◆カミツレと秘密の香り
その日、シャー=ルギィズは珍しく難しい顔をしているのだった。
普段は気のいい陽気な彼だが、たまにこうして妙に小難しい顔で不機嫌そうに店の隅で座っていることがある。
その理由は基本的には誰もしらないし、彼本人も教えるつもりもない。教えたらとんでもないことになることが多いから。
(くそう、なんでどっからバレたんだ)
シャーは、腕を組みながら考えを巡らせていた。
別に今回はそれほど悪いことをしたわけではない……と思う。ただ、シャーとしてもできればごまかしておきたかったのは確かだったのだ。
(やっぱ、ハダートかな。そんなこと密告すんの)
配下に諜報組織を抱えるというハダート=サダーシュ将軍の、にやついた顔を思い出し、この穏やかな昼下がりに、シャーはますます不機嫌になるのだった。
*
「薬草の採集に行きたいのだけど、付き合っていただけるかしら?」
リーフィはちょっと変わった趣味がある。
その日も、今日のような穏やかな日だった。リーフィは仕事が休みらしく、シャーはリーフィの家に遊びに来たのだが、開口一番リーフィはそんなことを言う。
「今日みたいな穏やかな日には、薬草採りがぴったりだとおもうの」
「薬草採集?」
裁縫や機織りなどが得意なリーフィだが、実は彼女は薬草や香料の調合が大好きなのだ。なんでも、昔、シャトランジや教養を教えてくれた師匠である、バラズ爺さんの連れが薬草の専門家で彼女に色々教え込んだらしい。
ということで、リーフィの家には、可愛らしい雑貨にまじって、錬金術師の持っていそうな怪しげな蒸留器や、薬の調合に使うさまざまな道具が所せましと置いてある。
シャーとて、そろそろリーフィのことはそれなりに理解している。草を干すのを手伝ったりすることはあったので、この申し出は別に不思議なことでもなかった。
ただ、普通に嬉しい。
(よし! 頼られてる!)
珍しくリーフィからそんなことを誘われて、シャーはもちろん悪い気はしない。あくまで薬草を採りにいくという理由ではあるが、リーフィの側から誘われているわけだし、どうやら他の誰かが一緒に行くわけではない。
ということは、実質デート。
「もちろん! リーフィちゃんの頼みだもん! 任せてよ!」
二つ返事で引き受けたのまでは良かったのだが、
「良かった! 実は今日目当ての薬草は郊外にあるのよ。一人ではいけなくって……」
「え、郊外? も、もしや、王都の門出るの?」
「ええ、城壁の外を出たところの丘よ。外はやっぱり、治安悪いから、シャーが来てくれると助かるわ」
リーフィは、相変わらずあまり表情が変わらないが、それなりに喜んでいるようだ。
「そ、そ、それはそうだよねえ。城門抜けると、野盗とかいるし」
シャーは、内心弱ったな、と思っていたのだった。
それは、その午前中のこと。
「殿下」
シャーとて、稀にお仕事をすることはある。一応、彼にしかできない、花押、要は命令書にサインをする仕事があるのだ。偽物を作ることもできるが、ここがバレると面倒なので、極力そこは自分で書く。
そして、その出来高がシャーのわずかなお小遣い兼生活資金になるのだ。何故、それ以上渡されないかというと、以前に使い放題にさせたところ、大問題を引き起こした前科があることに由来する。
ともあれ、シャーが珍しく机に向かって嫌々仕事をしていたところ、腹心のカッファ=アルシールが書類を持ったまま、ずいっとやってきた。
諸々の事情から、シャーは王宮では普段は"殿下"で呼ばれている。
「殿下、普段のお出かけは百歩譲って良いと致しますが、よもや、王都の外に出られてはおりませんな?」
「は? 当たり前じゃん」
シャーは憮然としつつ、
「いくらオレでもそんな自覚ねえことしねえって。なんかあったときには、戻って来られるところにはいますーぅ!」
「本当ですな」
カッファは信用していない顔だ。
「流石のオレでも、そこまで自由じゃないっての。わきまえていますう!」
口をとがらせつつシャーは不機嫌になる。
「それだと良いのですが。殿下には何かと前科がございますゆえ」
「信用ないなあ。オレはこう見えて、即位してから基本的に断りなく王都の門は出てないって! こう見えても真面目なんだから! 王都だって、うっかり反乱起きそうな状態なんだってので、気を遣ってんの!」
足を組みつつ、シャーは腕を組む。
「まー、女の子に誘われたって、門の外には行かないねー。オレ、こう見えても、そこんとこ、意識高いってゆーかさ」
シャーは、猫撫で声になりつつ、
「本当、オレってば、そーゆーとこ、健気なんだからね。いや、本当だったら、城壁の外とか大好きなのに、わざわざ城下にいてあげてんの。本当はカッファの為なんだからねぇえ」
「それはお見それいたしました」
カッファは、少し呆れつつそう言いながら、明らかに「だったら、城下にも行くなよ」と言いたげな顔をしていた。
(そんなこと、言ってきたばっかだった……!)
