第二十四幕 酒場荒らしのクレイジー・ベッグ



「最高の講義だったわ!」


 講義後、レゼルは俺の研究室にやってきて、席に着くや興奮した面持ちで、先程の講義の感想を話し始めた。身を乗り出して話すので、彼女が言葉を放つ度に金色の髪の毛がぴょこぴょこと上下に揺れた。はしゃぎ回る髪の毛を、先日彼女にプレゼントした紺碧のリボンが結んでいた。カリラは早速ケトルに水を入れ、三人分のお茶の支度を始めていた。


「あたしは特に、百年前にロンクルード博士が行った魔術実験のくだりが素晴らしかったと思うわ。教科書に書かれている周知の研究事例から『燃素』の概念を完全に否定する結論に至ったときの、講義室のみんなの顔ときたら!」


 レゼルがそう言うと、カリラもポットにお湯を入れながら話題に乗っかってきた。


「それを言うなら、幾何学の解説もです。ファウンタの三角式がああいう風に展開出来るなんて、私、考えたこともなかったです。それがスエルの法則と結びついて、再現不能と言われていたリーヴィアの塔の力学式に収束していく展開は……一遍の詩を読んでいるようでした」


 レゼルとカリラのそんな感想を聞いて、俺は心底嬉しくなった。

 嬉しくなったと同時に、この子たちちょっと変わってるよな、とも思った。

 前世でもそうだった。学生という生き物は、偏差値が七〇を越えたあたりで何かがずれる。


 とはいえ、俺は満足だった。どんな形であれ、自分が心血注いで作ったものに、何かしらの暖かい言葉を投げかけて貰えるのはこの上ない幸せだった。

 そう思いながら、俺がカリラの淹れてくれた紅茶をすすった、その時だった。


 がこん! がこん!


「うぉっ!?」

「きゃあ!」

「な、なになに!?」


 その音は、今まで聞いた事がない程の音量で、午後の研究室をがなり立てた。

 一瞬、それを大型の地震かと思った俺は、目の前の机を掴み何事かと周囲を見回した。


 すぐに、俺たち三人は音の原因を突き止めた。鳴っているのは扉のノッカーだった。あまりに強く鳴らされていたので、一瞬それがノッカーの音だと気付かなかったのだった。音はまだ鳴っていた。部屋全体が揺れているようにさえ感じられた。


「せ、先生ぇ……」


 俺の袖を掴むカリラは既に涙目だった。俺は意を決し立ち上がった。


「……カリラ、慎重に書斎の方に行ってくれ。大窓の外に人が居ないかを確認しろ。人が居たら大声で俺を呼べ。人が居なければ、窓を開けて逃走経路を確保するんだ。レゼルはいつでも魔術が打てるよう構えて、机の影に隠れてろ」

「わ、分かりました」

「了解」


 カリラとレゼルは即座に動いてくれた。俺はゆっくりと扉に向かう。


「カリラ、どうだ?」

「こっちは誰も居ません。窓、開けます」

「頼む」


 カリラの返答を聞いて、俺は出入り口の内鍵に恐る恐る手を掛けた。

 俺は緊張していた。穏やかではなかった。


「レゼル、準備良いか?」

「いつでもどうぞ。敵っぽい奴が出て来たら貴方ごと凍らすわ」

「頼む」

「冗談よ馬鹿」

「それでもお前とカリラに危害が及ぶよりずっと良い。もし凍らせたら後で溶かしてくれ。……いや、それにしても、敵だとしたら一体どんな奴だよ。俺、この世界で誰かに恨まれる様な事してない筈だが」

「……勇者じゃない?」


 机の影に隠れたレゼルがぽつりとそう呟いた。


「お前、レゼル、お前、それ」


 レゼルのボケなのか本気なのか良く分からない返答を咎めつつも、俺は恐る恐る入り口の扉を開けた。



「異界の魔王、カラン・マルクってぇのは、あんただな?」


 最初誰も居ないかと思ったが、そうではなかった。

 ノッカーをけたたましく鳴らしていた来訪者の背丈があまりに小さく、下を向かねば彼を目視出来なかったのだった。

 若い男ではあった。身長120センチほどで、横幅は隆々とした筋肉で縦ほどに膨らんでいた。顔は傷だらけで、赤褐色の瞳は燃えているように熱く、三角に尖った耳は少し欠けていた。何かの皮をなめしたごつい前掛けを、冒険者用の厚手の服に纏っていた。この寒いのに靴も靴下も履いていなかったが、それを裸足というべきかどうか……足元から生える硬い毛に覆われていたので、寒くないのかも知れなかった。背にはくすんだ色の風呂敷を背負っていた。

 

「おれはベッグ。ベッグ・ウーガダール。南の板金街の四ツ角の、王都最強の鍛冶屋だ」


 男――ベッグは右手の親指で自分を指し、濁り酒のような声でそう言った。


「貴方、『酒場荒らしのクレイジー・ベッグ』ね」


 ベッグを見たレゼルが、彼に向かってそう言った。俺はとてもいい気分になった。

 酒場荒らしというだけでもワクワクするのだから、そこにクレイジーがつけば尚更だった。


「『氷の姫』か。『異界の魔王』と懇意だってのは本当だったんだな。ふん、可愛い子ちゃん二人はべらせて魔王陛下は優雅なティー・タイムってとこか。大層なご身分じゃあねえか」


