番外編 詩帆side ~塗りつぶしたい過去~


夢の中で目を覚ました。


……表現はおかしいけれど、それが一番正しいでしょうね。私の体は明らかに小さくなっていた。体格を見れば三歳ぐらいの頃だ。

確か私が初めて魔法を使った年、そしてこの日は……私が、初めて、あの男に襲われた日だ……



「ハアハアハア……なんであの夢を……また……」


私はベッドからゆっくりと体を起こした。体中がびっしょりと嫌な汗で濡れている。気分が悪かったので即座に魔法で乾かしてから着替えることにした。


「ハアハア……<乾燥ドライ>……ふう」


一人きりの学校の寮の部屋で身体を乾かしていると、少し落ち着いて来た。だが、頭の中からあの男の汚い笑いが離れない。


「なんで、消えてくれないのよ。あんな、クソみたいな記憶……早く上書きしてよ、雅也」


消え入るような声で愛しい人の名前を呼びつつ、私は結局あの頃のことを思い起こしていた。




私、ユーフィリア・フォルト・フォン・グレーフィアはルーテミア王国の軍務系貴族家、グレーフィア伯爵家の長女だ。そんな私はとある理由で前世の記憶を持っている。が、そうは言ってもこのころの小さな体では前世の記憶を生かしようがなかった。そもそも話せなかったのだから意思の疎通をしようがないし。


それが改善されたのは私が三歳の誕生日を迎えた時だった。その年に私はついに家の書庫に入ることを許された。あのロリコン変態男に上目遣いで頼んだら、吐き気はしたがすぐに許可してくれたので、それだけはあいつがバカだったことに感謝しよう。



「さてと、まずは字の勉強から始めましょうかしら。この世界の文字にひらがなと漢字に対応するものがあるというのは分かっているから、まずはこの世界のひらがなね……」


そう言いながら、教本を開いた私はびっくりした。その本に書いてあった文字は形こそ少々違うが体系はほとんどひらがなと同じだったからだ。


「これならすぐに覚えられるわね。じゃあ、そのまま魔導書を読みながら漢字も習得していきましょうか」


そう言いながら棚を見渡していると基礎魔道教本と書かれた本を見つけた。そのまま、それを引き出そうとした時だった。バランスを崩して奥に引っかかっていたもう一冊の本が落ちてきた。


「きゃあ……もう危ないじゃないの。一体何の本よ」


他の本が落ちてこないかを確認してから、落ちている本にそっと手を伸ばして引き寄せた。


「ええと、これも魔法関連の教本っぽいけど……表紙がかすれてて「魔」、「本」しか読めないな……中表紙は、あったわ「闇魔法教本6 精神魔法書」……なんだか危険なにおいがするわね」


その内容も気になったが、魔法に関する知識があまどない今の私が読んでも意味がないと早めに見切りをつけて、基礎教本の表紙をめくった。


「ええと、まずは魔力測定ね。へー、やっぱり魔法って誰でも使える物じゃないんだ。って、読むのは後にしてっと、測定の方法は……表のエンブレムに触れる、か。じゃあ、やってみましょうか」


そうしてエンブレムを触ると自身の周囲がまばゆい光に包まれた。


「なるほどね。魔力の強さが光の強さに比例する、と。……雅也に聞かないと分からないけど、たぶん転生の副作用よね。最低でも第九階位、一千万人に一人の魔力持ちなんて普通におかしいし」


まあ、あの男に対抗できる力があるならいいかと思って、その時は気にしなかった。だがそれがどれだけ異常な事だったかを私は後に思い知ることになる。




数日後、一通りの初級魔法が使えることを確認した私は精神魔法書に手を出すことにした。あの男に対抗する魔法として外部からは影響が見えにくい精神に対する魔法は使いやすいと思ったからだ。……後、母の治療に使えるかもしれないと思ったからでもある。


だがその甘い認識はすぐに吹き飛んだ。


「何この魔法、睡眠導入、魅了程度なら予測してたけど、自由意思を消したり、挙句の果てに自我や精神の崩壊魔術まである。……いや、用途を見る限り精神異常者や多重人格者の治療用なんだと思うんだけど」


中身は私の想像を超えていた。確かにどの魔法を見ても精神病やらトラウマの対処に使うことができるだろう。……だがこの魔法は人を操るどころか人格を変えたり、本人に気づかれぬまま様々な行為に手を染められる。


「通りで、一般の魔道教本には存在すら書いてない訳よね。まあ内容を見るに魔法の技量とある程度の知識がないと使いこなせないけど……私がそれよね。はあ、これは危険すぎるし凡庸性もないわね。最低限の記憶混濁魔術を覚えたら先に治癒魔術を覚えた方がよさそうね」


