第232話 なお、17文字の告白とする

 自宅に帰ってきた私は、腕を組んでテーブルの上に置かれた紙とペンを睨み付けていた。隣には難しい顔をしたゴリラが、私と全く同じポーズをしている。バナナの剥き方が分からないとでも言いたげな顔だが、私は志音が何故そんな表情を浮かべているのかを知っている。


「本当になんでもいいの! ママなんて、もう20個も作っちゃった!」

「そ、そう……」


 私が気の無い返事をしても、お母さんは挫けない。というか、ニコニコと手元に視線を落として、それはそれは楽しそうに作業している。つまり私が全然気乗りしていないことに気付いてすらいない。もう一個できた、という声を上げると、母は高らかにそれを読み上げる。


「三丁目 岩倉さんと 西野さん……どう!?」

「どうって言われても」

「お前の母さん、やっぱすげぇな……」


 これだけじゃ何がなんだか分からないかもしれない。母は、町内会の会報とやらに掲載する川柳を作っているところなのだ。こんな感じのヤバめの五・七・五が、母の手元にある紙にはずらっと書かれている。まさかそんなにたくさん作ることになるとは思わなかったのだろう。一行目の文字の大きさと、たったいま読み上げた句の文字の大きさが倍以上違う。

 一人で楽しんでいればいいものを、やってる内に楽しくなってきて、私達を巻き込みたくなったらしい。私と志音はまだ一つも作れていないから、一緒に作っているというよりは、お母さんの川柳発表会になっている。いやホントにあれを川柳って呼んでいいのかな、自信無いけど。我が母ながら、センスがイカれ過ぎてて悲しくなってくる。


「あの、もうちょっと、場面を説明した方が……」

「うーん、言われてみれば……もう少し描写が必要かも……!」

「なんかいっちょ前なこと言ってるけど、お母さんさっきから最初の五文字で住所、残りで人名を出してるだけだからね」


 そう、母の作る川柳はおそろしいほどテンプレ化されていた。○丁目、○○さんと、○○さん。ずっとこれ。いい加減怖くなってきたから、志音が指摘してくれてよかった。しかし、母はこともあろうに、私達に反論する。


「でも、これはこれで楽しみ方があるの」

「その人達の顔を思い浮かべられるってことっスか? いいと思いますよ、町内のことを川柳にしろって言われてるんだし」

「違うの! 例えば、今の岩倉さんと西野さんの句は、どちらもワンちゃんを飼っているという共通点があるの」

「ほとんどの人が気付かなさそうな意味を込めるのやめて」


 私は母を静止したが、止まらない。まぁ止まる訳ない。この人が誰かにストップかけられてるのなんて、見たことないし。


「さっきの岸本さんと佐々木さんは何だったんスか?」

「これは二人とも眼鏡を掛けているの」

「じゃ、じゃあ、山館さんと菊池さんは?」

「この二人、ゴミ捨てのタイミングで喧嘩してからずっと険悪なのよ」

「なんでこれだけそんなブラックな理由なんだよ」


 志音が敬語を忘れてお母さんを見ている。いつの間にか、志音の手にはボールペンが握られていた。まさか、何か思い付きそうなのか……? と思ったらすぐにペンを置いた。手遊びのようなものだったらしい。紛らわしい。罰金25万。


「でも、しーちゃんの言うこともママ、分かるから! ちょっと詠んでみるね」

「内容はともかくとしていっぱい思い付くのはすげぇよな」

「私もそこだけは評価する」


 母に対し、好き勝手に感想を述べながら、新しい川柳に耳を傾けた。


「交差点 いつも立ってる マチコさん」

「交差点って? お花が置いてあるとこ?」

「そう! あの交通量多いところ!」

「マチコさんは信号の見張りの人か何かっスか?」

「えぇ、5年くらい前までは毎日あそこで子供達の登下校を見守ってたの!」


 私は全てを察して、無言で志音の膝をばしっと叩いた。交差点、お花、交通量が多い、過去系で語られるマチコさん。そういえば、私が小学生の頃、トラックがあそこに突っ込む事故があったような……志音は私に言われるまでもなく、笑顔を硬直させて「別の話をしましょう」と、今日一番の丁寧な言葉遣いで話題を変えた。


