◎紅い風のセイジ
※本編より再録。
その男は、セイジと呼ばれていた。本名かどうかはわからない。
いつも紅いマントを着ている華やかな美男子だった。その瞳は緑と茶色が複雑に混じった、いわゆるハシバミ色をしていたが、それがどこかしら蠱惑(こわく)的ですらあり、黒よりやや明るい髪の毛は癖がかなり強く、長く伸ばして風になびいていた。
彼が現れるのは、きまって勝ち戦の時だけだった。気がつくと彼は、戦闘が終わると現れて周囲のものを飲みに誘う。そして彼が現れるのは、決まって傭兵達や下級兵士の部隊の中だけだった。とにかく、彼はいつの間にやら現れていつの間にやら去ってしまうので、紅いマントとあいまってまるで風のようなやつだといわれていた。
彼は、それで『紅い風のセイジ』とあだ名されるようになっていた。
「さて、一仕事終わったから酒のみにいくぜー、お前等ー!」
勝ち戦とはいえ、疲弊したものも多い中、その男はいつでも場違いに明るい。どうかしているんじゃないかと周囲はいつも思うのだが、彼の声を聞くと何となく明るい気持ちになるのも確かだった。
「また、セイジのヤツか」
「そうみたいだな。相変らず、元気だよなあ。疲れってのをしらねえのか」
やや呆れながら兵士達は語りあう。その視線の先に、大剣を背負った男前の大男が、既に取り巻きとわいわい話しながら通りがかる。真っ赤なマントが良く似合うなかなかの色男だ。
その男こそセイジと呼ばれる男だった。何者であるのかは、誰も知らない。
ともあれ、いつの間にか、紛れ込んできて当然のようにくつろいでいる。いつの間にか、みな、彼がそこでくつろぐのが当たり前の光景になってきていて、誰にも気にされていなかった。しかし、男の着ている鎧や衣服はとても質の良いもので、本当はいい身分の人間ではないかと、誰も言わないが皆そう思っている。
正直、彼が何者だろうとどうでもいいのだ。彼が現れると勝ち戦だということが確定するし、上手い酒が飲めるのだ。そう、彼は勝ち戦の時しか現れないのである。
彼はたいそう男前で、彼がニッコリ笑うとたいていの女はなびいてしまうため、酒場では女達によく構われていたが、彼がニッコリ笑って馴れ馴れしく話をすると、同性の男達も彼に親しみを感じて集まってきてしまう。いわば、人たらしといってもいいような、天性の魅力を持っていた。それなものだから、無粋にも彼が何者か追及しようというものが現れても、彼が笑って誤魔化すと彼の出自の話はおしまいになってしまう。
その一方で、彼は非常に強い男で、戦場での活躍ぶりは鬼神とも例えられるほどらしい。らしい、というのは、戦場で彼の姿を見たものが少ないからだ。ただ返り血もふきもしない間から、ニヤニヤしながら「今日のメシは何がオススメだ?」といいながら現れる彼のことだから、きっと強いのだろうと思われている。彼ぐらいの体格を持ち、そんな態度で弱いとしたら、それこそ詐欺ともいえるだろう。
彼は仕事が終わると、周囲のものをメシに誘う。もちろん、酒も飲むし、女も侍らす。彼が座ると、女の方から寄ってくるのだから仕方ない。酒代は誰が支払っているのか知らないし、余裕のあるものは払わされることもあるが、逆に金がないものは彼と一緒に酒にもありつけるのでそれはそれでありがたい。
それやこれやで彼は非常に人気がある。戦いの終結を告げに現れる名物男みたいなものだが、彼が歩き出すと、いつの間にか取り巻きがあつまってきて、一緒に酒場まで行進するのが常だった。
今日もセイジの周囲には、早速、おなじみの顔ぶれをはじめ、人が集まってきていた。セイジも機嫌がいい。今日は、作戦が当たったこともあり、さほど苦労せずに勝ったのも理由の一つだっただろう。
しかし、孤立した敵兵の投降が相次いでいるので、まだ周囲には陽気なセイジと対象的に物騒な空気も流れていた。それに気づいた一人が、やや慌ててセイジに言った。
「セイジさん、こっちの道に変えませんか?」
「え? なんで?」
急にそんなことをいわれて、セイジは無邪気な顔をきょとんとさせる。
「いや、ほら、ちょっと雰囲気が……」