私は精神魔法書を閉じると治癒魔法書を読み始めた……





その夜 グレーフィア伯爵家 執務室


「旦那様、少々お時間よろしいでしょうか」

「なんだ、エルケーニヒ。お前にはユーフィリアの監視を任せていたはずだが」

「それがお嬢さんには魔法の才能があるようでして」

「それぐらいは知っている。本人が言っていたし、生まれた直後にお前も言っていたではないか」


その執務室では二人の男が向かい合っていた。椅子に座ってふんぞり返っている醜悪な男が伯爵 グヴァルド。そしてそれに向かい合う病的な瞳をした男がこの家のお抱え魔導士 エルケーニヒであった。


「いえ、才能というには足りないほどの才です。天武の才と言うべきでしょうか」

「ほう。それで適性のある属性は」

「全属性ですね。私も目を疑いました」

「何、本当か」

「ええ。さらに精神魔法の適正もあるようでして」

「そうか……ふむ、醜悪な娘だがそういう利用価値もあるか」


その言葉にエルケーニヒは残虐な笑みを浮かべた。


「ついでです。私の魔法で快楽の底に突き落としましょう」

「なるほど。それは名案だな。永久に私に服従させるか」

「ええ、それがよいかと」

「……ふむ、数日後あたり執務室に呼び出すとしようか」

「分かりました。その通りに手はずを立てましょう」

「エルケーニヒ、笑みがこぼれておるぞ」

「……これは失礼しました」

「ふむ、お前が娘に手を出したがっておるのは分かっておるよ。私が使った後は貴様にくれてやる」


二人の男の下劣な会話は日付が変わるころまで続いた。





私は今日も朝から魔法書を読み漁っていた。一通りの治癒魔術は使えるようになったので、今度は攻撃魔法を習得しようとしていた。魔道教本によると魔法はイメージ力が高い方が発動させやすいらしく、基礎知識のある治癒魔法と違って高位の攻撃魔法はなかなか覚えられなかった。


「まあ、時間はあるからいいけど。それにこの時点で十分に天才と言われるレベルの実力はあるみたいだしね」


事実、この国の筆頭魔導士が第八階位という時点で、私が世界最高クラスの実力を持っているのは間違いないのだからその点は安心できるわね。


「さてと、これで雅也に遭遇したら心置きなくぶっ飛ばせるわね。……にしてもやっぱり体は三歳児か。まだ九時なのに眠い……そろそろ寝ましょうか」


そうして、本を棚に戻して部屋を出ようとした時だった。誰かが扉を開けて入ってきた。


「ユーフィリアお嬢様。伯爵様がお呼びです。至急、執務室までお越しください」

「父が私を、ですか」

「ええ。ああ、至急という部分を強調されていましたので、急いだほうがよろしいかと」

「……分かりました」


父が私を呼び出したことに不信感を覚えつつ、部屋を出た。そのまま最低限の魔力を手の中に纏わせたままでゆっくりと執務室の戸をノックした。


「……お父様、セーラです」

「おお、来たか。さあ中に入れ」

「……はい」


その言葉通りに扉を開けて父の方を注視しながら、いつでも魔法が撃てる態勢を整えていた。しかし、唐突に背中に衝撃が走った。……息が詰まった私はそのまま地面に崩れ落ちた。


「……お父様、何を」

「ふむ魔法の効きは良いようだな」

「ええ、お嬢さんの魔法抵抗力が高かったので、少々魔力が必要でしたが。こういう時のために雷魔法を修練していてよかったですよ。下手をするとレジストされていたかもしれませんし」

「どのみち効いたのだから、いいだろう。さてとエルケーニヒ、いつもの魔法をかけろ」

「分かりました…<感度増加プレッシャーライズ>」


私の後ろにはどうやらうちのお抱え魔導士が立っていたようだ。もう少し魔力探知を学んでおけばよかったと後悔した。そして、その思考もその男の魔法によって途切れた。

感度増加プレッシャーライズ>は全身を性感帯と思えるレベルの感度にする悪魔の精神魔法だ。本来の用途は神経断絶などで感覚がなくなった患者の治療用らしいが、今ではそれを利用して人を服従させる用途として裏の間諜なんかが使う魔法だ。


