〇ジャッキールの平穏すぎる悩み
ジャッキールにはちょっとした悩みがある。
平穏な昼下がり。いつも悩みの種は突然にやってくるのだ。
「いきなり訪ねてくるとはなんなのだ」
「あれ、今日は三白眼来てねえの?」
そういって彼はきょとんと小首をかしげる。見かけが童顔で可愛らしい分、激しく腹が立つがぐっと抑える。
近所の子供達に読み書き計算を教えているジャッキールが、家に帰ると見覚えのある童顔の青年が待っていた。当然、彼は例によって悪徳商人カドゥサの御曹司である不良青年のゼダなのだった。
「昨日は来ていたが、今日は知らんぞ」
「へー、そうなんだ。まあいいや」
例の三白眼。あのシャー=ルギィズは確かに昨日来ていた。
「ちょっと昼寝したいんだよねえ。ダンナのお部屋、ちょっと貸して~」
気持ちよく珈琲を飲みながら読書でもしようとしていた昼下がり。あの男の来訪も、かなり迷惑なことであった。宣言通り、夕方まで昼寝して帰ったシャーだったが、何かしらの理由をつけてしょっちゅう来るようになってしまった。
(こいつら、遠慮というものを知らんのか……)
今日は二人同時に来ないだけマシだ。それに、厄介な隣人のザハークも今は外出中。二人集まるといつの間にか、三人になり、夜まで居座られるということもよくある。
(こいつらに住所が知られたのは、本当に失敗であった。リーフィさんにかたくかたく口止めしておくのだった……)
今となってそんなことを後悔しつつも、リーフィにそんな口止めをするのも男としてどうなのかと何となく考えてしまうジャッキールだった。
「面倒ごとではあるまいな」
ジャッキールは予防線を張って、ちょっと眉根を寄せた。
傭兵の自分を頼りにしてか、何かと彼らは面倒な相談を持ち込むことがある。隣のザハークに持ち込むこともあるが、ザハークはどうせジャッキールも巻き込もうとしてくるので、余計にストレスがたまるだけだ。
「面倒ごとはここには持ち込むなとあれほど……」
「あれ、もしかして、また塾の帰り? アンタ、顔に似合わず教育熱心だよなあ」
「いやだから、何の用事かと……」
ゼダはろくろく話も聞かないで、すでに家の中に入っていた。
ジャッキールも本当はわかっているのだ。ここに面倒ごとを持ち込むなと言ったところで、彼らによってもたらされるのは大抵面倒なことなのである。頭を抱えつつため息をついたところで、彼は尋ねる。
「わかった。用件はなんだ?」
「あー、もしかして、また面倒な相談されるとか思ったのかよ?」
ゼダはそういってにやりとした。童顔だが、目つきの座ったゼダは、ちょっと意地悪く笑いつつ、
「オレは三白眼とは違うってー。アイツみたいにダンナに面倒はかけねえよ」
「全く信用できんのだが……」
「あー、失礼だなあ。」
ゼダは軽くそう答えつつ、
「いやさ、別に用事はないんだけどさぁ、女との約束までちょっと時間があるんだよな。だから遊びに来たってわけ。どうせ、ダンナ、暇だろ?」
「来るな。迷惑だ」
答えにおおよそ予想はついていたが、改めて理由を聞かされると腹が立つ。
「どこか
「いやー、一人だと時間持てあますしさ」
「洒落た店に入ると、すぐにそこの看板娘に声をかけるではないか。話し相手は作れるだろう」
「あー、あれは挨拶。女の子いるのに、声をかけない方が無粋」
ゼダはさらっとそんなことを言う。
「でも、相手だって仕事中なんだぜ? いつまでもオレの相手させるわけにはいかねえしさあ。そういうこともあって、暇そうなダンナの相手をしにきたってわけだよ」
「俺は忙しいんだぞ。今から掃除も買い物も、それから造花を作る内職も溜まっているし、納期がもうすぐ……」
「あー、じゃあ、手伝ってやるからさ。ちょうどいいじゃん」
ジャッキールがそう並べ立てかけると、ゼダがにやっと笑ってそのあたりに転がっている作りかけの造花を手に取った。
ジャッキールはむうと眉根を寄せる。それを無邪気に見上げて、ゼダはいった。
「そんな冷たいこと言うことないだろ。ここに来るっていうのは、ダンナがいいやつだから来るんだからさー。三白眼だってしょっちゅう相談に来るんだろ。あれ、ダンナが嫌いなら来ないって」
「まさか、使いやすい休憩所なだけだ。奴から人斬り以外で評価を受けたことがない。口うるさいとかなんとかは言われたが……」
「そりゃー、三白眼のヤツが素直にそんなこというわけねーじゃん。ダンナも知ってるだろうけど、アイツ、本当はすっごい意地っ張りなんだぜ」
「そ、そうか?」
「そうだよ。ま、それは蛇王さんとかも、そういうとこあるけどー」
ゼダは、にやっと笑う。
「実は、ダンナの家、居心地いいって三白眼も蛇王さんもいってんだよな。やっぱり、清潔だし、掃除が行き届いてるから」
(迷惑すぎる)
結局、持ち上げられているだけのような気がする。ジャッキールは頭が痛くなってきた。
「あ、でも、オレは三白眼と違うからさっ」
ゼダはふと思い出したように、持っていた袋を広げて何か取り出す。
「タダで居座ろうとは思ってないんだぜ。ほらっ!」
そう言ってゼダが袋の中から取り出したのは、まだ温かいお菓子だった。甘く煮詰めた林檎がたっぷり入ったもので、ふいに鼻先に甘い香りが漂い、甘いもの好きのジャッキールは思わず反応してしまう。
「おお、これは噂の新作菓子! しかもちょっと高級な奴だな!」
「ダンナ、流石詳しいな」
ゼダがやや得意げな顔になる。
「でも、その反応だとまだ食べたことないよな?」
にやりとしてそう視線を向けられ、ジャッキールは気まずそうに返答に詰まる。
「これ、手土産だから。これがなくなるまでの時間で、いーんだけどさー。おいてほしいなー、ここに」
目先の菓子にときめきつつも、ジャッキールはむうと唸る。
「ば、買収はされないのだからな、俺は」
「いいぜ。ダンナの性格は知ってるから。これは、俺の自主的な贈り物さあ。でも、受け取らないとか、そういう冷たいこと言うダンナでもねえよなあ?」
ううう、とジャッキールは唸ると、ため息をついた。
「ほ、本当に、買収されたわけではないのだからな。だ、だが、仕方がないから、茶は出してやる。
いいか、飲んだら帰るのだぞ」
言い訳めいたことをいうが、完全に形勢逆転していた。
「へへ、わかってるってよ」
ゼダはニヤニヤしながら答えつつ、にんまりと笑った。
「まあ、これで軽く二時間はいられるなあ。さて、今日は何の話聞き出してやろうかなー」
ゼダは、ジャッキールの傭兵時代の話を聞くのが好きなのだ。もちろん、シャーも好きだが、従軍経験のないゼダにとって、東方や北方ほど物珍しいものはない。
ジャッキールはそんなゼダを見やりつつ、茶を準備しに部屋を出る。
(今日も、誘惑に負けてしまった……。俺は何という即物的な浅ましい男なのだ……)
そんな大げさなことを考えつつ、ジャッキールはため息をつく。
暇つぶしに来る男たち。その中でもうっかりとたかが甘い菓子一つに買収されてしまう自分。
平穏な昼下がり。だからこそ、今日も彼の悩みは解決しそうにない。
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