第二十七幕 プロポーズ



 さて、今や世界中で作られている至高の酒・ウィスキーであるが、その本家本元と言えば聖地・スコットランドを置いて他にあるまい。

 スコットランドのウィスキー、すなわちスコッチの歴史は、文献上で言えば十五世紀にまで遡るが、かの酒が現在の琥珀色を獲得したのは、実はここ二~三百年の話であり、それまで、ウィスキーといえば無色透明の酒であり、現在のような熟成感のある味や香りとは無縁だった……というのは、存外知られていない事実である。

 では、そうした原初のウィスキーがどのようにして、今日こんにち飲まれているような琥珀色の酒となったのか……その発端は、十八世紀のスコットランドに訪れた、密造時代に遡る。


「密造? 密造って、酒造ギルドにお金を払えない様な業者が隠れて安酒を作って売る事でしょ? そんなの、貴方がホビット庄で飲ませてくれたお酒とは対極の存在じゃない」


 俺の盛大なモノローグに対しそう口を挟んだのは、椅子に座って、机に置かれた数枚の帳簿と睨めっこをしていたレゼルだった。赤いチェックの長袖を着て、そこいらの町娘のような装いだったが、素材が良すぎるためか、ここに来るまで彼女はたいそう目を引いた。

『ウーガダール鍛治店』の工房にあったホビット用の椅子は、背が低い癖に横幅が矢鱈と広く、レゼルが座ると工事現場に人形を置いたような具合になりなんともミスマッチだった。おまけに椅子が石造りだったため、「お尻が痛いお尻が冷たい」と彼女は始終不機嫌だった。ブーツに包まれた長い両脚を持て余していた。

 家主のベッグは中央区の酒造ギルドに出掛けていたので、工房にいるのは俺とレゼルだけだった。


「レゼルの言う通り、多くの場合、密造酒は隠れて作る粗悪品だ。だが、俺の元いた世界では、かつてその立ち位置が逆転……つまり、密造酒がおおやけの酒よりも美味かったという時代があるんだ」

「……どういうこと?」


 レゼルは首を傾げ、手元の羊皮紙を机に置いた。

 俺は麦の検分の手を止め、チェックの終わった大麦を麻袋に戻しながら、話を続けた。


「今を去ること――俺の前世での話だが――三百年前、ウィスキーの聖地スコットランドは、犬猿の仲だった南の隣国イングランドに併合された。当時のイングランドではウィスキーはまだほとんど流通していなかった。それどころか、ウィスキーはスコットランドの田舎者達が飲む、泥臭い酒という扱いだったんだ」


 それを聞くと、レゼルはぱちくりと瞳をしばたかせ、席を立ち、十五畳ほどの工房の端にある樽の前にやってきた。樽の中には、ベッグが近頃夜な夜な蒸留している出来たてのウィスキーが溜めてあった。

 レゼルは樽の栓を抜き、工房にあったカップにその酒を少量注ぎ、口に含んだ。


「そんな評価でしかなかったの? ……このお酒が?」


 そう言ってレゼルはこちらを見て、再び首を傾げ、続けざまに俺に問うた。


「なら、その隣国『いんぐらんど』では、一体どれ程洗練されたお酒が飲まれていたの?」

「当時、イングランドの都会っ子たちが飲むものといえば、葡萄の蒸留酒ブランデーと相場が決まっていた」


 そう答えると、レゼルは少しだけ目線を上に遣り、細い指を顎に這わせ、「なるほど」と口元に笑みを浮かべた。


「見えてきたわ。『いんぐらんど』の人たちは、『すこっとらんど』を併合した後、自分たちの普段飲んでる葡萄の蒸留酒ブランデーではなく、麦の蒸留酒ウィスキーに重税を掛けたのね」


 優秀な教え子のその察しの良さに、俺も思わず口元を綻ばせた。


「ご明察。幾らウィスキーに重税を掛けようとも彼らの懐が痛む事はない。だから、併合後、イングランド人達によるウィスキーへの課税は年々重い物となっていった」


 俺は全ての麦を麻袋に仕舞い込んだ後、数歩進んだ先にある発酵槽の元へ向かった。

 抱え切れないくらいのサイズの木製の発酵槽には、麦芽と仕込み水で作られた麦汁ばくじゅうが満たされていて、今はそこに、俺が研究室で育てている酵母が加えられ、微生物によるアルコール発酵が行われていた。今も、そこから甘酒のような匂いが放たれ、工房に充満していた。