と、彼がそこまで言いかけたところで、当のセイジにも状況がわかったのか、ぴたりと足を止めた。後続が慌てて止まってつんのめるが、セイジはそのあたりを気にしているそぶりはない。
セイジの目の前に大柄の男達がたむろしていた。セイジ自身も大概大男であったが、それよりも体の大きな貫禄のある男達が数名いるのだから、なかなか迫力はあった。傭兵らしいが、素行が悪いことで有名な連中で、セイジもそのことは了解していた。
セイジは大抵の人間には好かれるタチであるが、よくも悪くも彼のような人間は目立つ。それを快く思わないものも当然いるのであり、彼らがまさにそうであった。
男達は、セイジの存在にまだ気づいていないらしかったが、周囲の取り巻きたちが色めきだっていた。セイジはそれは強いと思われてはいたが、彼らのような屈強な男達に複数で絡まれるのは不利である。
「セイジさん、ほら、行きましょうよ」
「あいつらが気づいてねえうちに」
「何だ、ありゃあ。なにやってんだ、あいつら」
口々にそういう取り巻きたちを尻目に、セイジは素朴な疑問を口にしていた。
見れば、彼らは中央にいる黒服の男を護送しようとしているところのようだ。黒服の男の方は背ばかり高くて痩せていて、もしかしたら、まだかなり若いのかもしれない。屈強な男達が複数で監視して取り巻いているのは、少し異様な光景だ。
「ああ、捕虜の連行ですよ」
「捕虜ぉ?」
「さっきも何人か連れて行ってたはずですよ。あいつらが捕まえて投降させたんでしょ? ほら、あいつら傭兵だから、投降した兵士を本隊に連れて行くと金になりますからね」
素っ頓狂な声をあげるセイジに、取り巻きのひとりが丁寧に教えてやる。
「んじゃ、何で一人だけ残ってんだ?」
「さあ、抵抗したのか、順番で連れてっているのか」
「なんだ、お前等! 邪魔だ!」
いきなり大声で怒鳴りつけられ、取り巻きたちはびくりとした。視線を向けると、そこにいるのは人相の悪い連中の中でも、もっとも人相の悪い男だった。ただですら強面なのに頭をそりあげ、眉毛もない。彼らのリーダー格の男だった。
男は、セイジに気がつくといらだった様子になった。
「ちッ、なんだ、お前か。どこから沸いて出たんだ」
セイジはにやっと笑う。
「はは、そんな言い方しなくてもいいじゃないか。俺は、神出鬼没で有名な男さ。気づいたら後ろにいることだってあるさ」
「減らず口を。あまり調子に乗ってると痛い目みるぜ」
男はそう凄みながらセイジに近寄るが、セイジは顔色一つ変えない。むしろ、周囲の人間がはらはらしてしまうほどである。
「そんなことより、随分物々しいじゃないか。捕虜は一人みたいだけど、どうしたんだい?」
セイジは、平気な顔でそんなことをききながら、護送される男を見た。先程より距離が近づいていて、顔までわかる。
背が高いがやはりやせていて、近くにくると随分若い印象があった。それに、いかにも傭兵である男達に比べ、その青年は上品ないでたちであり、黒い服を着ていたが服装もきっちりとしていて、周囲から浮いている。見た目もなかなかの美男子で、気位の高い貴公子風でもあった。どこかの儀杖兵でもやっていそうな雰囲気だった。
ただそうは言えど、彼にはどこかの所属を示すようなものが存在しなかった。おそらく、彼もまた流れの傭兵なのだろう。
その青年の腰にはまだ剣が提げられたままになっている。それを男の一人が取ろうとしたとき、青年はきっと彼をにらみつけてその手を厳しく払った。
「触るな!」
「っ、てめえ!」
すぐに男達は色めきだつが、青年はつんとした冷たい表情を崩していなかった。
「投降するつもりだが、お前たちにするつもりはない。上官に面会し、そこで武器を渡す」
「ふん、随分お高くとまっているな。どこのお坊ちゃんかしらねえが、そういう態度取れる立場だと思ってるのか?」
青年はきっぱりとはねつけるが、その返事に気を悪くしたらしくリーダー格の男がセイジの前を離れて振り返ってそう言い放つ。すたすたと青年の傍までいくと、彼は青年を見下ろすようにした。
