◎中庭の不穏な学生達

※無双のバラズ編のネタバレがあります。

バラズとハビアスの若い頃のお話。


 久しぶりに学院が再開されたらしい。

 そんな噂をようやく聞きつけた彼らは、学生の本分を果たすために学院に向かっていた。

「あくびばっかりするなよなあ。そんなに眠いのか?」

 メッサーラは、呆れ気味に学友を見やった。

 その学友、小柄でいまいちパッとしないファリド=バラズ=シーマルヤーンは、先ほどからずっとあくびをしっぱなしで、どうもぼんやりとしている。その割には、服は存外にしゃれていて、長い髪もみつあみに編み込んであるが、どうにも彼のだらだらした様子とは乖離があった。 

 ファリド=バラズ=シーマルヤーンは、眠い目をこすりながら、メッサーラと一緒に学院への道を歩いていたのだった。眠いのも仕方がない。いきなり朝、メッサーラが下宿先に現れて寝ている彼を叩き起こしたのだから。

「そりゃあ、眠いさあ。……もうちょっと寝ていたかったなあ」

 メッサーラは眉根を寄せた。

「でもさあ、卒業できなくなったら、流石に怒られるっていってたろ。そろそろ授業受けないと単位とれないぞー」

 俺も、とメッサーラは続ける。

「いい加減、学校で授業も受けられないなら辞めちまえって言われてるぐらいだぜ。俺は王都に実家があるからまだいいけど、お前なんか田舎からでてきてるんだから」

「あー、それはそうなんだけど、眠くってさー……」

 彼、バラズは、しがない地方貴族の息子だった。

 家柄は上の下で、先祖をたどれば、カリシャ朝王族の家に連なるとかいうが、あくまで血筋と家柄がいいだけで、金とも権力とも無縁。両親はそれでも何とか彼をいい職に就かせようとして、貴族の師弟の通う王都の学校に彼を入れたものだった。

 しかし、時の王室は荒れ果てていた。

 王様が廃位されたり、暗殺されたり、内乱が起こったり、派閥争いが起こったり。ともあれ、のんきに勉強している場合ではなかったのも確かで、そんな荒廃の中、王都の学院が開かれていることも少なかった。

「開いている内に単位取っとかないと大変じゃないか」

「それはそうだけどねえ」

 なにせ、眠いのだ。バラズは何度目かの大あくびしながら、空を仰いだ。

「なんだよ、なんでそんなに眠いんだよ」

「いや、そのさ、……」

 小首をかしげるメッサーラに、バラズはやや苦々しく、しかし、にんまりと笑って小声で言った。

「実は、昨日馬鹿ヅキで……」

「はあ?」

 メッサーラは呆れた顔になった。

「お前、まさか徹夜で」

 バラズは慌てて首を振った。

「そ、そんな大きな声で言わないでくれる? 学校に通ってるヤツで私の”趣味”知ってるのは、主にお前だけなんだから」

 頼み込むように言うバラズに彼は呆れた様子になった。

「いや、ちょっと噂はきいてたけど、そこまでとは……」

「もとはと言えばお前が連れて行ってくれたんだろう? 私一人じゃ、あんなところ行ってないよ」

「いやでも、そんなにハマるとは思ってなくて……」

 引き気味のメッサーラに、バラズはにんまりと笑った。

「はは、まあ、これも才能の一つってやつでね。ああ、そうだ。昨日ツイてたおかげで、小遣いに不自由していなくてね。今日、美味いメシをお前さんにおごってあげてもいいよ」

 下心のありそうな視線に、メッサーラは不機嫌になる。

「その代り、授業聞いといてくれって話だろ」

「そりゃあそうでしょ。でも、お互い幸せじゃないか。お前は美味しいごはんが食べれて、私は寝られる」

 ファリド=バラズは、そういってどちらかというと童顔な顔で、しかしちょっと不穏に笑うのだ。

 基本的には大人しくて陽気で優しいバラズだったが、メッサーラはこんな時に学友にちょっと恐ろしさを感じることもある。


 

 どちらかというと小柄なバラズは、学院でも取り立てて目立つ存在でもなかった。

 気弱というわけではないが、争い事は好まないし、成績も極めて普通。問題児でもないが、秀才でもない。どこにでもいる学生といった次第。

 外見も小柄でやせっぽち。童顔で可愛らしくはあったが、取立て男前でもなく、女の子にちやほやされる方でもない。地方出身者なので田舎者には違いなく、おのぼりさんだと馬鹿にされることもあるほどだ。

