2話 クラスの洗礼

 ムサ先生が手を一拍した。


「……」


 あっとう間に静まり返った。さすがとしか言いようがない。

「おい、京谷きょうや

「は、はい⁉」

「おどおどするなっていつも言ってんだろうが」

「す、すみません」

 性格なんだから仕方ないだろ。

 ムサ先生は雪村を見て言った。

「雪村の椅子と机、廊下まで運んであるから教室に入れてくれ。それから雪村、希望の場所はあるか? 後ろならすぐに座れるが」

「真ん中がいいです、先生」

「分かった。おまえら、席移動しとけ」

 多少理不尽な指示だが、だれもムサ先生には逆らえない。僕は廊下を出て、机と上に乗っている逆さの椅子を見つけた。同時に抱える。

「ねぇ?」

「うわ!」

「うふふ、驚かなくてもいいのに。手伝うよ、私の机だし」

「でも、先生に言われたのは僕だし」

「じゃあ、椅子だけ持つよ」

「そうして」

 大した軽量にならないが、多少は運びやすくなった。僕は机を自分の席の一個となりが空いたのでそこに置こうとすると、雪村が止めた。

「君の隣がいいんだけど」

「なんで⁉」

「だめかな?」

「いいけど……」

 周りを見た。とくに悪感情は持たれていないようだ。ムサ先生が睨んでいるからかもしれない。

 雪村が椅子に座って、僕に斜め四十五度で言った。

「これからよろしくね。京谷くん」

「よ、よろしく」

 こんなに可愛いのに。テレビに出てても不思議じゃないルックスなのに、どうして僕は雪村がこんなにも怖いんだろう?

 今は考えないことにした。


 ――  ――


 次は体育だ。女子は更衣室で着替えるため別れた。

 男子たちはワイシャツを脱ぎながら、雪村の話題ばかりしていた。

「覗きに行こうぜ」

「勇者かよ。澤にボコられんぞ」

 冗談交じりに言うが、実は洗礼を受けていた本人であることは、ここの男子皆が知っていた。初めての体育授業で覗きに行った時、澤に本当にボコボコにされたのだ。なんでもレスリングクラブに通っており、全国大会の常連だと聞かされた。僕はその時、顔が青くなったのを覚えている。

「じょ、冗談に決まってんだろ。でも、見てみたいな」

「彼氏は毎日揉みまくってんだろうな」

「くっそ、変われ」

 確かに、あの容姿なら男が放っておかないだろう。でも、僕には関係がない。高校の間に女子と手をつなげるかさえ怪しい。もう考えないようにして、さっさと体操着に着替えた。

 階段を独りで降りている時、女子の大声が聞こえた。悲鳴なのか怒鳴り声なのか、判別できなかったがとても気になった。階段を曲がった先の、一番奥の袋小路だ。

 そっと覗き込むと、部屋の引き戸が少し空いていた。この先は確か物置だったはず。僕は辺りを見回しながら、ゆっくりと近づく。すぐ後ろで階段を駆け下りる音が聞こえた。ビビって振り返ると、男子たちが勢いよく降りていっていた。こちらには気がついていない。

 音を立てないようにそっと、隙間を覗いた。

 女子が体操着姿で三人、誰かを見下ろしていた。一体誰なのか、ここからよく見えない。

「おい、雪村。おまえ、転校早々生意気なんだよ」

 囲まれているのは雪村か。喋っているのは、おっかない澤だ。

「酷い。どうして乱暴するの」

「うるせぇ! 可愛こぶりやがって! ムカつくんだよ!」

 バチン! と乾いた音が響いた。後ろを振り返ると、もう降りている生徒はいなかった。

 雪村は悲鳴を上げず、じっと耐えているようだ。澤が身体をかがませた。

「痛い痛い! イヤ!」

「黙れ!」

 今度は見えた。澤は雪村の髪を引っ張り上げるという、とんでもない暴力を行っていた。まずい。止めなければ……脚が動かない。

「離して!」

「おい、お前ら、こいつの服を切り裂いてやれ」

 取り巻きの女子たちが、カチカチと音を立てて、ビリ、ビリリリリッ、と何かをやっていた。まさか、制服や体操服を破いているのか? いくらなんでもやりすぎだろ。でも、僕の脚はビビって全然動かない……。身体が震え始め、立っていられなくなった。

「おいっ、誰かいるのか!」

 やばっ。うっかり引き戸に手が当たってしまった。澤に見つかれば、僕もただじゃ済まない。

「久利須、先公に見つかったら面倒だよ」

「ちっ」

 女子たちは澤の下の名前を呼ぶと、すぐに窓から出ていった。あそこから飛び降りるとすぐに校庭へ行ける。もしも、ここを通られたら今頃は半殺しにあっていたかもしれない。


 授業ベルが鳴り響いた。


 仕方がない。僕はチキンだけど、女の子をここまで放置できるほど薄情じゃない。引き戸を開けると声をかけた。

「雪村、僕だよ」

「誰……」

 会って間もないのに分かるわけがないか。

「京谷だよ」

「京谷くん? どうしてここに」

「ごめん、僕がヘタレだから止められなかった」

「……見てたの?」

「ううん。ここからは見えないんだ。そっちも、机や物があってよく見えないだろ」

「うん」

「女子の頭が三人だけ見えたんだ。それで、雪村って呼ぶ声がして」

「来ないで」

「あ、ごめん」

 想像するに、きっと服はズタボロに違いない。男子に裸を見られたくないんだろう。僕は出ていこうとすると、雪村が引き止めた。

「待って」

「え?」

「そっちに行くから」

「え?」

 え? これってまさか。慰めてって言う展開なのか? マジかよ。 でも、僕はまだ童貞……。いやいや、卒業するチャンスじゃないか! よし、男だ。行け。

「一緒に体育遅刻しよう」

「うん……ってあれ?」

「どうかした?」

「ねぇ。澤たちに服を破られたはずだよね」

「ううん、違うよ。あれは冗談だよ」

「だって、ビリビリって音が」

「そう? 聞こえなかったけど」

 雪村の体操服はどこも破られていない。腕にかけている制服も、被害に合っていない。どういうことだ。

「あ、たしか、顔を叩かれたんじゃ……」

「何かついてる?」

「ううん」

 何も付いていない。髪の毛も特に乱れていない。

 僕が首を傾げながら腕を組んでいると、その手を引っ張られた。

「ね、一緒に怒られてくれるんでしょ」

「う、うん」

 体育は女子と合同だった。僕らは先生に色々言い訳して、許してもらえた。が、詰問はまだ続いた。

「おまえたち、澤たちを知らないか?」

「い、いいえ」

 本当のことを言えば、言い訳が嘘だとバレてしまう。僕は大きく首を振った。

 そこに女子が駆け込んできた。

「先生、大変です。澤さんが」

「どうした?」

「あの、とにかく、女の先生を連れてきてください」

 ただ事ではないと察した先生は、授業を自習にした。

 どうしたんだろうと、雪村に話しかけようとした。そのとき、ゾクリと何か胆汁のような苦味と共に走った。

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