「私を含めた部隊が投降したのは、投降すれば温かく迎えるとの言葉を信じたからだ。少なからず、ザファルバーンの王の軍は評判もよく信頼もできるときいている。しかし、お前たちのように、わざわざ相手に過剰な辱めを与えるような真似をするやからが跋扈しているとは、私は聞いていなかった。お前たちのような者の存在は、お前たちの雇い主にとって信頼を穢すものであり、到底信用できるものではない。だからこそ、お前たちの上官にあって、その態度を見たうえで投降するかどうか決める」
青年は、物怖じせずにはっきりとそういって、男を睨み付けた。ふん、と男は笑った。
「ふうん、面と同じようにお上品な奇麗事を言いやがる。気にくわねえな、お前」
そういうと、彼はきっと顔をゆがめ、いきなり丸太のような腕で青年の顔を殴り飛ばした。青年はひとたまりもなく吹っ飛ばされ、地面に倒れこむ。
「そういう口きくつもりなら、今すぐトドメを刺してやってもいいんだぜ? え? 坊ちゃんよ」
青年の頭をすかさず踏みつけ、熱い砂漠の砂にめり込ませながら、彼は嘲笑した。
「自分の立場をわきまえな!」
更に頭を踏みつけながらそういうと、周りの男達が笑い出し、青年はされるがままになっていた。リーダー格の男がそこを退くと、すかさず取り巻きの一人が青年を蹴り付けて生意気だなんだと罵倒した。
セイジの傍にいる男達は、その場の嫌な空気に顔をしかめていたが、当のセイジは笑いもしなければ眉をひそめることもしなかった。青年の様子をただ注視しているだけだったが、そんな中、ふと顔をあげた青年と一瞬目が合った。青年は先程までの澄ました様子ではなくなっており、一瞬、その目がギラリと危うい光を放った気がした。
セイジは何を思ったのか、しばらく考えていたが、不意に「おい」と声をかけた。
「それ以上はやめときな」
男達の笑いがやみ、リーダー格の男がセイジをにらみつけた。
「なんだ、お前が止めるっていうのか?」
「そうじゃねえよ。でも、それ以上は止めておいた方がいいと思うぜ」
そんなことを言い出すセイジの雰囲気が、いつもと少し違っていた。いつも陽気な彼だが、そのときは周囲の空気が少し冷たくなったかのような感じだった。セイジはかすかに笑っていたが、愛想笑いというには剣呑な表情だった。
「何? どういう意味だ?」
そんな彼の空気に釣られてか、リーダー格の男は、目を細めて一歩前に足を踏み出した。
「そういう奴はな、下手に刺激すると……」
セイジがそういうのと、いきなり青年が自分を踏みつけていた男の足首を掴んだのが同時だった。
「うおッ!」
転びそうになって慌てる男と、青年が剣を抜きながら起き上がったのが同時だ。ぎゃあっ、と悲鳴が上がり、男は腕を切られてひっくり返っていた。
「何しやがる!」
他の男達が慌てて剣を抜いて、青年に切っ先を向けようとしたが、青年の方が早かった。剣を抜こうとしているところに、柄にそのままぶち当てられそのまま蹴り倒されるもの、それに一瞬ひるんだ隙に剣の柄で殴り飛ばされるものが続く。
「てめえッ! やる気か!」
リーダー格の男が、剣を抜いて彼に向き直る。が、その彼の視線とぶつかって思わずぎょっとしてしまった。
青年は、はあはあと息を荒げていた。そもそも激戦を終えて投降してきたばかりである。疲労も蓄積しているし、別におかしなことではないのだが――。
ところが、青年が彼らに向けた目はまるで獣のように血走っていた。その目は、やや焦点が合わないような様子で、ただ目の前の彼らだけを映していた。先程まで非常に冷ややかな印象だった青年だが、今や彼らを襲う獰猛な獣同然になっていたのだ。息を切らしているのも、疲労からではなく、彼が突如として強い興奮状態に陥ったからに他ならない。
青年は無言に落ちていたが、その殺気は言葉よりも雄弁に彼らへの殺意を語っていた。ここで抵抗すれば、彼は投降したとみなされずに多数の敵に囲まれる。もはや彼の命はないものであるが、彼はそのことすら認識できていないのだろう。
「チッ、イカレてんのか?」
男がやや怯みながらそう吐き捨てた途端、青年の軍靴が砂を噛んだ音がした。ばっと彼は男に襲い掛かった。その動きは、男の予想したものよりも早かった。かろうじて青年が斜めに振り上げた剣を弾き、真っ向から叩き潰そうとしたところで、すでに弾かれた剣を戻していた青年が追撃してきていた。男の右腕に赤い筋が走り、彼は驚きの叫び声をあげた。