「だから、酒造を生業にしていた当時のスコットランド人たちは、生きて行くために二つの道を選択しなければならなかった。一つは、重税のかかる大麦ではなく、別の穀物でウィスキーを作る道。もう一つは……」

「密造ね」

「そう。後者を選んだ職人たちは、徴税吏から身を隠し、持ち運びの出来る小型の蒸留釜ポットスチルを抱え、ハイランドの山奥に逃れた。そうして彼らは、その地で密かにウィスキーの密造を開始した。作業のし易さから、他の原料を使わず大麦の麦芽だけで蒸留を行い、その麦芽の乾燥にはその辺で幾らでも採掘できた泥炭でいたんを使った。そうして出来上がったウィスキーを、官警の目から逃れるため、シェリー酒の空き樽に詰めて山の中に隠した……そうした工程を経て、樽から取り出した酒が、透明から琥珀色に変わっていて、詰める前よりも格段に美味くなっていた……そんな行き当たりばったりな経緯が、俺の元いた世界では最早必須となっていた『樽熟成』という工程のはじまりなのさ」

「へええ!」


 レゼルは俺のその言葉に得心いった風に頷き、またも樽から一杯分のウィスキーを拝借していた。彼女の頬は早くも赤く染まっていた。

 俺は、ついこの間、俺とレゼルで工房のウィスキーを飲み過ぎてしまい、ベッグにしこたま怒られたのを思い出し、「それきりだぞ」と彼女に釘を刺し、樽の栓を閉めた。閉めたは良いが、俺も俺で少し飲みたかったので、彼女のカップから一口分だけ飲ませて貰った。


「……ともかくそれ以降、ウィスキー職人にとって樽熟成は切っても切り離せない工程になった。その酒を寝かせる樽がどんな木材で作られているのか、どんな大きさなのか……そうした細かな要因の一つ一つが、出来上がってくるウィスキーの味を左右した。しかも、多くの場合、ウィスキーは出来立ての樽で寝かせるよりも、元々別の酒を詰めていた樽に寝かせる方が美味くなった。それから数百年が経ったが、今でもその味や香りが出来上がるメカニズムは複雑すぎて、解明されていない部分が多いんだ」


 はっ、となって、俺は言葉を止めた。

 気づかぬうちに自分の足は、先日ベッグが拵えてくれた小型の蒸留釜ポットスチルの前に陣取っていて、下の炉に新たな薪をくべていた。磨かれた銅の表面は頬ずりしたくなる程に美しかったが、生憎蒸留中の今やると自分の頬が焼けただれてしまうので控えておいた。蒸留機構からはぽたぽたと、出来立ての透明のウィスキーが生み落とされていた。まだるっこしいと感じる程のローペースだった。


「ごめんなレゼル。ちょっと夢中になって、喋りすぎた。こんな話、詰まんなかったよな」

「いいえ」


 レゼルは俺の講釈を根気よく聞いてくれていた。その時に限らず、彼女は他人の話を途中で遮ったりなどしなかった。それもまた、彼女を形作る美学の一つなのだった。


「ずっと、不思議に思っていたの」


 レゼルは再びカップを持ち上げ、目を閉じて、ウィスキーから漂う透明の香気を吸いこんだ。そうして幾ばくか酒の香りを楽しんだのち、彼女は首元を上に向けウィスキーを一口飲んだ。小指の先まで洗練されたその挙措に、俺は図らずも見とれてしまった。

 そうしてこくりと一口、酒を飲んだレゼルは、こちらを見て言葉を継いだ。


「麦と水、たったそれだけの材料で、どうしてこんなに奥深いお酒ができるんだろうって。今、貴方の話を聞いてやっと分かったわ」


 ふふ、と、彼女が俺に微笑んだ。紺碧の瞳が柔らかく細められた。


「土壌、文化、風、雨、太陽……その土地にあるすべての物事が、そこから生まれてくるお酒の味を組み立てているのね。だから、ウィスキーはこんなにも奥深く、美味しくて、なにより人の心を惹きつける。貴方やベッグ、そしてあたしの心を」

