだ。

「私にとっては自らの命を賭けて戦うのが、一番確実な方法なのです。それでは、いけませんか」


 それが彼らの戦士なのだということは、理解はしていても受け入れることができなかった。


 


 その日、彼は護衛の任務についていた。

 守護対象は、私に与する貴族達だった。内乱直後の国は危険が多い。私が支持していたザミル王子を始め、私自身も敵が多かった。私の協力者を除こうと、刺客が差し向けられることもある。

 彼に任せたのは、私の協力者の暗殺を企てているものがいるとの情報を得たからだ。

 今回は女狐と呼ばれる、先王王妃サッピアが首謀者と思われたが、厄介な相手だ。それでも、まだあの先の宰相ハビアスのことを思えば幾分か手口がマシだった。

 あのハビアス。新しくシャルル=ダ・フール王子を即位させ、軍人達の指示をとりつけて、当面の内乱を治めたその辣腕は相変わらずと言ったところ。しかし、彼にとって王子すら将棋の駒のひとつでしかないのだろう。王室すら私物化して、手のひらの上で転がすあの男の薄笑いが目に見えるようだった。

 ともあれ、私は、彼、私が雇っているジャッキールと名乗る傭兵にその暗殺計画を阻止するよう命じていた。

 私と彼の出会いは偶然のものだった。瀕死の彼を私が拾ったというのが正しいだろう。もはや助かりようもないと思われたが、彼は回復した。

 彼が名の知れた傭兵だというのは、あらかじめ部下から聞いていた。だから回復したとあれば雇うつもりは最初からあった。その男には悪評も多かったが、義理堅く真面目だという評判も聞いていた。そういう男に恩を売っておけば、けして私を裏切ることはない。私の利益になることを私は分かっていた。

 ただ、今の彼と私の関係は、主従にも雇用主と傭兵の関係にも当てはまらないものなのかもしれない。

 実際、私が彼にこの仕事を任せたのは、一種の試験でもあったのだから。

 そして、彼は私の見立て通り、軽くその任務をこなしていた。

「本日はお見事でした。流石ですね、ジャッキール様」

 任務を終えて、彼が戻ってきたところを私はそう労う。

「これは、ラゲイラ卿自らお迎えとは恐縮です」

「貴方にお任せしてよかったです」

「いえ、私は何も。すべてはラゲイラ卿のご協力あってのことです」

 流れの傭兵とはいうものの、彼の身のこなしは明らかにそれなりに身分のある武官だったことを示している。彼の立ち振る舞いをみていると、逆に彼が何故、今のように流浪の身となったのかの方が不可解に思えることもあった。

 彼は有能ではあったが、その人格を知れば知るほど流れ渡り歩く傭兵には向かない男だ。

 高飛車で冷徹な仮面の下の彼は非常に人情家でもあるし、どうしても育ちの良さを捨てきれない。本来の彼はどこかしら甘い部分があるのだ。部下に厳しく接しているのは、彼なりに自分を守るべく壁を作っているからだということを私はすでに知っていた。そうでもしなければ、とてもでないが、生き残っていけなかったであろう。彼のような人物は。

 彼は私に対しては比較的親しく話しかけてくれるようになったが、それはただ私が恩人だからにすぎない。

 彼は律儀な男だ。私に一定の心を開いているようであるのは、私が彼を助け、目をかけたようにみせているからだ。

 そして、私は、それを利用している。

「いえ、貴方の采配は見事でしたよ。敵の侵入を防ぐのには最適であり、地の利も活かしていました。限られた人数でしたし、その中でうまく味方を配置できたのは、まずは及第点ですね」

「ありがとうございます」

 これは彼への試験を兼ねている。

 私は彼に兵法を含め、権謀術数についても教えていた。それは広くは彼に生き方を教えているようなもの。そういう意味では、私と彼は雇用主と雇用者でありつつも師弟関係に近いのかもしれない。

