第3話(2/2)「秘密主義の佐藤ちゃん。」

 わたし、佐藤さとう彩香あやかは、木村きむら裕二ゆうじくんのことが——好きです。


 じゃなくて、木村裕二くんを『からかう』ことが好きです。


 彼はちょっとからかうだけで、いろんな表情を浮かべてくれる。絶妙なバランスを保って坂に立ち止まるボールのように、ちょっとつつくだけでどこまでも跳ねて転がっていく。


 わたしは彼のそんな一面がたまらなく愛おしい。


 正直に白状すると、この気持ちがいわゆる『恋心』であることは、理解しているし、把握している。

 ただのドSじゃないか? そうかもしれない。でも彼のことを好きになった明確なきっかけがある以上、彼のことをからかいたくなるのは、好きだからだと断言せざるを得ない。


 きっかけは……一言で言ってしまえば、木村くんだけはわたしのことを笑わなかったから。


 中学二年生のとき——ううん、いわゆる厨二ちゅうにだったとき、誰もがわたしのことを鼻で笑った。冷たい目で見ていた。だからわたしも笑い返した。砥いだ氷柱つららのような目で睨み殺した。


 そのうち誰も近寄らなくなった。


そのころ 魔術にのめり込んでいたわたしは黒フードに仮面を着けて、夜の公園で魔法陣を描く練習をしていた。この時点でドン引きなのはわかってるわ。


 そんなときに偶然公園で出会ったのが、木村くんだった。


 密かに同じ道を歩んでいた木村くんは、むしろ興味を持ってくれたの。それからしばしば夜の逢瀬を続けた。話を聞けば、学校は違うけど学年は同じようだった。

 ここで面白いのは、高校に入ったら同じ学校、同じクラスになり、向こうは魔術師わたしのことをわたしだと知らないこと。フードも仮面もあったから顔を知らないってわけ。


 きっと、こんな運命的な出会いは、もう一生やってこない。


 彼が文芸部に入部すると言うからわたしも追いかけて文芸部に入部した。


 いまわたしの目の前で熱心に本を読む彼は、わたしと一緒に過ごしていたという過去を知らないまま、わたしと一緒にいる。

 この時点で、もうドキドキが止まらない。相手の秘密を握っているという優位性があるだけで笑いが湧き上がってくる。


 緩んで火照る頬を隠すために、いつしか両手で頬杖をつくのが癖になってしまった。


「ねえねえ木村きむらくん」


 木村くんは本を読んでいるけれど、ここであえて声をかけて邪魔をするのがわたしのスタイル。


「…………」


 もちろんすぐに返事が返ってこないことはわかっている。読書中に声をかけられることは、意外と腹が立つものだ。真剣に読んでいるならば余計に。木村くんみたいに本が好きな人ならなおさら。


 でも木村くんはわたしがしつこいということを、約一年の時間をかけて骨身に染み付いている。だから絶対にわたしのことを無視はしない。相手をしたほうが波風が立たないということを学んでいる。