「…………」


 単純なことだと我ながら思うが、俺はその時、レゼルに惚れた。惚れ直した。


「レゼル、俺と結婚してくれ」


 俺はキリリとした顔でそう言った。殆ど無意識だった。


「…………」


 レゼルの変化は劇的だった。先刻までの微笑みを顔に張り付かせたまま、顔の色だけがぽぽぽぽと赤くなっていった。断じて酒の所為ではなかった。彼女は数秒ほど口元をぱくぱくさせたあと、しどろもどろになりながら、返す言葉を紡ぎだした。


「……そ、そうね。……あ、あたしも、もう十六歳になった訳だし、パパにも『まだか』って急かされているし、そろそろ、本格的にそういう話を進めても、いいかも、ね」


 そう言ってレゼルは顔を逸した。金色の髪の毛の隙間から覘く首元は隠しようもないほど真っ赤に染まっていた。

 まさかそんな反応が返ってくるとは夢にも思わなかった俺は、彼女の様子に動揺した。


 酒造りだの講義だのにかまけすぎていて、考えても、いなかった。


 ――ずっと、待って、いたのだ。

 ――このは、俺を。


 そう思い至った瞬間、自身を巡る全身の血が、一気に顔に集結していくのを感じた。

 嬉しさ、気恥ずかしさ、照れくささ、戸惑い……ありとあらゆるその手・・・の感情が、自分の心中で存在を声高に訴えていた。数メートル先にいるレゼルの耳に、自分の鼓動が聞こえやしないか、気が気でなかった。


「…………」

「…………」


 何も言わぬが吉と、俺もレゼルから顔を背けた。


 くそう、可愛い。

 レゼルは、可愛い。

 前世で塾講師をしていた頃は、教え子の女子に幾ら言い寄られても鼻であしらう事が出来たのに、レゼルとカリラの前でだけは、まるで俺は小学生のがきんちょだ。


 ――きっと先輩はその人の事を振り払えねぇ。


 何時か山崎に言われたその一言が、忙しなく跳ね回る思考回路を大股で横切った。

 この場をどう取り繕うか……そればかりを考えていた矢先、がちゃりと工房のドアが開く音がして、俺はびくりと身を強張らせた。


「帰ったぜ……どした、魔王。お嬢も。魔術で顏から火でも出したのかい」


 ――助かった。


「い、いや、すまん。ちょっと樽の酒を飲んでしまって、な。ははは……」


 俺のそんな苦し紛れの言い訳に、ベッグは「ふうん」と鼻を鳴らして答え、同じく顔を真っ赤にして首を縦に振っているレゼルを胡散臭そうに眺め、彼女の向かいの席にどかりと腰掛けた。


「あんた達が好き合ってるのは分かっちゃあいるがよ、おれの仕事場で妙な雰囲気になってくれるなよな」

「ベッグ、そんな事より酒造ギルドの反応はどうだったの?」


 レゼルはすかさずそう返し、話題の軌道を見事に修正して見せた。流石だった。


「そうそう、それだよ聞いてくれよ」


 ベッグはレゼルにそう答え、憤懣やるかたなしといった雰囲気で席を立ち、樽の前に来て栓を開け、中身のウィスキーを自身のカップに注いだ。言わないが、もう明らかに、俺たち三人の酒の消費量は生産量を上回っていた。樽の中身は減る一方だった。


「魔王、酒造ギルドの奴等、てんで駄目だったぜ。連中、いつも軟弱な酒ばかり飲んでやがるから、俺らの酒の良さをひとっつも分からねえ」


 忌々しげな表情を浮かべ、ベッグは酒を一気に煽った。そして鼻から大きく息を吐き出し、「ぬふー」と愉悦げに目を閉じた。


「どんな反応だったんだ?」

「飲んだ瞬間揃いも揃って顔しかめやがった。煙臭くって、酒精が強すぎて、とても飲めたものではないと……。ちくしょう。酒場のドワーフ達には馬鹿受けだったんだがよ……」



