ムルムクス
大澤めぐみ/角川スニーカー文庫
XXI; The World
<逆位置:幸先悪し 衰退する 調和が崩れる>
夢から醒めると、いつも「ずいぶんと荒唐無稽で脈絡のない話だったな」と思う。
特になんの理由付けもなく空を飛んでいたり、軽快に水の上を走ってみたり、かと思えばフラグも伏線もなく唐突に横合いから鉄パイプに包丁を括りつけた槍を持った異常者が現れて、すごい勢いで追いかけてきたりもする。さっきまで風のように颯爽と駆けていた足は急に萎えて、走るどころか立ち上がることすらままならなくて、本気で焦る。冷静に考えてみればおかしいことは明白なのだけれど、夢の中にいる間はそういったことを支離滅裂だとは思わないし、出鱈目だと感じることもない。
ひょっとすると、現実だって醒めてしまえば「ずいぶんと荒唐無稽で脈絡のない話だったな」と思うものなのかもしれない。どこか外側から観察してみれば、現実でだってフラグも伏線もなく唐突におかしなことが起こっているのかもしれない。ただ、現実を「どこか外側から観察する」ということは原理的に不可能だから、それを知ることができないだけなのかもしれない。
たしか、そんな話をしたのだったと思う。
すこし首を傾げるようにして黙って話を聞いていたリオンは、わたしがひとしきり話し終えると、三秒くらいなにかを探すように虚空に視線を彷徨わせたあとで、わたしの目を見て、言った。リオンに真っ直ぐに目を見つめられると、わたしは毎回自動的にドキッとしてしまって、いつまで経っても慣れるということはなかった。
「むっちゃんは、現実ってなんだと思う?」
リオンがそう質問してきた、その光景を、今でも妙に鮮明に覚えている。
これは、なんの場面だったっけ?
微笑んでいるような、それでいてどこか硬質な微妙な表情をしたリオンの顔の輪郭が、陽の光を受けて真っ白に輝いていて、明るい。わたしたちは外にいて、心地の良い風が吹いている。季節は春だ。
思い出してきた。これは近所の原っぱで、リオンとリヒトとキミヤとわたしの四人で、思い付きで急遽、お花見をしたときの光景だ。
「現実は、現実でしょ? 今のこの暖かさとか、陽射しの柔らかさ、風の気持ちよさ。あと、わたしの呼吸とか、心臓の音。そういう、本当のこと。ん~と、つまりリアルに感じられる事実。実在しているもの。そういうのが、つまり現実なんじゃないの?」
わたしがそう答えると、リオンは人差し指を唇に当て、視線をすこし下に向け「実在しているもの」と、復唱した。わたしは、なにか間違えたことを言っただろうかとちょっと不安になって、眉をひそめてリオンのレスポンスを待った。
リオンとの会話はいつも、あまりリズミカルじゃなかった。リオンはいつだって、いったん発言を受け止めて、それについて考え、まとめて、自分が思ったことを確認してから、それを適切な言葉に変換して口から出しているという感じで、リオンがその作業を終えて自分の言葉で話しはじめるまで、わたしは沈黙に耐えなければならなかった。その数秒の沈黙は、ことのほか居心地が悪くて、わたしはついつい、リオンが話しはじめる前に自分の言葉を続けてしまいそうになる。でもたぶん、それはあまり良くないことだと思うから、グッと堪えてその沈黙を受け入れる。
「たとえば、むっちゃんは時間って実在していると思う? 時間は、現実かしら?」
「時間は、実在してるんじゃない?」と、即座にわたしは答える。リオンの問いをあまり長く保持せず、ダイレクトボレーですぐに打ち返す。ポケットから取り出したスマホの待ち受け画面を確認して「今は四月二日の午後一時三十分という時間で、この時間は今ここに実在しているじゃん」
わたしがそう言うと、リオンも自分のスマホを一瞥して「今はもう、午後一時三十一分」と、画面をこちらに向けてみせる。
「そりゃあ、時間は流れていくものだから、今は三十一分で……もう三十二分になるのかもしれないけど、でも午後一時三十分という時間は実在していたでしょ?」
「それは、どこに?」
「たぶん、過去に」
「過去は実在している?」
「過去は実在しているよ。過去があるから、今があるんじゃない」
