インターバル

第240話 なお、どすこいとする

 私は教卓の前に立った体育教師をぼんやりと見つめていた。正確には今日一日だけの体育教師として任命された凪先生を。彼は箱に入った紙をガサガサとかき回しているところだ。

 今日は体育の先生が不在なので、予定を変更して体育館を使ったスポーツをするらしい。競技は公平にくじ引きで決めることとなった。凪先生はくじの入った袋をごそごそとしているのだ。私はそんなにスポーツは好きじゃないので、バレーとかドッヂボールになったらイヤだな、なんて考えてそれを眺めている。あとバスケもイヤ。そもそも球技がイヤ。だけど、その辺りのスポーツが書かれた紙が、あの中にはひしめきあっているのだろう。考えるだけで憂鬱になる。


 他校の生徒を交えた演習については、まだ通達が無い。居昼先生が適当なことを言うとは思えないし、きっとこれから動きがあるんだろうけど。演習のためにどこに行くのか、どんな内容なのか、時期的に中間考査の一部なのか。気になることは山ほどある。


「よーし! これにするぞー!」


 凪先生が折り畳まれた一枚の紙を手に取って天井に掲げた。ちなみに、男子はさっさと更衣室へと向かっているので、女子だけがやけにハイテンションの彼を見つめている。


「えー……相撲!」

「はぁ!?」


 読み上げられたそれに、つい激しく反応してしまう。私は慌てて口を押さえて俯いた。きっと、「はぁ? 誰、そんなふざけたこと書いたの」というリアクションだと思われたことだろう。だけど違う。相撲って書いたの、私だから。こういう時に私のものが読まれた試しがないから、どうにでもなれと思ってそう書いた。


 みんなは口々に「冗談だよね?」とか「イヤなんだけど……」とか「怪我させないように力を加減しなくちゃ」なんて言った。誰だ最後に並々ならぬやる気見せたヤツ。

 まぁ私は異議があるワケじゃない。冷静になってみると、適当に書いたわりに良かったかも、なんて思ってる。バスケみたいに走ったりしなくていいし、一瞬でカタがつくし。すごい、無自覚に最適解を導き出していたなんて。さすが私。


「場所も取らないし、案外いいかもな。よし、先生は土俵のプログラムを組んでおくから、みんなは着替えたら体育館のステージ前で待っておくように!」


 こうして私達は解き放たれた。先生が解散を告げた直後、各々がけだるげにジャージの入った鞄を持って立ち上がる。私もそうしようと思ったけど、志音が真面目な顔で振り返るから、眉間に皺を寄せて固まった。なんだ、その顔。キャッシュ消すアプリ使ったらスマホゲーのデータまで飛んだの?

 志音は周囲を警戒するように目配せをしたあと、ぴゃっと私の側に寄ってきて耳打ちをした。


「相撲って書いたの、あたしなんだ」


 発想被ってるのやめろ。

 しかし、このチャンスを逃さない手はない。私は腕を組んで、やれやれと首を振ってみせた。


「何してるんだか。全く、適当に書くにしたって相撲はおかしいでしょ」

「うっ。まさか本当に読まれるとは思わなかったんだよ」


 動機まで被ってるのやめろ。

 ぐぬ……となりつつも、私は志音に支度をするよう促し、かなり遅れてから教室を後にした。

 廊下を歩いていると、菜華が窓際に立たされ、知恵に怒鳴られていた。見て見ぬふりすることを決め、私達は知恵の後ろを華麗に通過していく。が、がしっと肩を掴んで振り向かされてしまった。


「んぐぇ」

「おい! 二人とも聞けよ! 次の授業の相撲、菜華のアイディアだったんだ!」

「………………っそうなんだ!?」

「おいおいおいーお前ー相撲はないだろ相撲はー」


 志音のリアクションが今世紀最大におかしい。なんとも言えない顔をして困ったような顔で口元だけ笑ってる。なんだろ、自分と同じ発想の人がいて嬉しいのかな。私も相撲って書いたのに。しかも同じ理由で。


