第237話 なお、痛くないけど辛いとする

 第二ウェーブまでの時間、私は夜野さん達と、機器の最終確認をしていた。およそ15分ほどの猶予があると教えてくれたのは、居昼先生だ。彼の声はとんでもない爆音だったから、あれを聞き逃す生徒はいないはず。っていうか近くに立っていた生徒の鼓膜は大丈夫だったのかな。

 先生によると、あのように電子の状態でバーチャル空間に吹き出すバグの赤ちゃんのようなものはたくさんあるのだという。出現する場所と時期は大体決まっていて、昼夜問わず、ほぼ同じくらいの間隔で吹き出すらしい。まるでバーチャル空間が呼吸してるみたいだと思った。


「覚えたか?」

「大体は。途中で分析役と指示役を交代するんでしょ?」

「おう。どっちがいい?」

「今は私が機器をいじってるから、このままでいいかな」

「おいおい、そんな理由かよ……ま、夢幻が先輩にケンカ売ると面倒だし、これでいいか」

「了承される理由が理解不能なんだけど」


 誰が誰にケンカを売るかもしれないと思っているんだろう、こいつは。まぁさっきの実習で「は? 何コイツら」って思ってるから絶対売ると思う。実を言うと既に「いくらムカついたからって嘘を教えちゃダメ、嘘を教えちゃダメ」って自分に言い聞かせてるし。

 モニターに視線を向けて談笑している夜野さん達へと振り返った。二人は、私達の準備が落ち着いたのを見て、やっとのんびり見守るモードになったようだ。近くの台に軽く体重を預けて笑う夜野さんに向けて言った。


「夜野さん達って、すごいよね」

「んー? こんなの慣れだよ? 何回かやれば誰だって」

「そうじゃなくて。あんな憎まれ口を叩かれてたのに、デバッカーに嘘を教えないってすごいと思う」

「人として最低限のところで褒められてたー」


 ケラケラ笑う鞠尾さんと、その発想は無かったと驚く夜野さん。夜野さんがピュア過ぎて怖い。半年もデバッカーの補助や指示をやっていれば、一度はムカっとすることがあると思うけど……。

 この人の探求心がマッドな方向に向かった時の絶望感って、こういうところなんだよな。あ、冗談みたいなこと言ってるけど多分本気なんだろうな……っていう。


「でも、ダイブ中の通信って、横で聞いてる人が一番キツく聞こえるんだよね」

「あっ、わかる! そう思ってたの、うちだけじゃなかったんだ」


 二人曰く、通信役として話をしている本人は、どれだけ簡潔に正しい情報を与えられるか、間違ったことを伝えていないか、その辺に集中しているので、多少の口調のキツさには気付かないのだという。実際、さっきの先輩達とのやりとりについて、二人は何とも思っていないようだ。そうかな……私だったら通信してる本人でも絶対イラっとするけど。


 モニターの中、先輩達はアームズを構えて周囲を警戒している。教室の端から第二ウェーブに入ったという声が聞こえてきたから、きっと私達もそろそろだろう。


「お疲れ様です。技術科の小路須です」

 ——私達もそろそろ?

「おそらくは。まだ反応はありませんが、第一ウェーブの出現場所と照合するとその可能性が極めて高いです」


 志音はインカムを手で押さえ、魚群探知機のようなそれを見つめながら言う。めっちゃデキる女風。ずるい。ここで私が負けるのはいけない。テストの点数はあんまりだから、授業態度でポイントを稼いでいかなきゃ。

