聖夜のちいさなできごと2

@tori

聖夜のちいさなできごと2


 1

 ショッピングモールはフロア全体が赤と白でラッピングされたショーケースのように華やいでいた。軽快なジングルベルのメロディが買い物客の足取りを速める。まるでコマ落としのフィルムを見ているようだ。

 太郎は妹のみつ子を連れて、予約していたクリスマスケーを受け取りにきた。

 片手にケーキの紙袋を持ち、もう一方で人波に流されないようみつ子の手をしっかりと握っていた。

 ひとりで大丈夫、母にはそう言ったが、太郎は少々不安になってきた。母が夜の勤めに出る前にケーキを持ち帰らなければならないのに、みつ子は軌道の定まらない衛星みたいにあちらこちらのショーウィンドウに引き寄せられる。それで思いのほか時間がかかってしまった。


 噴水のある広場に降りると、ひときわ大きなクリスマスツリーが目についた。足を止めた人たちが惚けたようにそれを見上げている。

 ツリーを彩るイルミネーションは宝石をまぶしたようにきらきらして、見ているだけで光の波に酔ってしまいそうだ。

 二人はしばらくそのクリスマスツリーに見入ってしまった。


「なんでうちにはサンタさん来ないんやろ」

 枝にぶら下がったサンタクロースの人形を見つめながらみつ子がため息をついた。

「サンタも一晩で回れる家は限りがあるやろ。うちに来る前に朝が来てしまうんや」

 愚痴を垂れる妹に太郎はそっけなく答えた。


 妹より三つ年上の太郎はサンタクロースの秘密を知っている。母子家庭の彼らの家にはサンタ役の父親がいない。いくら待ったところでサンタが来ることはない。しかし、残酷な真実を妹に話すことを太郎は躊躇った。


「そんなん不公平やん! 美鈴ちゃんの家は毎年来るんやで」

 みつ子は納得がいかないというように兄をにらみつけた。

「美鈴ちゃんの家は大きいから、サンタさんも見つけやすいんやろ。去年、どこを回ったかなんていちいち覚えとらんって」

「そんなアホな! もう腹がたったわ。サンタに文句言いに行ったる」

「サンタがどこ住んでるのか知っとるんかいな」

「知っとる!」

 みつ子はクルリと踵を返すと、スタスタと歩きだした。地下鉄の駅とは反対の方向だ。人の間を縫うようにみつ子はエスカレーターを駆け上がっていく。

 小さな妹の姿が人混みにのみ込まれるのを見て、太郎はあわててあとを追った。


 みつ子はそのままショッピングモールを抜けだした。

「早よ帰らんとおかあちゃんと一緒にケーキ食べられへんで」

 横断歩道の赤信号でようやく妹を捕まえて太郎は言った。

「かまへんもん!」

 みつ子は強情に言い張った。

 横断歩道を渡った向こう側は寂れた商店街だ。川の水が涸れたようにそこから先は人の流れがプツリと途絶えていた。通りの半分はシャッターが降り、クリスマスなど縁のなさそうな買い物客がチラホラと歩いてるだけだ。アーケードの貧相な照明がタイル張りの歩道を冷たく照らしていた。


 みつ子は酒屋の角を折れると、横丁に入った。いったいどうしてこんなところにサンタがいるとみつ子は思ったのか、訝しみながらも太郎は妹のあとに続いた。 

 狭い路地の両側には丸く抜いた窓に赤い格子のはまった家が軒を連ねていた。ランプの灯りが切り子のガラスを透かして路上に艶やかな影を投げかけている。

 人の気配はまるでない。太郎は見たことのない景色に足をすくませた。

 みつ子は路地の行き止まりでようやく立ち止まった。小さな社がそこにはあった。石の鳥居の下、猫の額ほどの玉砂利の上にホームレスがひとりダンボールを広げて横たわっている。

 大きな男だ。

 煮染めたような小豆色のジャンパーにほつれた毛糸の帽子を目深にかぶっていた。帽子と同じくらいくたびれたねずみ色のひげが顔の半分を覆っている。酔っ払っているのか甘くすえた臭いが鼻をついた。


 寝返りを打った男は焦点の定まらない目をみつ子に向けた。

「あっちいけ」

 男は手の甲で追い払った。

 太郎はみつ子のランドセルを引っ張った。

 しかし、みつ子はものすごい力で踏ん張り動こうとしない。

「あかん、みつ子。頼むから帰ろ」

 太郎は泣きそうな声で言った。

 しかし、妹は怯まず一歩前に進み出た。

「おっちゃん、サンタやろ。うち知ってるねん」

 

