通信演習

第233話 なお、ボタンが多過ぎてデジタルな楽器に見えるとする

 鬼瓦先生が壇上でレーザーポイントを使い、彼の背後にある大きなホワイトボードを指す。赤い光を浴びているのは、一つの手書きされた駒だった。ボードには、チェスの盤上を真上から見るように、いくつもの丸が意味ありげに配置されていた。先生が赤いポインターをすーっと前に動かすと、光にくっついていくように手書きの丸が移動する。

 あれは学習装置の一つで、陣形や作戦等を説明するときに使うものだ。名前は知らない。先生にレーザーポイントと専用のペンを借りて遊びたいんだけど、きっと鬼瓦先生は貸してくれないから、今度粋先生辺りに頼もうと思う。あの人なら貸してくれそう。そして貸したことすら忘れて、青い顔してあの汚い机の上ひっくり返してそう。


「お前、話聞いてるか?」

「聞いてるよ。あれ、面白そうだよね」

「絶対聞いてなかったろ」


 そう言った志音だったが、私のこれにはもうすっかり慣れてしまったらしく、すぐに続きを話し始めた。志音の視線が斜め上から、私の肩くらいに降ってくる。他の生徒達との距離を見比べてみると、私と志音のそれは、ちょっとだけ近い。


「ったく。なにを考えていてもいいけど、先輩の動きくらいは覚えておけよ?」

「なんで?」

「なんで……!? お前いま、なんでって言ったのか……?」


 正気か? という視線が痛い。

 私達はエクセル内の大会議室にいた。そう、A実習室ではなく、珍しく会議室に。好きな風に座っていいと言われたから、適当に腰掛けた私の隣を当然の如く、志音が陣取ったのだ。

 というのも、今回は特別な実習が行われるからだ。それは、サポート実習。簡単に言ってしまえば、私達が夜野さんら、高度情報処理科の子達がこなすような作業をするのだ。当然、彼らの助けを借りながら。

 つまり、デバッカーを誘導・補助して達成しようとする何かが必要になる。たったいま話をしていた、先輩達の動きというのはこれのこと。私達が担当した先輩の動きをアシストしてあげるのだ。

 本業の子達に手取り足取り教えてもらいながら、失敗しても構わないような仕事をする、ということになる。たかだかバグをデリートするくらい、多分先輩ならば雑作も無いはずだ。しかも、私達の担当の先輩と言えば、雨々先輩。「援護は要らないから、私のダイブに影響の出ない機器のスイッチをリズミカルに押して遊んでていいよ」くらい言いそう。


「要領は分かったな。このように、第一ウェーブは高度情報処理科にこなしてもらう。そして、第二ウェーブの切り替わりでお前らにチェンジする。できるだけ実戦に近い形で始めたいので、ダイブ予定座標などの質問は受け付けない。それ以外で何かあるか」


 先生は真剣な表情で会議室の生徒達を見つめている。本来であれば発見できなければおかしいものを探しているように見えるほどだ。ラーフル曰く、鬼瓦先生はすごく繊細で優しいらしいので、もしかすると、誰も質問しないこの空気に気圧されて手を挙げられない子が居ないか、細心の注意を払って観察してるのかも知れない。

 というかそれが私なんだけど、先生は何故か私の方を見てくれない。あそこに気を配るべき存在は無かったと言わんばかりの視線の配り方で、小さな異変に気付いてもらえない。


「……頼むから、先生にまた一から説明させるようなことするなよ」

「くっ……仕方がないから、志音に説明させてあげる……!」

「なんで権利みたいな言い方してんだよ。説明して下さいだろうが」

「説明できるか、証明してみせろ……!」

「チャレンジモードっぽくするな」


 こうして何をすればいいのかを後で志音から聞くことにした私は、心に若干のゆとりを取り戻しながら手元の資料に目を落とした。先生が言ってた。資料だけは先に送るけど、とりあえずは俺の話を聞いてくれって。だからタブレットに送信されていた資料は、いま初めて開く。

 まぁ私は先生の話もろくに聞いてなかったから、本当に何も分からない状態なんだけど。とはいえ、資料に目を通せばどうとでもなるだろう。おそらくは点と点を線で繋ぐように、断片的に耳にしていた先生の説明の全容をほぼ理解できると思う。


 資料を開いた私は、咳払いをしてすぐにスッとスライド操作をして、資料を開いていたアプリごと落とした。ちょっとワケが分からなかったので、念のため再起動もしておく。

 視界の隅に、私が見なかったことにした資料を見て平然としている志音が見える気がするけど、ここで心を強く持たなきゃいけない。志音が「お前なにやってんだよ、資料見る気あるのかよ」という視線を送ってきそうな雰囲気を察知した私は、タブレットの不調をアピールするために、ちょっと演技がかった可愛い声で言った。未だに資料をじっと見ている志音は、私が自分で再起動をかけたなんて気付いていないはずだ。