そしてその魔法の効果は三歳児の私の体にも容赦なく襲い掛かった。


「ほれ、どこが気持ちいい」

「アウッ、や、め、て…ください」

「うーん、聞こえんな」

「伯爵、私が遊ぶ前に壊さないでくださいよ」

「ウッ、ウウ、や、止めて……」


正直、意識が飛びそうだった。

それでもこんな男に汚されるのだけは許せなかった。私の体は雅也以外には触らせる気はないから……


だから、魔法を学んだ。彼と会うまで、私が彼の思う私のままで生き続けるために……だったら、私はこんなところで折れるわけには、いかない……


そう思った瞬間、頭の中に冷静な思考がよみがえる。その時には私は精神魔法の全てを自身の膨大な魔力を使って完全にレジストしていた。


「ふふふ、さてとそろそろ本番に……」

「誰がお前みたいなクズに体を許すと言ったんですか……」

「なっ、じ、実の親に向かってその口の利き方は何だ」

「ちょ、ちょっと待って下さい伯爵。この子、かかっている魔法を強引にレジストして……」

「とりあえずあなたは消えて、…<爆炎弾マグマボム>」

「ちょっと待て、レジストできな……ウギャア……」


私が放った第三階位の火魔法は魔導士のいた部屋の右半分を魔導士ごと焼き焦がした。それを見た伯爵は青い顔をして震えだした。


「ひっ、ひい。こ、殺さないで」

「無様よね。さっきまで下に敷いてた娘に震え上がるとは」

「じょ、冗談だったんだ。なっ、なんでも買ってやるから」

「そんなの信じるとでも。どうせ最後までやる気だったんでしょ」

「ち、違う……た、助けて……」


そのまま伯爵は泡を吹いて気絶した。正直言って殺してやりたい気分だが、今の私はこいつの庇護下にいる方が都合がいい。だから、こいつの記憶を改変してしまおう。


「…<記憶改変ブレインメルト>。そうね、今日はこの魔術師があなたを暗殺しようとして自分の魔法で自爆したということにしましょうか。丁度いいことにあの魔導士も生きているようだから死なない程度に治療して、今までの罪を償ってもらいましょうか」


そのまま記憶の処置を終えて、魔導士の火傷をある程度治療すると、即座に私は窓から飛び降りた。と、同時にさっきの魔法で歪んでいた扉をこじ開けでもしたのか、大勢の人間がなだれ込んできた。


「ふう、後はあの男が罪をひっかぶってくれるでしょうし、大丈夫か」


おそらく父はあの魔導士との会話的に私の実力を知っていたようだが、その記憶も消してきた上に、あの人を信じない父が情報提供をした魔導士以外に話すわけもないから、ひとまず安心だろう。


「今後は隠蔽に気を配らないとね……はあ、汗かいたらお風呂に入りたいけど、この騒ぎじゃ入れないわね。明日の朝に入ることにして、部屋に戻りましょうか」


そう言いながら開いているの自室の窓から部屋に入った。そこで私はようやく自身が震えていることに気づいた。


「……怖かった。バカ雅也、なんでこんな時に助けてくれないのよ」


私はそのままベッドに突っ伏した、それでも隣にいたはずの大切な人のぬくもりがないことが余計に悲しくて、一晩中泣いた。






「今、思い出すなんて何考えてるのかしら。……まさか私がもう雅也はこの世界にいないのかもと思ったせいかな」


ここ数年、思っていたことだ。彼がいないと思っていた方が楽だから、だけどそれでも諦めきれないのだ。自分を全て包み込んでくれていた彼のぬくもりが。


「はあ、こんなんじゃ寝れないわね。仕方ない、本でも読んで夜を明かしましょうか」


そう思って机に目をやると、今日は忙しくて読めていなかった情報誌が転がっていた。おもむろにそれを取ると表紙はとんでもない記事が躍っていた。


「これは嘘でしょ。<十歳の男爵家の三男、魔法で赤竜を狩る>」


赤竜なんていう、一匹で小国が滅ぶような生物を単独討伐するなんてそんなバカな話はない。ましてやそれをやったのが十歳の少年魔術師……


「十歳、私と同い年よね。ひょっとして……」


慌てて記事を読み進めると、その戦闘の終わり際を見ていた兵士たちの談話が乗っていた。


「突進してくる赤竜の口の中に杖を差し込んで倒した、か。杖が脳に刺さる事と赤竜の突進する力の反作用を考慮してるなんて……雅也らしい思考よね」


それを読み続けていると高位の合成魔法をバカスカ撃っていただの、友人の足を生やしただのとありえないことが書いてあった。だけど……


「これが雅也ならあり得るのよね。魔力が私と同じように多かったのならそれぐらいできても不思議じゃないし」


可能性が確信へと変わろうとしたとき、一つの疑問が生じた。


「でもそれだったら、なんで会いに来ないんだろう。……もしあれが雅也なら確実に今年の王立学院の中等部にいるはずなのに……んっ」


だがその疑問は即座に氷解した。


「……その後、彼は賢者とともに魔法研究をするために旅立った……あいつ、魔法学の研究にはまって私を後回しにしたな。たぶん安全だろうと思ったんだろうけど……世界で一番あそこが危険よ」


そこまで確信が持てたら、後は私がやることは一つだ。


「本気で上級魔法の餌食になってもらいましょう。ただあいつも大魔導士になってそうだからなあ……どんな規模の魔法を用意しようか」


そうやって窓の外を見つめる彼女の眼は希望に満ちていた。






……同時刻 とある場所にて


「ううっ、し、師匠。今、何かしましたか」

「いや、何も。どうかしたのかい」

「いや、背中に信じられないほどの寒気が走ったんです」

「大丈夫かい」

「一瞬だったので」

「フフ、女の子に噂されてるんじゃないの」

「いや、今のはむしろ噂されてるというか、恨みを買ったような感じですけど……」


何も知らないはずの青年がとてつもない恐怖感を味わっていた。

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