 私は端末をかちゃかちゃと操作し、これみよがしにターン! と最後の一打をキメた。


 モニターに表示されたのは、ここに来る前にずっと睨めっこしていた機器の説明書だ。数秒の後、インカムの通信を切って志音は画面を指差した。


「……これは?」

「私も何かしたかったんだけど、見たいデータなんて思い付かなかったからこれを表示させたの」

「お前な!」

「いや、これすごいよっ……! 外部のデータを取り込んでモニターに出力させるなんて説明書には載ってないのに、札井乃助は自力でやってのけたんだよ! センスあるよ!」

「ふっ、夜野さんは分かってくれると思ってた」

「ふっじゃねぇよ、図に乗るな」


 志音は呆れた顔で私を諌めているけど、私はその道のプロに褒められて有頂天だった。背後に居昼先生の声が響くまでは。


「……札井、これは何をしてんだ?」

「はい。志音が操作を確認したいと言ったので、一時的にモニターに出力させました。当然、先輩方のダイブには支障の無いよう気を付けますので」

「もうすぐだぞ。画面は戻しとけ」

「はい、分かりました」


 スタスタと歩き去っていく先生の背中を見送ってから、腕で額を拭う仕草をしてふぅとため息をつく。


「ふぅじゃねーよ。何さり気なくあたしのせいにしてんだ」

「どうしても、自分が怒られたくなかったから」

「素直過ぎるだろ」


 志音は私の頭を小突こうと軽く手を上げたが、そんなやりとりをかき消す事態が起こった。周囲の生徒が一斉に騒がしくなったのだ。ある者は「うわ!?」と言い、ある者は「どうするんだっけ!?」と戸惑い、またある者は粛々と対応していた。最後の奴は騒がしくしろ。


 私は慌ててモニターを切り替え、先輩達の姿を映す。そこには、先程の要領で既に光の柱を処理する二人が居た。


 ——聞こえてる? あと少しでここは終わると思うけど、次は?

「すぐに確認します。夢幻」


 視界の隅には、こちらに顔を向ける志音が見える。私は手元の機器を操作するので手一杯だ。この目盛りで時間の軸を調整する、このボタンで該当データの予測結果を出力する、さらに手元のパッドで現行のデータと予測結果を重ね合わせる。よし、完璧だ。


「さっき夜野さんに「ちょっと大丈夫ー?」って言った先輩から見て、左の方向に進んだところ!」

「根に持った言い方すんなよ!」

 ——え? 何?

「いえ、なんでもないです。弓のアームズを使っている先輩から見て左ですね。距離は」


 再び志音の視線を感じた私は機器を操作し、速やかに回答する。


「えぇと、10……いや、20メートル……?」

「15メートルくらい移動してください。変動があった場合は都度伝えます」


 それを聞くと、先輩達はたらたらと移動を始めた。まだ最初の柱のバグは少し残っていたけど、弓の先輩が遠距離攻撃で処理できるから構わないらしい。


 夜野さんが後ろで、鞠尾さんに何か言ってる気がする。けど、いま目を離す訳にはいかない。私は背後の会話が気になりつつも、予測地点に変更が無いかなどを確認した。志音が私の発言の間を取って、とりあえず15メートルと言ってくれたけど、ドンピシャのようだ。あとは落ちついたら志音と交代すれば……。


「あれ……?」


 そして、ある間違いに気付く。志音ですら気付かなかったこと。鞠尾さんの通訳っぷりがすごすぎて、見落としてたこと。


 そうだ。

 予測地点を割り出すところまではよしとして、そこに先輩を立たせたら駄目だ。


 私ははっと顔を上げて、志音を見た。焦った顔をしていたのか、志音はインカムに声が入らないようにして、私にだけ聞こえるように、どうした? と言って顔を覗き込む。優しいちゃんかよ。


「ねぇ、バグの予測地点に先輩立たせたらヤバくない?」

「は?」

「いやだから、それって先輩達がそのまま光の柱に巻き込まれない?」

「あ゛」


 ちゃんと自分で気付けたし、その情報も共有した。けど、ちょっと遅かった。

 ちょっとだけね。もうほとんど失敗してないようなものと言っても過言ではないんだけど、ちょっぴり遅かったの。


 ——きゃあああ!!!

 ——ちょっと!! なんなの!!? いたた!


 先輩二人が柱に巻き込まれながらスカートを押さえている。上から下から、光のボールみたいなものにぽこぽこ全身を打たれながら。インカムからは、びゅううという雑音と共に、「いたっ! いたいいたい!」と聞こえてくる。


 ヤバい。ヤバ過ぎる。

 人命に関わるようなミスではないにしても、これはどう考えても減点対象。私は指示役でもないくせに、慌てて通信ボタンを押した。まだ何もしてないのに、志音の「よく分からんがやめろ」という視線にはウィンクで返しておいた。


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