第34話
娘があまりお乳を飲まなくなった。
お乳に顔を寄せてはくれるけど、吸おうとはしてくれない。
それでも、顔を見れば「大丈夫だよー」と笑う。
本当に大丈夫なのかなあ。
壁さんはまた誰かと小声でお話をしてる。
「……ホンマにあかんのか。それなら頼みがあるんや……」
相手は誰なんだろう。
どんなお話してるんだろう。
わたしにはわからない。
娘と庭に出る。
もう娘はあまり動かなくて、わたしの側にくっついてる。
いいお天気で、陽射しが暖かかった。
わたしも少しうとうとしかけてた。
突然、娘が小さな声を上げて倒れて、そのまま動かなくなった。
お兄さんが飛んできて娘になにかしながらどこかと連絡を取ってる。
そうしてるうちにお医者さんもやってきた。
わたしはずっと娘に付き添ってた。
鼻先で娘をつついて、起きてと言った。
たぶん寝てると思ったから。
お兄さんが娘の側で泣いてる。
お医者さんも泣いてる。
ねえ、娘に何が起こったの?
そうしてるうちに、お兄さんたちは寝ている娘を車に載せてどこかへ行ってしまった。
わたしだけが部屋に戻された。
ねえ、娘は?
たるちゃん、どこ?
お母さん待ってるよ。帰って来て。
大声で呼んだ。何度も叫んだ。
でも、どこからも返事はない。
お兄さんも部屋の前に来て、「カメラ」の前でなにか話してる。
話をしながら泣いてる。
ねえ壁さん、いるんでしょ?
「……おるやで。ワイはずっとおるで」
たるちゃんどこ行ったの?何か知ってるんでしょ?教えてよ。
壁さんを問い詰めた。
「たるこなあ、ずっと遠いとこに行ったんよ。もう戻って来られん……」
嘘だ!
たるちゃんは戻ってくる。たるちゃんどこ?
わたしはずっと娘を呼んで叫んでた。
でも、娘は帰って来ない。
あなた神様でしょ?娘を返してよ!ここに連れてきてよ!
壁さんに当たる。
「……ワイはなんにも出来んのやで……。蹴りたいならなんぼでも蹴ってええやで……」
壁さんも泣いてた。
「ワイにもう少し力あったら良かったんやで。ホンマに済まないやで……」
次の日も娘は戻って来なかった。
庭でも部屋でも娘を呼び続けたけど、やっぱり返事はなかった。
叫び疲れたわたしは、いつの間にか眠ってしまったみたい。
部屋はもう真っ暗になってた。
眼の前に2歳くらいの馬がいた。
わたしによく似た馬。
その馬はニッコリと笑うとこう言った。
「おかあさん、たるこです」
よく見たら。おでこに丸い星。
間違いない。この子はわたしの娘。
「おかあさん、急にいなくなってごめんなさい。お別れの前に挨拶しなさいってこっちの人が言うから」
娘は済まなそうな顔で言う。
「壁さんがこっちの人にお願いをしてくれたおかげなの。少し大きくしてくれたのも壁さんがお願いしてくれたから。小さいままだときちんとしゃべれないからって」
それはいいけど、お別れってどういうことなの?
ずっとここにいるんでしょ?
「ううん、もう帰れないの。だから最後におかあさんにきちんと言わなきゃって」
最後って?
「おかあさん、産んでくれてありがとうございました。いっぱい愛してくれてありがとうございました」
……。
「たったの二十日間だったけど、おかあさんの娘でいられてとても幸せでした。向こうに行っても、おかあさんの教えてくれたこと、ちゃんと守って暮らします。だからもう泣いたり叫んだりしないでね」
「おかあさんの側にはいられないけど、ずっと見てるから。本当に、今までありがとうございました……」
娘の姿が消えて行く。
待ってよ。行かないで。
ずっと側にいてよ。
「もう行かなきゃ。おかあさん、ずっとずっと大好きだよ……」
最後に娘はニッコリと笑って、そして見えなくなった。
目が覚めると、いつもの部屋。
娘は見えないけど、側にいる感じがした。
ううん、きっと側にいる。
見えないだけなんだ。
わたしは壁さんに声を掛けた。
「ワイはなんにもしてへんのやで」
そういうことにしておくね。
「たるこはどっかから見てるんやから、あんまり見苦しいことでけへんのやで」
そうだね。たるちゃんに蹴られないようにしなくちゃ。
もう泣いたり叫ぶのはやめよう。
そんなことしても、娘が悲しむだけだもの。
水桶から水を飲みながら、そう思った。
わたし、サラブレッド。
名前はシュシュブリーズ。
少し早い子別れでした。
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