 異界の魔王が氷の姫と新しい事業を始めるらしい……その噂は瞬く間に王都に広まった。俺をとりまく生活は一転、めまぐるしく、慌ただしい、充実したものになっていった。

 シャルトリューズ家が全面的にスポンサーになっているという信頼性も相まって、ベッグは酒造ギルドに期待の眼差しで受け入れられた、が……蓋を開ければ実態はこの通り。


「まあ、当然っちゃ当然の反応だな」


 俺はそのベッグの話を聞いて、さもありなんと頷いた。


 実を言うと、俺の前世地球でも、ウィスキーというのは普及に大層難儀した経歴を持っている。

 ウィスキーへの重税が緩和された一八二三年以降、スコットランドでは先の密造地・ハイランドを中心に多くの公認蒸留所が誕生した。生産量も拡大し、いよいよイングランドに華々しく進出――となる筈だったのだが、この頃のウィスキーは、ワインと葡萄の蒸留酒ブランデーがマーケットを席巻していた当時のロンドンでは、全くと言って良いほど受けなかった。

 また、後の日本の市場においても、当初ウィスキーはやはり「煙臭い」と敬遠されて、シェア獲得に相当難儀した歴史を持っている。ウィスキーは基本的に、普及が難しい酒なのだ。


「どうすんだよ。奴らの舌がこ慣れるまで待てってのか。その前におれは餓え死にだぜ」

「あたしとしても、投資する以上、何年も赤字のまま計画を見過ごす訳にはいかないわね」


 ベッグとレゼルは、先行きの見えぬ状況に難色を示した。

 俺は二人の様子に微苦笑を浮かべ、空のカップに魔術で水を注いで飲んだ。


「強過ぎる個性はすぐには受け入れられない。まずは王都の人々をウィスキーに慣らす」

「……そんな事出来るのか?」


 訝しげなベッグに向け、俺は不敵に笑ってみせた。


✳︎✳︎✳︎


 多くの場合、人がウィスキーと聞いて即座に連想する銘柄の殆どはブレンデット・ウィスキーだ。角瓶しかり、ブラックニッカしかり、バランタインしかり、ジョニーウォーカーしかり……ブレンデットという訳だから大麦モルトの酒に何か別の酒を混ぜているのは想像に難くないが、その役どころとして登場するのが雑穀の酒、グレーン・ウィスキーである。


「ブレンデッドだとぉ?」


 ベッグは俺の発言に、身の毛もよだつぜとばかりに体を震わせ、酒の入ったカップを持ち上げた。


混ぜられたブレンデッドっつう事は、なにかい。この最高の酒に、果物の汁でも混ぜて飲みやすくするってぇ事か? 酒への冒涜だ! おれはそんなの真っ平御免だぜ!」

「こんな煙臭い酒に果物の汁なんて混ぜたら一層飲みにくくなるよ。混ぜるのは酒だ。酒精が強い、限りなく無味無臭の、な」


 俺は鼻息荒くまくしたてるベッグを宥めるように、そう返した。


 グレーン・ウィスキーとは、大麦以外の雑穀を主原料にした蒸留酒を指す。大麦モルトウィスキーとの違いは、何度も何度も蒸留を繰り返すその工程だ。それによって、成分の殆どはアルコールと化し、香味が乏しくなる反面、クセのない、飲みやすい酒が出来上がる。どうせ大部分がアルコールとなってしまうのだから、元々の穀物の個性は出来上がりの酒には殆ど反映されない。だから、原料は出来るだけ安く手に入るものが向いている。

 このグレーン・ウィスキーを、個性の強いモルト・ウィスキーに混ぜて味をマイルドにして、加水してアルコール度数を四十度前後に整えたものがブレンデット・ウィスキーである。現在でもシェアの九割を占めるこの酒が、英国の大都会ロンドンでの販路を切り開き、以降、スコットランドのしがない地酒でしかなかったウィスキーを人類の銘酒に押し上げる原動力となった訳である。その方法論が、この世界でも通用する筈だと、俺は考えていた。


「ベッグ、一度騙されたと思って、俺の言う通りに酒を作ってみてくれ。原料は大麦でなく雑穀……穀物であれば良い。安く手に入るものを市場から取り寄せ、それを蒸留するんだ」

「それ作って、どうすんだ?」

「試飲会と行こうじゃないか。三日後の夜、黒の鐘が鳴る頃に、俺の研究室に来てくれ」


✳︎✳︎✳︎

 

