第72話

茂吉が生まれて一週間くらい。

ダヨーさんの様子がいつもと違う。

わたしと茂吉が小さなお庭に出てる間、ダヨーさんはひとりで大きな庭にいる。

でも、ひとりだとダヨーさんは寂しがるから、時々大きな声で呼ばれる。

「シユシュもそろそろこっち来るんダヨー!」

わたしと茂吉が早めに部屋に戻ると、庭からダヨーさんの大きな声がする。

「もうすぐ戻るから待ってるんダヨー!」

返事はするんだけど、だからって一緒の庭に出られるわけじゃないし。

一番いいのはダヨーさんの仔も生まれてくれたらいいんだけどな。

そしたら、一緒にいられるんだけどな。

いつぐらいになるか、壁さんに聞いてみるかな。


「そらぁワイにもわからんのやで。ダヨーさんに聞くしかないやで」

壁さんの答えはこうだった。

壁さんなら知ってると思ったんだけどな。

「わかってたらつまらんのやで。野次馬するのに余計なことは知らなくてええんやで」

でも、もうすぐとかわかったら嬉しくない?

「それがわかって嬉しいのはお兄さんたちぐらいやで。ワイはいつになるか気をもんでた方が気楽でええやで」

そんなもんなのかなぁ。

「片っ端からわかってしまうってのもつまらんもんなんやで……。お、ダヨーさんも戻ってきたやで」

言われて部屋の外を見ると、ダヨーさんが曳かれて帰ってくる。

「今夜あたり生まれるかもって曳いてる人間に教えるんダヨー」

そんなことを言いながら。


……どうやって教えたらいいんだろう。

茂吉を見ながら考える。

茂吉は壁さんとよくお話をしてる。

どんな話をしてるのかまでは聞こえないけど。

わたしがご飯や牧草を食べてる間、壁さんが茂吉の遊び相手になってくれてる。

それはそれでありがたいなって思うんだけど……。


「なんにも心配ないんやで」

壁さんの声がする。

「ダヨーさんの部屋にもカメラついててお兄さん見てるやで。何かあれば来てくれるやで」

それならいいんだけど。

「ダヨーさんはカメラついてるの知らないんやで。今度教えておくやで」

それがいいね。

……てか、今教えてあげたらいいのに。


「母上、お乳ー」

気がつくと、茂吉がお乳をねだってる。

ああごめんね、自分で飲むのよ。

そう言うと、茂吉はお乳に吸い付いてくる。

しばらくしてお乳を飲み終えた茂吉は、こんなことを言い出した。

「母上、おすもうって楽しい?」

お相撲?

ああ、男の子同士の取っ組み合いかな。

壁さんが教えてくれたんだね。


そうねぇ、きっと楽しいのかも知れないね。

そう言うと、茂吉は瞳を輝かせてこんなことを言う。

「母上、茂吉はおすもうさんになりたいー」

……へ?

目が点になった。


そういえば、茂吉はお姉ちゃんたち人間によく遊んでもらってる。

お姉ちゃんたちが見えると、茂吉は「おすもうするー」って言いながら部屋の入り口まで出ていく。

すごく楽しそうなんだけど、なんで耳を絞って出て行くんだろ。

それも壁さんが教えたのかなぁ。


「相撲はこの先茂吉が生きていくのに大事なことやから教えたが、耳絞るのは教えてへんやで」

壁さんに聞こえてたみたい。

お相撲が大事なことなの?

「せやで。男の子は群れの中で相撲をして順番が決まるんやで。相撲が強いと群れのリーダーにもなれるし、飯もようけ食えるやで」

ご飯がいっぱい食べられるなら大事なことだよね、うん。

でも、耳はどうしてかなぁ。

「それはワイにもわからんやで。時期が来たら普通になると思うやで」

そうだといいんだけど……。


部屋の明かりが消えて、薄暗くなる。

あったかい明かりが部屋の上の方についてるから真っ暗にはならない。

茂吉は横になって眠ってる。

今のうちにわたしも少し寝ておこうかな。

そう思ってたら、ダヨーさんの声がした。


「もうすぐ生まれるんダヨー!」

お兄さん、気がついてくれるかな。

「もうすぐお兄さんやってくるはずやで」

壁さんはダヨーさんにそう言って安心させようとしてる。

「別に慌ててないんダヨー。こういうのはきちんと人間がいるとこで産まないとダメなんダヨー」

決まりごとにうるさいダヨーさんらしいや。

ダヨーさんに見えないのをいいことに、わたしは少し笑った。


そうしてるうちにお兄さんたちがやって来て、ダヨーさんの部屋がにぎやかになった。

「これでもう安心やで」

壁さんはそんなことを言いながらダヨーさんの部屋を見てるみたい。

聞き耳を立てて様子を伺ってると、どうやら無事にお産が終わった様子。

「ダヨーさんとこも男の子やで。茂吉にも馬の遊び相手が出来たやで」

そうだねぇ。ダヨーさんの仔と茂吉が仲良くなってくれたらいいな。

「そのへんは茂吉たち次第やで。もっとも、子供は子供同士ですぐ仲良しになるやで」

そうだよね。

あまり心配しないでおこうかな。

心配しすぎてご飯食べられなくなるのは嫌だから。


わたし、サラブレッド。

名前はシュシュブリーズ。

茂吉、明日になったらお友達に挨拶しに行こうね。

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