 焦点の定まらなかった男の瞳がみつ子をしっかり見据えた。太郎の背中を冷たいものが伝う。

「サンタやない。そやからあっちいき」

 男はくぐもった声で言った。

「ウソや! うち駅前でおっちゃんのこと見たもん」

 どういうわけか妹はホームレスをサンタと勘違いしているらしい。

 男の瞳が一瞬やわらかい光を帯びた。

「ああ、それは看板持ちの仕事やがな」

 男は苦笑いを浮かべた。

「あのな、うち生まれてからいっぺんもサンタからプレゼントもうたことないねん。そやから今年はうちのこと忘れんといてな」

「まいったなぁ」

 ホームレスはボリボリと頬を搔いた。

「それで、おねぇちゃんは何が欲しいねん」


 みつ子は身を屈めると、ホームレスのおっちゃんの耳許に願いごとをささやいた。

「ほうほう、なるほどなぁ」

 おっちゃんは肯き、そして夜空に目を向けた。天体望遠鏡の角度を合わせるように頭をグルリと巡らせている。太郎に見えたのは黒いビロードを広げたような空に横たわるぶあつい銀色の雲だけだった。

 

「ひょっとしたらおねえゃんの願い、叶うかも知へんで」

 おっちゃんはひげ面を緩めて言った。

「ほんまやで! 約束やで!」

 みつ子はその場で両手を高く上げダンスを踊るようにクルクルと回り始めた。


 得心した妹の手を引き酒屋の角まで戻ると、太郎は財布から硬貨を取りだし、自販機でワンカップの酒を買った。妹にここで待つように言うと、社まで駆けていった。 

 もうそこにはおっちゃんもダンボールも消え失せていた。

 太郎はワンカップを祠に供えた。

 湿った冬の風が鼻先を撫でる。

 太郎は闇に捕まらないようにふたたび駆けだした。

 


2

 家に帰ると、母は鏡台の前で出勤の身支度を整えていた。

「遅かったなあ。心配したわ」

 口紅のノリを確かめるように母は鏡に向かって唇を突き出しながら言った。

「混んでたんや」

「今日はイブやもんな。しょうがない、おかあちゃんの分は置いといてな」

 母はのんきな声で言った。


 太郎はケーキをダイニングテーブルの上に置くと、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。コップに注いでみつ子に手渡し、残りを別のコップに入れて母のところに持って行った。

 母は口紅にコップをつけないようにそれを一口飲むと、「ひゃあ、歯にしみるわ」と、大げさに身を縮めた。


「そろそろ行く時間やな」

 立ち上がると、フワリとした白いコートを羽織り、モデルさんみたいにくるっと回転してみせた。

「どうや?」

 母は太郎に小首を傾げてみせた。

 化粧品の香りがフンワリと降ってきて、その匂いはなぜか太郎をせつなくさせた。このまま母がずっと帰って来ないのではないか、そんな不安で目を伏せた。

「クリスマスイブイブやのに一緒に過ごせんでごめんな。お金が貯まったら昼の仕事に移るさかい。それまでの辛抱やで」

 母は太郎の頭を子犬のように撫でた。

 それからみつ子のピンクに染まった頬を両手ではさむと、「今度の休みにクリスマスプレゼント買いにいこな」と言った。

「もうクリスマス過ぎ取るやん」

 みつ子はプイッと横を向いた。

「そんないけず言わんのよ」

 母はもう一度、子供たちを抱きしめると家をでた。


 家の中が火が消えたように寒くなった。太郎はキッチンの電気ストーブをつけた。

 テーブルにはリボンのかかったケーキの箱と、母が用意してくれたハンバーグがラップされていた。

 みつ子はさっきのことを忘れたようにちょこんと座ってテレビを観ている。

「ごはん食べるか?」

「いらん」

「ケーキは?」

「いらん」

 みつ子はテレビの方に顔を向けたまま言った。

「なあ、さっきおっちゃんに何をお願いしたん?」

「教えへん」

「けちやなぁ、なんで教えてくれへんの?」

「もうええねん、サンタさん約束守れんかったし」

 みつ子はそのまま黙りこくってしまった。


 太郎は母と祝ったクリスマスイブのことを思い出した。それは母が夜の勤めに出る前のことだ。今よりずっと小さなアパートで、部屋を暗くし、ちゃぶ台の上に飾ったケーキのろうそくを吹き消した。

「誕生日みたいやなぁ」と、母は朗らかに笑った。

 みつ子はまだ赤ん坊で母の傍らでスヤスヤと眠っていた。

 父が残した借金を返すため母は夜の仕事を始めた。クリスマスイブはたくさんお客が来るから、休むわけにいかない。

 その年から、太郎とみつ子は二人きりでイブを過ごすことになった。

――クリスマスなんか来なければいいのに……

 太郎はお風呂の用意をした。浴室の小さな窓の向こうに白いものがちらつくのが見えた。

 

 時計が八時をうったとき、玄関のドアがガチャリと鳴った。

「サンタや!」

「おっちゃんや!」

 二人は同時に叫んだ。

「良かった。まだ起きてたんやな」

 そこにはすっかり雪まみれになった母が立っていた。

 「サンタさん、約束守ってくれたんや!」

 みつ子は母の腰に飛びついた。

「なんやのそれ?」

「うちな、クリスマスイブにおかあちゃんをお願いしてん!」

「そうやったんか」

 母はみつ子を抱き上げると、頬ずりをした。

「冷たいわ!」

 みつ子はキャッキャッとはしゃいだ。


「なんでかえってきたん?」

「ものすごい大雪で、お店早じまいになってん」

 不思議そうに訊ねる息子に母は微笑んだ。


 




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