第七幕 チート・次元跳躍・回復魔術



 カラン・マルクはこの異世界の王国北部の、端の端にある寒村で、農家の両親の元に生まれた。土地は痩せ、時折魔物の襲来も受ける。寒季はかなりの雪が降り積もる、そういう場所だった。

 カランには生まれつき魔術の才能があった。その時は知られていなかったが、その才能は世界中でも類を見ないほどのものだった。

 十歳になる頃には、カランは自身の魔術の全てをその寒村のために費やし身を粉にして働いていた。土を肥やし、畑を耕し、単身魔物と戦い、狩猟をして家族や村民に食料を分け与えた。集落の餓死者はみるみるうちに減り、いつしかカランは村の英雄とされていく。


 レゼルからそんなカラン・マルク――魔王陛下の幼い頃の話を聞き、俺は嘆息する。

 生まれ持った魔術の才能で村を救う天才少年。

 なんとも皮肉な話だ。まるでどこかの異世界転生ものの、主人公みたいじゃないか。


 だが、そんな生活の終わりはあっさりと訪れる。カランが稼げると分かるや否や、土地の領主は彼から徹底的に搾取しようと画策した。

 領主の館から、カランを連行するため兵が送られ、カランの父はカランと彼の母親を匿い、兵に抵抗して殺された。寒い寒い、冬の事だった。領主は兵を使ってカランの行方を追ったが、カランに返り討ちにあってそれは適わなかった。


 カランは衰弱してゆく母親を庇いつつも、太陽と星の動きを頼りに王都へ逃亡する。

 九日後、王都近郊の森の中で、凍死寸前のカランと、カランの母親が見つかった。

 カランの母親は、その時既に息絶えていた。


「…………」


 少年期のカラン・マルクの壮絶な過去を聞き、俺は何も言葉を言えないでいた。一方のレゼルは、それが己に課された義務であると言わんばかりに、そこまでのカランの記憶を――恐らく彼女本人が、彼から直接聞いたのであろう記憶を――事務的ともいえる様子で語った。


「あの人から、聞いた事があるの。あの人が、お母様を亡くした時の事」


 レゼルが紅茶を受け皿に置く。その仕草は指先まで洗練されており、音は一切立たなかった。


「猛吹雪の夜で、月明かりだけを頼りに、あの人は朽ちていくお母様の亡骸に、必死に回復の魔術を施したらしいわ。無駄なのよ、本当は。外傷や内臓の損傷は直せても、魔術で飢えと病は凌げないのだから。……分かっていても、止められなかったんですって。零した涙がお母様の頬に落ちて、次の瞬間それが凍りついていくのを見ながら、それでも魔術を使い続けて、そして魔力が尽きた時、彼は」


 そこまで言って、ゆっくりと椅子から立ち上がったレゼルは、そのまま不確かな足取りで数歩歩き、部屋の奥に設えられた天蓋付きのベッドに仰向けに寝転がった。

 きっとこの世でも最も柔らかい寝具であろうそのベッドは、レゼルの身体を容易く受け止め、小さくぽふりと音を立てた。


「この世界にひとりぼっちになって、魔術の無力さを痛感して、己の非力さに絶望したの」


 俺は音を立てる事も適わず、その様子を見守る。


「……それがあの人の……カラン・マルクの十五歳の冬。今のあたしと、同い年よ」


 絶望の中で、カランは助けられ一命を取り留める。

 その後王都に移り住んだカランは、魔術を使った仕事で生活費を稼ぎながら、学費を貯めてエレヴェンス・ギルト王立上級学校に入学する。類稀な魔術の才能を持ちながら、彼は農学や薬学や医学等の、魔術を用いずとも人を救うことが出来る類の研究に没頭する。


 そして、彼が二十歳を迎える頃となったある時期に、王都である疫病が進行する。

 俺は言葉を継いだ。


「その話はカリラから聞いた。人口の二割が死んだ恐ろしい疫病を、カランが鎮めたんだってな」

「ええ。当時、それは死神病と呼ばれていたわ。病が動物から人へ、血を介して移動するという事に気づいたあの人は、病院や教会を介して国中に対処法を伝えた。熱いお湯に消毒の効果があるという事ですら、当時国の殆どの人が知らなかったから、その効果は絶大だったの。……ふふ、異世界から来た貴方には、もしかしたら私たちの事が、未開の野蛮人みたいに見えているのかも知れないわね。……そしてあの人は、既に罹患した人を治療するために、その膨大な魔力を駆使して大量の薬を精製して、遂に死神病を鎮めたの」


 レゼルはベッドの上で寝転がりうつ伏せになる。

 段々と剣呑さを増していく声が、ベッドのシーツ越しにくぐもって聞こえてくる。


「そしてあの人は、周囲から恐れられた。瞬く間に病魔を払ったあの人自身が、影で何かを企んでいるのではないかと、少なくない貴族家たちから非難されたの。同調した宗教関係者には、彼の事を、”この世界の始まりと終わりを、意のままに操れる魔王”とさえ、呼ぶ者もいたわ」

「…………」

「カラン・マルクにはこの国の外に出た経歴が無い。なのにカランの知識は海より深い。その知識で救われた何十万人もの人達の誰もが疑問に思ったわ。『カラン・マルクは世界を救った知識を、一体どこで得たのだろうか』と。叙勲のあと、王城で投げかけられたその質問に、あの人はこう答えたの」


