第241話 なお、ばぶぅとする

 体育の授業が始まる前、女子達が先生を囲んでいた理由が分かった。彼はかなり本格的なプログラムを組んでいたようだ。本当に不必要なくらいにしっかりしたものを。才能の無駄遣いってこういうのを言うんだなって思った。

 起動させるぞーと彼が声を掛けると、指示をされたワケでもないのに、クラスメート達は体育館の壁際まで移動した。多くの生徒は起動テストを見ていたはずだ。着替えが遅れた私達はその理由が分からなかったけど、なんとなく嫌な予感がして他の生徒と同じように端に寄った。


「よし、こんな感じかな?」


 先生がタブレットをタチタチと操作して顔を上げると、体育館の床の半分くらいがぐねぐねと形を変えた。真ん中が丸く盛り上がり、平らになり、縁には縄みたいな装飾が付いて……そう、土俵の出来上がりである。

 ふぅ、ちょっとした軽作業をやり遂げたぞ☆ という顔をしている凪先生の横顔を見つめ、私はドン引きしていた。なんか適当に丸い枠が描かれるプログラム書くだけで良かったんじゃないの? なんでわざわざ落ちたらちょっと痛そうなとこまで再現してんの?


「おい、すげぇな……」

「ただの授業にここまでする?」

「まぁ先生も、今日の授業は半分遊び気分なんだろ。多分」

「あぁー……」


 私と志音は、妙にキラキラした爽やかな笑顔を浮かべている凪先生を見つめた。楽しかったんだろうな、体育館の半分を土俵にするプログラム書くの。


 我が校の体育館が、プログラムによって形を変えることは知っている。土俵はさすがに想定外だっただろうけど、学校全体で行われる身体測定にて簡易的なパーテーションを作ったり、必要に応じて椅子を作ったりと、結構地味な活躍を見せている。

 というかそれくらいしかできないと思っていた。そしてそれは私だけではないだろう。授業が始まる前の人だかりも頷ける。


「潤んだ瞳で「なんでもするから落とさないで」と言う知恵……いい……」

「言っとっけど、あたしは全力でお前に勝ちに行くからな」


 相撲ってどんな競技か知ってる? と聞きたくなるような妄想を繰り広げる菜華と、そんな菜華を睨み付けながら腕を組む知恵が、少し離れたところでアホな会話をしていた。二人は土俵の完成度よりも、このあとの勝負が気になるようだ。知恵が全力で菜華に向かって行くのも、結局負けて悔しそうにしてるのも、私には見えるよ。っていうかこいつが菜華に勝てる要素、思いつかないし。


 反対側の壁に寄って立っている子達も、ほとんどは土俵に視線を奪われていた。家森さんと井森さんだけが、冷ややかな笑みを浮かべながら見つめ合っているように見える。でも私は知っている。あれはね、見つめ合ってるんじゃなくて睨み合ってるの。なんて言ってるか聞こえないけど、どうせ罵り合ってる。


 凪先生のプログラムはこれで終わりではなかったらしい。壁に寄っている生徒たちに声を掛けると、ステージに注目するよう言った。なんの変哲もない壁だけど、あれがどうしたというのだろう。


「今からステージの壁にトーナメント表を出すから、左から順に消化してってもらうぞー」

「げっ……ランダムってこと……?」

「みたいだな」


 彼の呼びかけに苦い表情をしているのは私達だけのようだ。みんな、なんで平然としていられるの? 知恵と菜華はいつも通りだからいいとして、井森さん達に当たったらヤバいとか思わないの? 危機管理能力ってヤツが欠如してるとしか思えない。

 そして、ぱっと表示された生徒の名前を見て、私は笑いを噛み殺すのに必死だった。私はとりあえず危機を免れた。けど……。


「じゃあ最初は小路須と乙だな。土俵に上がってくれ」

「……ひひははは」

「お前にとって面白い展開なのは分かったからその笑い声やめろ」


 名前を呼ばれた志音は、まだ何もしていないと言うのに既に憔悴しきった表情で、弱々しく私に抗議した。しかし私の上機嫌は止まらない。振り返って見ると、菜華がすごい目で志音を見ていた。怨念を感じるっていうかあいつそのものが怨霊だ。


「志音、頑張ってね?」

「自分が関係無いからって、いい笑顔で言いやがって……」


 志音は私の不自然な激励に文句を言うと、土俵に上がった。まわしがあった方がそれっぽく見えるんだろうけど、なんか十分貫禄が出てる。強そう。っていうかあいつ、実際強いんだろうな。


 あの謎の威圧感にすっかり飲まれるのではと思われていた知恵だが、「っしゃー!」なんて言って腕を回していた。あいつもルール分かってるのかな。殴りそうな勢いで怖いんだけど。


 知恵は臆する様子は一切見せず、ズンズンと土俵に向かって歩いていく。なんであんな自信ありそうなの? もしかして、知恵ってすごい怪力とか?