続いてやってきた痛みに男が右腕をかばおうとした瞬間を逃さず、青年はトドメとばかりまっすぐに彼の胸を突こうとした。
その瞬間、何か赤いものが彼と男の間に割って入っていた。甲高い金属音と共に青年は剣を弾かれていた。
「おいおい、それ以上やったらトドメ刺しちまうぜ? それぐらいにしとけってば」
いつの間にやら間に入っていたのは、自分の大剣を抜いたセイジだった。その大剣を軽がる振り回し、自分の突きを弾いた彼に、青年は何か危険を感じたのか無言で彼から距離をとった。
今のセイジは、やたらと不穏な空気を放っていたので、青年が警戒したのも無理はないだろう。彼は、セイジは、にやっと笑って付け加える。
「まー、殺すつもりでやってんだろうけどな」
「て、てめえ」
セイジにかばわれる形になった男が、セイジに声をかけるが、彼は男の方など見向きもしなかった。ただ、彼は青年に屈託のない笑みを浮かべて話しかけただけだ。
「おい、若造」
無言で目をぎらつかせたままの青年に、セイジはやや口の端をゆがめつつ剣を向ける。
「選手交代だ。今度は俺と勝負しようぜ?」
青年は、セイジの出現に一瞬戸惑ったようだったが、すぐさま新しい敵として彼を認識した。ざんと砂を蹴って、彼はセイジに襲い掛かった。
「ちッ、意外と速いな!」
セイジはかろうじてソレを避けながら、舌打ちする。セイジの剣は大剣で、スピードで勝負するには不利なのだ。青年も大振りの両手剣ではあったものの、明らかにセイジのほうが重く大きなものを扱っている。
セイジは、先手を打ってきた青年の連続攻撃を弾き、最後の一撃の相手の力を利用して大きく突き放す。青年はそれでも転倒することなく着地する。
「じゃあ、次は俺からだな!」
セイジは歯をみせて笑うと、まだ体勢を整えきれていない青年を急襲した。セイジはその力を持って大剣を振り回し、青年の肩口を狙うがそれはどうにか青年が受け止める。が、セイジはそれで攻撃を終わるほど甘くないし、その動きは想定していた。素早く剣をひいて今度は横殴りにぶん回す。青年はそれを受け止めるのをやめて避け、すぐに攻撃に転じてきた。
青年の方が動きが早い。まっすぐに振りかぶって素早く力いっぱい振り下ろすが、セイジは冷静に剣に片手を添えてそれを受け止めた。ぎぎぎ、と刃の軋む音がした。
「へへー、教科書マンマの剣術使う割りには、意外と積極的に動くんだな。おじさん、そういうの嫌いじゃないぜ」
「ちッ!」
青年ははっきり舌打ちし、つばぜり合いをさけて飛びずさった。単純に考えても、力はセイジのほうがある。しかも、セイジにはまだ余裕が十分にあるのだ。あの表情一つとっても、まだ本気をみせてもいないのだろう。
周囲のものたちは、初めてセイジの戦闘を目の当たりにするものも多く、どこか呆然とした様子で二人を見守っていた。
「うおおおおッ!」
青年はしばらくセイジの様子を伺っていたが、ふいに咆哮して、一見闇雲に突きかかってきた。青年の息が上がっていた。息を荒げているのは、血走った彼の目とその闇雲な戦闘方法を考えれば、彼の興奮の為もあっただろう。しかし、先の戦闘の疲労が彼にのしかかっているのも、また事実だと思えた。長引かせると、青年には不利になる。
青年は鋭くセイジに突きかかる。セイジは軽く弾いて後退する。セイジが先程言ったとおり、青年の剣術はいかにも基本に忠実だった。妙な癖もなく、指南書どおりの型に嵌った剣だが、それゆえに隙が出づらい。
「でも、それだけじゃ面白みがねえよ! お兄ちゃん!」
にやっと笑ってセイジは反撃する。重い一撃だけに受け流すのも大変で、青年は必死に彼の剣を流し、防御まじりに斜めに切り下げてくる。それも取るに足りないとばかり、セイジは軽くいなしてやったが、青年がついと顔を上げた瞬間、その瞳がギラリと光った。
「!!」
セイジがはっとしたとき、青年は途中で剣を持ち変えるようにしてそのまま突き上げてきた。軽くかわしてやろうとしたが、青年の剣はそこからぐっと深くまで伸びてきた。やや癖のある、ひっかけるような軌道を描くその太刀筋に、セイジは思わず頭を振って避ける。
セイジの長い髪の毛がきれて宙に舞い、その頬に刃がかすった。
(通った!)
