◆合わせ鏡の憎悪と愛情
※本編より再録。
俺は、あまり宮殿にいるのが好きじゃない。
なんだろうな、俺のいる場所ではないという気が前々からしていた。本当は、俺が玉座に座ることになる前から、きっとそうなんだと思っていた。それが結局そうだったというだけのことだ。
だから、俺はむしろ戦場にいる方が気が楽だ。いつ死ぬともわからない、矢の雨の中にいる方が、血が騒いでぞくぞくして、そして――安心できる。
*
「父上、ご無事で何よりでございました」
「ああ、お前たちも元気そうで何よりだな」
久しぶりに都に帰ると、色んな人間の出迎えを受ける。
都に残してきた部下たちは当然のことながら、妃と名のつく可愛い女たち。そして、その子供。
今俺に挨拶をしているのは、ラハッドとザミルの兄弟だ。俺の子供たちはみんないい子たちだよ。気の強いサッピアの息子のリル・カーンもいい子さ。
しかし、王子たちの未来は決して明るくはない。ラハッドやリル・カーンは性格が良すぎるし、ザミルは、その胸の内に危険な野心を滾らせているのを、実は俺は知っている。
彼らが近い将来、俺がいなくなった時、どうなるかを俺は知っている。だから、個別に特別に愛情を注がないようにしてきた。妃たちにも多分同じ。
なぜなら、彼女たちや彼らの未来を俺は知っているからだ。愛情を注いでしまえば、それが壊れた時にどんな感情が襲ってくるか、誰だってわかるだろう? 俺は、だから特別に愛情を注いではいけないんだ。
そんな俺のことを冷血漢というやつもいるだろうし、卑怯者だというものもいるだろう。ああ、俺も自分でもそう思う。しかし、俺はそうすることに”した”んだ。そう決めた。
大宰相の位に座るハビアスの爺は、俺を玉座に座らせるときに、いつか俺がいなくなってしまうことを恐れていた。俺に家庭を持たせようとしたのは、政略的な意図があってのことだけではなかった。ハビアスは、彼女たちを使って、俺をつなぎとめようとしていた。しかし、彼女たちは残念だが、俺をつなぎとめるだけの何かがなかった。けれど、別に妃たちを愛していなかったわけじゃあない。ただ、俺にとって、宮殿にいることを心地よく思わせるだけの”何か”を彼女たちはもたなかった。
それに気が付いたとき、俺はいずれこの落ち着かない場所を去ろうと決意した。そして、その刻限を決めたときに、必要以上の愛情を周囲に注がないように気を付けた。
そうすれば、すべてを捨てて出ていける。
俺がそんなことを考えていると知っている人間はいない。あのハビアスですら、俺の考えを読めていない。
ただ、一人だけ、きっと俺の心を見透かしているだろう人間が、ここにいるのを俺は知っていた。
その日は、珍しい男が宮殿に上がり込んでいたのを見かけた。俺は思わず彼に駆け寄ろうとしたが、俺を見つけた相手の方が早かった。
「陛下、ご帰還されていたのですね。お元気そうで何よりでございます」
「なんだ、カッファじゃないか。久しぶりだな!」
そんな風に挨拶をしてくるのは、なじみのカッファ=アルシールだった。
俺は、この男のことは心底信頼していた。まだ俺が王位につく前からよく知っている彼は、馬鹿正直でまっすぐすぎるところがあったのだが、そういうところが俺は好きだったし、出世した今でもそのまんまなのを俺はとても気に入っていた。
カッファはあくまで俺を主君としてみていたが、俺は部下とは思っていない。数少ない友人の一人だとして、常に付き合っていたつもりだった。
「お前が帰ってるとは知らなかったぜ。いつ帰ってたんだよ? 水臭いなあ、連絡くれれば飲みに行ったのに」
「そ、それは申し訳ございません。いえ、本日都についたばかりでして……、それで折よく陛下がいらっしゃると聞いてご挨拶に……」
「まあ、俺も外征ばっかりしてるからなあ。都空けてるときのが多いから、お前と会うのも偶然になることが多いからなあ」
まあ、それはそれでいい。今日はその偶然を楽しもうじゃないか。
そんな気分でいた時だ。
俺は、ふと誰かの視線を感じてドキリとしたのだ。
冷たい、それでいて焦げ付くような視線。そんな視線をする女が昔いたのを、俺は思い出していた。そうだ、あの女。けして、宮殿にいる妃たちが俺に与えることのなかった”何か”を持っていた美しく、それでいて思い通りにならないあの女の視線。
その男は、その女によく似た視線を持っていた。
「ああ、セジェシス陛下。実は本日は、殿下と一緒に参上いたしまして……」
カッファに説明されなくても、すでに見当はついている。
そんな視線をする奴は、ただ一人。
そこにいるのは、青く染めた孔雀の羽飾りのついた兜をかぶって武装したままの男だった。目深にかぶった兜の下に、目元を隠すような仮面をつけているが、それがコイツのよくある姿だ。青の軍装に身を包み、花の刺繍のついた青いマントを身に着けたその姿は、大人の将軍顔負けだが、男というには実はまだ幼い。体もひょろっとしているし、実際には少年という風情だ。
