第234話 なお、天然が一番怖いとする

 私は大きなテーブルの上にタブレットを置いて険しい顔をしていた。現在は休み時間で、あと少ししたら次の授業が始まる。

 私達はプログラム実践室に行くよう指示されているので、早く移動しなければいけないは分かってる。2階にあるので、同じエクセル内とはいえ移動がちょっと面倒なことも、もちろん分かってる。

 だけど私は立ち上がれずにいた。何故って、この状態で教室を移動しても何もできないから。


「なぁ夢幻、もういいだろ。あたしらの担当は雨々先輩だぞ? 戦闘を補助することなんて何もないって」

「それもそう、かな……」

「機器の操作よりもやらなきゃいけないことがあるだろ。作戦の概要分かってるか?」

「私達が上手に機器を扱えるか見る」

「メタい発言をするな。それは先生達のやることだろうが」


 今回の作戦は、大量の雑魚バグを一掃すること。バーチャル空間の中には、ショボめのバグが大量発生するゴミ箱のようなスポットが偶発的に生成されるのだ。その位置の観測は高度情報処理科の仕事。

 私達は最も近いロッジから出発したデバッカーにバグの位置を教え、可能であれば補助をする。補助というのは、さきほど先生が説明していた陣形に関することがメインだ。周りの動きと合わせて動けるように指示を出し、必要であれば一旦引くよう伝えたり、他のグループに手を貸すように伝える。志音の言う通り、雨々先輩ならそれくらい自分の判断でやってくれる気もする。


「要するに足並みを揃えて先輩達が動ければそれでいいんだ。最低限の指示はあたしが出すから」

「あのさ、もしかして札井さんって何も覚えてない感じ?」

「おう。清々しいほどにな」

「清々しいは余計じゃ」


 背中合わせに座っていたらしい家森さんが振り返って志音に話し掛ける。あちゃーとへらへら笑っている彼女は普段通りだ。成績上位者だし、きっと彼女自身は何も問題無いのだろう。やはりと言うべきか、家森さんの隣に座っていた井森さんは、振り返ると優しく微笑んだ。


「大丈夫よ。最悪死ななければいいんだから」

「あ、うん」


 励ますような言い方だけど、内容がびっくりするくらいワイルドだったからきょとんとして頷いちゃった。乱暴だとは思うが、彼女は何も間違ったことは言ってない。


「井森さんはもうアレ、覚えたの?」

「直前にあんな込み入った資料渡されて全部覚えようとするなんて、やっぱり札井さんって根は真面目なのね」

「え、でも、志音は……」

「あたしは似たような機械いじったことあるから大体分かるだけだ。あんなの短時間で覚えられるヤツのが稀だろ」

「それを先に言え!」


 私は志音の胸ぐらを掴んでぎゅんぎゅんと左右に振った。前後はありきたりでつまらないと思ったので左右に。速いテンポのメトロノームみたいでちょっと面白い。


「でも、井森さん、どうせ全部覚えてるんでしょ?」

「そうね」

「え……裏切りじゃん……」

「覚えてないヤツの方が悪いんだから被害者面するなよ……あとそろそろあたしを振るのやめろ」


 だって、覚えなくていいって言ってくれたのは井森さんなのに……言った本人は覚えてるとか、予想外過ぎるじゃん……。私はぱっと手を離して、志音をテーブルにべちゃっとしながら続けた。


「井森さんも機械触った経験があるとか?」

「無いわ。でも私、一回見たものを記憶するのって得意なのよね。耳で聞くよりも目で見る方が覚えるタイプっていうか」

「それそれ。女の子の小さな変化に気付いて指摘してあげてドキッとさせてそうだよね」

「否定はしないわ」


 家森さんはケラケラと笑っているけど、私の心は穏やかではない。井森さんはきっと無闇に女の子を傷付けるようなことは言わないだろうけど、きっと学校外で会ったら「また同じ服着てる」とか思われるんだ。私はあまり外では井森さんに会わないようにしようと、ひっそりと決意した。


「ま、井森さんのあれは特殊技能みたいなもんだから。私は覚えてないから安心してね!」

「……家森と夢幻が組んでなくて良かったな、先輩達」

「確かに……すごいことになってそうね……」


 志音達が好き勝手言ってるけど、家森さんという同志を得た今の私は最強だった。いざ行かんとばかりに勢い良く立ち上がると、会議室の出入り口に居た知恵と目が合う。当然ながら、隣には菜華が居た。