「うん? 壊れたかな?」

「なんでうんこ割るゲームしてるんだよ、ちゃんと資料を開け」

「は?」

「うんこを割るなって言ってんだよ。どんなゲームしてるんだ、お前」

「アンタの方こそどんな勘違いしてんだ!」


 志音がいきなり狂ってうんこの話をし始めたと思ったけど、そうじゃないみたいだ。そして私は自分の発言を振り返る。うん、壊れたかな。うんこわれたかな。うんこ、割れたかな。


「壊れたかなって言ったの! タブレットに対して!」

「え……? あ、あぁー……なるほど……」

「何なの、その誤解、酷すぎる」

「まさか真面目にやってる訳ないと思ったから……」

「私への信頼度の低さ」


 確かに真面目じゃないとは思うけど、さすがに授業中にうんこのアプリ起動するほど不真面目でもないわ。っていうかうんこのアプリなんて入ってないわ。


「夢幻のことだから、うんこバリンバリンゲームとかインストールしてるのかと思った……」

「ちょっと面白そうなタイトルやめろ!」


 おかしいじゃん。私がうんこバリンバリンテンションでさっきの発言をしたならまだ分かるけど、わざわざ普段よりちょっと高めの可愛い声を出してこんな誤解されるなんて。意味分かんないんだけど。

 そうして、私達が言い争っている間に再起動は完了していた。志音が私の手元を見ている。今度こそ、現実逃避は許されなさそうだ。仕方がないので、私は志音の視線に晒されながら資料を開いた。


 視界に入ったのは実際に私達が操作する機械の写真。ボタンやレバーをタップすると一つ一つ説明がポップするようになっているようだ。が、操作すべき箇所が多過ぎて、目当てのボタンをタップするのにも一苦労しそう。さっきの地獄みたいな光景は見間違いなんかじゃなかった。

 気持ち的にかなり辛かったけど、それでも私は適当なボタンをタップしてみた。現れた説明を目でなぞっていく。

 【a-1ボタン:A-1ボタン、A-2ボタンの補助】。不親切過ぎてキレそう。A-1ボタンとA-2ボタンどこだよ。それを押してどんな補助がされるんだよ。


「おい、夢幻」

「なに?」

「あからさまにイライラするのやめろ」

「だって……これ、全然分かんない……」

「はぁー……そのボタンはあたしらは気にしなくていい。太枠で囲われてる部分があるだろ。今回あたしらがメインで使うのはそれだけだ」


 志音は頭が私にぶつかるくらい顔を寄せて、タブレットを指差した。説明の通りだとすると、私はここにあるボタンの3分の1くらいを扱えばいい、ということになる。なんだかできそうな気がしてきた。


「このレバーなに?」

「それはデバッカー周辺を見るカメラの操作だな。前に倒すとズームする」

「これは?」

「それは核ボタンだ。ピンチになったら押せ」

「分かった!」

「冗談だよ、つっこめよ」

「ごめん、あんまり面白くなかったから」

「今年一番傷付いた」


 志音が核と言ったボタンをタップしてみると、それはデバッカーに声を届けるマイクのオン・オフボタンだった。こいつ、私が真に受けてここぞと言う時にこのボタンを押したらどうしてたんだろう。雨々先輩に「ちょっと! 核発射されないじゃん!」って声を届ける羽目になってたんだけど。しかも先輩がピンチの時に。祟られそう。


 なんとかやれそうだ、そんな安堵に胸を撫で下ろしていると、志音はなんてことないって顔で言った。


「じゃ、2ページ目な」

「はい?」

「その画像は1ページ目だぞ。モニター画面、手元で操作する入力機器、それぞれの説明で、この資料は4ページある」

「あ。そう。ふーん」


 何言ってんだろ。この人。無理じゃん。

 私は資料をそっと閉じて、アプリストアを開いた。


「まだ説明が途中だぞ。何してんだ?」

「うんこバリンバリンゲーム落ちてないか探してる」

「現実逃避するな!」


 しかも見付けちゃった。あるのかよ。

 ざっとスクロールしてみると、関連ゲームにうんこぽよんぽよんゲームやうんこしゅぽんしゅぽんゲームが出てくる。うんこ関連充実し過ぎでしょ。


「いいからさっきの資料開け。説明してやるから。適当なボタン押してみろって」

「はい」

「うんこバリンバリンゲームのダウンロードボタン押してんじゃねーよ!」


 志音が怒鳴ってる。

 私は現実逃避に忙しいんだから、ちょっと静かにして欲しい。

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