 ただ、彼はちょっと将棋(シャトランジ)が強かった。普段の彼はあくまで争い事を好まなかったが、将棋をしている間は強気な勝負に打って出ることが多く、妙な度胸があるなと思わせた。

 当時、授業がなくて暇だったので、メッサーラをはじめ、学生たちは賭場に出入りするようになっていた。あくまで彼らにとってはちょっとした遊びのつもりだったが、そんな中で、将棋の強さを見込んでバラズを賭場に引き入れたのはそんなに前のことではなかったと思う。

 最初に彼に声をかけたのは、元々友人であったメッサーラ自身だった。案の定、バラズのおかげでその時はそれなりに勝つことができて、うまい酒を飲んで帰ったのを覚えている。

 そのあとも、彼らはバラズを連れて賭場に通ったこともあったが、しかし、誰よりも賭博にのめり込んだのは当のバラズで、特に獅子の五葉(ごよう)と呼ばれる骨牌(カード)賭博を覚えてからは、メッサーラ達の連れがいなくても一人で賭場に通うようになっていたらしい。そうして生活費を削って徹夜で打っているというよからぬ噂が流れていた。

 ここしばらく、彼と会っていなかったメッサーラは、それは噂に過ぎないと思っていたが、この様子を見るとどうやら本当のことらしい。

 だが、思ったより羽振りが良い様子でもある。

(借金している雰囲気もなかったから、もうやめたんだと思ってたのに)

 メッサーラは探るようにつづけた。

「そんなに勝ってるならご相伴にあずかりたいな。今日はどうだ? 講義の後行ってみるか?」

「ははー、そりゃやめといたほうがいいんじゃない」

 バラズは急に玄人ぶって言った。

「私みたいな打ち方してたら、キミタチ死んじゃうよ~」

 にやっと笑ったバラズの視線は妙に不穏だ。一瞬メッサーラが言葉を飲むと、それを見計らったようにバラズはぱっと笑った。

「なーんてね」

 ごまかすように舌をだし、バラズはかわいこぶって言う。

「それは冗談だけど、キミタチの知ってる私と賭場の私はベツモノだよ。多分、見たら引いちゃうから、やめといたほうがいいとおもうな」

「本当かよ」

 メッサーラは苦笑した。

「本当さあ。ただ、引いちゃうだろうけど、すごくカッコイイと思うんだけどねー」

「お前がカッコイイわけないだろ。全くさ」

 そんな戯言を言いながら歩いている内に、学院についた。

 王都の政争の影響で、学院の美しい門はところどころ破壊されていた。

 知識人が集まる学院は、政治闘争に巻き込まれやすい場所でもあった。学生の中にも、現在のカリシャ朝中枢に反目する者たちも多く、それがゆえに破壊の対象となることもあった。学院がここ数カ月開かれていなかったのもそうした理由からだ。

「さて、授業に遅れないように入ろうぜ」

 メッサーラはバラズをせかすと、早速学院の中庭を通りがかった。

 学院にはどこでも大抵綺麗に整備された中庭があった。

 荒廃したさなかでも、それなりに綺麗に整備がされているところをみると、誰か有志が片付けたのだろうか。植物が植えられ、中央に噴水があり、中庭は小さなオアシスといった様子でみずみずしく生命力にあふれていた。

 しきつめられた紋様の入ったタイルは、この間の暴動の時の被害を残し、いくらか割れたままにはなっていたが、門の悲惨さを思えば綺麗なものだ。

 中庭では休み時間に学生達が集まり、色々と話をすることが多かった。

 メッサーラやバラズは、世間話ぐらいしかしないのだが、真面目な学生たちはここで議論を戦わせる。それが有名な人物になれば、周りでそれを聞いている者たちがでてきてちょっとした人だかりになる。

 今日もそんな人だかりができているのは知っていたが、彼らは無視して進んでいた。

 が、唐突にメッサーラが立ち止まった。ぼんやりと歩いていたバラズは、うっかりと彼にぶつかるところだった。

「ど、どうしたんだ?」

 背の高い学友の体で前が見えないので、バラズはひょこんと横から顔を出してみた。

 中庭にできている人だかりの中、その中央に、ひときわ目を引く青年がたたずんでいた。

 涼やかな顔立ちのすらりとした美青年で、いかにも貴公子然としている。自信に満ち溢れ知的で気高い。

 そんな印象だった。

「誰? あれ?」

 無邪気にそう尋ねたバラズに、メッサーラは眉根を寄せた。

「お前、知らないのか? あれは、カースディヤールのハビアスだよ」

「ええっ? あの人が?」

 学院始まって以来の天才だといわれている男で、家柄も特級によく、いずれは権力を掌握するだろうと目されていた。それでいて、学生の今でも現王家に反目するようなことも恐れずに口にする、野心高い男。