 黙って待っていれば、返事をしてくれる。


「……なんですか佐藤さん」


 ほーらね。


 木村くんはめんどくさそうに、嫌々ながらも反応してくれた。でも、心の底から嫌がっているわけではない。それは声の調子でわかる。


「二人っきりになっちゃったわね」


 わたしと、木村くん。それから備品である机に椅子に、本の詰まった本棚。それくらいしか置いていないちょっぴり寂しい部室を眺めて、わたしは呟いた。


「そうですね」


 木村くんも、同じように少し寂しいと思っているみたい。去年までは三年生がいてもっと騒がしかったから、余計にいまの静けさは際立つ。

 でも、それでいい。この状況を作るために久しぶりに本気を出しちゃったからね。一年生が入ってきたりしたらわたしの努力が水の泡になっちゃう。


 魔術に、情報操作。


 魔術に関してはお遊びみたいなものだけど、情報操作は割と本気で打ち込んだ。今年の一年生が文芸部に近寄らないようにするための情報操作をちょっと、ね。


「うちの学校って二人でも部活動は成立するのかしら? ほら、普通は最低五人からとかじゃない?」


「二人でも成立するから、こうして部活動できてるんですよ」


 もちろん知っている。文芸部が学校側に必要とされているから廃部になるようなことはないということ。律儀に答えてくれるあたり、木村くんの人の良さが表れている。


 嫌っているだろうに、嫌いになりきれないところとか、本当に愛おしい。


「わたしとしてはありがたいけれど、放置してていいのかしらね?」


「なんのことですか?」


 キョトンとした表情で疑問符を浮かべる木村くん。


 男女二人だけで部室にいるなんて、先生とか大人が放っておける状況ではないでしょう普通は。


 だから、


「ほら、わたし木村くんのこと好きだから」


 これくらいハッキリ言ってあげたほうが、鈍い木村くんでも一発でわかるでしょう。


「ぶっ!?」


 案の定、木村くんは大袈裟なくらいのリアクションを見せてくれた。


 慌てて読んでいた本で顔を隠しているけれど、真っ赤に染まった耳までは隠しきれていない。照れて慌てふためいている顔が見えないのはほんの少し残念だけれど、やっぱり可愛いなぁ。


 ちょっと追い討ちをかけてみる。


「好きな相手と部室で二人っきりって、なにか起こりそうじゃない?」


「起こりません!」


 即答が返ってきた。


 木村くんになにか起こす気が無かったとしても、こちらは大いに起こす気がある。もちろん問題になったりしたら大事おおごとだから、その辺りの線引きはきっちりした上で。


「いつもいつも、そういう冗談言って困らせる!」


 なかなか本を降ろしてくれなくて、わたしの好きな顔が見えない。長いことからかってきたから、随分と警戒されちゃっているみたい。


 もしかするとずっとこのままかもしれないので、なにか手を打たないと。


「あら心外。これでも結構勇気を振り絞ったのよ?」


 ちなみに、あっけらかんと言っているけれど、これは本音。自分を誤魔化すくらいしないと、告白の言葉なんてわたしの口からは出てこない。


 一年生を遠ざけて、二人きりになるように仕向けたのも、溜め込んできたこの言葉を吐き出すためでもある。


「嘘です!」


「嘘じゃないわ。酷い……女の子からのなけなしの勇気を足蹴あしげにするのね……!」


 喉を絞り、高くて細い声を出せば、泣きそうな声のできあがり。誰だって涙には弱いものだけれど木村くんはその中でも別格。


「い、いや! 決してそんなつもりは……!」


 慌てた木村くんは椅子を蹴り上げる勢いで立ち上がり、弁解しようとする。どこまでも真摯な彼の姿勢に、わたしはニンマリとした笑みを隠しきれなかった。


 ばっちり目が合って、ようやく木村くんの顔を見ることができた。今度からは本を読む隙すら与えないようにすれば、ずっと彼の顔を眺めることができるかもしれない。

 今後はその方向性で、少し計画を練ってみるとしよう。


 黙ってゆっくりと席に座り直す木村くん。ちゃっかり逃げようとしているみたいだけれど、もちろんわたしは逃がさない。


「それで、返事は聞かせてくれないのかしら?」


「って冗談じゃなかったんですか!?」


「一言だってそんなこと言ったかしら?」


 確かに嘘と冗談ばかりでわたしの言葉は固められている。しもの木村くんもわかってきているようだけれど、先ほどの告白の言葉ばかりは純度100%の本音である。残念でした。


 まだまだわたしのことを理解するにはほど遠いみたい。


「だいたい佐藤さんは本気かどうかわからないんですよ」


 それがわかったら負けだと思ってます☆


「だってこうでもしないと言えないもの。恥ずかしくて」


 わたしは恥ずかしさを隠すように苦笑いを浮かべた。


「…………」


 木村くんは無言になって百面相。色々な考えが脳裏を駆け巡っている様子。恐らく、なんと返事をすればいいのか悩んでいるのだと思う。


 どちらに転んだとしても、わたしとしては一向に構わない。オッケーを貰えたらそれはそれで素直に嬉しいし、仮にフラれてもこの関係性が継続されるだけで、断ったことを気にして必要以上にわたしのことを意識するのは木村くんだけ。


