X; The Wheel of Fortune
<逆位置: 誤算 不運 望まない変化>
六月二十九日の木曜日に学校を欠席していた百瀬琢磨が自宅で死んで、これで三週連続で木曜日に誰かが死んだことになるから、もうほとんど誰も一連の突然死を偶然だなんて思ってなくて、木曜日には誰かが死ぬというのは当然の前提みたいになってしまっている。木曜日に誰かが死ぬのはもう決まっていることで、そのうえで、どういう誰が次に死ぬのか。犠牲者はどういう法則や規則性で選ばれているのかを気にしている。
百瀬琢磨が死んだことを受けて、これまでの仮説が再検証される。
百瀬琢磨は佐々木葉子とも園田友加里とも別に親しかったわけじゃないから、死んで寂しい佐々木葉子の霊が友達を冥土に道連れにしているのだという友引説はちょっと下火になる。佐々木葉子と親しかろうと、親しくなかろうと、そんなことには関係なく木曜日に誰かが死ぬ。
さらに、佐々木葉子と園田友加里がたてつづけに死んだことで、なんとなく女子のほうが危ないんじゃないかって雰囲気があったのだけれど、三人目が男子の百瀬琢磨だったことで、男子でも安心はできないってことになる。男女関係なく死ぬ。
ついでに、佐々木葉子と園田友加里は学校で授業中に死んでいたので、学校が危ないんじゃないかと考えて欠席している子もけっこういたけれど、百瀬琢磨は学校を欠席していたのに自宅で死んでいたので、場所は関係ないっぽいってことになる。出席していようが欠席していようが関係なく死ぬ。
死んだ三人全員に共通している唯一の事柄は、同じ学校に通う中学二年生だということだけだ。今のところ、他の学年や他の学校でも同じようなことが起きているという話は聞かない。
「これまでの傾向から類推するなら、うちの学校の二年生なら誰しもが次のターゲットになり得るってことだね」と、リヒトがまとめるけれど、わたしはそれもなにかが違うんじゃないかっていう気がしてる。うまく言葉にできないけれど、そもそも三人の死を結び付けて考えることじたいが間違えているんじゃないだろうか。
けれど、人間はやっぱり考えてしまうもので、三週続けて木曜日に誰かが死ぬと、その符合を無視することなんてできない。これはたぶん、人間の長所というよりもむしろ欠陥で、分からないことを分からないと放置することができずに分からない部分を想像で補おうとしてしまうのだ。けれど、想像なんてやっぱりただの想像に過ぎなくて、それが正鵠を射ることなんかはそうそうはなく、みんなして的外れな想像のうえに的外れな想像を重ねて、どんどん変な方向に飛んでいってしまっているような感じがする。良くない傾向だと思う。
悪いように考えることが、悪いことを実際に呼び込んでしまっている気がする。
迷信でもなんでも、それを多くの人が信じていて、そのように行動するのであれば、現実に作用する力を持ってしまう。
たぶんだけれど、佐々木葉子が死んで、園田友加里が死んで、百瀬琢磨も死んでしまって、でもそれはそれだけのことなのだ。佐々木葉子が死んだことは佐々木葉子が死んだだけのことだし、園田友加里の死も園田友加里のもので、百瀬琢磨の死だって個別の百瀬琢磨だけのものなのだ。その、それぞれにとって絶対的でユニークな個別の死を、三つの連なる死だと仮定して、繋いだり補ったりしてアレコレ言っていることじたいが、まるで人の死を面白がっているみたいで、死者に対する敬意に欠けるように思えて、なんだか嫌だ。
わたしがそう言うと「百瀬の件は前のふたつとは別の現象っていう気が、俺もするけどな」と、キミヤが同意するみたいな調子で返事をするけれど、たぶん、わたしがいま感じている違和感はそういうことでもない。けれどやっぱり、わたしは自分の感じている違和感をうまく言語化することができなくて、つい黙り込んでしまう。
「百瀬はきっと次は自分が死ぬって思い込んでたところがあるだろ? そう思い込んでたせいで、実際に死んでしまったんじゃないかって、俺は思ってるんだけど」
「そういう現象は実際にあり得る」と、リヒトが言う。「ノセボ効果っていうんだ。プラセボ効果の逆。実際には効果のない偽薬でも、副作用があるという説明を受けるだけで、実際に副作用みたいな症状が出てしまう。一般に呪いって言われているものの正体も、実はこれなんじゃないかって」
