遠い空の下 ~始まりの絵画~
春 それは全ての人々にとって出会いと別れの季節。
……というのには抵抗がある。だって去年と周りの顔ぶれが全く変わらないことなんて結構あるしな。
例えば、中学校一年生から二年生に進級するときとか……
「ああ……もう、かけない」
「……ちょっと、うるさいんだけど」
「知るかよ。というか、そんな大きな声出してないぞ」
「この部屋が静かだから気に障るのよ」
さて、4月の桜がほぼ散った今日この頃。俺 湊崎 雅也は美術室で桜の絵を描いていた。この頃、俺は美術部と文芸部と科学部を兼部しており非常に忙しい毎日を過ごしていた。
「というか、いったいどうしたのよ。作品に行き詰ったの」
「そうだな」
「どの部分」
そう言ってのぞき込んできた同級生に俺は自分の絵を見せながら言った。にしても青空の中で小高い丘の上に散り際の桜というのはかなりいい作品だと思う。……まあ陳腐と言えば陳腐だけど。
「ええっと、絵の背景の中に書く人を少女にするか少年にするかと、この話のクライマックスで主人公を殺すかどうか」
「ちょっと待ちなさいよ。なんであんた、学校に自分のパソコン持ち込んだ上に絵描きながら小説書いてるのよ」
「時間がないから」
さてこんな風に俺にキレている同級生の少女の名前は洲川 詩帆。一年生の時にクラスが一緒で、さらに部活が一緒だったため意気投合したのだが、慣れてしまった今となっては容赦なく怒られる俺にとってはものすごく怖い存在だ。
「なんでそんなに締め切りに追われてるのよ。確か、書き始めたの去年じゃなかったっけ」
「いやあ、余裕あると思ってさあ。書こうとはしたんだけど……科学部の発表会も近かったし、……いろいろと忙しかったのもので……」
「分かったわ。年末年始のスマホゲーのイベントにかまけてるうちに、忘れてたんでしょ」
「うっ、なぜそこまで」
「ほとんど毎日、会ってたらあなたの単純な思考ぐらい読めるわよ。だいたいあなたも頭がいいんだからもう少し計画性を持って……」
後、もう一つ言っておくと洲川はかなり俺のタイプど真ん中の美人なのでこんな関係性でなく、むこうが俺のことを嫌っていなければ交際を申し出ていたかもしれない。
……って、何考えてるんだ俺は。あいつと俺となんて絶対に……
「……ううっ」
「……ちょっと聞いてたの。というか、あなた顔色悪くない」
「どうだろうな……最近……休み明けテストの前あたりから寝てないからかな」
「……あきれた。どうりで私が学年二位だって言ったら妙な顔をするからまさかとは思ったけど」
「さすがに洲川相手に三連敗もすると心が折れるからな……うっ、あっ、これ、ヤバイ、やつだ……」
「ちょっと、大丈夫なの。本当に……」
「大丈夫だって。睡眠不足はいつものことだし、第一こんなところで止めたら締め切りが……」
「ねえ、ホントに止めときなって……湊崎」
と、そこまで洲川の声を聴いたところで、俺はそのままふらりと倒れた。
洲川が心配そうに俺の顔を覗き込んできたところで、俺の意識は完全に途絶えた。
「……うっ、あれ、俺は確か……倒れたんだっけな美術室で。あいつのことだから俺を放置してどこかにいっててもおかしくは……」
「バカ、ここにいるわよ」
そこで目を開けると、まず保健室の天井が目に入った。次に横を向くと目に涙を浮かべた洲川と、すっかり暗くなった外の様子がうかがえた。
「なんで、お前が」
「あのねえ、いくらなんでも目の前で倒れられて放置するわけないでしょ。これでも医者目指してるのよ」
「えっ、お前が運んでくれたの」
「ばか、湊崎みたいに重たいの華奢な私に運べるわけないじゃない。ちょっと外走ってた野球部の子に色目つかったら、すぐに運んでくれたわよ」
「色目ねえ」
