第2話(1/2)「ほっとけない植木くんと、」
オレの隣の席の女子、
どれくらいかと言うと、よく教科書を忘れる。体操服を忘れる。そもそもカバン自体を家に忘れたこともある。中学の制服で登校してきたこともあったか。
加減を知らないのかシャー芯はポキポキ折るし、同じように消しゴムもどんどん半分になっていく。机の脚にしょっちゅう足をぶつけるし、転ぶし、その拍子に頭で窓を割ったこともある。
失敗ばかりで、痛い思いもして、辛いだろうにいつもニコニコ笑ってる。
そんな女子だ。まるで不幸の星の下に生まれ落ちたような感じで、はっきり言っていい迷惑だった。
けど、ほっとけない――いや、ほっとかさせてくれないのは、席が隣だからに他ならない。
小川がなにかをやらかすと必ずと言っていいほど被害がこちらにまで及ぶ。
それを最小限にとどめるには、誰かが『巻き込まれる』という役目を負わなくてはいけない。それは主に小川の周りの席に座っている人物で、不運にも隣の席はオレだから、非常に面倒なことになっている。
席替えのタイミングが待ち遠しい今日この頃だ。
「おっはよ~!」
オレの学園生活を脅かす諸悪の根源が登校してきた。教室に大きな声で挨拶をしながら入ってくる。いつも機嫌が良さそうだが、今日はいつにも増して上機嫌。
よくない兆候だな。
さて、孤独な戦いの始まりだ。
ちなみにオレの席は中央最前列。小川は教室の後ろの扉から入ってきたから、背後からの接近となる。
——ガコンッ!
「あっ」
って早速か?!
机の脚を蹴っ飛ばしたような音に反射的に反応して席を立ち、振り返ると、目の前では小川が宙を舞っていた。
それだけならいつものことだからまだいい。そう、これくらいはいつものことなんだ。
だが今回は頭をこちらに向け、ドリルのようにスクリュー回転して突っ込んできていた。
なにをどうすれば机に脚を引っ掛けただけでそうなるんだ?!
なんてことを考える暇もなく、サッカー部キーパーとしての癖なのか、悲しくも無意識に受け止める選択をしていた。決して避けたら教壇の角にぶつかって怪我をするんじゃないかとか、そんなことは考えてない。
本当にサッカーボールのように頭をガッシリ掴んでしまうと、体の回転で首が大変なことになってしまうので、自慢の動体視力を発揮して両肩を掴んだ。
「ほがぁっ?!」
「うぶっ?!」
なんとか受け止めて回転を止めることには成功したが、サッカーボールと違って何十キロもある人間の体当たりまで止めることはできず、腹筋に強烈な頭突きを喰らった。
しかし腕の力だけでは無理なだけで、体全体を使えば止めることはできる。それに相手は華奢な女子だ、やってやれないことはない。
「…………ふぅ」
安心のため息がつい漏れた。
なんとか受け止めて、お互いに少し痛い思いをしたが、怪我などはせずに済んだ。
「おい小川! 昨日も同じ失敗しただろ! なんで学べないんだ?!」
頭をさすっている小川のつむじに向かってオレは怒鳴った。
そう、実は昨日も同じようなことがあったのだ。
昨日は反応できなくて後頭部に強烈な頭突きを喰らって意識を失いかけたが、そんな経験もあって今日は無事にやり過ごせた。
「えっへへ、ありがと~
「………………どういたしまして」
本当は謝罪の言葉とか、せめて言い訳のひとつでも聞きたかったんだが、毒気の抜かれる笑顔で言われてはとても要求などできなくて、投げやりに返すしかできなかった。
「ってなんだこりゃ?!」
腕の中に収まる小川を見下ろして気づく。
「おい、なんでこんな汚れてるんだ?」
頭突きとは無関係に髪の毛はボサボサで、ギザギザの葉っぱが何枚も絡まっている。制服は埃まみれでところどころグレーになって、スカートなんかぐっしょりと濡れている。
何故に濡れているのかが一番気になったが、とりあえず葉っぱは取り除いてやることにした。
登校中になにか不幸なことでも重なったのだろうという予想はつくが、それ以上は知りようがない。
あまり知りたくないというのが本音だが……。
「色々あったんだよ~! 知りたい? 知りたい~?」
「……いや、やっぱいい。気が変わった」
小川が目を爛々と輝かせているときは不幸を吸い寄せるブラックホールと言っても過言ではない。
聞いたら頭が痛くなりそうだ。
オレが断りをいれると、「大冒険だったんだけどな~」と語りたそうに唇を尖らせていた。
登校時間のわずかな間にアドベンチャーを繰り広げるんじゃない。
「いいからさっさとジャージにでも着替えろ」
この学校の先生なら小川ひとりだけ体操服でもそれとなく察するだろう。それくらいに小川がボロボロなのは日常茶飯事なのだ。うちのクラスの連中も慣れたもので、「またか」とでも言いたげな表情で傍観を決め込んでいる。
足を引っ掛けてズレた机がいつの間にか直っているくらいには、小川の疫病神っぷりに耐性がついてきているのかもしれない。
触らぬ神に祟りなしってやつで、関わらないようにするその姿勢は正しい。合ってる。間違いない。