「もっと、なんていうか、実体験に基づいた感じのは無いんスか?」

「あんたが詠んでみなさいよ」

「そうは言っても、町内のことを知らないあたしが詠むって無理があるだろ……お前こそなんか無いのかよ」

「いくつか思い浮かんだ気がするんだけど、○丁目シリーズに思考をジャックされたんだよね」

「あぁ……強烈だったもんな……」


 これは言い訳なんかじゃない。本当に何か閃きそうだったの。なのに、お母さんの意味不明な川柳シリーズにかき消されたの。

 私達の会話を右から左に流しながら、お母さんは手をぽんと叩いてペンをスラスラと走らせる。今度こそまともな川柳だったらいいなって思いながら、母が紙を読み上げるのを待った。


「お正月 お神酒みきの列に また並ぶ」

「正月って季語が入ってるから、それ川柳じゃなくて俳句じゃないっスか?」

「あらぁ〜……川柳って季語が入っていると駄目なのかな!?」

「駄目かどうかは……あたしも詳しくないんで……」

「いや議論するのそこ!? 私はお母さんがセコい事しててショックなんだけど!?」


 こいつらは何を言ってるんだ。形式じゃなくて内容を見ろ。

 お神酒の列というのは私も心当たりがある。毎年、お正月には近所の神社でお酒を振る舞っているのだ。ちなみに子供は甘酒をもらえるけど、飲み終わったからといって列に並び直すなんて真似は、子供ですらしない。お母さん……。


「お前の母さん、マジで面白いな……」

「心底嬉しそうな表情で言うな」

「でも、最初の川柳から見れば、かなりそれっぽくなってきたろ」

「ぱっと見でそれっぽくなったとしても、プチ不正カミングアウトの川柳を載せるのはマズいでしょうが」


 ここは流れを変えた方がいい。私か志音が、何か一つ適当な川柳を作るんだ。そして母に、「こんな感じ」と見せる。そうすれば、そこから大幅な脱線はしなくなるだろう。


「なぁ。町内にお店はないのか? 魚屋とか八百屋とか」

「どういうこと?」

「そこで買い物をするシーンを描けば、それっぽくなるんじゃないか?」

「志音……!」


 志音はたまに、本当にごく稀にすごくいいアイディアを授けてくれる。それだ。それしかない。これでお母さんに作らせて爆誕した川柳が「白菜を こっそりバッグに 忍ばせる」とかだったらもう辛過ぎて死ぬけど、さすがにそれは無いだろう。最低限は信じてるから。


「それはすごく素敵なアイディアだけど、ちょっと難しいかも……」

「なんで!? いいじゃん!」

「町内のお店よりも、ちょっと行ったところの大型スーパーの方が安いから。そっちでしか買い物しないんだもん。最近は閉まってるお店も多いしね」

「あっ……」

「そりゃ、仕方ないな。嘘を書いても店の人にはすぐバレるだろうし」


 悲しい……すごく現実的な理由で却下されてしまった。やっぱり私達が一句詠むしかないんじゃ……そう思って、再びペンを握って紙に視線を落とす。


「なんつーか、こうして個人商店ってなくなってくんだな……」

「大型の小売店にはどうしても敵わない部分があるんじゃない? 分かんないけどさ」

「シャッター街 横目に向かうは チェーン店……どうかしら!?」

「煽っていくスタンスやめろ」

「私まで石投げられそう」


 どうかしら!? じゃないわ。絶賛される可能性があるとでも思ってたのか、この狂人は。

 私達は母に新たな作品の制作をストップさせ、今まで作ったものの中のどれかを送るよう言った。もちろん、お神酒のとシャッター街のは事前にバツを付けて、選ばないようにさせておいた。

 そうして山館さん達の○丁目シリーズに決定すると、三人で夕飯の支度をする。包丁を握りながら「山館さん達ってなんだったっけ、眼鏡だっけ?」と気になったけど、別に眼鏡でもワンちゃんでも変わらないからスルーすることにした。色々あったけど、結構楽しい一日だった。

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