誰かが自分に呪いをかけている。その情報が心理的負担となって、実際に呪いの症状が出てしまう。呪いというのはそういうメカニズムなんじゃないかという話で、そういう意味では百瀬琢磨はたしかに、佐々木葉子の呪いで死んでしまったのかもしれない。佐々木葉子にはそんなつもりなどまったくなかったのに、ただ最初に死んだだけで連続不審死の呪いを押し着せられているのだとしたら、冤罪もいいところなんじゃないだろうか。死者にだって、尊厳はあるはずだ。それは守られなければならない。佐々木葉子の尊厳を貶めるのは良くないことだとは思うけれども、じゃあそのためには誰がどうするべきなのか、みたいなことはわたしには全然分からない。
「もしも、木曜日に誰かが死ぬっていう思い込みのせいで実際に人が死んでしまうのだとしたら、そのことを信じ込んでしまっている今の状況は、すごく良くない感じがする」と、わたしは言う。リオンが「でも、みんなのその不安をいっぺんに払拭するのは難しいよね。実際に、三週続けて人が死んでしまっているのだもの」と答える。
いま、わたしたち全員をゆっくりと飲み込んでいる悪い流れは、とてもゆっくりとしているのに、あまりにも巨大で、人ひとりがどれだけ頑張って抵抗してみたところで押し返すことはできない。よくない傾向だと分かっていながら、ただすべてが流されていくのを見ていることしかできない。
「まあでも、木曜日に誰かが死ぬっていうジンクスは、木曜日になっても誰も死ななければ覆せるだろ? 放っておけば、来週の木曜日が過ぎても誰も死ななくて、やっぱりそんなのはただの思い込みに過ぎなかったってことになるさ」と、キミヤが楽観的なことを言う。
わたしもそうだったらいいなと思う。
普通に考えれば、そうなるはずだって思う。
でも、もし万が一、また来週の木曜日にも誰かが死んでしまったら?
「もし仮にそうなったとしても、俺たちにできることなんてなにもないだろう? どうせなにもできることがないなら、せめて必要以上に怯えないほうがいい。百瀬みたいに怯えすぎて実際に死んじゃったら話にならない」
きっと、そうなのだろう。
でも、本当にわたしたちにできることなんて、なにもないのだろうか?
「できることは、なくはないかもね」と、リヒトが言う。わたしが表情で問うと、リヒトは「ちゃんと確認できている事実と、ただの想像や憶測に過ぎないことを、分けて考えてみるべきだ。想像に想像を重ねてみても仕方がないから」と、続けるけれど、ちゃんと確認できている事実なんて、ほとんどなにもないと思う。
三人の同級生が三週続けて木曜日に死んだ。眠るみたいに、電池が切れたみたいに、苦しむこともなくフッと。いま分かっている確かな事実は、それだけだ。
「いや、この三人の連続不審死に共通する、確認できている事実はひとつあるよ」
死因さ、と、謎に自信ありげにリヒトは言うけれど、死因は三人とも心不全で、それは心臓が止まったから死にましたというだけの話で、なぜ心不全が起こったのかという原因は分かっていないから、ほとんどなにも分かってないのと同じだ。
「そんなことはない。心不全というのは、心臓が止まったから死んだっていうことだ。心臓が止まって、身体に血液が回らなくなって、脳が酸欠になって、結果として死ぬんだ。いきなり死ぬわけじゃない。心臓が止まってから死ぬまでには必ずタイムラグがあるし、その間に心臓を動かしてやれば死なないってことだよ」
「あ、ひょっとしてアレ? えっと、なんだっけ……」
「AED」
「そう、それ」
三人が連続して死んでしまったことの原因だとか、選ばれる基準とか規則性とかルールとか、そんなことは分からないけれど、死因が心不全ならば、それに対する対処というのはある。呪いだろうと心霊現象だろうと、あるいは未知の毒物や病原菌が原因だろうと、心臓が止まるという現象に対しては、たぶんAEDが有効なはずだ。
「たしか、避難訓練のときにいちおうやったよね、人工呼吸とか心臓マッサージのやりかたと一緒に、AEDの使い方も習った気はする」
