◎隊長の珈琲

※エルリーク暗殺指令序盤読了後推奨です。



 メイシア=ローゼマリーは、家事一般が苦手だ。

 もともと苦手だったので、奴隷だったころも水汲みだのと力仕事をすることが多かった。別にうまくならなくてもいいや、とどこかで思っていたのだが、今思えば昔もう少し頑張っておけばよかったと思っている。

「そんなに無理しなくてもよいのだぞ」

 と、メイシアが片付けようとして落として割れた皿を箒で履きながら、彼女の主人は言うのである。

 主人、というのが本当は正しいはずだ。何せ本当はメイシアは奴隷娘で、彼が自分を買い取ったのだから、普通に考えれば「ご主人様」と呼ぶべき存在だ。しかし、彼は絶対に彼女との主従関係をつけたがらないので、そういう風に呼ぶことは禁止されている。

 彼の呼び方は「隊長」だ。なぜ隊長かというと、周囲の者たちが彼を隊長と呼んでいるからでもある。だけど、彼は正規の軍人ではない。見た目はどこか高貴な風貌だけれど、彼は流れの傭兵。誰に仕えるわけでもなく、戦場を渡り歩く。そんな彼のことを悪く言うものも多い。

 メイシアにはとても優しい隊長だったが、彼は一見ツンケンしているから、実はあまり部下たちには好かれていない。本当はとても優しいひとなのだから、周囲にもちょっと愛想笑いのひとつやふたつすればいいのにと、メイシアは思っている。

 ともあれ、掃除が終わると、彼は少し落ち込みがちなメイシアに気を遣ってか、慌ててお茶を淹れてくれた。

「そんなに気にすることはない。慣れればそのうちうまくなるだろう」

 そういう隊長に、メイシアは口をとがらせて言ったものだった。

「でも、隊長。あたしも、隊長のお役にも立ちたいもん。お皿洗いぐらい」

 そういって、割った皿はこれで十枚目だ。

 洗濯物を干せば何故かしわしわになってしまうし、料理をすれば不可思議な味のものを作ってしまうし、掃除をすればかえって埃を引き出してしまう。せっかく彼に拾われたのに、どうしても家事一般が苦手なのだ。

 一方、隊長本人は、とってもきれい好きでまめなので、掃除はきっちりチリ一つ残さず完璧にやるし、洗濯物もこまめに片付けてはびしっとしわなく干してしまう。しかも、料理も結構うまくてメイシアに何か作ってくれたりもする。

「隊長の方が色々できるなんて……」

「お、俺は、独り身が長いから自然にそういう能力がだな……」

 失敗続きですっかりめげてしまったメイシアの機嫌を取るのに、隊長はお茶をするついでに甘いお菓子を作ってくれたのだが、むしろメイシアはちょっと元気がなくなってしまう始末だった。なんでこの人なんでもできてしまうんだろう。自分では独り身が長いからとかなんとかいっているけれど、軍人やってるより家政婦やったほうがいい気がするぐらいだ。

 メイシアは、足をぶらつかせながら、ため息をつく。

「あたし、隊長に拾ってもらったんだから、何か隊長の為にお仕事したいのにな。どこかにご奉公に上がるときにだって、そういう能力は隊長も必要だっていってたよね?」

 彼は、思わず珈琲をこぼしそうになっていた。

「そ、そんなに無理をすることはないではないか。そ、そうだな、人には向き不向きというものが……い、いやっ、その、なんだ、ごほん、お前の得意なことをすればいい」

 彼は意外とすぐに動揺する。女子供と話をするのが苦手だとは言っていたが、いつものしかめつらしい顔からは考えられないほど、簡単に動揺してしまう。

「ま、まあ、まだよいではないか。まだここに来てそれほど月日も経っていないのだから。せっかくだから俺もここにいる間に一緒にお前の得意なことを探してやろう。だから、機嫌を直すのだ」 

 ローゼ。と彼はつけてくれた名前で呼んでくれる。

 ローゼマリーは、メイシアが彼に無理言ってつけてもらった名前だ。

 時に不思議な響きの名前で呼ばれる彼は、明らかに異邦人であるとわかる顔立ちをしていた。発音にもちょっとクセがあって、彼がどこからか流れてきたのだという事はよくわかる。だから、彼の国の名前で名前が欲しいと無理を言ってねだってつけてもらった。

 その名前は、隊長が買ってくれたかわいい服によく似合ういい名前だと彼女は思っている。なんだか自分がかわいくなった気がしていた。

「隊長がそういうなら大丈夫かな」

 急に機嫌を直して、メイシアは笑顔になった。

 彼女がそういう風に答えると、大体彼は安心してほっとした顔になるのだ。

 彼は怖い感じがすることで有名だ。

 メイシアだって、最初は彼のことを死神か何かだと思った。いつも辛気臭い黒い服に身を包んでいるし、どこか青ざめた顔をしているし、仏頂面だし、時には冷徹な顔をする。とりわけ部下の前では、非常に厳しい態度で臨むこともある。

 しかし、メイシアの前では彼はいつでも優しい。しかし、ちょっと頼りなげに思えるぐらいにぎこちない。そんな彼の困ったときの顔が、メイシアは好きだ。

 もっとみんなの前でもそんな顔すればいいのに、とメイシアは思うが、彼が優しいことについて知らないものが多いのは、悪いことばかりではない。

 だって、実は彼は。

「ジャッキール様」

 と不意に二人だけの時間に割って入る女の声があった。

 彼は律儀に立ち上がり、ああ、と返事をする。

 その女は、彼の雇い主の部下だ。雇い主と彼との連絡係を務めているらしいのだが、なんのかんのと理由をつけては彼の前に現れて、やたらと楽しそうに話をしていく。メイシアは、大してませた少女でもなかったが、そんな彼女でもその女の目のきらめきの理由がなんであるのかは検討がつくものだ。

「そうか。すべて承ったと伝えてくれ」

「はい」

 メイシアを置いてきぼりに話していた彼らの会話もようやく終わり、女は立ち去って行った。

「あの人、隊長のところによく来るわね」

「うむ。色々と細かく指示を出してくる雇い主だからな」

 真面目に頷いて席にもどる彼を見上げて、メイシアは苦笑する。

「そうなのかなあ」

 そう尋ねられて彼はきょとんとした。時折、彼は物凄く隙だらけだ。

「どういうことだ? ローゼ」

「ううん、隊長がわかんないみたいだから、それはそれでいいの」

 もともと顔立ちの整った彼は、普通にしていれば、こっちがうっとりするほどきれいな顔をしている。だが普段は怖いので、あまり誰も気づかない。けれど、多分彼女は気づいてしまったのだろう。だから、何かと理由をつけてしょっちゅう彼のもとに来てしまう。

「隊長みたいな人の事、『ぼくねんじん』っていうのよね。本当に鈍いなあ」

 独り言のようにつぶやくと、彼にも聞こえていたのか、は? と間の抜けた顔をされた。

「ローゼ。今何かいったか?」

「ううん、なんでもない」

 そう答えて彼女は微笑む。

「あたしね、隊長にローゼって呼んでもらえるの、好きだなあって思っただけ」

 そういうと、彼はちょっと照れて困ったような顔になる。

「いきなり、お前は何を言うのだ」

 困ってとりあえず彼は珈琲を飲む。甘党の彼の飲んでいるその液体には、彼の強面に不似合いなほどたっぷり砂糖が入っている。

 それを知っているのが自分だけなのが、メイシアにはちょっと嬉しいのだった。

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