青年はその攻撃に手ごたえを感じた。横に逃れたセイジは、青年に半ば背を向けている。やるなら今しかない。青年は、渾身の力を込めて剣を斜めに振り下ろした。
ガキン! という音が響いた。セイジは半ば青年に背中を向けた状態だったが、その状態で大剣を背後に回して攻撃を防いでいた。
セイジは振り返る。その頬に血が滲んでいた。
「お前、気に入ったぜ」
セイジは、にんまりとした。セイジの笑みは無邪気だが、それゆえに得たいのしれない気味悪さを持っていた。その上に、幾度となく戦場を掻い潜っていた者特有の凄味のようなものがあり、青年はその雰囲気に飲まれて戸惑い、絶句した。
「断然、欲しくなった!」
その瞬間をセイジは見逃さなかった。いきなりセイジは青年の胸倉を掴み、そしてそのまま砂の上に投げ飛ばした。熱い砂が飛沫になって飛び散り、青年は砂の上に打ち付けられた。その弾みで剣が手からこぼれ、顔を上げるころにはセイジの剣の切っ先が、その鼻先につきつけられていた。
セイジは、青年の胸倉を掴んで引き起こした。
青年は、息を切らせながら悔しそうにセイジをにらみつけたが、セイジはその時はすでにいつものセイジに戻っていて、先ほどまでの独特の空気はどこかに行ってしまっていた。
「んな、恐い顔することねーじゃん。まま、落ち着けよ」
にっこり笑ってセイジは、自分の大剣を背中の鞘に収め、かわりに周囲に拾わせた青年の剣を手で弄ぶ。
「さて、オタクが負けたんだからちょっと付き合ってもらうぜ」
「何だと?」
青年はセイジの言った言葉の意味がわからずに、そう聞き返したがセイジは既に人の話をきいていない。青年の胸倉をつかんだまま立たせ、彼は青年をひきずるようにして歩き出す。
「おい、コイツは俺がもらってくわ。ちょいと話があるんでね」
セイジは傭兵のリーダーにそう声をかける。彼らがなにか言いかけたが、セイジは無視して青年を引っ張っていく。
「じゃ、お前等、後でいつもの酒場な!」
取り巻き達に颯爽とそういい置くと、意味がわからずに戸惑っている青年を強引に引っ張って街の方に歩いていった。
セイジが青年をひっぱっていったのは、近くの街の酒場の一つだった。酒場というより大衆食堂の印象も強く、あまり酌婦がいない。
そこでセイジは青年を座らせて剣を返し、早速料理と酒を頼んで楽しそうに青年に話しかけた。
「ここ、初めて来たんだぜ。奴等とくるにはちょっと上品でさー、いい女がいないかわりに飯がうまいってきいててよ。来るのに、ちょうどいい口実ができたわ」
やたらと快活に笑うセイジである。
その内、料理と酒が運ばれてきて、セイジはますます上機嫌になって、料理をつまんでは「うひょー、美味いねえ!」と満足げな笑みを浮かべていたが、その様子を不審そうに見ていた青年に思い出したように杯を押し付けた。
「そんじゃ、まー、一杯っと」
そういわれても、青年は不審そうにセイジをみるばかりだ。
「んー、どうしたんだよ? ノリ悪いよね。おじさん、もっとノリのいいのがスキなんだけど」
「私を殺さないのか?」
そういわれて青年は初めてセイジに尋ねた。
「え? 何で?」
青年は、セイジに警戒したままだが、セイジのほうはくつろいで手酌で既に飲み始めている。
「お前、投降したんだろ?」
「だが、その後、抵抗をした。そんな捕虜を生かしておくとはどうかしている」
「はは、しょーがねえな。ありゃ、正当防衛じゃん。あんなことされたらうっかりやりかえしちまうよ」
セイジはけらけらっと笑って酒を飲み、青年に杯を無理に渡して片目を閉じた。
「そんな話はもうどうでもいいんだよ。で、一杯、どうよ?」
「わ、私は、酒はあまりたしなまないので……」
青年がやや気圧されながら答えると、セイジはそうなのーと残念そうになった。
「なぁんだ、下戸なの。もったいないねえ。飲めそうなツラしてんのに。んじゃ、甘い物はどうかにゃー。俺はどっちもいけるクチだけど」