 その通りだったので、俺は返す言葉がなかった。


「何しに来たのよ『酒場荒らし』。ここに用事なんて無いはずよ」


 レゼルは剣呑にそう言うが、この部屋の主は確か俺だったはずだ。

 ベッグはレゼルを睨みつけて、俺の二倍はありそうな人差し指を彼女に差し向けた。


「お嬢ちゃん、おれを『酒場荒らし』と呼ぶな。なぜかって? 端から端まで歩いても軟弱な酒しか置いてねえこの王都に、酒場と呼べる場所がねえからよ」


 二人のやり取りが西洋映画のひと幕に見えてきた俺は、取り敢えずベッグを部屋にあげてみることにした。カリラもその流れで、ベッグの分のお茶の準備を始めた。


 ベッグは前掛けから取り出した、何の毛で出来ているか分からないが強そうなブラシを使って、足の裏に生えている毛から土埃を払い、俺の部屋にあがり込んだ。礼儀正しい奴だった。

 そして彼は、背負っていた荷物を机の上に置いた。彼の目線からは机の上が見えなかったようで、荷物が紅茶のカップの端に当たり、がちゃりと音を立てた。レゼルは眉を顰めた。


「なんだこれ?」

「なんだもなにも、あんたの注文の品だよ。作るにゃあちいと骨が折れたがな」


 俺が尋ねると、ベッグは前掛けのポケット(ブラシとは別のポケットだった)から折りたたまれた紙束を取り出して俺の方に差し出した。

 紙束には心当たりがあった。先月に俺が描いた設計書だった。と、いうことは……。


「これ、蒸留釜か! もう出来たのか!」


 俺の返答にベッグはにやりと笑い、机上の荷物から風呂敷を取り去った。

 風呂敷から姿を現したのは、窓から差し込む冬の光を見事に跳ね返す、輝かんばかりの銅で作られた、玉葱型の蒸留釜――ポットスチルだった。


「なんですか、これ。すごく綺麗……」


 紅茶をベッグの前に置いたカリラが、机の半分ほどを占拠しているポットスチルをしげしげと観察していた。玉葱を思わせる全体の膨らみを見て、伸びすぎた芽のような上部の蒸留機構を見て、磨き込まれた銅の表面の美しさに目をきらきら輝かせた。


「ポットスチルという釜だ。麦酒を加熱して、沸点の違いを利用して水と酒を分離させ、より酒精の強い酒を抽出するための道具だ。特注で作って貰ったんだ」


 俺のその解説を聞いた瞬間、ベッグは我が意を得たりとばかりに呵呵大笑した。


「やはりそうだったか魔王! これは錬金術じゃなく、酒造りのための道具だったんだな!」


 ベッグが笑うたびに、彼には小さすぎる椅子が嫌な音を立てて軋んだ。彼は言葉を続けた。


「あんたが秋の終わりに、そこの氷の姫を酒で口説いたって話を聞いて、もしやと思っ……」

「口説いたんですか先生」

「口説いてねえよ」

「口説かれてなかったの?」

「話を聞けえ!」


 ベッグは一喝した。場は一旦落ち着いた。


「記憶を失くしてからの魔王は酒にご執心だって噂だ。しかもこの王都に住んでる。魔王が次に目を付けるの酒の原料は、特産の麦に違えねえと思った。そんな時のこの依頼だ」


 ベッグは真新しいポットスチルを、そのごつい手からは想像もつかない優しさで撫でた。


「人間の古い本で読んだんだ。海水を錬金釜で煮れば飲み水に化ける。だから思った。こいつを使って麦酒を煮れば何かに化ける。そしてそれは、正解だったのさ」


 ベッグは前掛けのポケット(ブラシとも設計書とも別のポケットだった)から一つの瓶を取り出した。あまり出来のよくない、気泡が沢山入ったガラスの小瓶で、中に透明の液体が入っていた。


「まず、こいつを飲んでみてくれ」

「やめなさいカラン、毒かもしれないわよ」


 レゼルは即座にそう言ったが、俺には、目の前にある、この鏡のように磨かれた蒸留釜を作った男が、とてもそんな真似をするようには思えなかった。

 俺は空になっていたカップを洗い、そこに小瓶の液体を少し垂らした。


「……え?」


 その液体がカップの底に触れるより早く、俺は事態を把握した。

 無職透明のその液体から確かに放たれる、煙を思い出させる独特の薫香。

 それは、俺がこの世界に流れ着いてこのかた、ずっと探していた香りだった。

 俺は半ば反射的に、その透明の液体を飲んだ。


「!」


 俺は驚愕と感動で打ち震えた。脳の髄から渇望していたものが、今まさにこの手にあった。

 俺のただならぬ様子を認めたレゼルとカリラも、恐る恐るその液体を口に含んだ。


「っ! っな、なによこれえ!」

「火を、飲んでるみたい……」


 だが、レゼルもカリラも、その液体を一口含んだだけで、途端にむせ込んだ。

 それは当然のことだった。その液体は、麦汁を二度も蒸留した末に求められる、五〇度を超える強い酒で、しかもその酒を作るのに用いられた大麦の芽は、ある特殊な素材によって燻されていて、その時の煙の香りが、酒の香にはっきりと染み付いていたのだから。


 だが、この異世界で、俺にだけは、はっきりと分かる。

 その透明の酒は、大麦の蒸留酒……まぎれもなく、ウィスキーだった。


「魔王、あんたが、この錬金釜でやりたかったのは、これだったんじゃねえの」


 ベッグが瓶の酒――ウィスキーを示した。


「……その通りだ。俺は、この酒を作るために、この釜を依頼した。だが……」


 俺にとって、それ以上に重大な発見が、その酒には仕込まれていた。


「なあベッグ、この酒を作るとき、大麦の芽を、どんな燃料で燻した?」


 それを聞いたベッグは、まるで獲物を見つけた海賊のように獰猛に笑ってこう言った。


「お前みたいな男を、ずっと探していた。来い。お前をホビット庄に案内する」


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