 政治に興味のないバラズでも、その名前を知っているほどの、学院の有名人だ。

 バラズは、学友の陰からその男をまじまじと見つめた。

 見目も良く、頭もよさそう。話している声も心地よい美声で、その話し方も理路整然として魅力的だ。しかし――。

「へえー、なるほど」

 バラズはため息をついた。

「なかなか物騒な感じの面構えしてるんだねえ、彼」

「はあ、お前、よりによって彼を見ての感想がそれなのかよ?」

 メッサーラが、呆れたように首を振る。

「凄い人なんだぞ、彼は。この間大臣の一人と議論して言い負かしたって話さえある」

「そりゃー、本格的に物騒な話じゃないか」

 バラズは苦笑した。

「あんなに若いのに、そんなに頭が回るとかさ。怖くない?」

「何言ってるんだよ、お前。なあなあ、せっかくだから、話聞いてみようぜ」

 メッサーラは無邪気に憧れを目に浮かべ、そんな風に誘ってくる。が、バラズは大あくびをひとつ。

「えー、私は遠慮したいなあ」

「なんでだよ?」

「だって、コワイじゃないか。君子危うきに近寄らずって言うでしょ?」

「何が危ういんだよ」

「いや、それは彼の存在自体がさあ……」

 バラズがそんなことをいいながら逃げようとしたとき、ふと、その怖い青年が彼らの方を見た。

 ただ、視線を向けただけですぐにそらすと思っていたが。何故か、その目はそこで止まり、彼はおおと声を上げた。

「そこにいるのは、もしや、シーマルヤーン殿ではないかな?」

「え?」

 どき、と思わずバラズは動きを止める。

「え? なんでお前のことしってるんだよ」

「それは私がききたい。ひ、人違いじゃないかな? シーマルヤーン家の人それなりにいるし……」

 小声でメッサーラとさざめきかわす。

 ハビアスはというと、人がきを割って彼の方に歩み寄ってきた。いよいよもって人違いではなさそうだ。

「貴殿の話は聞き及んでいる。一度、お話をしたかったのだよ」

 ハビアスは、美しい顔に笑みを浮かべた。

「こ、これは、どうも」

 バラズはそれに気おされつつぴょこんと頭を下げた。

 が、内心は心穏やかではない。

 一体何の話だ……とバラズは冷や汗ものだ。

(私、目立たずに生きてきたのに、なんでこんな物騒な人に名前知られてるの?)

 そう、自分は基本的に目立たない人間だったはず。

 多少羽目を外しているのが、先ほどメッサーラにもドン引きされた賭場通いの一件ぐらいだ。そうだ、もしかして、獅子の五葉に全財産つぎ込んでいる噂でも聞かれたのかもしれない。

(全財産つぎ込んだのは噂じゃなくて、そりゃー本当のことだけどさあ……)

「い、いや、まさかハビアスさんが、私のことをご存知とは……、はは、光栄です」

 ごまかすようにとりあえずそういってみると、ハビアスはにっと微笑んだ。

「勝負事に強いそうだな。特に将棋(シャトランジ)が強いと聞いているよ」

「あ、ああ、そちらですか」

思わずそちらとか言ってしまった。が、ハビアスも、例の噂はきいているのかもしれない。何か彼の目には、そういう気配があるからだ。

 しかし、それにしても、間近で見るハビアスの目。

(あー、やっぱりね)

 バラズはそっとため息をつく。

(聞きしに勝る水も滴るいい男だし、話の仕方もすごくいい感じで、笑顔なんか本当に綺麗な感じでさ……でも)

 目が笑っていない。

(これは本当に物騒なヒトだわ)

