番外編 詩帆side ~貴族令嬢は過去を思い返して~
…五時間後
王都のとある伯爵家内書斎
「これでだいたい必要な分は入れたかしらね」
夜、すっかり静まり返った家の中で、私はゆっくりと本を整理していた。
「さてと、後は部屋に運ぶだけね。じゃあいつも通りに……〈
私は魔法で亜空間を作り出して、その中にまとめた本を入れ始めた。数分して全ての本を入れ切ったときだった。廊下に足音が響いた。私は即座にに亜空間を閉じると、それと同時に扉が開いて母が入ってきた。
「あら、ユーフィリア。まだ、ここにいたの。勉強熱心なのもいいけど、早めに休まないとだめよ」
「はい、お母さま。では、そろそろ寝ますね」
「ああ、後……旦那様が呼んでいたから、寝る前に執務室に……」
「はい」
私は、母の言葉に苛立ちを覚えつつ、ゆっくりと執務室へ向かった。
もっとも、苛立ちを向けているのは母に対してではないけど。
執務室の前に着いた私は、ノックをしてから部屋に入る。
「お父様、入りますよ」
「早くしろ。全く、いつ呼び出したと思っているのだ」
「すみません」
部屋に入ると中にはとてつもなく醜い男がいた。信じられないがこの男が私の父だ。最も私の顔には一ミリもこの男の成分はないが。
「まあ、待たせた分をしっかりと返してくれるのなら、別に構わんがな」
「はい」
「さあ、そこに横たわれ」
明らかに、娘ではなく女としてしか見ていない目で私に命令するこの男に心底あきれる。
「さあ、早くしろ。ユーフィリア、聞こえていないのか」
「聞こえていますよ、豚伯爵様」
「………実の親に向かってその口の利き方はなんだ」
「あなたのことは親だと思っていませんので」
「貴様ーーー」
私のストレートな暴言に激昂した伯爵が私に襲いかかってきたが、私はとても落ち着いていた。
「はあ、……<
「んあ、ガッ……グッ、グ――」
伯爵を混乱させて、眠らせる。その後、記憶を改ざんする。
私には、すっかり使い慣れた三種類の闇属性魔法だ。
まあ面倒なことになるから、こんなに魔法を使いこなせることは誰にも言っていないんだけどね。
「完全に寝たわね。じゃあ、行きましょうか」
手慣れた一連の魔法行使が終わった後、眠ったまま床に倒れる伯爵を放置して、私は執務室を出た。
「にしても、魔法って本当に便利よね。こんな魔法が前世であったら……ちょっと危険ね」
そんなことを言いながら、しばらく廊下を歩き、私の部屋に入る。
扉の鍵を閉めてから、鏡台の前に座って髪の乱れを直す。長い金髪はとても綺麗だけど手入れが意外と大変だ。まあ、大半はメイドさんがやってくれるんだけど。
「それにしても……みんなが羨む伯爵令嬢の私生活ってこんなものじゃないわよね。はあ、どうしてこうなったんだか」
そして、窓の外を見ながら呟く。
「……雅也、早く迎えに来てよ」
私はユーフィリア・フォルト・フォン・グレーフィア。グレーフィア伯爵家の長女だ。誰もが羨む高位貴族家の長女。まあ、内情はそう良いものでもない。
まあ、それはあの日に生まれた時から分かっていたことだが。
10年前のあの日に……
「アリー、お前のような下賤な血が入った子だからこの子はまだ目を覚まさないのではないか」
「いえ、そんなことは……治療師の先生も問題はないと言っていましたし……」
「所詮、治療師の言ったことだ。信用できん」
まどろんでいた私の意識は、汚い男の声と弱々しい女性の声で覚めた。ゆっくりと目を開けるとそこには……
「おお、ようやく目を開けたぞ。顔はお前に似てどうなるか分からんが女だ。私の楽しみがまた増えたぞ。さて、どう教え込ませるか」
「グヴァルド様、お静かに。子供の体に障ります」
……そこには醜い豚みたいに肥え太った赤髪の大男とやせ細った美しい金髪の女性がいた。
状況を確認しようとして、嫌な予感はしたものの、ひとまずホッとした。
「(四肢の欠損はないし、五感も異常なし、と。そして聞き覚えのない言語に、貴族風の男女……。ともかく雅也の実験は成功したみたいね。まあ、いまだに理論はよく分からないけど。まあ、いつものことか)」
ひとまず、夫の頭の中のことを考えるのは止めておこう。さて、まずは状況の確認をしましょうか。
「さてと、どのようにこの子を育てようか……楽しみだ」
「……グヴァルド様、そろそろお仕事の時間では」
「お前に言われなくても分かっている。私は考え事をしているのだ、口を挟むな」
「も、申し訳ありません」
男の方が父で、女の方が母だということは分かった。
……とりあえず父の方の遺伝子は0.0001%でもいらない。醜いこともそうだが、さらに問題なのはあの目だ。あの目は精神科の研修を受けた時に見たことがある。