「あ~、たしかにやった記憶はあるけれど、でももう覚えてないな。なんか、とりあえず機械を出してくれば、あとは機械が音声で指示してくれる感じじゃなかったっけ?」
わたしとキミヤはそんな曖昧な感じだし、リヒトにしても「まあ、学校でなら先生の誰かがやることになるだろうし、実際に俺たちが使う機会があるかどうかは知らないけれど、念のため使い方はもう一回調べておいたほうがいいだろうな」くらいのノリで、つまり自分の課題や問題として捉えているわけではなく、まだどこまでも他人事でしかないのだけれど、もし仮に来週の木曜日にまた誰かの心臓が止まるとしても、対処できるのかもしれないって思うとすこし気が楽になるから、わたしはそういう風に考えることにする。
わたしたちが思いつくようなことは、もちろん学校の先生たちだって考えるから、学校全体で一台しか据え付けられていなかったはずのAEDが各フロアの廊下に一台ずつ設置されるし、先生たちも改めてAED取り扱いの講習を受ける。数学の担当教諭の
「なによりも重要なのは」と、リヒトが言う。「誰かが心不全を起こしたとしたら、それをいち早く発見することだ」
佐々木葉子も園田友加里も、授業中という衆人環視のもとで誰にも知られることなく、いつの間にかひっそりと死んでいて、いつ死んだのかがはっきりしない。百瀬琢磨は自宅で死んだから詳細は分からないけれど、噂だと布団に入ってすやすやと寝ているような様子で、そのままカチカチになって死んでいたらしく、表情に苦しんだ形跡などはなかったとか。つまり、自分から「あっ! なんか死にそう!」ってアピールしてくれるわけではないということだ。AEDだって万能ではないから、すっかり死んでしまってから電気ショックを流しても仕方がないわけで、心不全を起こしたなら起こしたで、一分一秒でも早くそれを察知して対応しなければならない。そういう意味では、いつの間にかスッと死んでしまっているというのは、ややこしい。
「でも、心不全ってそんなにひっそりと死ねるものなのかしら」と、リオンは首を傾げる。
「要するに、急に心臓の機能が低下して酸欠になるってことでしょう? 心不全を起こした瞬間にポクッと死んでしまうわけじゃないのなら、苦しそうにするとか、うめき声を上げるとか、なにかの兆候があってもおかしくないように思うのだけれど」
それはわたしも思っていたことだった。自分で心不全とか心臓発作? を経験したことがあるわけじゃないから想像でしかないけれど、ドラマとかだとなんか「ウッ!!」とか言って、しばらく苦しんでからポクッと死んでるようなイメージがあって、そんな眠るみたいにスッと死んだりはしない気がする。
「佐々木葉子も園田友加里も、大人しいタイプだったからな」と、キミヤが言う。
「小学生のころ、恥ずかしがりすぎて授業中に先生にトイレに行きたいって言い出せなくて、おしっこ漏らしちゃうやつとかいただろ? あんな感じで、実際には苦しんでいたのかもしれないけれど、本人の性格のせいでそれが周囲にバレないように我慢してしまったのかもしれない」
恥ずかしがりが過ぎておしっこを漏らしてしまうのも可哀想だけれど、恥ずかしがりが過ぎて自分が死にそうになっていることまで我慢してしまうようじゃ、可哀想ではすまない。取り返しがつかない。
「自分が死にそうだなって予感を感じたら、遠慮せずになるべくアピールすること。それから、ふたり一組を作って、小まめにお互いの無事を確認しておくこと」と、リヒトが教室のみんなに提案して、それに遠藤正孝とかのリーダーシップのある子も賛同して、教室の全員がふたり一組を作ってお互いの様子を確認することになる。
そんな感じで、七月六日の木曜日がやってくる。今日、また誰かが死ぬんじゃないかという不安がすっぽりと教室全体を覆っていて、わたしはそれが嫌で、ことさら平然と振る舞ってみたりもする。遠藤正孝も同じように考えているのか、それとも単に図太いタイプなのか、いつも通りに冗談をとばしていて、午前中はときおり笑い声があがるくらいには和やかな場面もあった。
けれど、これまでの傾向では誰かが死ぬのは午後だから、午後の授業が始まるとさすがに空気がピリピリと張り詰めていて、わたしも事前に約束していた通りに、チラチラと隣の席の