 考えれてみれば、菜華に力で敵わないとは言ってたと思うけど、平均よりも弱いなんてことは一言も言ってないかも……? 


「手加減しねぇかんな!」

「あたしはするぞ。お前弱そうだし」

「んだとてめぇ!」


 腰を落として睨み合う両者。というか一方的に睨まれる志音。そして凪先生が嬉しそうに「はっけよーい、のこったー!」と合図した。相撲好きなのかな。これだけ気合いの入った舞台を用意するくらいだし、まぁ好きなんだろうな。


「うおー!」

「……」


 飛び出した知恵は、志音の懐に潜り込み、腰に手を回して力いっぱい押している。しかし、志音は微動だにしない。それどころか、心配そうな表情を浮かべて、うーうーと唸る知恵の頭を見下ろしている。


 なんかもう全てを察した。

 あいつ、なんであんな非力なのに「やればできる……!」みたいな風格漂わせてたの?

 一瞬でも騙されたのが悔しくて仕方ないんだけど。


 志音と知恵は土俵の真ん中から動かない。あれは長引きそうだ。まぁ志音がちょっと知恵を転がせばいいだけなんだけど。知恵の気が済むまでやらせてやろうという志音の気持ちも、分からないではないし。

 そうして私は菜華の方を見ようとして、だけど、首を少し動かしたところで静止した。


 今、菜華はどうなっているだろう。頑張ってる知恵を動画に収めようとしているだろうか。いや、それならもっと土俵に近付いているはず。私が振り返るまでもなく、ヤツの姿は視界に入ることになる。菜華はずっと壁際から動いていない。

 となれば、やっぱり、知恵の対戦相手に怨念を送っているというのが妥当なところか。怨念を送っているのが妥当と思われる女子高生ってどんなだよ。


 とりあえず、心の準備はした。

 これで漏らさないと思う。


 そっと振り返ると……菜華は泣き出す2秒前の赤ちゃんみたいな表情になっていた。

 ねぇ。

 キモいから。

 震えながら下唇を噛むな。


 おそらくは頑張る知恵を見守る母のような気持ちと、全力で抱きつく格好になっている対戦相手への羨ましさであんな顔になってしまったのだろう。


 あまりにもキモい菜華の表情に絶句してると、土俵から妙な声が聞こえてきた。視線を戻すと、知恵が明らかにバテている。肩で息をしながら、だけどまだ勝利を諦めていない。

 その意気は立派だけど流石に諦めろ。あんたちょっと離れて志音の顔見てみなさいよ。「あたし、強くてごめんな?」って申し訳なさそうな顔してるじゃん。


「っはぁ……んっ……くっそぉー……はぁ、はぁ……んー……!」


 頑張ってるとこ悪いけど、軽くいかがわしい。

 嫌な予感がして再び菜華を見ると、今度は狛犬のような顔をしていた。


「ひえっ……」


 さっきのばぶばぶな表情はどこいったんだよ。


 志音、早く決着付けて。

 アンタ死ぬよ。


 もうほとんどただ息を荒げて抱きついているだけだった知恵を抱き留めながら、志音は菜華の方を向いた。あの表情を見て何も思わないヤツはいないだろう。

 志音は知恵の肩を掴んで、優しくその場に転がせた。というか、寝かせたと言う方が正しいかもしれない。私あれテレビで見たことある。子供の相手をするお相撲さんが、あんな感じで優しく負かせてた。


「へっ!? ……あたし、負けたのか?」

「おう。ほら」


 志音は知恵に手を貸すと一緒に土俵を降りた。初戦ということもあってか、静かに戦いを見守っていた生徒達だったけど、勝負がつくと賑やかさを取り戻していった。

 二人は、時おり「おつかれー!」などと声を掛けられながら、こちらへ戻ってくる。


「二人ともお疲れ様。というか知恵だけがお疲れ様」

「なんでだよ! こいつだって疲れてるだろ!」

「お前、本気で言ってんのか……?」


 知恵は何故か接戦だったと思ってるみたいだ。必死過ぎて周りがあんまり見えてなかったんだろうな。マジで全力だったんじゃん、こいつ。


「知恵……知恵と勝負することが、叶わなくなってしまった」

「そういえばそうだな」

「だけど、私も知恵と相撲をしたい。ので、あっちでこっそりしたい」

「絶対相撲じゃないことしようとしてるだろ」


 知恵はにじり寄る菜華にチョップをすると、腕を組んで次の試合の観戦を始めた。次の対戦相手はどっちだ、みたいなオーラ出してるけど、アンタ負けてるからね。


 女子達がキャーキャー言いながら組み合っているのを見ると、ちょっと安心する。そうだよね、女子高生が相撲したら本来あんな感じになるよね。私はどこかほっとした表情で、さくさくと消化されていくトーナメントを見守った。

 ステージ上の表が、そろそろ井森さんと家森さんのバトルが始まることを知らせていたけど、見なかったことにした。

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