…確か連続幼女強姦事件の犯人の精神鑑定だったと思うけど。
そして娘にまで、そのような下種な目を向けるとは狂っているとしか言いようがない。
「楽しみではあるが……まあ仕事だ。アリー、その子に下手なことを教えるなよ。私のものにするからな」
「はい、分かりました。旦那様、言ってらっしゃいませ……」
汚らしい笑いを浮かべて男は去っていった。あの男は父と呼ぶことすら考えられない。あの数分でよく分かった。
そして残された母は、しばらくして……
「ごめんなさい、こんな家に産んでしまって。私のせいで……こんな家に産んでしまってゴメンね……」
激しく泣き出した。専門外でない私、というか素人でもわかる。間違いなく重度の精神病だ。体にうっすら見えている青あざやあの男の目を見るにDVや、……暴行も日常茶飯事なのだろう。
これほど不安定な状況を見ると、下手をすると「私が生んでしまったせいで……ごめんなさい」と実の母に刺し殺される可能性もある。
ああ、脳外科の権威であり同時に精神医療の知識も豊富だった藤川先生の精神病関連の話をもっと聞いておけばよかった。
一旦落ち込んでいた私だったが、だんだんと怒りがわいてきた。
「(……伯爵家の長女だから安全って何よ。ひょっとしたら農民に生まれ変わったかもしれない雅也の方が安全なんじゃないの。乙女の危機と、命の危機に生まれた直後から同時に対処しなきゃいけないなんて地獄以外の何物でもないじゃない)」
「オギャア、オギャ(あいつ、絶対会ったら、ぶん殴ってやる)」
そんな風に起こっていると、ふと私は過去を思い返した。
私は前世の記憶を持ったままこの世界に転生している。だからこそ赤ん坊なのに自我があるわけなのだが。
そして、転生をさせてくれたのは神様や謎のエネルギーとか非科学的なものではなく、私の夫の研究だった。
私、湊崎 詩帆は前世で脳外科医をやっていた。しかし、20代で脳腫瘍が見つかり、余命は最大で2年と言われた。最愛の人と結婚して、ようやく指導医なしでの手術が認められた。そんな時だった。
絶望のあまり半分、自暴自棄になりかけた私を救ってくれたのは夫の雅也だった。彼だって研究が忙しいだろうに毎日のように病院に来て、励まし続けてくれた。
世界中で天才物理学者と呼ばれ、研究バカだった彼が私のために時間を注いでくれた。それだけで、私はもう十分だった。
だけど余命宣告された時期が近づき、私が完全に諦めたある日、彼は私を大学へ連れ出した。
大学で話を聞いてバカだと思った。私のためだけに研究時間をつぶして、私を助けるために精神だけを転生させる方法を考えたというのだから。この世界での名誉など全て捨ててもいいと言ってくれた、天才だけど大バカな彼と一緒に私は転生することを決めた……
というような素晴らしい形で前世を終えたのに、なによこの状況は。これなら貧しい平民の方がまだましよ。
とは言っても、いつまでも起こっていても仕方がないか。この怒りはあいつに会うまでためておこう。……まずは、自己防衛のための護身術と、この世界の知識が必要ね。たしか雅也が魔法があるとか言ってたから、私が使えるのなら女性でも護身に使えそうね。
この家に書庫ってあるのかなあ。
これが私の記憶に残る最高の家柄に生まれたのに、最低の家庭環境から始まった湊崎 詩帆のユーフィリア・フォルト・フォン・グレーフィアとしての転生初日だ。
「なんだか、昔のことを考えれば考えるほど嫌になってきたわ。……もう、遅いしそろそろ寝ましょうか」
私はそのまま、明かりを消してベッドに入った。
「まあ、明日からは王立学院の宿舎に入るから、この家でのごたごたも最後ね。ひょっとして、だから呼び出されたのかしら」
王立学院は初等部5年、中等部5年、高等部が3年ある。平民の子供の多くは初等部を卒業したら大体が働きに出る。高等部まで進学するのは大半が貴族の子弟。
そして王立学院の中等部からは全ての生徒が学園の寮に住むことになる。
だから私はこの家からようやく出ることができる。
まあ、長期休暇の時などには周りの体裁を考えて一日は帰るけど。
「そんなときでも、魔法で何とかしましょうか。さてと、やっぱり十歳の体だからかしらね……だんだんと、眠くなって……瞼が、重、い……」
こうして私はこの世界の知識を必死で集めて、あの男から身を守るために必死で魔法を修練した10年間が終わることに安堵しつつ、学園で雅也と再会できることを期待して眠りにつくのでした。
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