 彼はあくまで客分であるし、それほどおかしなことではない。私が彼に”様”をつけて呼ぶのも、私と彼が対等であるとの前提によるものだ。

 しかし、ただの傭兵の彼に対し、それを過分だと思うものもいるだろう。彼自身も、それについては疑問に思っているに違いない。

 何故、一介の傭兵の自分に、目をかけてくれるのかと。

「しかし、あれはいけませんね」

 そんな思いを断ち切りながら、私は彼に言った。

「あれとは?」

 キョトンとする彼に私は続けていった。

「貴方は最後に自分で出て行ってしまった。貴方の計略だけで、十分だったはずです。敢えて自ら剣を振るったのは何故です?」

「あ、いえ、しかし……」

 と、少し彼はばつがわるそうな表情になる。

「一番確実なのは、私が出ていくことですから」

 彼の言い分はもっともではあるのだ。彼の腕は誰しも認めるところで、私の部下に彼ほど強い戦士もいない。

「けれど、貴方は隊長なのですから。どうしても行かなければならない理由がなければ、出ていく必要はないでしょう。第一、貴方が出て行かなくても、作戦が成功していることは、貴方自身が理解していた筈です」

「はい、それは……」

 と、彼は少しうつむく。

「しかし、私はもとより武人ですので……。ですから、自ら戦場に立たなければと……」

 その返答を私は予想していた。

「計略を使うことが、必ずしも武人としての立場を汚すものではありませんよ。いたずらに策を弄するものはいけませんが、無策であることが良い武人とも思えません。勇猛であることと蛮勇であることは違います」

 私は諭すような口調になっていた。

「貴方は本当は、様々な計略を練ることのできる方だ。基礎も学んでいるし、この間、貴方が私に提出してくれた論文もよくできています。しかし、実戦で使わなければ、それは机上の空論。何の意味もないのです。貴方に、全てを計略で済ませることに抵抗があることはわかっていますよ。しかし、必要に応じて使うことは、多数のもののためになる事もある。大きな目でみれば犠牲者を減らし、多くの者の幸福につながる事もある。蛮勇を振るうことが、武人の誉れではないでしょう。貴方も、それはわかっている筈。それに、貴方は一兵卒ではない。現場の士気を上げる目的もないのに、わざわざ身を危険にさらすのは好ましくありません。貴方に何かあれば、指揮系統は総崩れになるのですから」

「はい」

 彼は素直に頷く。理解はしている、その顔はそう私に告げていた。

「自らの腕を誇示する為に、わざと自ら先頭を切ったわけではないのでしょう」

「そ、それは、もちろんです」

 彼は少し焦った様子で言った。

「自分の体感をもって策の完成をはかりたいとは思いましたが……」

「しかし、それでは命をいたずらに危険にさらすようなもの。貴方がどれだけ強くてもです。その行動は合理的ではない」

 彼は少し答えに詰まった様子になった。

「けれど、貴方は理解しているはずです。でしたら、何故、貴方は自分の命を大切にしないのですか」

「それは……」

 彼は俯いてしばらく考え込む。そして、それから、顔を上げた。

「それは、私の命に作戦の成功ほどの価値を見出せなかったからです」

 私は意外な答えにきょとんとした。彼はまじめな顔で少し視線をふせていた。

「私の、命などになんの価値があるでしょう? 私の肉体など、兵としてはただの消耗品にすぎないではありませんか」

「何をおっしゃるのです」

 私は眉根を寄せた。

「せっかく助かった命です。命を粗末にしてはなりませんよ」

「しかし……」

 彼は続けた。

「私は……、金で雇われた傭兵です。雇い主が我々を消耗品として使うように、私は自分の肉体と精神を使う。そして、ご期待に応える。それでは、いけないのでしょうか」

 少し恐れるように、しかし、その口調は確固としたものだ。

 そして、彼はくだんのように私に問いかけたのだ。

 ――肉体も精神もしょせんは消耗品ではないのでしょうか。

 私はすぐに返答をしなかった。彼が少し動揺したように続けた。

「わ、私には、それしかできないのです。頭では理解していても、最善を尽くす方法をそれしか知らない。そうしなければ不安になるのかもしれない。しかし、それは今の私の最善なのです」

