◎翼の女神と王子の秘密
地下だというのに、そこは光が入っていて、まるで外みたいだ。
上から外の光が入るのでとても明るくてキラキラしている。そこには地下水がたまる小さくきれいな池があって、上から漏れてきた光がそれを反射して輝いていてとてもきれいなのだった。
その日、私がそこを訪れたとき、彼女は彼女のための祭壇にはいなかった。
はためく六枚の翼と水滴。彼女は六枚の翼をはためかせて水浴びをしていたのだろうけど、私がきたのを知ってこちらをみて笑いかける。薄絹の衣がゆらめく。
女神様は、一応人の姿をしている。それが真の姿かどうかはわからないのだけれど、とてもとても美しい女の姿をしていた。ただ、背中に背負う翼だけがヒトではない凄味を漂わせている。
彼女は何かを口にするけれど、彼女は女神だから人間の言葉を話さない。
でも、私には彼女が何をいったのか、なんとなくわかった。神官様は、それは私が選ばれたものだからという。
『よく来たな。翼ある子。我のために祈ってくれるのだろう?』
そう、その時私には翼が生えていた。本当に生えていたわけじゃないのだけれど、彼女がいる場所では自分の背中にまっしろな翼が生えているみたいに見えていた。
「はい、女神様。今日もお召しの通りに参りました」
『お前の祈りが、この国を平穏に守るのだ。ゆめゆめ忘れるではないぞ』
初めて彼女に会ったのは、ここにある壊れた神殿で、私がもう少し小さかった頃のことだった。
私はこれでも王族の一人だったから、他の王子と同じように屋敷の中で幽閉されて育った。幽閉といっても、生まれた時からそうだから、特に大きく疑問は感じなかったものだ。
けれど、退屈ではあったから、屋敷の隅々まで探険することもあった。
彼女に会ったのはそんな時だった。
余談だけれど、そのころの私は翼が生えているって言われていた。実際は生えていたわけじゃないけれど、皆がそういう風に言っていた。殿下は天の使いみたいだね、きっと背中に大きな翼が生えているんですよ、って。
私の王家の先祖は、確かに翼が生えていたっていわれている。だから、儀式では六枚の羽のついた翼を模した装束を着るんだって。
私は王家といっても末端で、血筋は良いけど、王位継承位は低いからそんなこととは無関係だと思っていたのだけれど。
でも、私には大きな翼をひろげた彼女と、自分の背中の白い羽が見えたんだ。
彼女の神殿は、屋敷の中の隠し通路からいける。
中庭の噴水の近くの石像の裏に、小さな扉があってその中にはいる。
中は暗いけれど、ランプをつければ下にはいける。
そこには一人神官様が暮らしている。品のいいお爺さんで、彼が言うにはここは屋敷の外にある女神の神殿と地下でつながっているのだそうだ。
秘密の通路と秘密の神殿。
そこに住む彼女の姿は選ばれたものしか見ることができないし、声も聞けないのだという。
神官様がいうには、彼女は私がお気に入りだと。私には、彼女の気持ちはわからないが、そうだといいなと思っていた。
「こんにちは。女神様。ご機嫌はいかがですか?」
いつものように彼女を奉ったあと、そういう風に挨拶をする。
彼女は、世間話が好きだ。今、この国がどうなっているのかとかをはじめとして、今年は豊作だとか、身近なところでは私の使用人達の近況だとか。そんなことを話すととても喜ぶ。
だから、一通り所作を終えた後で、お話をする。
彼女は時折何か声を上げるが、彼女の言葉自体は私にはわからない。女神は人の言葉を話さない。だから、私にだって意図が分からないことも多いけれど、それでも、肯定的か否定的かはよくわかった。
「そういえば、女神様」
そうだ、思い出した。今日はとても大切な話があったのだ。
「実は今度、私の兄が王になるのです。兄といっても、私と彼には直接的な血のつながりはないのですが、兄上と呼んでおり、彼も実の兄弟のように私を扱ってくださっています。とても良い方なのです。この国は大変な混乱の中にありますが、兄のような立派なものが王位につけばもう安心でしょう」
兄上、というのは、私と一緒に屋敷で育った王族だった。直接の繋がりはないけれど、おおまかな系統としては同じで、それもあってか私を可愛がってくれていた。とてもよくできた人で、だから彼が王になりさえすれば万事大丈夫だと思って安心していた。
「だから、女神様にも、ご安心いただけるのではないかと思思うのです」
そんな風に話をしたとき、不意に彼女が眉根を寄せた。そして私に何かを言ったが、その時私は彼女の言葉の意味がわからなかった。
お話をした後、祭祀の続きをした。
すべての祭祀を終えたころに、彼女はいつの間にか帰ってしまうものだった。気が付くといなくなっていて、水面に金色にうっすらと輝く白い羽が落ちていた。