「何よ、何か文句ある」
などと言いあっている洲川は妙に焦っている気がする。それに目に涙、浮かんでるし……
俺、なんかしたっけ。まああいつが心配して泣いてくれるならいいんだが……そんなわけないし……
「なんか悪かったな」
「別に運んだのは私じゃないし」
「いや、そうじゃなくて心配して残ってくれたんなら迷惑かけたなって。目に涙、浮かんでるから何時間か知らないけど眠たくなるまで横にいてくれたみたいだし……」
そう言うと、いや保健室の明かりが消えていて月明りでしか見えないから正確には分からないけど、彼女の頬が紅潮した気がした。
「バカ言わないでよ。湊崎を心配して残ったわけじゃないわよ。ただ先生が職員会議でいないから、私に見といてくれって言うから」
「忙しいから帰るって言えばよかったんじゃないのか」
「いくらなんでも冷たすぎるでしょ。……もう元気になったみたいだし、私は塾があるから帰るわ。おやすみ」
「おお、おやすみ」
そう言いながら彼女は自分のバッグを掴むと走って保健室を出て行った。後に取り残された俺が、茫然としていると、突然電気が付いた。
「湊崎君、元気になったかしら」
「ああ、先生。職員会議は終わったんですか」
「……職員会議……ああ、終わったわよ」
先生の反応が若干妙だったが、さすがに今日は遅いし追及は今度にしておこう。
「じゃあ、お世話かけました」
「そうでもないわよ。ああ、後お母さんに連絡はついたけど、まだ両方とも帰れないそうだから家に着いたら連絡してね」
「ああ、はい。じゃあ失礼します」
「あっ、ちょっと待って。保健室の入室カード書いていって」
そう言いながら先生は机の上にあった紙とボールペンを俺に手渡した。
そのままその紙に記録を書こうとして、俺は驚いた。
「先生、あの時計狂ってませんよね」
「ええ、正確よ」
「僕には九時に見えるんですが……」
「合ってるわよ」
俺が倒れてたのは多分、部活が終わる直前だから六時前だ。つまり洲川は俺が倒れてから三時間も付き添っていてくれたことになる。
「どうして、そんなに待ってくれたのやら」
「心配だったんじゃない。あの子、ここに来たときはそれなりに焦ってたから」
「……本当に、あいつが」
「そうよ。……ほら、早く書いて帰りなさい。私の言葉が信じられないのならば、明日本人に聞きなさいよ」
「……はあ」
などと言いながらも、俺はそれを書ききり先生に渡した。すると、呼び止められた。
「あのねえ、湊崎君。十日間も四時寝六時起きを繰り返すって、大学受験前じゃないんだから。というか、文芸部の締め切りがそんなに厳しかったの」
「いえ、その最初の五日間はテスト勉強ですよ。全教科平均99はないと、一位にはなれなかったので」
「たかが、二年生の休み明けテストで」
「いえ、別にこのテストだけじゃないですよ」
「えっ、他のテストでもやってるの」
「ええ、だって洲川にだけは負けたくないんですよ。あんな奴にずっと負け続けていたらカッコつかないじゃないですか」
と、言い切ると保健室の先生は笑い出した。
「なんかおかしなところでもありましたか」
「いいえ、ただ……青春だなあって」
「なんですか、その意味深な」
「フフ、教えませんよ。守秘義務がありますから」
「要するに、生徒からの相談ってことですよね……さすがにそれは教えてくれないか」
「もちろん。さあ、帰りなさい」
「はいはい」
そんな風に煮え切らないまま校舎を出た俺は、ふと生徒玄関横の桜の木に目を止めた。
「へー、夏は毛虫が鬱陶しい木だけど。やっぱり日本人だからかな、いや誰が見てもこの夜桜はきれい、か」
そうして夜桜を眺めていた時、さっきの涙目の洲川を思い出した。そしてその背後にあった桜とのコントラストにも目を奪われたが、なにより……
