◆リル・カーンと理想の兄上
※無双のバラズ編の後日談のようなもの。
「先生は、シャーさんのこと、よくご存知ですか?」
不意にリル・カーンに尋ねられ、ジャッキールはきょとんとしてしまった。
いつの間にやら先生と呼ばれるようになってしまったジャッキールは、最初の頃は自分は先生と呼ばれるような存在ではないとかなんとか言っていたのだが、まんざらでもないので結局、呼ばれるがままになっていた。
あの一件の後、リル・カーンは時折お忍びでジャッキールのところに剣術を習いに来る。もちろん気軽には来られないのだが、そういう場合は、手紙のやり取りで、いわば通信教育をしてあげていた。こういうことになると、途端まめなジャッキールだ。
そんなわけで、リル・カーンは今日も彼のもとで剣の稽古をした後、お茶とお菓子を出されてまったりと時を過ごしていた。
リル・カーンの後見人である爺やのナズィルは意外に懐が深く、「殿下がそれほど信用される方だから」という理由で、ここにいる間はほかの護衛の兵士もつけずにいさせてくれる。
それにしても、彼があの女狐と呼ばれる先王の妃の一人のサッピア王妃の一人息子だとは、言われなければわかるまい。
「よく知るとは、どのようなことかな」
ジャッキールは、唐突に訊かれたことにわからずに尋ねかえすと、リル・カーンは少し目を伏せた。
「いえ、どのようなといわれれば、何となくではあるのです。ただ、あの方は、どこか不思議な方ですから……」
リル・カーンは、そう尋ねられてごまかすように答える。ジャッキールは、すこしにやりとしたものだ。
「慣れると不思議というよりは面倒な奴だがな」
と苦笑しつつ、
「まあ、あのままといえばあのままの男だ。殿下は強くなるのは結構だが、ああいう男にはなってはならんぞ。よくない例だな」
「そうでしょうか?」
といいながら、何かまだ話したそうなリル・カーンに、ジャッキールはふとたずねた。
「さて、何故奴のことが殿下はそんなに気になるのか?」
「何故と言われますと……、そうですね」
リル・カーンは少し困ってから、
「実は、シャーさんは、私の兄と年のころがよく似ているのです。なので、つい、兄と重ねてしまうのかも」
というと、色々な事情を知っているジャッキールは思わずふきだしそうになりつつ、それを噛み殺しながら頷いた。
「殿下は、それほど兄上と会いたいのかな」
「はい。しかし、先生もご存知の通り、私の母と兄はあのようなことですから……。私のことも遠ざけられるのではないかと」
「それで、奴をみて兄に重ねてしまうと……」
といいつつ、ジャッキールは首を振った。
「さて、殿下の兄上がどのように考えているのか俺にはわかりようもないことだが」
「はい」
ジャッキールは、いつもの強面とは裏腹に穏やかな視線を向ける。
「嫌われているわけでもないかもしれないぞ。……実際に会ってきいてみなければ、いや、聞いてみたところで、人の心というのはわからないものだ。会っていない今はなおさらだからな」
「はい」
リル・カーンは素直にうなずく。少し嬉しそうな顔をしながら彼は告げた。
「先生の言われる通りであればと思います。兄上はご健康が回復されれば会ってくださるのかも」
「そうだな」
しかし、とジャッキールは言った。
「殿下の兄があれのようだと、非常に苦労するぞ」
「何故ですか?」
リル・カーンはあくまで無邪気だ。きょとんと小首をかしげて尋ねる。
「殿下の”兄”ということは、そういうお立場だろう? それがあいつみたいに住所不定無職の遊び人の不良なのだとしたら、それはそれは大変なことだ」
「けれど、シャーさんはとてもいい方ですし、一緒にいると楽しくなります。私は、兄があのような方ならいいなと思っています。シャーさんのような兄が、私の理想の兄です」
リル・カーンはあくまで真剣だ。
ジャッキールは、いよいよ笑いそうになりながら、それでもどうにかニヤニヤ程度でとどめるのに成功した。
「それぐらいの覚悟があるなら仕方がない。それでは、しかし、……殿下が、兄上と謁見される日が楽しみだな」
「ダンナー、こんちはー! いるの?」
ふと扉の外でそんな声がする。ちょっと癖のある高音。リル・カーンがぴんと顔をあげた。
「あ! シャーさんだ!」
嬉しそうにしながら、リル・カーンはジャッキールを振り仰いだ。
「先生、扉を開けても良いですか?」
「本音を言えば迷惑だが、構わないぞ。追い返すのも厄介だ」
ジャッキールがそう答えると、リル・カーンは返事をして扉を開けに走る。
「まったく……、程度の低い男だ」
ジャッキールは、それをほほえましく眺めながらも苦笑した。小言のような口調で、しかし、誰にも聞かれない程度に彼は言った。
「理想の兄というなら、貴様にもっと頑張ってもらわなければならんのだがな」
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