 その短い時間では、私は、彼にかける言葉を見つけられなかった。

「だとしても、命を粗末にするのはなりません」

 咄嗟にそんなことを口にする。

「それは、あまりにも愚かしいやり方だ! そんなことは、美徳ではない!」

 反射的なもので、ほんの少し口調がきつくなっていた。彼がかすかに狼狽した様子があって、私は思わずはっとした。

「いえ、申し訳ございませんでした」

 私は、その言葉に含まれていた感情をごまかすように慌てて取り繕う。

「お疲れのところを無駄話させてしまいましたね」

「いえ、……」

 彼はまだ何か言いたそうにしていたが、私は軽く会釈をした。

「お疲れなのでしょう。今日はゆっくりお休みなさい。またお話は後程……」

 それだけ声をかけて、逃げるようにその場を後にした。

 彼は私を見送って、直立不動で立っていた。どこか、それが寂しげだった。

 

 *


「御前様、失礼いたします」

 部屋に戻って休んでいた時、ふらっとやってきたのは、古くからの使用人のラザロだった。別荘地の管理を任せているが、時々、王都での仕事にも同行することがある。

 入室を許可した覚えはなかったが、ラザロは平気で部屋に入ってきていた。足音も立てない。気が付けばそこにいる。

 しかし、今更この男をとがめだてはすまい。私はもうこの男を随分長く知っている。

 ひょろっとして表情がなく、ちょっと陰気で無愛想なただの老人。

 今でこそそんな風であるが、彼はかつては敵地の潜伏を得意とし、諜報や暗殺に秀でていた。私が拾った後に、その世界からは足をあらったらしいが、それでも昔取った杵柄というものは侮りがたいものだ。彼はまさに、気が付いたら近くにいる。気配を完全に消すこともできる。

「何かございましたでしょうか」

 ラザロはそんな風に切り出した。

「いえ、計画通り進んでおります。お前が心配するようなことはなにもおりません」

「それならようございますが……」

 と見えすいたようにわざとらしくいう。何を言いに来たのだろうと思った時、意外に彼は単刀直入に切り出した。

「御前様、かわいそうでございますよ。随分と落ち込んでいらっしゃった」

 ラザロはそれでもほとんど表情を変えない。

「あの方はあれでずいぶんと傷つきやすいお方。御前様もご存じのはずですが」

「それでは、お前が余計なことでも申したのでしょう」

「まさか」

 ラザロは表情を変えずに首を振る。かすかに微笑んで彼は言った。

「あの方も御前様も不器用でいらっしゃるので……。お話をなさったときに、行違いがあったのではないかと思いまして……」

「ラザロ、お前は相変わらず余計なことを言う」

 私は思わず彼を睨んだ。

 彼とは長い付き合いだ。このように感情をあらわにして話すことは、もうほとんどなくなっていたが、例外的に彼といると若い頃のように接してしまう。それを見抜いているのか、彼はひょうひょうとこたえるのだ。

「御前様とこのラザロめは、それはそれは長い付き合いでございますので」

「ふん、それではお前は私の心の内もどうせわかっているのでしょう」

 少し不満げにいった後、私はつづけた。

「あの方の気持ちもわかっているのですよ」

 思わずそんなことが口をつく。

「ただ、机上で遊ばせるだけではせっかくの才能も努力も何の意味もない。そして、何故、敢えて前線に出て命を粗末にするのか。そうしないでもよい方法があるのにも関わらずです。彼には地位を与えている。そうすれば改めると思っていたのですが」