「綺麗だったなあ、洲川……って、何を言ってるんだ俺は……いや、でも待てよ」
そのとき、俺の頭の中で文芸部と美術部両方の作品の方向性が見えた。俺は、まだ明かりがともっている職員室に美術室のカギを取りに行った……
3カ月後……
「……と言う訳で、湊崎君の「夜桜の下で~拝啓 貴女へ~」が県コンクールで銀賞を取りました。拍手」
7月のうだるような暑さの中、俺の絵の受賞が決まったので顧問がその場にいた美術部員を集めて、発表を始めた。
とにかく、まさか受賞するとは思っていなかった俺はひたすら時間が経つのを待っていた。先生が受賞者の言葉とか言い出して、俺に当ててきたが何を言っていたのか覚えてないくらいだ。
「受賞、おめでとう。湊崎君」
「それはどうも」
「はい、どういたしまして。……それでなんで青空を夜空に塗り替えたの」
「ああ、あれな」
完成前の作品を見せた洲川には絶対に聞かれると思っていたことなので、答えは用意してあった。
「うーん、貴女のせいかな」
「私の。……どういうこと」
「違う、違う。貴女」
「……えっ、あの絵の少女のモデルってやっぱり私だったの」
「ああ。気づいてたのか」
「ちょっと、似てると思ったぐらいよ。……でも、なんで」
「それは、さあ……俺が倒れた日があったじゃん」
「うん」
俺は少し間をあけて言った。
「あの日、窓際で見た洲川の顔がものすごく綺麗だったから。……書きたくなったんだよ」
「……反則。……そういうの言われたら……って……」
「あの、ゴメン。……怒らせたかな」
「怒ってないから。あのさあ、もうすこし湊崎は人の心を読んだ方がいいよ」
「そうか……ゴメンね貴女」
「その呼び方で呼ぶなあ」
「ゴメン、ゴメン」
と、ふと怒っていた洲川が静かになった。そして顔を上げて言った。
「……肖像権料」
「えっ、なにそれ」
「だから、人のこと勝手に絵のモデルにしたんだから肖像権料払えって言うのよ」
「……えっ、いや勘弁してよ。今月買いたい本が……分かりました」
「よし、じゃあアイス買ってもらうわよ」
「それぐらいなら……」
「まさか駄菓子屋のアイスで済むと思ってないでしょうね」
「ダメ、だよなあ」
「もちろん。じゃあ何がいいかなあ」
などと歩き出した洲川が振り返って言った。
「ああ、そうそう。今後は洲川って呼ばないで」
「じゃあ貴女って呼ばせてもらうよ」
「それは論外」
「じゃあ、なんて呼べと……君、とか」
「バカ、名前でいいわよ。ねえ雅也」
「はっ、本気で言ってるのか。そんなもの無理に……」
「肖像権料増やすわよ」
「ううっ……し……し、ほ」
「聞こえない」
そう言われたので、やけくそで大声で叫んでやった。
「詩帆」
「うわっ、もうびっくりするじゃない」
などと言いながら詩帆は満面の笑みを浮かべていた。
「じゃあ、アイス買いに行こう」
「俺は買わされるんだけどな」
「何か……」
「はいはい」
笑っている彼女を見て、俺はとあることを言い忘れたことに気づいた。
小説の主人公を殺さなかったこと。だってあの主人公のモデルは詩帆なのだから。言ったらまたタカられるのは目に見えているし。……後、
「後、あいつのことをやっぱり好きになったなんて知られるのもしゃくだしな」
「んっ、雅也なんか言った」
「別に」
うるさい同級生が、関係性の深い友人になった。そういう意味では新たな出会いがあった夏だったかもしれない。
「いや、春か。……青春ねえ」
保健室の先生の言葉を思い出して、余計に自分の詩帆への感情が恥ずかしくなった雅也だった。
これは遠い空の下、不器用なカップルの誕生した日の記憶。
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