 オッケーなら前進。ノーなら継続。後退する結果にはなり得ない。


 実にわたしらしい完璧な作戦だ。


 それに、木村くんは断ることはしない。それはオッケーが貰えるという意味ではないけれど、彼の性格を分析するに、今すぐ答えをもらうことは難しいだろう。


 よく考えて。


 たくさん悩んで。


 じっくり頭を抱えて。


 その上で、わたしのことを選んでほしい。


 わたしのことが好きなのだと、気付いてほしい。


 いつになるのかわからないけれど、わたしは待ってる。ずっと待ってる。


 だからそれまでは、気持ちが率直に現れるあなたの表情で、わたしの素直な笑顔を引き出して。


 冷たく尖ったわたしの心を溶かしたあの頃のように、もっとわたしの心を温めて。


 緩んだ頬も、火照った体も、全てが心地よくて……こんな感覚を知ってしまったら、もう手放せない。


 あれこれ考えていろんな表情を見せてくれていた木村くんが唐突に我に返って、うっかり目が合ってしまった。わたしは今までで一番のニヤニヤを浮かべていたから、彼の恥ずかしさも一入ひとしおだろう。


「なに笑ってるんですか!?」

「可愛いと思って。顔真っ赤にしてあれこれ考えて、いろんな顔してるから」


 この顔を見るために生きていると言っても過言ではない。


「からかってますよね?!」


「あらバレた?」


 別の意味で顔を真っ赤にする彼の表情も捨てがたい。この顔を見るためにからかっていると言っても過言ではない。


「ほらやっぱり!」


「嫌いになっちゃったかしら?」


「そうやっておちょくって遊ぶところがね!」


 そっぽを向く彼も悪くない。この態度を見るために以下略。


「でも好きなのは本当よ」


「〜〜〜〜!!」


 不意打ちにめっぽう弱い木村くんにはクリティカルヒット。目をパチクリとさせて、口もパクパクして、本当に可愛い。我慢しきれなくて、どんどんわたしの笑みが濃くなっていくのがわかる。


 自分の中にうずまく感情を御しきれないのか、彼の頬もどんどん膨らんでいって面白い顔になっていく。


 そして読書に戻っていった。無理やりにでも仕切り直して、この空気を払拭したいと見た。


 もちろん、そんなことはさせないけれど。


「で、返事は?」


「……まだその話するんですか」


「だって終わってないもの。勝手に終わらせちゃダメよ」


 真意を隠して、ジッと木村くんの瞳を見つめる。


 わたしは確信している。木村くんはわたしの告白を断らない。ここで逃げるような選択も、できればしないでほしい。いますぐにでも、返事が貰えたらと願う。


 一年も、この瞬間を待っていた。この瞬間のために、打てる手は打ってきた。


「本気かどうかも分からないのに返事なんかできないです」


 なるほどそう来たのね。木村くんにしては頭が回る。でもそれでわたしのからかいを止められると思ったのなら甘いわね。


「じゃあ本気で告白したら返事してくれる?」


 わたしは緩む頰を引き締めて、頬杖をつく体勢からしゃんと背筋を伸ばし、両手を膝の上に乗せて真剣な眼差しで見つめる。心なしか心臓が高鳴っているのは、緊張などではなくて、高揚感。


 トドメの一撃だと確信があれば、誰だって高鳴ってしまうはず。


「僕が本気だと判断できない限りは——」


 軽く息を吸って、彼の強がりの言葉をねじ伏せる最強の一言を放り込む。




「好きよ」




 いつものおふざけが含まれた調子は完全に排除して、真剣に真剣を重ねた、これ以上ないくらい本気の態度で言い放つ。


 木村くんは衝撃でも受けたみたいにうつむいて、黙り込む。本気と判断してくれたからこその、逡巡しゅんじゅん


 たった三つの音だけで、これほどまでに木村くんのいい反応を引き出せるなんて、やっぱり今の今までこの言葉を封印してきた甲斐があった。


 でも……ダメ……………………崩壊する!