だからって、そんなあからさまに距離を取らないで欲しいんだが。
「……なんだ小川、その顔は」
髪に絡まっている葉っぱを取りきってやると、モジモジと何やら言いづらそうにしている。
オレはこの顔を見て、クラスの連中が距離を取っている理由を悟った。
「ジャージ、貸して~?」
「断る」
「なんで~?!」
「なんでじゃない!」
両手を合わせてお願いしてくる小川に即答。クラスの連中はこれのターゲットにされないように距離を取っていたわけだ。
……やれやれ、軽く説教せねばなるまい。
「あのな、オレ男子。お前女子。オーケー?」
「のー」
「わかれよ!!」
真面目くさった顔で「のー」とか言うな。
男子のジャージは紺色。女子のジャージは赤色とハッキリ分かれているし、胸のところにデカデカと名前が書いてある。一目で借りたものとバレる――っていうか、
「まさかお前、またジャージ忘れたのか?」
「てへぺろ」
「忘 れ た ん だ な ?」
「て、てへぺフュ!?」
少し凄んだ風に問い詰めると、また「てへぺろ」とか言いそうだったので軽くチョップをかましてやった。もちろんしっかりと手加減して。
「いった~い! ふつう女の子ぶつ~?!」
頭のてっぺんを両手で抑えて、上目遣いに訴えてくる。小川に限って、オレにその手は通用しない。
「ぶつわけないだろ、普通はな。お前は普通じゃないからぶったんだ」
「なにそれ~! ワタシが人間じゃないって言いたいの~?!」
「ある意味な」
とても人間とは思えない不幸体質と頑丈さは驚愕に値する。それからどんな目に遭ってもめげない忍耐力というか精神力というか、そういったメンタル面では評価できない点がないわけでもない。
周りに迷惑をかけず、自己完結してくれればよかったんだが……。
気に触ることを言われてムッと頬を膨らませているが、とにかく小川をこのままの格好にしておくわけにはいかないだろう。
オレは周りを見渡しながら声をかけた。
「誰か女子、ジャージを小川に貸してやってくれないか」
幸い今日は体育はない。ジャージを使う授業はないから貸しても問題はないはずだ。
しかし、名乗りを上げてくれる女子は現れなかった。触らぬ神に祟りなしとは言ったが、ジャージを貸したくらいで不幸は移ったりしないと思うんだが、随分と警戒されてるな。
しばし沈黙の時間が舞い降りて。
そんな中、恐る恐る上がる手がひとつ。
「あー……俺のジャージで良ければ貸すけど」
「いや阿部、気持ちはありがたいが男子はNGだ。それより阿部は日直だろう。伊藤がさっき教室を出て行ったぞ。職員室じゃないか?」
「いや、でも——」
「いいから、行ってこい」
「……悪い!」
阿部は慌てた様子で伊藤を追いかけ、教室を出て行った。今日の日直は阿部と伊藤で、職員室に日誌を受け取りに行くのが朝の最初の仕事だ。日直の二人で受け取りに行くのがルールなのに、先に行ってしまうとは。
伊藤は何を考えているのかわからない女子だからな……オレの苦手なタイプだ。
阿部が出て行って、再び教室には沈黙が舞い降りる。
これじゃ拉致があかないと判断したオレは、嫌われ役を買って出るつもりで、名指しすることにした。
「なあ
「えぇっ!?」
名指しで呼ばれるとは思っていなかったのか、えらい驚きようだった。
「えと、その……昨日持ち帰っちゃって。洗濯したかったから。今日体育ないし、持ってきてない……。ほ、他の女子もみんなそうだと思うよ」
あちこちから肯定の頷きやら吐息やらが聞こえてくる。
参ったな。内気な金田なら貸してくれると思ったんだが、むしろ逆効果になってしまうとは。
「……?」
制服の袖が引っ張られる感覚。見てみると袖を摘む細い指があり、腕を伝って視線を上げて行くと、小川がにっこりと笑っていた。
「いいよ植木。そこまでしてくれなくても」
余計なお節介だとでも言いたいのだろうか。
「けどな――」
「いいから。こうなるってわかっててジャージ忘れたのはワタシだし。大丈夫だよ」
こんなときでも、笑ってそんなことを言う小川。
小川の細い指は、傷だらけだった。古い傷も、新しい傷も、絆創膏に隠れている傷も。きっとそれだけじゃない。見えないだけで他にもたくさんの傷があるはず。
全部全部、「大丈夫」という言葉で誤魔化してきた我慢の証だ。辛かったはずだ。大変だったはずだ。
こんなときくらい、報われたっていいだろう。
ちょっとくらい、救われたっていいだろう。
少しくらい、助けたっていいだろう。
「……ありがとう植木。嬉しい。すっごく」
オレにだけ聞こえるような小さな声で小川がつぶやいた。
なにもしてやれなかったのに感謝なんてするな。誰も手を差し伸べてくれなかったのに喜ぶな。
「植木ってMだよね~」
「……ハァ?」
唐突に変なことを言うものだから、こんな声も出せたのかって驚くくらい、自分でも聞いたことのない音が喉から飛び出した。
……オレが、なんだって?