そういいながら、セイジは焼き菓子を勧めてきた。自分も一つ失敬しつつ、「とっても美味いよ」などという。青年は、その焼き菓子とセイジの顔を見比べながら、ため息をついた。この状況では食欲などわくはずもない。
「私が貴殿なら、私のような男は殺している」
「あ、そー。若いのにずいぶん、用心深いんだね」
「貴殿が何故殺さないのか、私には理解できない。それどころか、このような……」
「オタクのこと気に入ったっていったじゃん? 気に入った相手を殺す必要なんてないだろ?」
セイジは、さも当然といわんばかりにいってのけるが、青年は黙り込んで彼をにらみつけるように見る。
「私には貴殿の言うことが理解できないのだ。何か目的でもあって、私にこのようなことをしているのか?」
「んぁー、若いのに堅いねぇ、オタク。そんな細かいこと気にしてるとハゲるよぉ」
セイジは、やれやれといわんばかりにため息をつく。
「んじゃー、わかりやすくいうけどさ、オタク、俺んとこ来る気ない?」
「は?」
唐突にそんなことをいわれて、青年はあっけに取られる。
「え、だから俺んとこさ。キミだったら好待遇で迎えるよ。今の契約内容どんなんだか知らないけど、確実に俺んとこのがいいと思うワケよ」
「い、いきなり、何故そんな話になる……」
青年が警戒心を強めつつ尋ねてみるが、セイジはさも当然そうに言う。
「だからいっただろ。俺はアンタのこと気に入ったって。気に入った相手は欲しくなるんだよ。こう見えても、色んな部下を揃えるのがシュミなんだ。俺が主君で仕えて見る気ないの?」
「部下……、主君?」
青年は、やや怪訝そうに眉根をひそめた。
「その言い方、貴殿は一介の戦士ではないようだが……」
「うーん、そういわれりゃ、ま、そういうことだよな。俺があの辺うろついてるのは、勝ち戦の時の見回りみたいなもんでね。でも、まあ、たまにうろうろしてると、オタクみたいな逸材を見つけることもあるってことさ。お前さん、その言動みてりゃ、もともと主持ちのちゃんとした武官だったろ? 今はどうせ浪人中なんだろうし、俺んとこくればいーじゃん」
青年はしばし黙り込み、そして考えた後に静かに告げた。
「……色々思うことがあり、決まった主には仕官しないことにしている。それゆえに前職を辞め、今はその時々で金で雇われて戦場にでている」
青年は、やや暗い表情でそう答える。
「んー、まあ、色々あるんだろうけどさ。野良犬やってんのも勿体なくない? いや、どうしてもやだってんなら、そりゃー無理強いしないけどさっ」
セイジは少し残念そうに、しかし、やたらと明るくいいながら酒を飲んでは、焼き菓子や料理をつまむ。本当につかみ所のない男だ。青年は、眉根をひそめてため息をついた。
「貴方こそ随分と変わっている。私程度のものなら、探せばどこにでもいるはずだ。第一、貴方がそのように身分の高い人間なら、私に直接話しかけなくてもいいだろうに」
「へへへ、そりゃあ、俺は欲しいものはすべて手に入れる男だからさ。しかも、簡単に手に入れられないもののが断然燃えるってもんだろ。お前は見たところ強情そうだし、俺が直接働きかけて”面白そう”な奴だった」
セイジは、悪びれることもなくそう告げた。
「実際、俺はほとんどの欲しいものは手に入れている。地位も名誉も力も女も部下も。そう、ほしいものはなんだって手に入れるのさ。唯一手に入れられなかったものはあるが、それだって今から手に入れてやるつもりだぜ」
セイジは、酒が回ったわけでもないだろうに急に饒舌になっていた。
「ふふふ、俺はな、こう見えても元々は奴隷だったんだぜ。俺のお袋は青い目をした奴隷女で、親父はだれなんだかわからねえときた。青い目の女はこの国じゃ魔女だって言われる不吉な存在で、ガキのころはお袋について売られてはあっちこっち渡り歩かされたものさ」
「しかし、今の貴方は主といわれる地位を持っていると?」