「あの方”も”戦士でいらっしゃいますから」

 と、ラザロは言う。その”も”という部分に、私は誰が含まれているのかを知っている。

「でしたらなおさらです。同じことを口にした人物がどうなったかを、お前は知っているのでしょう」

「はい」

 ラザロが誰を思い浮かべているのかはわかっている。

 あれは彼とどこかしらよく似た青年だった。最後にあった時、私の子とも思えないほど、武官然としていた。しかし、それは好ましいことだけではなかった。

「私は、同じ過ちを繰り返してほしくないだけだ」

「御前様のお気持ちもわかります」

 かつての私の痛みを、ラザロは確かによく知っている。仕事の忙しい私に代わり、あの子を世話していたのは、当のラザロだった。

「ですがね、御前様、このラザロめには、あの方のお気持ちもよくわかるのですよ」

 ラザロは静かに頷く。

「私も御前様に拾われるまで、そのような身の上でしたから。あの方は自分を武器にして削りながら生きてきたのでしょうから、その方法しかわからないのです。たとえ頭で理解していても、どうしても実現する方法がわからない。このラザロもそうでございました。感情というものを味わったところで、それをどう表現していいのかもわかりませんでした」

「それはご本人から聞いています。その気持ちもわからぬでもない。だからこそ、しかりつけたつもりはありません。ただ、私はうまく返答できなかった。それについては反省しています。彼の意思も尊重すべきだった」

 私はため息をつく。

「後で彼には使いをやりますし、時間のある時にお話もしますよ。気になるのなら、ラザロ、お前が何か一言気にしなくてもよいと伝えてくれればよい」

「お許しがあるなら、お伝えいたしますよ」

 ぺこりと軽く頭を下げて、ラザロは了承する。それでラザロが納得したのかと思ったが、彼はまだ少し話の続きをするのだった。

「御前様、実のところ」

「なんです?」

「あの方は、自分の答えが間違っていると理解はしていたのでしょう。でも、せめて貴方に喜ばれたいからこそ、あのようなことをおっしゃったのではないかと、わたくしはおもいます」

 ラザロがそのようなことをいったので、私は彼の方に向き直る。

「どういうことです?」

「あの方は命を賭けて仕事に尽くすとおしゃったわけです。あの方にはほかに価値のあるものが見いだせなかったのでしょう。だからこそ、その言葉は雇い主への最大の賛辞です。それに、御前様は普段から合理的で冷静に考えるお方。すべてのものを駒として扱っている筈。だとすれば、駒となる自分という人材をお喜びになるのだと思っていた。ですからこそ、彼はその回答が自分ができる最良の答えだと思っていたのです。しかし、それが御前様に喜ばれなかったどころか、ご気分を害したようでしたので、あの方はずいぶんと落ち込んでいらした」

 ラザロの語る言葉の意味を考えながら、ふと私は苦笑した。

「あの方も随分と不器用なお方だ」

「はい」

 それは御前様も、とラザロは口に出さずに視線で訴えかける。

 そうかもしれない。

 ラザロはどうせ見抜いている。私が本当に彼に言いたかったことを。命を大切にしろといったのは、戦略面の話ではなく、ただ、死んでほしくない、危険をおかしてほしくなかったからだ。

 このままでは、いつか彼は、自分の言葉通り、全ても削りつくしてしまうのだろう。しかし、それは私の望む未来ではない。そんなことで彼が破滅に向かうくらいなら、武人の誉れなど捨ててしまえといいたいほどだ。

 しかし、私の言葉では彼には届かないのも知っていた。私と彼は、結局金で雇い雇われたもの。私は、彼が私に対して感じている恩義とやらを利用している。私が、彼に何かの面影を見ていたのだとしても、それは彼にとって迷惑でしかない話だ。

 そして、この言葉には彼の考えを変える力などありもしない。

 私の言葉は、彼の、いや、”彼ら”の戦士の信条の前では無力だった。

「ラザロ、お前はやはり余計なことを言う。昔から相変わらずだ。読んでも欲しくない人の心ばかり読むものだな」

 ため息まじりに恨みがましくそういう。

「このラザロめは、御前様とはそれはそれは長いお付き合いですから」

 ラザロはそういうと、少しにやっと笑った。

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