「過去はどこにあるの?」
「それはたとえば、わたしの記憶の中に」
「むっちゃんの記憶は、実在している?」
実在は、していないのかもしれない。実在という言葉のニュアンスには、時間とか空間とか記憶とかの、そういう抽象的で概念的なものは含まないような感触がある。けれど、過去も時間も記憶も、現実ではある気がする。
「時間も空間も、実在はしているでしょ」と、リヒトが横から口を挟んできた。
「時間は時間が経過するということで認識ができるし、空間も、空間内を移動することでそれを体感することができる。だけど、じゃあそれがどこにあるのかと言えば」と、リヒトは人差し指を自分のこめかみに当てる。「僕たちの頭の中」
「僕は時間を認識しているし、リオンもむっちゃんも時間を認識している。他の人たちも、たぶん時間というものは認識している。だから、時間というのはどこにも実在してはいなくても、現実には存在して、それは時間として機能している。人の認識によって、それは現実に存在するんだ。つまり、多くの人の認識が重なり合った部分。それを現実と呼んでいるって、そういう話じゃないか?」
リヒトがそう話をまとめると、リオンも「そうね」と、頷いた。
「つまりは、そういう話だったのかも」
多くの人がそのように認識すれば、それは現実になる。
リオンとリヒトとの会話は、こんな風に何気ない一言から不意に哲学的な迷宮に入り込んでしまう傾向があった。厨二病くさいって笑っちゃうかもしれないけれど、なにを隠そう、わたしたちは実際に中学二年生だったのだ。正確に言えば、中学二年生への進級を目前に控えた春休みの最中だったけれど、まあ、ほぼ中学二年生のようなものだ。厨二病を発症していたとしても、なにも不思議じゃないだろう。
部活動もせず、熱心に勉強をすることもなく、かといって遊びまわるほどの財力も情熱もない、平均よりやや怠惰な中学生だったわたしは、せっかくの春休みも特になにをするでもなく漫然と家でゴロゴロして過ごしていたから、唐突にリオンからLINEで「いまからお花見をしましょう」と誘われてもなにも困ることもなく、ふたつ返事で「あ、いいね。しようしよう」と返信して、パーカーを羽織って外に出た。
メッセージでリオンに誘導されたのは有名なお花見スポットとかじゃなくて、普通に自転車で行ける近所のなにもない原っぱだった。というか、普段はただのなにもない原っぱなはずの場所だったのだけれど、でも実はその原っぱに生えている三本の木がぜんぶソメイヨシノだったみたいで、満開に咲き誇ったそれはとても綺麗で、わたしはつい「うわぁ……」と、感嘆の声をあげてしまった。
「むっちゃん、こっち」と、リヒトが木陰にレジャーシートを広げて座って手招きしていて、その隣にリオンもいて、ふたりはとても綺麗にシンメトリーだった。
綺麗な、よく似た顔の双子の兄妹が満開の桜の木の下でシンメトリーに並んで笑っている光景は、まるで楽園を描いた宗教画みたいで、安っぽい表現になってしまうけれど、なんだか天使のように見えた。
「へー、この木、桜だったんだ。すごく綺麗。近所にも、こんな穴場スポットがあったんだね」と、わたしが声を弾ませると、リヒトが「パッと花が咲くと、なんか急に桜の木が現れたみたいでビックリするよね。桜なんか、花が咲いてる時以外は木としか認識してないから」と、笑った。
いつだってそうだ。わたしたちは桜の花が咲いてから、ようやく「ああ、これは桜の木だったのか」と、思い至る。わたしたちがそう思う、そのずっと前から、桜の木はそこで変わらず桜の木であり続けたはずなのに。
自転車で本屋に行った帰りにたまたまこの場所を見つけたリヒトがリオンに教えて、リオンも見に行きたいって話になって、そういうことならわたしとキミヤも誘ってみんなでお花見をしよう、ということになったらしい。そんな感じの、ただの思い付きのお花見だから、もちろんちゃんとした用意なんかなくて、途中のコンビニで買ってきたペットボトルのお茶とお菓子がある程度で、三人でレジャーシートに座って桜の花を見ながらお喋りをしていたら、すこし遅れてキミヤもやってきて、それで勢ぞろい。わたしとリオンとリヒトとキミヤの四人というのが、この頃のわたしたちの定番のメンバーだった。