「そうよ。ま、俺一人の力で取ったわけじゃない。俺は、とあるジジイと秘密の契約をしたのさ。契約は二十年間。その間、俺はジジイの言うことをきくって話。そのジジイが俺に地位を用意した。俺はそれにのっかったぜ。市民権だって買ってもらえる上に、あまつさえ地位も名誉も手に入る。男だったらのらねえ手はないよな?」
青年はどこか陰謀めいた不穏な話に、眉根をひそめた。セイジがほらを吹いているのか、真実を話しているのか、どちらか判断しかねることだった。が、セイジは青年の反応など気にせずに、つらつらとしゃべり続ける。
「だが、ジジイは俺の飽き性もよくわかってて、俺が一つところにいられねえのも知ってた。実際、束縛されると俺は自由がほしくなる性分で、今はここから出たくて出たくてたまらねえわけだ。そんな俺のことをよく知っていて、二十年たてば俺がどこかに行っちまうだろうとおもったジジイは、俺に結婚させて無理矢理家族を作って、血縁の足かせで縛りつけようとしたわけよ。だが、俺はそれでも自由の方が欲しくなってるのさ。それに、美女ばっかり嫁にもらえるから悪い気はしなかったが、その女との間に出来た子供がかわいそうでな。全員、生まれたときからあのジジイの駒だ。仮に俺がいなくなったとき、あいつらは道具として使い捨てられるだろう」
セイジは、やや不機嫌な顔になっていた。
「薄情だと思われるだろうが、俺は、だから、あいつらには感情移入しねえことにしている。えこひいきがどうだって話じゃなくて、可愛くなったら死んだ時に辛いからな。……多分、俺がいなくなったら、半数が生きられるかどうかもわからねえだろう。あぁ、でも、一人、ちょっとだけモノになりそうな奴がいる。アイツが後を継いだらどうかな」
感情移入しないといったそばから、セイジがそんな事を言い出して少し考え込むそぶりをみせたのので、青年はおやっとばかりに目をしばたかせた。
「そのご子息には、特別になにか思い入れがおありなのか?」
青年がそう尋ねると、セイジは苦笑した。
「さあどうかな。ただ、そいつは、俺が唯一手に入れられなかった女にそっくりなツラしてるもんだから。だが、中身は恐ろしいほど俺に似ている。俺はアイツの考えることがわかるし、多分アイツも俺の考えていることがわかってる。ろくろくツラもあわさないが、ふふん、アイツは俺のことが大嫌いだろうな」
セイジはやや苦くそういいながら、そうそう、と話を継いだ。
「唯一手に入れられなかったものがその女なんだよ。俺は、契約が終わればその女を捜すつもりなのさ。そのためには今まで手に入れたものをすべて捨ててもいいし、捨てるからには今度こそは捕まえる」
「すべてを捨てる? 地位も名誉も家族もすべてを?」
青年は、やや驚いた表情でききかえす。セイジは深くうなずいた。
「もちろん。そうでなきゃあ、あの女は捕まえられねえし、自由を手にするってことは、それだけの覚悟がなくっちゃならねえもんだ。でも、……俺は、そりゃあ薄情な男だけど、これでも残していく連中のことは心配してるんだ。だから、部下にはいい奴をそろえておきたいわけよ」
セイジは、やや真面目な顔になっていた。
「アンタ、これからどんどんまだ強くなる。さっき戦っててわかったぜ。きっと、俺がいなくなった後、誰が後を継ぐかはしらないが、きっとソイツの頼りになる存在になれる。んで、俺は、アンタのことが欲しいといったのさ」
「私は、しかし……」
青年は眉根をひそめて悩んでいる様子になった。青年は、このセイジという男に得体の知れない魅力を感じてはいるようだった。ただ青年の表情は暗く、思いつめているような感じでもあった。
「ありがたい話ではあるが、……今はまだ……」
「なんかワケありなんだろ。まぁ、アンタみたいなマジメな男には予想されることだよね」
言いづらそうにそう切り出す青年に、セイジは頬杖をついたまま軽くいった。
「なぁに、まだ俺ももうちょっとはいるつもりさ。今すぐ返事をくれとはいわないぜ。その内、その気になったら来てくれればいいんだ。でも……」
セイジはにやっと笑うと、酒杯をあげた。