シャーは先ほどのことを思い出しつつ、だらだらと汗をかく。
(郊外とはいえ、城門閉められたら王都に帰ってこれねえしな。門限に間に合うとは思うけど、その間になんか起こって締められたら終わりじゃん)
王様業は、ただの副業。
そんなことを言うこともあるシャーではあるが、流石に自覚が全くないわけではないのだ。それに、職業軍人だった時期が長いので、王様業としてはともかく、防衛上に問題のあることに関しては敏感だった。
(さすがに何かあって、女の子と草摘んでましたとか言えない。ここは事情話して、リーフィちゃんに……。リーフィちゃんは物分かりの悪い子じゃないから……)
冷静にそう考えてみるが、持ち物を準備しにいってしまったリーフィの方を見ると、何やら彼女は楽しそうにあれこれと用意をしているようだ。
その顔は、いつものほとんど表情のないような彼女のままなのだが。
(あ、これ、すごくわかる。リーフィちゃん、超嬉しそう。顔には出てないけど)
城門の外は確かに治安は良くない。薬草の宝庫だと言っても、リーフィのような妙齢の女が一人歩きするのはなかなかに危険だ。彼女もほいほいと行ける場所ではないらしく、どうやらすごく喜んでいるらしい。
シャーは思わず心がぐらっと揺らいでしまう。
(待て、オレ! リーフィちゃんを残念がらせるとか、男してどうなの、オレ! 第一、反乱とか滅多に起きないだろ! 多分、小競り合いくらいなら、他の将軍とかいるし、多分オレいなくてもいける。ハダートとジートリューとラダーナがいたら、大体いける……と思う。それに、リーフィちゃんと出かけたことも、カッファには多分バレない。うん、嫌味とか聞かされたり、面目潰されない、うん)
シャーは、改めて考えを巡らせる。
(いやでも、やっぱ、なんかあった時にいないとか、最悪、戻れなくなりましたとか、あまりにも、あまりにもダメじゃん! そりゃ、オレにもなけなしの矜持(プライド)ってもんがーーっ! ここで、女の為に仕事捨てるとかいかにオレでも……)
「シャー、準備できたわ」
「あ、う、うん」
慌ててそちらを剥くと、いつのまにか、頭巾を被って動きやすい服に着替えたリーフィが、籠やらなんやらを背負って立っている。
オシャレなリーフィには珍しいが、これはこれでなにかあどけない感じで、可愛い。ちょっとうれしそうなこともあってか、妙に今日は可愛らしい。
が、流石そこはリーフィ。シャーの表情を見て、どうやら彼が複雑な気持ちらしいのを見て、少し眉根をひそめた。
「どうしたの? 郊外じゃ、遠いかしら」
「全然遠くないよ! 行く!」
シャーは思わず即答する。
「行かないわけないじゃんー! 城の外が怖いとか、戻ってこれなくなったらやだなぁとか、オレには全然関係ないしっ!」
あっさりプライドを捨て去って、シャーはそんなことを言う。
(カッファには悪いけど、ここでリーフィちゃんの期待を裏切れない! 確率論的にも大丈夫そうだし、王様失格将軍失格でもリーフィちゃんの好感度下げるのだけは絶対に回避するもん!)
内心ヒヤヒヤしているのを隠しつつ、シャーはリーフィと城門をくぐって郊外を目指したのだった。
*
結局、反乱は起きなかったし、門も閉まらない内に帰りつけた。が、カッファに何故か郊外デートがバレてしまい、今日久しぶりに顔を出したところ、
「ご婦人との逢瀬がそれほど大切とは、随分ご立派な心がけですな、殿下」
などと嫌味を言われ、そこからくどくど説教されてしまった。通りすがりのレビ=ダミアスにまで「それはいけないよ」などとやんわりとたしなめられる始末だ。
シャーとしても面目丸つぶれなわけだ。
(絶対、ハダートだ! こんなことカッファに告げ口すんの!)
シャーは、諜報組織を持つハダート=サダーシュの楽しそうな顔を思い浮かべていた。城門の兵士にでも、あのコウモリの配下が紛れているのかもしれない。
「シャー、どうしたの?」
不意にリーフィに声をかけられる。いつのまにか、リーフィが温かな飲み物を手にして傍に立っていた。
「い、いやあ、なんでもないよ。ありがと」
出されたお茶を一口飲むと、ちょっと予想外の味がする。花のような香りに、シャーはきょとんとした。
「リーフィちゃん、これ?」
「ああ、この間の薬草よ」
「薬草って、そういや、白い花とか、だったよね」
シャーは、薬草採集の時のことを思い出していた。薬草というより、白い花の咲くお花畑に連れていかれ、たくさん集めてきたのを思い出す。リーフィとの時間は楽しいが、結構な肉体労働だった。
「ええ、あれを干してお茶にしたのがこれ。すごく落ち着くお茶だから、今のシャーにはちょうどいいかなって」
くすりとリーフィがかすかに笑う。
「えー、あー、いや、別にオレ、怒ったりしてたわけでは……」
不機嫌なのを見破られたのかとちょっと焦りつつ、シャーは薬草の話に戻す。
「アレ、これなんだっけ。いや、今までも飲んだことはあるんだけどさ。名前ど忘れしちゃった」
「ふふ、これはカミツレ。逆境にとっても強い植物なの」
リーフィはちょっと笑って、
「また一緒に採りにいきましょうね」
「もちろん。リーフィちゃんの好きな時に何度でも行くよー」
シャーはうっかりとそんな風に同調しつつ、
(でも、できたら郊外はやっぱやめとこう。城内でカミツレ咲くとこ探ろう)
そんなことを心にこっそりと誓う。流石に二回目は、格好悪いではすまないし。
「でも、リーフィちゃんの特製調合って組み合わせなに? 気になるなあ」
「うふふ、それは秘密。教えちゃうと特製じゃなくなるから」
「えー、教えてほしいなー。秘密なんてすぐにばれちゃうものじゃない」
シャーが猫が甘えるようにそんなことを言うと、
「そうね、シャーのいうのももっともだわ。でも、それだと楽しめないから、新しい秘密を作ってからなら教えてあげるわ」
「新しい秘密?」
リーフィの言葉に小首をかしげると、リーフィはかすかに微笑んでいった。
「今度、新しいお茶の調合を手伝ってくれたら、教えてあげるわね」
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