「そうだ……! 知恵達もいるんだ……!!」

「なんの話か知らねーけど、絶対失礼なこと考えてるだろてめぇ」

「夢幻達は、さっきの資料を覚えたとか覚えてないとか話してた」

「あぁ」


 知恵は腕を組んで首を傾げると、私達の顔を順番に見て行った。夢幻と、あと誰だ? そう言って菜華を見上げている。分かる、今のは知恵の予想だろう。覚えてない側の人間の。


「私は確定って、失礼なのはどっちよ!」

「いや、あたしは状況を見て言っただけだって。ま、夢幻は覚えてるって言われても疑わしいくらい覚えてない感が強いけど」

「こぉんのチビ……!」

「チビ? まさか、知恵の悪口?」

「は愛くるしいですわね」

「そう」


 菜華の気迫に負けて自分の意見を曲げてしまった。敗北感がすごい。とりあえず指定された教室へ向かおうと、やっと動き出す。

 廊下を歩いていると、知恵はなんてことないって顔で言ってのけた。


「さっきの話だけど、あたしらは覚えてるぞ」

「は!?」

「言っとくけど、あたしはそんなことだろうと思ってたぞ。知恵は機械に強いし、菜華が知恵の足を引っ張るような真似をするとは思えないからな」

「た、たしかに……」


 私は志音の言葉の謎の説得力に唸ってしまった。特に後半。菜華だってギターで色んな機械いじってるっぽいから、どちらかと言えば機械に強そうな印象はあったけど……そんなもんじゃない、知恵への忠誠心とも言い替えて差し支えないほどの愛が大体のことを可能にする気がする。もし自分のミスで、ただでさえヤバげな知恵の成績に傷が入ったとなったら、マジで切腹するのがこの女だ。


「ま、覚えてるからってどうにかなるほど、きっと甘くはねーよ」

「どういうこと?」

「知識はあっても思惑通りに操作できる保証なんてないからな。気楽に行こうぜ。な?」


 知恵はにかっと笑って、私の首に腕を回した。本当にいいヤツだ。知恵の欠点なんて、女の趣味の悪さくらいしか思い付かない。それは私も人のこと言えないっぽいけど。


 みんなが励ましてくれたけど、結局このメンツの中でアレを覚えていないのって私と家森さんだけだし、家森さんって持ち前の臨機応変さで華麗に対処してガチの【裏切り】をやらかしそうな予感しかしないから、私はタブレットの画面とにらめっこしながらプログラム実践室に向かった。ふらふらしてても大丈夫、ぶつからないように志音が横軸を調整してくれる。


 再び見たそれは、初めて見た時と随分と印象が違った。授業に使うと太枠で囲まれた部分の半分は頭に入っていたのだ。思っていた以上に優秀な自分の記憶力に涙が出そうになる。

 教室に入ると、私達はそれぞれ担当の高度情報処理科の生徒を捜して声を掛ける為に、色んなブースを覗き込んだ。既に到着しているほとんどの生徒達は、実機を触りながら説明を受けているようだ。等間隔に大げさなモニター付きの機械が並んでいて、通路を圧迫していた。配線やらアンテナやらに引っ掛からないように進んでいると、人懐っこい二つの声が私達を同時に呼んだ。


「おーい!」

「札井乃助〜! こっちこっちー!」


 声に振り返ると、夜野さんと鞠尾さんが手を振って手招きをしていた。普段使わない教室で少し心細くなっていた私は、出来るだけ急いで二人の元へと向かう。後ろにはしっかり志音も付いてきているようだ。


「なんか久々だねー!」

「うん!」

「見て見て! 二人が使うって言うから、多機能に改造しておいたんだー!」

「うん……?」


 手のひらをこちらに見せながら、夜野さんは私達がこれから操作するであろう機器に注目させる。じゃーん、なんて掛け声付きで。

 見ると、そこにさっきまで資料で見ていたボタンは無い。いや、無いわけじゃ無いのかもしれないけど、私には分からない。なんかパイロットの人が使う蓋付きのスイッチとかがいっぱい付いてる。ざっと見ても資料の三倍くらいの数のボタンがあるし、そもそも機械自体が拡張されてデカくなってる。


「…………」

「これならなんでもできるよ!」

「あの、あたしは止めた方がいいって言ったんだよ? でもね、哉人っちが、二人をびっくりさせたい! って……」

「あぁ。うん。びっくりはしてる」

「あたしも、心底ビビってる」


 志音も絶句しているようだ。

 夜野さんはニコニコとしてこちらを見ている。シバいていいかな。


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