 お関わり合いにならないのが一番だ、が、関わってしまった以上は仕方がない。

「一度、手合わせ願いたいものだな」

「ははは、まさかそんな風におっしゃっていただけるとは」

 とりあえず、ここは揉めないようにしなければ。それでもって、早いこと切り上げたい。

 本当はメッサーラに助けてほしかったのだが、メッサーラはすっかりハビアスに魅了されてしまっている。ここは、バラズが自分でどうにかしなければならないのだ。

「しかし、本当にご冗談! ハビアスさんと勝負だなんて……、私の負けに決まっているじゃあないですか? 時間の無駄ですってば」

 周囲の取り巻き達が当たり前だろ、と言うような気配で彼を見る。が、ハビアスだけは、その雰囲気に流されていなかった。

「はは、やはりシーマルヤーン殿は、不穏な男だな」

 にっとハビアスが笑う。その唇の端がかすかに歪む。

「いかに僻地から出てきた田舎者とはいえ、私を前にそのような軽口をたたける人間もそうそういやしない」

 かすかに挑発するように、ハビアスは冷徹に彼を見る。

「本当に世間を知らない男なのか、それとも、実は私に勝算あってそのようにいうのか、どちらかだろう?」

「いえ、私は……」

 慌てて首を振るバラズに、ハビアスは追いつめるように告げた。

「さて、全財産をつぎ込んだほどの勝負は、君にどれほどの力を与えているのかな?」

 明らかに挑発し、見下すようにハビアスは彼を見る。

「は……」

 ぴん、とバラズの中の何かが弾ける。

(なんだ、やる気か? コイツ……!)

 今日は、徹夜の勝負明け。

 実のところ、まだその熱がくすぶっている。眠気がそれを鎮静させていたが、くすぶったものに火がつくのはたやすい。

 その瞬間、バラズは変貌した。

「ふっ。勝算がなければそのように言ってはいけませんかね?」

 バラズは、伏せていた目を上げた。まっすぐにハビアスを睨み上げながら、彼は剣呑な雰囲気を漂わせて瞳を笑わせる。

 メッサーラは唐突に雰囲気の変わった学友に驚くが、その視線すら気づいていないのか、バラズはまっすぐハビアスを射るように見ていた。

「まあ、私が負けるとは思いますが、大体、勝負というのはやってみないとわからない」

 にやりとしてバラズは言う。

「だから、私とあなたが勝負するなんていけないことですよ。私もあなたも手加減を知らない」

 だから、とバラズは冷ややかに言った。

「私が負けても失うものはありませんが、あなたが負けると面倒なことになるのは間違いないでしょう。第一、私は敗北の味を知っているが、あなたは敗北の味を知らない」

 ハビアスの唇から笑みが消える。

「敗北の味を知らない人間が、”負ける”というのは辛いことだ。……私が勝てばあなたに辛い思いをさせてしまう。そうなると、私も気に病みます」

「私に勝てると?」

 ハビアスが試すように尋ねると、バラズは臆面もなく頷いた。

「最後の最後まで勝負はわからないのです。最後に勝利の女神を引き寄せられる男だけが、勝負に勝つことができる。そして、私は、あなたより間違いなく彼女に愛されていますよ」

 勝ち誇るようにバラズは笑う。

「あなたが敗北の味を知ってもいいなら勝負はいずれかにお受けしましょう。将棋でも獅子の五葉でもいい。だが、今はやめましょう」

 くるりとバラズは踵をかえし、顔だけをハビアスに振り向かせた。

「せっかく久々に授業がある日だ。私とあなたが勝負をすると、ココが焼け野原になってしまう。実のところ私は眠たくてね」

 と、ちらっと殺気のようなものを瞳の奥に煌めかせ、彼を牽制しながらバラズは言った。

「今日は、私は平穏に眠りたい」

 そういい置くと、バラズは軽く会釈をした。

「それでは、失礼させていただきますよ」

 そういうと、早足でバラズは立ち去る。

「あ、ちょっと! あ、ハビアスさん、すみません!」

 メッサーラは慌ててハビアスに挨拶すると、慌てて彼の後を追いかけていった。バラズは早足ですでに中庭から遠ざかりつつあった。

「なんだ、あの田舎者の小僧が」

 彼がいなくなったあと、ハビアスの取り巻き達がそう吐き捨てた。

「カースディヤール殿になんという不遜な態度を」

「自分が勝てるとても思っているのか」

 取り巻き達が口々にハビアスにそう告げたが、彼は笑わなかった。

「はは、思っているのだよ。あの男は」

 彼は苦々しく笑った。

「本気で私に勝てると思っている。あれは、そういう目だった」

 ハビアスは、元いた場所に戻ろうとゆっくりと歩きだしていた。すでにバラズの姿は見えなくなっている。

「てっきりおのぼりの田舎者が、賭博にはまって身を持ち崩しているのだと思っていたが……」

 あの男、意外となめられたものでもないらしい。

 ハビアスは、先ほどの狂気じみた彼の目を思い出してそっと顎を撫でた。

「シーマルヤーンか、覚えておこう。いつか試させてもらう。私に敗北の味とやらを味合わせられるものならばな」

 ハビアスはそういうと、冷徹にくすりと笑ったものだった。

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