「ま、魔王陛下、そ、その、新しい酒という奴を早く。早く!」


 催促をするピルゼン教授は手が震えていた。末期である。

 三日後の夜、黒の鐘が鳴った後。魔術教員棟二号研究室に集まっていたのは、ピルゼン教授、マノン先生……いつもの『魔王バー』の常連二人に加え、ベッグを含めた三人だ。


「もうちょいお待ちを」

 

 苦笑しつつそう答え、俺はしっかり冷やしたグラスに大きめの氷を詰め、ベッグ謹製の試作ブレンデット・ウィスキーを少量注いだ。昼間に市場で買ってきた檸檬れもんを絞り一度混ぜ、魔王謹製の炭酸水をグラスの縁に沿わせながら割り入れる。炭酸の泡を潰さぬよう縦に一度だけ混ぜ、最後に浮いた氷の上に檸檬の皮を一絞り。完成。


「お待たせしました。ハイボールです」


 ことり、と机に置かれたグラスの中で、炭酸の泡がしゅわしゅわと鳴っていた。ピルゼン教授はグラスに顔を近づけ、怪訝な顔で泡を眺めた。


「ほう、『はいぼーる』とな……名の由来は何かね」

「ええ、諸説あるのですが、有名なのは、かつてゴルフ場で……」

「ごるふじょう?」

「失礼……空気の泡がグラスの底から立ち上っているでしょう。それを由来にしたんです」


 教授は俺のごまかしは意に留めなかったようで、待ちきれぬとばかりにグラスを持ち上げ、ハイボールをぐいと飲んだ。


「ぬおおお! この、痛いとさえ思える強烈な泡の、柑橘が酸味と、鼻腔をくすぐり脳内を響かせる、舌の右端。どっしりと、甘さに。重厚な酒精の、こめかみ」


 教授はなにやら支離滅裂なキーワードを幾つも発しながら、椅子の上でバグった。

 その隣で、マノン先生もハイボールを一口飲んだ。


「……うん! この間飲ませて貰ったものよりも、ずっと飲みやすいです! 檸檬の香りが爽やかで良い感じです。夏に飲んだら最高かも!」


 マノン先生は顔を綻ばせそう答えた。教授よりも余程参考になる意見だった。


「ねっ、そう思いませんか? ベッグさん」

「う、うい」


 満面の笑みを浮かべたマノン先生にそう問いかけられ、向かいの席に座っていたベッグは顔を真っ赤にして俯いた。年齢はマノン先生よりもベッグの方が少し上の筈だが、身長差もあってか、その二人のやりとりは姉弟のそれを彷彿とさせた。

 ベッグは初対面のマノン先生を明らかに意識していた。カリラとレゼルにいい土産話が出来たものだと、俺は内心ほくそ笑んだ。


「ぬふー、良いね良いね堪らないじゃあないか。麦酒とは違った趣があり素晴らしいね」


 そうだろうとも。きちんと作るハイボールは今日びバーでもなかなか飲めないのだ。

 ピルゼン教授の反応に、俺は少しホッとした。事前の試飲でベッグに「詰まんねえ味になった」との評を受けていたからだ。ベッグは生粋の麦芽だけで作るシングルモルトウィスキー至上主義者であるようだった。


「君達の作る酒はまっこと独創的だが、売れるかどうかは話は別だ。確かにこの『ぶれんでっどうぃすきー』、先に飲んだものよりも些か個性に欠けるが、王都の人々にウケるのは明らかにこちらの方だろう。私は魔王陛下の考えに賛同するよ。どうかねベッグ君」

「……ま、ピルゼンの旦那がそこまで言うならそうだろうともよ」


 ベッグは多少不満げに、皿に盛られたポテトチップスを数枚掴み取りばりばりと噛んだ。


「このお酒がお店に売られたら、わたし、何本も買っちゃうかも」


 ハイボールをくいと飲み、ふぅと可愛らしい息を吐いて、マノン先生はそう言った。

 

「……そ、その程度の酒だったら、別に買わなくても、幾らでも作ったりますよ」


 ベッグはぶっきらぼうにそう言って、手前に置かれたハイボールをぐいと一息で飲み干した。目はちらちらとマノン先生の方を盗み見ていて、顔は相変わらず赤かった。

 良い肴が手に入った――そう思いつつ、ふと視線に気付き前を見ると、ピルゼン教授と目が合った。どうやら彼も、俺と同じ事を考えているようだった。


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