「なんの話?」と、キミヤが訊いて、リヒトが「時間と空間についての話」と答える。「真昼間から、満開の桜の木を眺めながらするような話か?」と、キミヤが笑う。
中性的な印象のリヒトとはまるで違って、キミヤは同級生とは思えないほど身体が大きくて、運動全般が得意だし、力も強い。性格も、難しいことを考えがちなリヒトとは真反対で、物事を素直にシンプルに捉える。饒舌なリヒトと寡黙で大人しいキミヤは、性格的には全然似ていないのだけれど、不思議と馬が合うようで、お互いに相手を認め合って信頼しているようだった。
中学生くらいの年頃って、やっぱり色々と意識してしまいがちだから、こんな風に男女混合で遊ぶというのは珍しい気がするのだけれど、わたしたちのグループはリオンとリヒトという兄妹を含んでいるせいもあってか、わりとバランスが良くて安心感があった。
「こんなに天気が良くて風の気持ちいい春の午後に、そんな時間とか空間とか鬱々考えてるのは、たぶん良くない。そうやってジッと座ってばかりだから、そんなことばっかり考えるんだよ。身体を動かさないと」
キミヤがそう言うと、リヒトが「あ、じゃあフリスビーやる?」と、ビニール袋の中から新品のフリスビーを取り出した。
「フリスビー?」と、わたしはびっくりして反射的に声をあげる。
「うん。さっきリオンと百均に寄って、本当は最初バドミントンを買おうとしたんだけど、フリスビーならこれ以外なにも道具いらないし、みんなでできるし、百円で済むじゃんって話になって」
「え? フリスビー? するの? リヒトが?」と、わたしが訊くと、リヒトは「え、むっちゃんしないの? フリスビー」と、逆に驚いたような顔をしていた。
超越的に綺麗な顔をしていて、時間とは、空間とは、みたいな形而上学的な問いをナチュラルに発するリヒトみたいな人から、フリスビーなんていう世俗的な遊びを提案されるのが、わたしにはなんだか不思議に思えてしまったのだけれど、もちろん、超越的に綺麗な顔をして、時間とは、空間とは、みたいな形而上学的な問いを発するとはいえ、リヒトも普通に中学生なのだから、フリスビーぐらいはするのだろうし、そこに楽しみを見出したりもするのだろう。
全員でレジャーシートから立ち上がって、四角い原っぱの四隅に広がる。リヒトがフリスビーを投げて、大きく左に逸れたそれにキミヤは駆け足で追いついてソツなくキャッチする。キミヤが投げたフリスビーは、正確なコントロールでわたしの手元に飛んできて、わたしはほとんどその場から一歩も動くこともなくキャッチできてしまう。リオンが「よ~し、むっちゃんいいわよ~!」と、両手をあげている。
「いっくよ~!」と、わたしはフリスビーを構えた手首を返して、力いっぱいに投げる。
唐突に、すこし強い風が吹いて。さざ波のような音が。
桜の花びらが舞って、フリスビーが風に煽られて大きく曲がる。リオンが(あのリオンが)なにかを叫びながら、全力で走ってフリスビーを追いかけて、ピョンとジャンプする。
春風になびく、艶やかなリオンの髪。
陽の光を受けて、ほとんど純白に輝いている桜吹雪。
真新しいフリスビーの、プラスチックの安っぽいブルー。
踏み切ったまま、綺麗につま先まで伸びた脚。
笑ってる。
リヒトもリオンもキミヤも、突風に目を細めながら笑っていて、とても綺麗で。
その瞬間、わたしの目に映る世界は全てが完璧で、完全に調和していて、構図もライティングも、桜の花びらの一片、1ピクセルに至るまで、全てが綺麗で、正しくて、完璧すぎて。
音が遠のく。
キャッチ。着地。
「もう、むっちゃんセンスなさすぎよ!」と、リオンが不服の声をあげている。リオンがそんな大きな声を出すのは珍しい。「いや~風のせいだよ。次は真っ直ぐ飛ばすから!」と、わたしもお腹から大きな声を出す。キミヤの言うとおり、ジッと座って時間とか空間とか、そういう抽象的で形而上学的なことばかり考えているのも、たぶんあまり良くないのだ。たまには、こうして身体を動かしたほうがいい。