「ぼ、僕は別に佐藤さんのことは嫌いでは——」


「ぷすすー」


 わたしは込み上げてくる笑いを堪えることができず、吹き出してしまう。全く予想外の反応だったのか、ようやく出てきた言葉も喰ってしまって、木村くんはポカンとした顔で一時停止していた。


 そしてわたしは閃いた。


 スナップショットの練習もしておいたほうがいいかもしれない、と。木村くんだけを収めた特別なアルバムなんて作ったら、眺めているだけで1日潰せそう。


 本気でそう思うほど、わたしは木村くんにぞっこんみたい。


「……は?」


 やっと出てきた言葉も、声というより、もはや息のレベルで。

 よっぽど虚を突かれたようだった。


 それに、すぐさま断りを入れないということは——、


「まんざらでもないのね♪」


 彼の心の中で、わたしの存在は確固たるものとして存在していると確信する。それがなんなのか、良いものなのか悪いものなのか、本人はまだ気が付いていないみたいだけれど——揺れている。


 グラグラと揺れて、心の壁に亀裂が入っていくのをわたしは感じる。


「もうホント嫌い!」


 揺れている自分に動揺しているのか、戸惑っているのか。木村くんは駄々をこねる子供のように言って、また悶々とし始めた。


 さすがに潮時……かな。


 それに気が変わった。今すぐに返事を欲しい気持ちは変わらないけれど……。


 わたしはいつものように両手で頬杖をついて、傍観モードに移行。


「返事はまた今度でいいわ。このままだとなんだか無理やり言わせちゃってるみたいだから、わたし待つことにする。木村くんの口から言ってくれるのを」


 聞こえなかったのか、返事はなかった。


 顔を隠すように……というよりは、わたしと目を合わせないようにするために、わざとらしく本を構えて、読書に戻っていく。


 本で視界を遮るときは、決まって深く考え事をしているとき。


 その証拠に——、


「木村くん」


「……な、なんですか」


「本、逆さまよ?」


「えっ」


 木村くんは跳ねるように顔を上げて、自分の手元に目を落とす。わたしに指摘されてようやく気が付いて、またしても顔が熟れたトマトのようになっていく。


「〜〜〜〜!! 今日はもう帰ります!」


 本を乱暴に閉じて、引き寄せた鞄に突っ込み、脱兎のごとく部室を出て行こうとする。


 彼に置いて行かれないように、わたしも急いで帰り支度をした。


「あぁちょっと待って! 一緒に帰りましょうよ♪」


 可能な限り、ギリギリまで、一緒にいたい。真っ赤に染まる夕暮れの中で同じ景色を見て、同じ方向に歩んでいきたい。


 常にからかってくるわたしのことを邪険に思いながらも、わたしに歩調を合わせてくれる彼の隣に寄り添いたい。


「もう勝手にしてください!」


 部室を先に出て行く木村くん。わたしと違って彼は運動音痴ではないので、そのまま早歩きなり走るなりでわたしを置いて先に行くこともできた。


 でも彼に続いて廊下に出ると、まだ追いつく所を歩いていた。ゆっくりと。


 帰り道は、1日の終わりにわかりやすく近付いていて少し寂しいけれど、でも、楽しさもある。


 小走りして彼の横に並ぶと、疲れてしまったのか暗い顔をしていた。窓から差し込む西日が影を作ってそう見えるだけかもしれない。


「はぁ……」


 少し上の位置からこぼれ落ちてきたのは、木村くんのため息。


「ため息つくと幸せが逃げちゃうわよ?」


 その分わたしが幸せにしてあげるけれど。


 意外と身長のある彼のことを見上げながら、囁いた。


「誰のせいですか、誰の!」


「少なくともわたしではないわね」


「少なくなくても佐藤さんのせいですから!」


 失敬な。わたしほど木村くんのことを想っている女の子なんていないのに。


 わたしは付かず離れずの距離を保って、彼の隣を歩く。


 からかいの言葉で胸の高鳴りを誤魔化し、夕暮れの赤に紅潮を隠しながら。

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箱庭ロマンチック 無限ユウキ @tomarigi-fukurou-

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