「何でかな。アンタは、必ず将来俺のトコに来る気がするんだぜ。その時、俺がそこにいるかどうかはわからねえが、必ずな……。俺の勘はよく当たるんだ」
青年は黙っていた。セイジは、がらっと表情を変えて無邪気に笑っていった。
「んじゃ、この話はここまで。とりあえず飯食おうぜ」
セイジはそういうと、料理を青年にすすめた。ここにきて、ようやく緊張感から解放されたのか、青年は自分が空腹であったことを思い出していた。
料理を平らげ酒を飲んだセイジと青年は、一緒に外に出た。
「んじゃ、アンタはここで解放ってことで、さっき暴れたことは不問にしとくから、好きなとこ行っていいよ」
「そんなことをしてよいのだろうか」
セイジが簡単にそんなことをいったので、かえって青年は戸惑ってしまっていた。
「いいのいいの、俺がいいって言ってるんだし、まぎれちまえばわかんねえよ」
セイジはそんないい加減なことをいう。セイジの言葉をまるまる信用していいのかわからないが、捕虜になるのと解放されるのでは雲泥の差だ。このまま逃がしてくれるとしたら、それは青年にもありがたいことだった。
「このような配慮をいただき感謝する」
「いいっていいって。いやあ、しかし楽しかったわ。たまにてんで知らない人間としゃべるのも楽しいもんだね。またどっかで会ったらよろしくな。えーっと、名前、そういや聞いてなかったっけ」
「私は、今はエーリッヒと名乗っている。ここの国の人には発音しづらいようだが……」
「へぇ、西の国の名前だな。おう、わかった。覚えておくぜ」
返事をしたセイジが今にも行ってしまいそうなので、青年は慌てて尋ねた。
「貴方のお名前も、ぜひうかがっておきたい」
「俺か。俺は、周りの人間にはセイジって呼ばれてるから、そう呼んでくれ」
「セイジ」
その名前は、きっといくつもある名前の内の一つなのだろう。青年は、自然とそう理解していた。
「そう。んじゃ、達者でな」
そういって大剣を背負ったセイジは、青年に背を向けた。青年は、しばらく彼の後姿を見送っていたが、やがて自分も人ごみに姿を消し、セイジが街角を曲がる頃には姿を消していた。
セイジは、そのまま街をぶらぶらしながら、例の行きつけの酒場をめざしていたが、ふと目の前から見覚えのある男が歩いてきた。セイジは、はっとして隠れようとしたが、男の方が先に彼に気づいて慌てて走り寄ってきた。
「へ、陛下! こんなところに!」
「あー、やべえ、見つかったか!」
セイジは額に手をやって苦笑した。男は彼に駆け寄って、呆れた様子になっていた。
「セジェシス様、一体どこに行かれたのかと思ったら、こんなところに」
「ん、まぁ、その、いつもの日課の散歩」
セイジは、やや歯切れが悪い。彼は近衛兵の一人だったが、私用で町に来たようだ。セイジが抜け出して遊びまわっていることは、彼らの中では公然の秘密だったが、見つけたからには一応注意をしなければならない。
「いつもの日課はわかりましたが、ハビアス様に見つかったら何を言われるかわかりませんよ」
「いーじゃん、ジジイには言わせとけって。逃げるわけじゃねえんだからさ、”まだ”」
「しかし」
「そんなかてえこと言うなよ。ん、そうだ、お前も一緒に飲みにいこうぜ。それなら、俺の護衛もできてお前も任務達成できるし、問題ないだろ」
セイジは不意にそんなことを言い出して、決まり! とばかり指を鳴らす。兵士はため息をついたが、彼の主君にはそれがいつものことなので、今更何を進言することもなかった。
つかの間の平穏を取り戻した街には、どこかのどかさが漂っていた。その平穏さを謳歌するふりをして、カーネス朝ザファルバーン国王セジェシスは、やがて来たるはずの自由な日々にひそやかに心をときめかせているのだった。
それが新たな争いを引き起こし、彼の国を揺るがす事態になる大それた企てであることを、まだ彼以外の誰もしらない。
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