遠い空の下 ~ほろ苦いケーキ~
「ああ、今年も一人さみしいクリスマスか」
「うるさい。口を動かさず、さっさと作業を進めなさい」
「はいはい」
私、須川 詩帆は同級生の湊崎 雅也と学校のとある部屋で二人きりだった。
「それを言うなら、私もなんだけど」
「男と女じゃ意味合いが違うだろ」
「私の方が深刻よ。……それに一人じゃないじゃない」
「どういう意味だ」
「あら。私みたいな美人と一日、過ごせるんだからむしろ感謝してほしいくらいだわ」
「まあ、作業漬けの日だがな」
「……それを言わないでよ」
中学二年の秋。それなりに先生からの信頼もあり、なおかつ成績上位の私たちは、先生たちから仕事を押し付けられる毎日だった。部活の方もそうだが、勝手に執行部の方にも入れられ……まあ、余裕だろうと思って断らなかった私も悪いんだけどね。
というそんなこんなで私は雅也と二人きりで冬休みに学校に呼び出されていた。一月のマラソン大会の生徒会会計の仕事プラス大会要項の作成という面倒な仕事だった。
「というかさあ。普通は二人でやる量か、これ」
「雅也が無駄口たたかず、さっさとやったら二時間はかからないわよ」
「分かったよ。やるよ」
さて、ようやく雅也が作業に入った時点で私は別のことを考えていた。つい半年ほど前の彼の発言についてだ。
(……あの日、窓際で見た洲川の顔がものすごく綺麗だったから。……書きたくなったんだよ)
その一言は、皮肉を好きに言える友人カテゴリにとどめておいた雅也への、恋愛感情を思い起こすには、あまりに強かった。だから一歩踏み出そう、あるいは相手が一歩踏み出してくれることを願って名前呼びを強要したのだが……
「……まあ、見事に逆効果だったのよねえ」
「んっ、何か言ったか」
「うっ……ひ、独り言よ」
「……そうか」
危なかったわ、声が出てた。そう、逆効果だったのだ。そう呼べと強要した日から、雅也は滅多に私に話しかけてくれなくなった。そりゃあ、そうだ。彼女でもない同級生に名前呼びをするなんて、なかなかできることではない。ただあのときは気が動転していたとしか思えない。
「なあ、顔色悪いけど大丈夫か………詩帆」
「へっ…うっ、うん大丈夫」
「本当に大丈夫なのかよ。なんか妙に慌ててるけど」
「べ、別に。……ただいきなり名前呼びされたから少し驚いて……」
「あのなあ。それお前が強要したんだろうが。……俺だって結構恥ずかしいんだぞ」
「それを言うなら私だって恥ずかしいわよ」
「じゃあ、なんでやらせるんだよ」
「なんでって、それは……」
やばい、ぼろが出てきた。なんか頭が回らない。ああ、もう私は何を言ってるの。……もう、訳わからない。
「……雅也にそう呼んで欲しかったから」
「なっ………」
そう言った瞬間、雅也の表情が凍り付いた。そして、顔が赤くなった。
「あのなあ、それを上目遣いでやられるとほとんどの男が動揺するからな」
「動揺したの?」
「……少し、な」
どうやら慌てていた私の単純思考は思わぬ形で雅也を惹きつけたようだ。ふう、どうやらさっきの件も誤魔化せたみたいだし……よかった。
「あのさあ……」
「何?」
「いや、このままだと頭回りそうにないから、この後、少し買い物付き合ってくれない」
「いきなりどうしたのよ」
「いや、ケーキとドリンクでも買いに行こうかなあと。せっかくのクリスマスだし」
「なんで私まで……」
「一人でクリスマスのケーキ屋に行きたくないんだよ。後、さっき泣かせたお詫びにケーキ屋付属の喫茶店で奢るよ」
「泣いてないけど、奢られてあげる」
「そういうことにしといてやるよ」
そう言って、彼は微笑んだ。そう、この半年いつもだ。クラスではあまり話してくれないが、いつも気にかけて優しい言葉をくれる。……だから彼から目を離せないのだ。
「綺麗……」
「へー、ホワイトクリスマスかあ」
「さてと、行きますか」
「ええ、雪が激しくなったら面倒だし」