そんな教室の妙な空気もまったく気にしないみたいに、ミスター河野は相変わらず威風堂々と下手なカタカナ英語の朗読をしていて、ミスター河野のそういう空気の読めなさみたいなのが少し頼もしく思えたりもする。
わたしたちは勤めて普通に振る舞おうとしている。不穏な空気に負けずに平然と普通にしていれば、悪いことなんかなにも起こらないんだって思い込もうとしているみたいに。そういうやり方で、わたしたちは世界と戦っている。
でも、やっぱり世界というのは無慈悲にできていて、わたしたちのそんな想いも願いも打ち砕くように、隣の2Cの教室が騒がしくなって、様子を見にいってみたら
「意識、呼吸を確認してください」と、AEDから無感情な女性の音声が流れる。加藤修は躊躇わずにボタンを弾き飛ばしながら西山香織のブラウスの前をブチブチッ! と開いて、手早く右胸と左脇腹にパッドを貼る。
「身体に触らないでください。心電図を調べています」
誰もが息をのんで、成り行きを見守っていた。不思議と、とても静かだった。
「電気ショックが必要です。充電しています」と、AEDが言う。「準備ができました。身体から離れてください。点滅ボタンを、しっかりと押してください」
電気ショックを流すための始動ボタンが点滅する。加藤修は速やかにボタンを押す。もっと、バンッ! とか、なにか電気が流れる感じがするのかと思っていたけれど、傍目にはなにも起こったようには見えない。
「電気ショックをおこないました。身体に触っても大丈夫です。ただちに胸骨圧迫と人工呼吸をはじめてください」
加藤修が素早く胸骨圧迫をはじめる。イメージしていたよりも、かなりペースが早いし、全力でやっている感じがする。剣道部の顧問をしている加藤修の腕は、数学教師のくせに丸太みたいに太くてたくましい。固い教室の床に転がして胸を押しているので、反動で西山香織の頭がゴツゴツと何度も床に打ち付けられていて、なんだか痛そうに見える。本当にそんなに力強く押して大丈夫なんだろうかって少し思う。しばらく胸骨圧迫を繰り返し、二回のマウストゥマウス人工呼吸。また胸骨圧迫。二回のマウストゥマウス。しばらくして、AEDから再び「身体に触らないでください」の指示が出る。「心電図を調べています」
たぶん、実際にはほんの数秒のことだったのだろうけれど、宇宙的に長く感じられる沈黙が教室全体を覆った。
「電気ショックの必要はありません」
AEDから流れた音声に思わずみんなが安堵の息を漏らすけれど、加藤修はまだせわしなく胸骨圧迫を続けていて、もう安心していいのか、まだ予断を許さないのか、それさえも分からない。誰も説明してくれない。
「ウッ……!」と、西山香織が弱弱しく、加藤修の腕を振り払おうとするような仕草を見せた。生きている。西山香織がたしかに生きていると分かって、ようやく張り詰めていた空気がすこし弛む。
駆けつけた救急隊が西山香織を担架に乗せて運び出すころには、西山香織はうっすらと意識も戻っていて、これは大丈夫なんじゃないかって雰囲気になる。呪いだか心霊現象だか、謎の毒物だか病原菌だかは知らないけれど、木曜日の午後にやってくるそいつに、人類の科学の力が勝利したのだ。なにに対してだかは分からないけれど、ざまぁ見ろって思う。お前が誰だか知らないけれど、わたしたちはお前なんかに屈したりはしないのだ。
その日もやっぱり早めに学校からは帰らされて、リヒトの部屋に四人で集まる。それぞれのスマホにLINEのメッセージが飛び交う。西山香織は病院で無事が確認されたらしい。しばらく入院することになるらしいけれど、命に別状はないそうだ。加藤修はちょっと嫌味ったらしいやつで、あまり生徒に人気のある先生じゃないけれど、今回の件で見直したって意見が多くて、かなり株を上げたようだ。
明日はみんなで加藤修を褒めてやらないとな~みたいなことを言い合っていたのだけれど、その日の夜遅くに加藤修はタイヤがバーストして暴走した4トントラックに巻き込まれて、くちゃくちゃになって死んでしまう。
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