ただ、他の俺の息子たちと戦場の砂塵にまみれたソイツでは、同じぐらいの年頃の少年には見えないだけだった。
「よう、シャルル。帰ってたのか?」
俺はそう声をかけてみた。仮面の奥から覗く目が翻るように彼の方を向くが、それはやはりあの女を思い出させるような鋭い視線だ。しかし、光が入ると青くひらめく。
コイツが、俺の長子のシャルル=ダ・フール。
俺の手からこぼれるように逃げていきやがったあの女の息子だった。発見したときは物乞い同然の暮らしをしていたというコイツが、本当に俺の息子であるかどうか、疑う人間は多い。しかし、コイツはどう考えたってアイツの息子で、そしてこの青い目の色は、俺の哀れな母親譲りのもので間違いがない。
第一、それよりも何よりも、俺はコイツとの血縁を疑っちゃあいないのだ。なぜなら、コイツは――。
「随分とご無沙汰だったじゃねえか。元気そうで何よりだな。お前ントコの戦場もなかなか大変だったみたいだが……」
シャルル=ダ・フールは、しばらく無言だった。隣にいたカッファが、やや困惑気味の表情になる。
「で、殿下、父上様にご挨拶なされませ」
カッファが思わずそう口に出すと、ソイツはふっと冷たく笑い、ゆらりと体を揺らすようにして俺に近づいた。
「は。父上にはご機嫌麗しく。長らくのご親征、お疲れ様でございました」
と、ソイツはわざとらしく膝をついて慇懃な礼をする。
「ご挨拶が遅れ、申し訳ございませんでした」
「いいよ、そんな挨拶なんか」
そういいながら、俺はコイツが何を考えているのか嫌なほどわかる。多分、コイツも俺が何を考えているのか、どうせわかっているんだろう。そういう目をしているからな。
どうせお前もそうなんだろう。こんな場所は、お前にとって居心地よくないんだろう。誰かに迎えられた時のお前が、俺と同じ表情をしているのを、実は俺は知っているぜ。
しかし、本当に顔も雰囲気もどう考えてもあの女にそっくりなのに、恐ろしいものだぜ、血筋っていうのはな! どうして、コイツはこんなに俺に似てしまったのか。
そして、俺はコイツと会っている間は落ち着かない。――コイツだけは、俺の心の内を完全に見透かしている気がするからな!
「まあ、待てよ」
それだけ言ってさっと帰ってしまいそうになるソイツに、俺はわざと声をかけた。
「たまにはフツーに話をしようぜ。一応、親子だろ?」
そういうと、ソイツはきっと俺に例の三白眼を閃かせて振り返った。青い瞳に射られるような気がして、俺は思わず唇を引きつらせて笑うと、相手も同じように笑った。
「わたくしには、父上が、何をおっしゃっているのかわかりかねますが……」
「で、殿下、な、何を……」
カッファが狼狽して間に入ろうとするが、それはソイツも許さない。俺は続けた。
「カッファも言ってたけど、お前、普段そんな喋り方しねえんだろう?」
俺はにやりと笑った。
「聞いてるぜ。お前、もっと普段は愉快な奴らしいじゃねえか。なんで、俺の前だけそんなにかしこまるわけだよ?」
「父上の御前(ごぜん)で当然の礼儀ではありませんか? 偉大なるセジェシス王の御前(おんまえ)で、失礼な言動などできるわけがございません。しかし……」
と、ヤツはひきつった笑みを浮かべた。
「そこまでお望みならお話しようではありませんか」
そういって一瞬、笑みを強めたソイツは、唐突に”普通に”話をした。
「言っとくがな。フツーに話をしてもらおうと思ったら、そんな目エして声かけてくるんじゃねえよ。そういうツラして話していいのは、真剣勝負の前だけだ」
そういうと、俺の返答も待たず、奴は踵を返した。
「それでは、失礼」
「で、殿下!」
カッファが慌てて止めにかかるが、ソイツ、シャルル=ダ・フールは気にせず早足で去っていく。廊下に軍靴の音が、冷たく響く。
「あ、ああ、全く何を考えているんだか。へ、陛下申し訳ございません」
カッファが俺にそう断って、慌ててアイツの後を追いかけていくのを見ながら、俺は苦笑する。
ああ、どうして、こんなに俺に似てしまったのか。
あの女と同じ目をしているのに、そこに映る光はあまりにも俺に似すぎている。
「人殺す前みたいな目ェしやがって……」
俺の抱くこの感情をなんといえばいいのか、俺には到底わからない。
ただ、俺とお前が感じているこの感覚こそ、近親憎悪というものか。……まあ、お前の方がちょっとは俺よりちったあモノを考えるんだろう。だって、俺とあの女の息子だからな。
お前はどうせ気づいているんだろう。俺がいずれ、すべてを捨てて逃げちまうことを。
ああ、本当に、――お前といると合わせ鏡の前に立たされたみたいで、どうもぞわぞわしちまうぜ。
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