第一話 天才学者の自殺の真相について
大学卒業から六年が経った。
なんだか時間の過ぎるのが早いなあ、なんて感じてしまうのは歳のせいだろうか。まあ、そんなに歳はとっていないか……
29歳となった俺は未だに大学に居座っていた。が、別に留年したわけじゃない。
「湊崎准教授、お茶いりますか」
「ああ、もらうよ」
俺、
「あの、湊崎先生。かなり寛いでいらっしゃいますけど……そろそろ講義の時間です」
「ああ、そういえばそうだな。さてと、行こうか」
俺は大学院生の義従弟であり、俺の助手でもある
「でも、
「あのね水輝君、学内では兄呼びしないでねって、何度も言ってるんだけど」
「准教授の注目するポイントってそこなんですか」
要するに、大学院時代にまあまあ大きな研究成果を上げたことが原因だ。あの日、理論を一部実証した時に学部中が目を疑ったぐらいの発見というぐらいのものを。
「さて、講義を始める」
講義室に入り、教壇についた俺は話し始める。二年もやっているとさすがに慣れて、何も考えずとも言葉が出るようになった。だから、頭では別のことを考えていた。今日も彼女のいる病院へ行くことについて。
大学の医学部を卒業した妻、旧姓
キーンコーンカーンコーン
「じゃあ、今日はここまで。しっかり次のところを予習してくるように」
チャイムが鳴って、俺はいつもの定型句を言って壇上から降りる。すると、学生が数人こちらへ向かってくる。ああ、あの顔は……無駄話をしたがっている顔だな。
「湊崎准教授、奥さんが女医って本当なんですか」
「ああ、ほんとだよ」
「ちくしょう、噂はほんとだったか。研究室に引きこもっている湊崎準教授には、美人女医の奥さんがいるって」
「引きこもりは余計だ。写真見せないぞ」
「すいませんでした」
そう言ってから、スマホに保存してある、写真を見せる。しかし、自分で言うのもなんだが詩帆は俺にはもったいないぐらいの、黒髪日本美女である。
「くっそー。悔しいけど、奥さんすさまじく美人じゃないですか」
「だろう」
「今、奥さん、どこで働いているんですか?」
その瞬間、俺の顔がゆがんだことが分かったのは、きっと水輝君だけだろう。
「この大学の大学病院だよ」
「よっしゃー。むっちゃ近いじゃないですか。早速、今日…」
「あっ、会いに行ったらギリギリだったお前の単位認定出さないけど、いい?」
「それって会いに行くなってことですか。脅かさないでくださいよ」
「会いに行かなけりゃいいだろ。言っとくけど行ったら本当に出さないからな。ほら、早く講義室を出ろ」
最後はやや強引に、男子学生達を追い出し、自分の研究室に戻ると水輝君が声をかけてきた。
「あの、湊崎准教授……」
「さっきの話なら気にしなくていいぞ。……今日はもう詩帆のとこ行くから。おつかれ」
「お疲れ様です……」
そう言ってから、俺は黙って研究室を出た。
近くの花屋に寄ってから、詩帆の病院へ向かった。とはいえ、彼女はそこで働いている訳ではない……
「詩帆、今日も来たよ」
「またこんなに早く来て……大学は大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。講義は終わらせてきたし、水輝君もいるし」
「それが一番不安なんだけど」
「あいつも従姉にそんなこと言われて不憫だな」
「長年の行いの結果よ」
ベッドに横になった詩帆と話していると、後ろから初老の先生がやって来た。
「洲川君、優しい旦那様で良かったね」
「藤川先生、そうは言っても毎日来ると、仕事が大丈夫か逆に不安ですよ」
「それでも、全然来ないよりいいだろう。さて、診察を始めましょうか。ああ、旦那さんは出てくださいね」
藤川先生はそう言って、詩帆のベッドのカーテンを広げるとそのまま中に入っていった。
そうして外に出された俺は、ふと一年半前のことを思い出していた。
一年半前、詩帆は仕事中にいきなり倒れた。最初は疲労だと思われていたが、念のために行われた精密検査で脳の奥深くに脳腫瘍が見つかった。そして詩帆の主治医になったのは彼女の指導医だった藤川先生だった。
「残念ながら、発見は早期でしたが、腫瘍の場所が深く手術では取り出せません」
「そのほかの治療法は」
「……大変言いにくいのですが腫瘍の拡大を防ぐための投薬治療以外はもう、手が……」
「そう、ですか………」
その後、根治の可能性のある治療法を探したが一つとして、詩帆のケースに合うものはなかった。そんなある日、沈痛な表情の藤川先生に呼び出された俺は全てを察して、自分から質問を投げかけた。
「先生、はっきり教えてください。このままだと詩帆の余命は、どれぐらいなんですか……」
「……短くて一年半、長くて二年といったところでしょうか」
「そのことを詩帆には」
「まだ言ってはいませんが、彼女なら薄々気が付いているでしょうね………あなたの口から伝えてあげてください」
その後、どのように話したのかも覚えていないが、二人だけの病室で俺から余命を聞かされた詩帆は意外に淡々としていた。
「……そう」
「ああ。それで、これからどうするんだ」
「もちろんギリギリまで治療を続けるわ。多少でも治る可能性があるなら、臨床試験レベルの危険な治療だって受けたっていい。だから」
「だから?」
「………最後まで治療費は出してよね」
「もちろんだよ。言われなくてもそうする。准教授の給料で出せる範囲でだけどな」