「一応聞くけど、なんで相撲にしたの?」

「? 知恵と勝負すれば合法的にくっつける」

「土俵の上で公開プレイしようとするのやめろ」


 菜華は恥ずかしげもなく、淡々とそう答えた。そして何故かちょっと満足そうな顔をしている。知恵、前々から思ってたけど、あんたの彼女頭おかしいよ。


「だぁーから! そんな理由で相撲なんて書くなっつーの! 次やったら絶交だからな!」

「う……わかった……」


 そう言いつけると、知恵はずかずかと歩いていった。菜華はスタスタと知恵の後を追う。なんかまた特殊な痴話喧嘩を見せられてしまった気がする。


 体育館に辿り着くと、既に着替えを終えた生徒が凪先生の周りを囲んでいた。何か面白いことをしているようだ。だけど、まず着替えを済ませなければ。ステージ横の更衣室に進むと、井森さんと家森さんが腕を組んで対峙していた。あ、急にお腹痛くなってきたから今日はもう帰る……。

 家森さんはジャージを着ているが、井森さんは下はスカート、上はブラという危険な格好で居た。百歩譲って、喧嘩するのはアンタらの勝手ってことでいいから服を着ろ。もしくは脱ぐ前に喧嘩しろ。


「お前ら、何やってんだよ……」

「三連続。これが何を意味するか分かるかしら?」

「ノーヒントで分かったらヤベェだろ」


 井森さんの腕に力がこもり、胸がぎゅっとなる。豊満な乳の悲鳴が今にも聞こえてきそうだ。多分志音もそうだと思うけど、二人の喧嘩には結構興味がない。どうせ女を取ったとか取られたとかそんなだろうし。他の生徒が居れば二人も自重したんだろうけど、あいにくここには私達四人しか居ない。そして今後増える予定もない。

 私は手早く着替えを済ませることにした。首を突っ込むのは志音に任せておこう。背後を盗み見ると、志音もワイシャツのボタンを外していた。着替えのついでに聞きはするけど、そこまで熱心に耳を傾けるつもりはないようだ。そう、それでいいの、志音。偉い。


「あのさぁ、逆恨みはやめてくれるかなー」

「お互いの邪魔はしない、そうだったでしょ?」

「邪魔なんてしてないじゃん。井森さんがトンマだっただけ」

「トンマはどっちかしらねぇ。私の知人に手を付けた人の方がよっぽど相応しい気がするけど」


 予想が的中した私は「だと思った」という呟きを飲み込んでジャージを履いた。スカートを脱ぎながら時計を確認する。時間ギリギリだ。先生が何をしているのかも知りたいし、早く体育館に行きたい。


「まぁいいわ。今日の相撲で決着を付けましょう」

「……まさかと思うけど、井森さんも相撲って書いた?」

「まさかあなたも?」

「あはは! そうだよ! イチャモン付けられたら叩き潰さないとじゃん!?」


 なんだこいつら。

 みんな相撲って書き過ぎ。他になんか無かったの。相撲って書いた私が言うのもなんだけど。


「おい、バトる前に井森は着替えしろよ」

「どうして? 目のやり場に困る?」

「井森ってあたしのこと男子中学生みたいに扱うよな」


 志音は制服を畳みながら抗議した。からかわれてるのは志音だけだけど、私も結構目のやり場に困ってる。あれ、ちゃんと中に肉入ってるのかな。


「あはは! 札井さんもガン見じゃん!」

「触ってみる?」

「え、でも……」


 ずいと差し出された乳を前に、私は困り顔のまま言った。


「触るよりも、針で刺したい……」

「……?」

「……?」

「…………?」

「???」


 私の発言を聞いた井森さんと家森さんは、無言で「意味分かる?」「分かんない」「ヤバくない?」「ヤバいわね」と意思を通じ合わせているようだ。


「待って、私が特殊な変態だと思ったりしないでね? あまりにも大きいから、空気が入ってないか確かめたかっただけなの。分かる?」

「…………???」

「?」

「……??」

「なんか言えや」


 なんで急に言語を失うの。二人の反応にイラっとしていると、チャイムが鳴った。志音に肩を叩かれて振り返ると、少し青ざめた顔がそこにはあった。


「いいか、女の胸を針で刺そうとするのはやめろ」

「してない、したいって言っただけ」

「それが既にヤベェんだよ」


 叱られてムスッとした顔で前を向くと、そこには完全に着替え終わった井森さんがいた。え……? 着替えを、一瞬で……?


「……???」

「??」

「…………?」

「?」


 理解不能な早着替えに、私と志音は言葉を失って驚き合った。


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