第70話

今年の冬は短かった。

あまり雪は降らなかったし、寒いのもあっという間。

春が来るのが早すぎだよねって、ダヨーさんと話してたくらい。


でもね。

冬の間にわたしたちのお腹の仔はどんどん大きくなったんだよ。

今年はよくお腹の中で動く。時々蹴られて痛いくらい。

「きっと男の子なんダヨー。これで女の子だったらシャーマンさんみたいになるんダヨー」

ダヨーさんはそう言って笑ってる。

確かに、たるちゃんの時もくぅちゃんの時もこんなに動いてなかったような気がする。

だとしたら、やっぱり男の子かなぁ……。


「お、今年も来たみたいやで」

壁さんが誰か来たのに気づいたみたい。

誰だろう。

「シュシュのお産を撮りに来たんやで。去年も来てたやで」

ああ、そっかあ。

ということは、わたしのお産はもうすぐなのかなぁ。

この間からお兄さんやお姉ちゃんたちがわたしのお乳を見たりしてくれてるけど、それで来たのかな。

「そういうことやで。シュシュのお産はみんな楽しみにしてるやで」

そうだよね。

カメラの向こう側でたくさんの人がわたしを見てる。

その人たちがここに来た時に、くぅちゃんを見てすごく喜んでくれたっけ。

この間はわたしの誕生日だからってずいぶんと賑やかなことをしてた。

それもカメラの向こうでたくさんの人が喜んでたって壁さんが言ってたっけ

またあの人たちに喜んでもらいたいし、何よりそれが今のわたしの仕事だもん。

元気な仔を産んで育てること。

だから、頑張らなくちゃだよね。


最近は部屋の前を少し歩いてから部屋に戻るようになった。

部屋の前は少し広くなってて、周りを歩けるようになってる。

そこをお兄さんたちに曳かれて2,3周してから部屋に戻る。

壁さんは「お産の前に体動かしておくとええからやで」って言ってるけど、ホントかなぁ。


夜になってご飯がやってくる。

食べてると、後ろの方で壁さんが誰かと話してる声がする。

「……シュシュが寝るまで出てったらあかんやで」

誰か来てるのかな?

もうすぐご飯終わるから待ってて。

「……聞こえてたやで。もうちっと大人しくしとかんとあかんやで」

まだ壁さんは誰かとお話してる。

なんだかお話が続いてるみたいだけど、わたしに話が向かない、

仕方がないから空っぽになった桶で遊んでた。

頭で桶を小突いてたら、ガランと音がした。


あ!

気がついたら桶は床に転がってる。

なんとかしなきゃ。

大慌てで桶を前脚で引き寄せる。

でも、桶はガラガラと音を立てるだけでどうにもならない。

「まったく、シュシュは面白いことをするやで」

壁さんが笑ってる。それどころじゃないんだってば。

「あはは、やっぱりわたしのおかあさんだよー」

……え?

たるこの声が聞こえた気がした。


そうしてるうちにお兄さんがやってきて、桶を片付けてくれる。

そして、わたしの尻尾をぐるぐると巻いてくれる。

「そろそろや、ということやで」

うん。そんな感じがするよ。

でもあんまり苦しいとかないんだよねぇ。

くぅちゃんのときはすごかったけどさ。

「そらぁ慣れたからやで。きっと元気な仔が出てくるやで」

じゃあ元気に産まれて来るように、いっぱい食べなくちゃだね。

そう言って、わたしは牧草を口に入れる。

「普通はもっと早くからそういう心がけで食うてるもんやで」

壁さんが呆れてる。

いつも心がけてるからね。大丈夫だよ。

「もっとも、シュシュのいつもは心がけてがっつり食うてる馬ぐらいにはあるやで」

お産が済んだら目一杯蹴飛ばしておこう……。

牧草を食べながら、わたしはそう決心した。


朝になった。

もうすぐ産まれそうなんだろうけど、まだお腹がギューって痛くならない。

だからまだ牧草を食べてた。

部屋の前ではお姉ちゃんやカメラの人たちが動いてる。

なんだかお尻のあたりがモゾモゾしてて、尻尾は上げたまま。


……あ。

お尻から何かが出た感じがする。

それと一緒にお腹もギューって痛くなった。

お姉ちゃんが気づいてくれて、お兄さんを呼んでくれる。

お兄さんが来たら安心したけど、お腹の痛いのがもう限界。

立っていられなくて、横になる。


「脚がもう出てるやで。お兄さんが手伝ってくれるから頑張るやで」

壁さんが声をかけてくれる。

わかった。たるちゃんにもじっとしてるように言っておいてね。

出てきたらみんなびっくりしちゃうから。

「……たるこや、すっかりバレてるらしいやで。大人しくしてるやで」

「はーい。おかあさんがんばれー」

たるこの元気な声を聞きながら、わたしはお腹に力をこめる……。


しばらく頑張ってたら、お腹がすっと軽くなった。

「おお、よう頑張ったやで。元気な男の子やで」

壁さんが教えてくれた。

わたしより明るい毛色をした男の子。

耳の大きなのはわたしそっくり。

はじめまして。わたしがおかあさんですよ。


わたし、サラブレッド。

名前はシュシュブリーズ。

今年のお産は軽かった……かな。

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