 レゼルがゆっくりと起き上がり、俺に向かって歪に微笑む。

 もしかしたら、幼かった当時のレゼルもまた、その場に居合わせていたのかもしれなかった。

 その時の彼の表情を、今ここに再現しているのかもしれなかった。



『異世界からですよ、皆様方。私は次元を渡る者。

 一部の方が私をお呼びのその通り、他の世界で人は私を『魔王』と呼ぶ』



「…………」

「あの人は蔑称である『魔王』を自称して、そう呼ばせる事で、この世界中の人間を、永遠に自分の敵としたの」


 レゼルは再びベッドにうつ伏せて、その細腕に枕を掴む。

 そして、新品のように見えるその清潔なカバーに爪を立てた。


「……あの人は、それから王立学校の研究室に篭って、人を救うための研究を止め、この世界を旅立つための研究に没頭するようになったの。死者との交信、過去への転移、そして平行世界の存在証明……。それは世界中であたしとカリラしか知らない秘密。多分この世界の人達が、今後数百年をかけて見つけていく筈だった秘密を、あの人は解き明かして行った。けれど、あの人は結局、馬鹿な考えを捨て去る事が出来なかったの。どこかの平行世界の自分は、もっと上手くやれているんじゃないのか、って。血を分けた家族と楽しく暮らしているんじゃないのか、って。独りでは、ないんじゃないか、って」


 そしてレゼルは、この静かな部屋でなければ絶対に聞き取れないようなか細い声で、こう言った。


「あたしとカリラは、それを止める事が出来なかった。五年が経っても、あの人は独りのままだった」


✳︎✳︎✳︎


「お帰りなさい先生。今日は随分と遅かったですね」


 ギルト王立学校にある俺の研究室に帰ってきたのは、もうじき日が傾くのではないかというような時分だった。


 カリラは当然のように俺の研究室で待っていた。


「ああ。ただ今、カリラ」


 返事をするとカリラはにこりと笑う。

 ……きっとこうして、彼女もまた、六年間の長きに渡って、カランを魔王としてでなく、人間としてこの世界に止めようと、静かに、必死に、戦っていたのだろう。

 そう思うと、カランに対して、昨夜の酷熱の怒りとは違う……もっとドロドロした別の何かが、自分の中に湧き出すのを感じた。


「レゼルお嬢様とはちゃんとお話し出来ましたか?」


 カリラは笑顔のまま、俺にそんな母親染みた事を訊いてくる。

 自分の中の変な扉が開きそうだからいい加減やめて欲しい。


「ああ。……知り合いだったんだな、カリラとレゼルは」


 不意を突かれたように、カリラがぱちくりと目を瞬かせる。


「レゼルお嬢様から聞いたんですか?」

「お嬢様も、俺の前では付けなくて良いよ。本当はその呼び方、レゼル本人から禁止されてるんだろう?」

「……あはは、そんな事まで話したんですか、レゼルちゃん」


 ばつが悪そうに苦笑いして、カリラはぽりぽりと頬を掻く。


 シャルトリューズ家を出る間際、俺はレゼルからその話を聞いた。

 レゼルは、シャルトリューズ家の方針で、幼い頃の一時期を、孤児院で過ごしていたらしい。

 その頃に仲良くなったのが、当時孤児院で暮らしていたカリラだったとの事だ。

 その後二人は身分の違いもあり会う事はなかったが、シャルトリューズ家が魔王カランに娘の家庭教師を頼み込んだ事、カランが孤児院で暮らしていたカリラに母親の面影を見出し引き取った事で、二人の物語は偶然にも再び交錯する事になる。



 その後。

 カリラの作る、昨夜よりもずっと豪華な食事に舌鼓を打ち、俺は彼女と楽しく夕食を過ごした。

 レゼルから聞いた、魔王カランの悲劇については何も触れなかった。


 昨夜よりも幾分早い時間にカリラを女子寮に送ったあと、俺は書斎の床に散らばるカランの残した羊皮紙達を手に取り、一枚一枚読んでいった。

 不思議なものだ、と俺は思った。

 昨夜の今頃は、彼の残したこんな紙くず達は死んでも読むまいと思っていたのに。

 俺は今でもカランの事を許した訳ではないのに。


 カランの残したノートは、元理系男子の俺にとっては非常に有難いことに、とてもロジカルで分かりやすいものだった。頭の良い人間特有のテキストと言うべきか、俺の与り知らぬ魔術の理論においても、俺にとっては既に常識である、この世界の学者達が今後数百年に渡って解き明かしていくのだろう数学や物理学や科学の理論についても……彼がこの世界を知ろうとした足跡が、とても丁寧な筆致で綴られていた。


 その中で一際面白いノートを見つけた。

 回復魔術に関する研究だ。彼が母の今わの際に使った魔術。

 それは魔術を掛けた患部の新陳代謝を促進させ、傷を急速に回復させる効果があるが、カランに言わせるとこれを回復魔術とカテゴライズするのは正確ではないという。


 というのも、この魔術の経過を詳しく精査すると、患部周囲の時間経過がそれ以外の空間と比較して早くなっている効果が認められ、試しにカランが、同じ時期に生まれた十数匹のネズミの実験台を二グループに分け、一方に回復魔術を繰り返し使用し、もう一方には何の措置もしなかったところ、前者のグループの平均寿命は明らかに後者のグループを下回ったとある。

 回復魔術はだから、正確には無限の可能性を持つ『時間操作魔術』の一種なのではないかという筋だ。


 しかし、この後、誤差や外部要因の影響を考えてより詳細な実験を企画した段階で、このノートは急に途切れている。

 ノートの最後の一文には、こんな事が書いてある。

――残念ながらネズミを被検体にしたこの実験は中断する。カリラにバレて大泣きされた。


「なにやってんだ、こいつは」


 悪役やるなら最後まで悪役やってくれよ。魔王陛下。

 人間臭い事をするのなら、最後まで人間として、この世界にいてくれよ。

 この俺なんかよりも余程適切な存在として、お前を慕っていた二人の少女の傍に。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る