あんまりそれがきれいだから、夢見心地でそれを指で救い上げるのだけれど、指にふれると最初からなかったみたいに消えてしまう。光がはじけるように。
それは、このことを秘密にしておくようにと言われているかのようで、それでいつも私はふと我に返るのだった。
そうだった。これは秘密だった。
爺やにも、先生にも、乳母のエスメラや大切なライラにも、兄上にですら、誰にもつげてはいけない、本当の秘密。
だから、私も、彼女に会ったことを誰にも教えない。
神官様も、そう言っていた。
――彼女のことも、お前が選ばれたものであることも、口外してはいけないよ。
そろそろ、帰らないと私がいないことに気づいて騒ぎになっては困る。
いつも帰りは足早に帰った。
暗い回廊を戻っていくと、そんな私の耳に、先ほどの女神さまの、けれど人間の言葉ではないそれが何故かふとよみがえってきた。
あの時はてんで意味がわからないただの不思議な響きだった。
それなのに、今、それを思い出した私は、突然頭の中でそれを”翻訳”できてしまった。それとも、これは彼女が、私に再び話しかけてきたからこそなのだろうか。
『気をつけよ、翼ある子。まことならざる王は血を好むようになる』
「どういうことですか?」
一瞬何を言われたのかわからなくて、首をかしげる私に彼女はつづけた。
『真の王でなければ、まつりをおこなうお前自身が、我に代わって裁きを与えよ』
不穏な言葉は、何度か暗闇の中に響いて消えていった。
――私は、その言葉を恐ろしく思った。
その言葉が、あの羽のように光のようにはじけてしまうことを祈っていた。
*
廃墟と化した屋敷の中庭に足を向けた。
ざりり、と足元で音が鳴る。戦火で焼けた土くれだ。
この庭は、俺が知る限り美しい庭だったよ。でも、今となってはただの廃墟。
それでも、手入れもろくにされていねえで放置されているのは、さすがにかわいそうだ。どうせ金は有り余るほどあるのだから、ちったあ修繕費でも出してやろうかな。
そんなやさぐれた感想を口に出してごまかす。そうでなければ、俺の本当の感情を誰かに読まれてしまいそうだった。
誰か? いや、誰もいないはずなのに。
今の俺は、自由になったものだぜ。
王朝は滅び、王権は別の王に引き渡して、俺は放蕩三昧。俺以外の王族は生き残らず、財産は俺に転がり込んできた。これを何故不運だといえるだろう。そう、俺は幸せ者だ。そのはずだった。
閉じ込められていた鳥籠はこの通り壊れちまった。でも、まあ、幸せ者のはずの俺も、それと同時に壊れてしまったのかもしれない。
今の俺には、あの頃みたいな翼がない。
あの時の俺は知らなかった。兄が即位後に暴君となることを。
些細なことで粛清の嵐を巻き起こす彼を止めて、そして引きずりおろした時に、俺の翼は、兄に引き裂かれ、黒く汚されて折れてしまった。
そう、あの頃の俺の背中には真っ白な羽が生えていた。
鳥籠の中で使い道もなかったのによ。一方今はどうだ。閉じ込めるものもなにもないのに、俺はまっすぐに飛べなくなっちまった。
そんな俺にすら、まだ彼女の声が聞こえる。
『よく来たな、翼ある者。お前は我のために祈らなければならない』
「冗談きついぜ。俺はもう、アンタの期待にはそえねえよ」
どこからともなく聞こえる、ヒトならざる声にそう答える。もう俺には彼女の姿は見えないが、それでもこうして声を聴くことができる。
まだ、あの女は俺に語りかけてくる。俺がもはや飛ぶことすらできない、堕落した男に成り下がったというのに。
「よりによって、どうして俺だったんだ? それに国も平和になった。あっちこっちの神殿でアンタをあがめる奴はいっぱいいる。俺なんてもう必要ないだろう?」
疑問の声に返答はない。
ただ、俺の足は噴水へと向かう。水の枯れたその噴水の壊れた石像の裏。まだ、入り口はあの時と同じように開いている。
俺は苦笑する。知っているとも。
俺以外に、その女を祭ることのできる奴はいないということを。多分、俺が最後の生き残り。その声を聴けるのは、今や俺一人。
「俺は、アンタに一生縛り続けられるのはまっぴらなんだよ」
そう文句を一言。
けれど、そんなことを毎年吐き捨てながら、俺は年に一度はここに通ってしまうのだ。彼女の求める声に引き寄せられるように。
かつて、俺にも翼が生えていて、本当は飛べたということを証明するかのように。
そして、俺の祈りが、きっと今のこの国を、少しは平穏にしているのだろうということを、この国に住まう誰もがしらないだろう。
これは秘密なのだ。誰にも告げてはいけない本当の秘密。
――これは今でも、俺、いや、”私”と翼の女神の秘密だから。
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