しばらくして私たちが校舎の外に出ると、外にはちらほら雪が舞っていた。私がコートの首元をギュッと閉じて、マフラーでぐるぐる巻きにしていると彼が先に歩き始めた。
「ちょっと待ちなさいよ」
「うるさい。奢ってもらう側がその態度でいいのか」
「そっちが言い出したんでしょ」
「それとこれとは話が別」
そう言い合いながら歩いていた時、ふと気が付いた。私たちの正面から少しきつめの風が吹いていることに。そして彼が私の前にいることでその風と雪が遮断されていることに。そしてそれを言わない彼の優しさに。
「ありがとう」
「んっ、何のこと」
「あら、風よけになってくれてたんでしょ」
「偶然だよ。偶然」
彼がこちらを見ずにそう言うので、私は少し彼を驚かせてやることにした。そのまま小走りになり、私は彼の背中に飛びついた。
「うおっ。な、何すんだよいきなり」
「あれ、いやだった」
「いや、別に嫌じゃないけど」
「そう。じゃあ、ありがとうね。風よけになってくれて」
「偶ぜ……なっ、体押し付けるなって」
「正直に言いましょうね、雅也」
「……いや、寒そうだったから……ちょっとだけ、な」
「バーカ」
「何だと、お前。奢ってやらないからな」
そんな風にバカなやり取りをしながら私達は雪の中を学校近くのケーキ屋まで歩いて行った。
「ああ、疲れた。重たい荷物があったからかな」
「私が重いっていうの。あなたって、本当に女心が分かってないわね」
「いや、お前以外には言わないから」
「私が女じゃないとでも」
「いや……別カテゴリ、かな」
ケーキを注文した私たちは、空いていた窓際最奥のテーブル席に座った。外の雪はだんだんと降る速さを速めているようだった。
「別カテゴリって」
「うーんと、それは……秘密の方向で」
「どういう意味よ……」
「お待たせいたしました。ケーキお持ちいたしました」
「ああ、ありがとうございます。さあ、食べよう」
「ちょっと、誤魔化さない……はぐっ」
私が追求しようとした瞬間、雅也が自身のケーキを私の口に突っ込んだ。ゆっくりと飲み込んでから私は再度聞いた。
「だからさっきのはどういう意味よ」
「まあ、その話は食べてから、な」
「分かったわ。その代わり食べ終わったら話してよね」
「分かってるよ」
そう言いながら、雅也がケーキを食べ始めたのを見て私も自身のケーキに手を付けた。
「なあ、詩帆の両親ってどういう人だった」
「それ、私に対する嫌味かしら」
「違うよ。ただ……どういう両親だったのかなあという興味だよ」
「そうね。……覚えてないわ」
「即答だな、おい」
「だって二人が亡くなったの私が二歳の頃よ。記憶なんてある訳ないじゃない」
「こういう場でそういうこと言うなよ」
「あら、あなたの話題が原因でしょ」
「そうだけど……」
彼がかなり追い込まれる様を見て、私は思わずクスッと笑ってしまった。
「もう、笑うなよ」
「ごめんごめん、冗談よ」
「たちが悪いな」
「だからゴメンって。で、私の両親よね」
「ああ、若くして亡くなったって話を聞いてたからますますどういう人なのかなあと思って」
「そうねえ……優しかったかな。後……とても仲が良かった」
「そうか」
「それで何でそんなことを聞いたのよ」
「いや、ちょっとした未来予想を立てた時に……やっぱパス」
今、未来予想っていう単語が聞こえたんだけど。ひょっとして、いやまさか。そう思ったタイミングで二人の前からケーキは消えていた。
「ねえ、さっきの質問の前に一つ聞いていい」
「どうぞ」
「雅也って、……あの……私のこと……好き?」
「うぐっ……な、何をいきなり。……ああ、もうさっきの質問いらなくなったわ」
「何で」
「その質問の答えだからだよ。今から言うぞ……俺はお前のことが……」
雅也が顔を真っ赤にして言う言葉を幸せな心地で聴きながら、私の頭の中に別の記憶が流れた。
それは私たちの家族が幸せだった時の記憶であり、同時に家族が崩壊する原因となった記憶。そしてそれが、幸せなはずの私の中で何かを壊した。
「ごめん、私今日は帰るね」