「だってそうじゃん~? ワタシのこと相手してくれるのもそうだけど、ほら、キーパーだし」
「全国のキーパーに失礼だろ」
元々は
「……それにかばってくれたし~」
「あ? なんだって?」
「ん~ん、な~んでもない!」
いつもの満面な笑みをたたえて、小川はオレの席の隣、自分の席に腰を下ろした。
聞こえないフリをしたが、「かばった」とは、嫌われ役を買って出たことを言っているのだろう。けど、そんなことはどうってことない。
小川の日々の苦労と比べたら、卓上サッカーゲームと本物のサッカーグラウンドくらいの差がある。
小川が席に座ったことで決着がついたと判断されたのか、教室にはいつもの活気がゆっくりと戻り始めた。
まだ話は終わってない――のだが、これ以上続けようとすると修復不可能なほど亀裂が深くなりかねない。もっと時間をかけてじっくりと解決すべき問題だった、か。
「う~……ん~……」
席に座った小川だが、不審な動きをしている。
「どうした小川? クネクネして。キモいぞ」
「キモいゆ~なし! パンツまで濡れてるからなんか変な感じするの」
「パンツ言うなし!」
そうだった……なぜか知らんがスカートはぐっしょりと濡れていた。スカートだけ濡れてパンツは濡れないとか、そういう次元の濡れかたではない。まるで腰まで水に浸かったかのような濡れかただった。
どうすればそんな状況になるんだ……?
「ね~ね~気になる? 気になっちゃう~?」
小川がドヤ顔でこちらを見ていた。オレの思案顔を見られてしまったらしい。
「別に」
「しょ~がないな~、それでは聞かせてしんぜよう!」
「いや聞いてないから!」
と突っぱねると、机をパシパシと叩いて子供のように駄々をこね始めた。
「ね~聞いてよ~! 聞くも苦労、語るも苦痛な冒険譚を!」
「封印してしまえそんなもの!」
百害あって一利なしなんだが?!
「きっと後世に語り継がれるからさ~!」
「間違いなく負の遺産としてな!!」
「なんでそんなことばっか言うのさ~!」
パシパシ叩くのが机からオレの肩へと変わり、音もバシバシと鋭いものへ変わっていく。やっぱり力加減を知らないのか、同じ場所を攻め続けるからだんだん痛くなってくる。
そんな感じで教室の騒がしさもいつの間にかもと通りになると、阿部と伊藤が日誌を持って職員室から戻ってきた。
阿部が「もしかして、もう落ち着いた?」とこっそり聞いてきたので、不本意ながらも肯定しておいた。阿部は空気の読めるいい男だ。そして伊藤はしれっと席に座って読書を始めていた。我関せず、といったところか。
「ほーい着席ー。
担任の先生が若干気だるげに教室に入ってくると、ぞろぞろとクラスメイト達は自分の席へ座っていく。
静かになるのを待ちつつ、生徒の確認をしているのか視線を巡らせる先生は、とある一点を見て動きを止めた。
そう、オレの隣に座っている小川だ。
さてどうしたものかと、反応に困っている先生は出席簿の角で肩を軽く叩きながら、改めて教室を見渡す。オレは最前列なので気配で察する他ないが、恐らく誰もが目をそらしているに違いない。
「HRを始める前に、あー………………植木」
「はい」
「頼めるか?」
「……はい」
オレと先生の間では、それだけでやり取りが成立した。つまり、小川にジャージを貸してやってくれ、と。これが初めてではないので容易だった。
「小川はそれでいいか?」
念のため先生が確認すると、
「はい!(よくわかんないけど)」
おい今なんか小声で言ったぞ。
そんなことよりも、早くしないとHRが始まらない。
「小川」
「な~に?」
「オレのジャージ貸すから、着替えてこい」
「いいの~!?」
「いいから早く」
「やった~!」
喜ぶな。
「ちゃんと洗ってから返すね!」
「そうしてくれ……」
綺麗な状態で返ってくればいいけどな。
朝から始まった小川を中心とした騒動は、まだまだこれからが本番だ。
やれやれ……先が思いやられるな。
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