今度はリオンがフリスビーを投げるけれど、なぜかフリスビーはブーメランみたいに大きく曲がって、またリオンのほうに戻っていく。リオンが「えっ!? どうしてっ!?」と叫びながら、自分で投げたフリスビーを自分で走って取りにいく。リヒトもキミヤも、ものすごく笑っている。
ちょっとバカみたいだけど、楽しかったな、フリスビー。
あの春の日の午後、わたしを取り囲む世界は完璧で、完全に調和していて、完成されていた。あのまま、あそこで時間が止まってくれていれば、すべては幸福なままだっただろう。
だけど、現実は無慈悲に現実で、時間は前に進み続け、すべての物事はお互いに影響し、変化し続ける。完璧な調和なんていうものは、この世界には存在しえない。それは、ある限定的な場において、ある限定的な時間のあいだだけ、人間の限定的な認識にだけ現れる、うたかたの幻想のようなものなのだ。
どんな調和も、いずれは崩壊する。それも、誰の不備や不注意でもなく、まったく伏線もフラグもなく、唐突に外側からやってくる理不尽なアクシデントによって、無茶苦茶に踏み荒らされる。それが現実というものの冷徹さで、世界の不条理さだ。現実は物語じゃない。整った起承転結もなければ、納得できる理路もない。
でも、人は現実から物語を紡いでしまう。バラバラの出来事の間に因果の紐をくくりつけ、共通項を拾い出し、物事に道理をつけようとする。荒唐無稽で出鱈目な現実から、筋の通った物語を導出してしまう。ちょうど、古い人類が夜空に瞬く星同士を線で結んで星座を見出し、その背後に物語を想像したように。
人は共通の現実ではなく、それぞれに断絶した、個別の物語に生きている。
それは、わたしが実際に体験した、現実に起こった出来事ではあるけれど、どれほど細心の注意を払ったとしても、語ってしまった時点で物語になってしまう。あなたがそこからどんな起承転結や、伏線や理路や道理を見出そうが、それはあなたの勝手だ。
それが物語の効用で、逃れ得ぬ人間の性なのだから。そのことを受け入れない限り、人は他者に出来事を語って聞かせることもできない。これもまた、無慈悲な現実のひとつなのだと受け入れるしかない。
だから、これからわたしがする話はひとつの物語だ。
それは少年少女が暖かで調和のとれたモラトリアムの楽園から追放され、否応なく無慈悲で不条理な現実と向き合わされることになる痛みを伴う成長譚かもしれないし、捉えどころのない不定形の恐ろしい化け物との命を賭けた戦いに挑むジュブナイルなのかもしれない。あるいは、神の加護を受けた主人公が化物を殺し最後には姫を獲得する王道のドラゴンスレイヤー譚かもしれないし、知らぬ間にひたひたと背後に忍び寄っている恐怖を描いたホラーかもしれない。もしかしたら、謎が謎を呼び最後に探偵が真犯人を指摘するミステリーでもありえるのかもしれない。
それがなんであるかは、あなたが好きに決めればいい。わたしはこの物語を始めると決めたのだから。もう、決めたのだから。人間の言語による伝達のままならなさを、物語が宿命的に背負う欠陥を、わたしは受け入れる。
そもそも、実際に語ってみないことには、これがどういう物語になるのか、わたし自身にさえ分からないのだ。もちろん、わたしが実際に体験したことなのだから、わたしはこの物語の筋書きを既に知っている。けれど、同じ出来事も切り取りかたと語りかたによって、まったく違った物語になり得るのだ。わたしはあの出来事をどう語ろうとしているのか。それを、わたしはまだ知らない。
ともあれ、わたしは語ろうと思う。
そして、始められた物語は、必ず終わらせられなければならない。
あなたには、わたしが無事にこれを最後まで語りきることができるように、応援していてほしい。そして、できることなら、どうか最後まで見届けてほしい。どんな物語も、誰か受け取ってくれる人がいなければ、きっと、なんの意味もありはしないのだから。
それでは、物語を始めよう。
この物語は、六月十五日の木曜日の午後、クラスメイトの
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