「分かってるよ、それぐらい。……ああ、もうそろそろ面会時間終わるから、ほら、帰って」
淡々としている割に、何となく詩帆の態度がおかしく感じた。だから俺は部屋を出された後、悪いとは思ったが聞き耳を立てた。
「なんで、こんな目に合うのよ。私が何か悪いことをしたの。せっかく。せっかく夢が叶ったのに……」
涙と怒声交じりの声が響いていた。
「せっかく、雅也と結婚して、医者になって、全部、全部これからだったのに………。私は、もっと生きたいのに」
俺は、そっと部屋を離れた。あれは本来、俺が聞いていい話じゃないから。だけど……
「だけど、俺はあの発言を聞かなくても詩帆のために動いたはずだよな。だったら……」
ブツブツつぶやきながら、大学に戻った俺はそれ以来、研究室にこもるようになった。
「もうそろそろ帰るわ」
「ああ、もう面会時間終わりか……じゃあね、雅也」
診察の後、詩帆としばらく話してから病院を出た俺は再び研究室に戻った。そして研究室内の自室に入ると、部屋の鍵をかけ、ある実験装置のシステムの最終調整に入った。
……一ヶ月後
2027年12月31日 大晦日の夜に俺は詩帆の外出許可を取り、大学へ連れて行った。ここ数日、体調がすぐれなかった詩帆を年末年始の一時退院がてら連れ出せたのは奇跡に近かった。
「なあ、詩帆」
「なに、雅也」
詩帆の車いすを押しながら、詩帆に問いかけた。
「もし、仮に外科的治療以外に脳腫瘍の根治の方法があるなら、臨床試験なんかよりずっと危険だとしてもやる?」
「私、最初に行ったよね。危険でも0.1パーセントでも根治の可能性があるならやるよ」
「うん、それは分かってた。じゃあ、次に俺と一緒に生きられるならそれが他の世界でもいい?」
「ご、ごめん、その質問の意味がよく分からないんだけど……」
「だよね、じゃあ説明するよ」
そう言って、俺は自身の研究室のドアを開ける。
「今日しかなかったんだよ。研究室から誰もいなくなる日は。だから今日、連れ出せてよかった」
「一体何の実験をする気なの。そんな大きな装置で」
俺たちの目の前には二メートル四方の金属体があった。
「これは、精神を構成している電気信号を固定して、他人の魂というか精神の内部にのり移る実験装置。まあ、要するに転生実験装置ってとこかな」
「その実験装置の話がなんで、私の脳腫瘍の話や異世界の話になるのよ」
「君の精神が健康な体に移れば、健康体になれる。ただ、この装置で固定した精神ってこの世界の電気信号の影響を強く受けちゃうんだよね」
「つまり、どういうこと?」
「世界の裏側、次元の狭間を通す。そうすれば影響を受けない、第二に、異世界にする必要がある理由はさっきも言った通り、精神が電磁波で乱れるから。だから科学の発展していない、魔法のある世界を設定する他なかった。まあ、魔法は俺の趣味だけど」
「ちょっと待って、なんで魔法がある世界だとか、そんなことが分かるの」
「俺の研究知ってるだろ。次元層の狭間の情報をひたすら解析したんだよ。大変だったぞ、量子データに置き換わってる情報データをあれだけ解読しなおすのは」
「それで?」
「危険性は非常に高いと思うし、まだこの世界で治療法が見つかるかもしれない。だから君の判断に任せる。だけどこれが俺の考えられる最大限の治療法だ」
「そう……」
しばらく間をあけてから詩帆は言った。
「あなたは家族や知り合いを放り出していっていいの」
「良い訳ないじゃないか。だから遺書は書いていく」
「バカ、それって放り出して良いって言ってるようなものじゃない。じゃあ大学准教授の椅子を蹴ってまで、私なんかのためにいいの」
「それこそ愚問だ。そうじゃなきゃ大学に隠れてこんな研究するかよ」
詩帆は諦めたようにため息をついて言った。
「ありがとう。だったら私はどこまでもついていく」
「失敗したら死ぬぞ」
「そんなこと覚悟の上よ。それにあなたも道づれでしょ」
「そうだな……さてと」
俺はリモコンと電極パットを手に取り、パットを自分と詩帆の頭に付けた。
「いまから、スーッと意識が遠のくから。ああ、そういえば一つ言い忘れてた」
「なによ、雰囲気ぶちこわすわね」
「君の生まれ変わる先は王都の伯爵家の長女だ。そして俺は必ず人間に生まれることだけは分かってる」
「それって」
「自分の分の座標データを探して、細かく設定する時間はなかった」
「じゃあ、会えるかどうかも分からないじゃない」
「大丈夫、どんな家に生まれても成り上がって、絶対に君に会いに行く。それに、生きていればきっと、いつか会える」
「………分かった。絶対に来てよ」
「もちろん」
胸ポケットから遺書と書かれた封筒を二つ出して、膝の上に置く。
一呼吸して俺は言った。
「じゃあな、また今度」
「もちろんよ。絶対来なさいよ、私のところへ」
「ああ。………じゃあ、行くぞ」
俺がボタンを押すと、だんだんと意識が遠のいていく。俺はギュッと詩帆の手を握った。
「絶対に会いに行くからな」
そうボソッと言ったのを最後に俺の意識は消えた。
こうして時の天才物理学者 湊崎 雅也は妻 詩帆との心中という形によって29歳という若さでこの世界での生涯を閉じた。
このことを知るものは、まだ誰もいない……
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