「えっ……ちょっと待って。まだ……」
「ゴメン……」
「詩帆」
雅也が私を呼び止めるのを聞きながら、机に千円札を叩きつけると、私は荷物を抱えて走って店を出た。
「寒っ……なんか、雪が強くなってる……」
店を出てしばらく走ってから、立ち止まった私の周りでは次第に激しく振りだす雪の中、帰りを急ぐ人たちが目立ち始めていた。
その中に、娘を連れて三人で歩く若い夫婦を見つけ、またあの記憶が頭から離れなくなった。
「そうだ、あの日も。私はお父さんとお母さんと楽しんでいたんだ。あれが……最後だとも知らずに」
私の封印したはずの両親の死の真相。私しか知らないはずの記憶。……それがあのタイミングで思い出されるとは何たる皮肉だろうか。
「せっかく、雅也が私に……告白しようとしていたかもしれないのに」
私が示した行為は誰が見ようとはっきりとした拒絶だ。だが、私はあの先の関係に雅也と進むのが怖くて仕方なくなったのだ。父と母の関係を思い出すだけで……
「なんで……あんなに、嬉しかったのに。あんなに、幸せだったのに……なんで私の周りの幸せは壊れていくんだろう」
「詩帆」
自分への怒りと、どうしようもない喪失感に押しつぶされそうになっていた時、私の後ろから聞こえるはずのない声が聞こえた。
「……雅也。……なんで」
「逃げられたら、普通追いかけるだろうが」
「でも、私……あなたを拒絶して……」
「いいんだよ、そんなこと……それより」
「……来ないで」
「……泣いてる顔、見られたくないんだろ。じゃあ、詩帆はそっち向いてていいよ」
図星だった。そして、その心遣いが優しくて嬉しくて、そう思ってしまう自分が許せなくて……私は余計に涙が止まらなくなった。
「なんで……来たのよ」
「さっきも言っただろ……って、それじゃあだめだから聞き返されたのか。……そうだなあ、まず俺の告白を切ったときのお前の顔の変化的に、俺のことを嫌いじゃないってことが分かったから」
「でも…私、逃げたのよ」
「だからだよ。お前が逃げたのは、俺とこれ以上の関係性になるのが怖かったら。その原因はさっきの流れ的に…お前の…両親の死に関係してるのかな」
「……」
ずるい、と思った。普段は鈍感なのにこういうところには頭が回る。全部図星だ、正解だ。そうやって答えを当てつつも、私に回答を求めない優しさもずるい。
「……なんでやさしくするのよ」
「さっき言ってなかったね。……詩帆が好きだから」
「…ヒャッ。ちょ、ちょっと何するのよ」
「さっきのお返し」
私に堂々と告白しながら、彼は私に後ろから抱き着いた。咄嗟に振り払おうと頭では思っているのに心は正直だった。
「そのままで、聞いてくれる」
「……うん」
「詩帆の気持ちが分かった。だから詩帆の気持ちが整理できるまで付き合えなんて言わない」
「……えっ」
「落ち着けって。大丈夫、他の女の子に乗り換えたりなんてしないよ」
「でも……私……」
「分かった。決心がつかないなら俺が卒業式で告白する」
「はあ、あんた何を言って……」
彼の提案は魅力的だった。そのまま溺れてしまいそうなほどに……
「詩帆が心変わりするのならそれでもいいよ」
「えっ……」
「たった一年と三カ月、待つだけだから」
「……」
彼から心変わりすることなんてないと言い切れるだろう。だからこそ私は怖かったのだ。この関係のまま大人になることが。だから……
「ごめん。今はそれすら返事できない」
「えっ……」
「ごめん……」
そう言って私は彼を振り払って逃げた。
「……ハアハア、ハア……最低だ、私」
しばらく走った私はその場にうずくまって泣いた。だけど今度は追いかけてくれる相手はいなかった。
「バカ、私のバカ……」
冬休み明け。雅也は私のことを須川さんと呼んだ。そして私も彼のことを湊崎君と呼び返した。
これは遠い空の下、不器用なカップルの苦い失恋の日の記憶。
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