第231話 なお、素人にはおすすめできないとする

 知恵と密着しようと血眼になっている菜華にドン引きしながら、彼女を視界に入れないように知恵を見た。だって怖いから。机に肘を付いて、菜華を見ないように軽く手でついたてを作る。


「まさかとは思うけど、夢幻は私を恐れている……?」

「まさかとは思うけど、その可能性にいま気付いたの……?」


 ちらりと見た菜華は「むむっ……?」という顔をして私を見ていた。そんなの、奇行に走った直後の視線で気付け。というかやる前に気付け。というかやるな。


「大体、家でイチャついてるのに、この場でそんなに執着する必要ある?」

「じゃあ夢幻は「帰ったら暖かいんだから今はいいよね」と言って南極に全裸で放置されても納得できるの?」

「なんで知恵と密着してないだけでそんな極限状態に陥ってんの?」


 知恵と触れ合えないことに対する認識が違い過ぎて話にならない。私は菜華との対話を諦め、知恵に話を振ることにした。というか、誰だってそうする以外ないと思う。


「知恵って菜華のどこが好きなの?」

「え……? ……考えたこと無かったな」

「そんなこと有り得る?????」


 そうだ、私はどうしてこう、前提を忘れてしまうんだ。菜華はヤバい。そんなヤバい奴と付き合っていられる奴がヤバくないわけない。さらりと妙なことを言ってのけるくらい、普通にする。だって変だから。


「お前いまめっちゃ失礼なこと考えてるだろ」

「だって知恵まで変なこと言うから……」

「そういうお前はどうなんだよ。志音のこと」

「はぁ? 志音は私のわがままを最大限聞いてくれるし、家が金持ちだし、ラーメン奢ってくれるし、家が金持ちだし、私の学校の課題手伝ってくれるし、家が金持ちだから好きだよ」

「金目当て感情をミルフィーユにするのやめろ」

「それ以外の部分も大分愛とは程遠いものだったけど」


 菜華に愛についてどうこう言われるのはかなり不服だったけど、こいつに知恵の好きなところを訊いたら、きっとキモいくらい色々なところを挙げてくれるのだろう。なんとなく分が悪い気がしたから、恨めしそうな目で見るだけにしておいた。

 私の視線に気付いた菜華は再び膝を叩き出す。当然、知恵は相手にしておらず、携帯端末を操作している。


「夢幻に足りないのはこの熱意」

「私、誰かにここまで激しく構って欲しいって思ったことないかもなぁ」

「夢幻が菜華を人じゃない別のものとして扱い始めてるのが伝わってくるな」


 その通り。私は今、動物番組でサバンナをびゅんびゅんと駆け抜けるチーターを見つめながら「すごいなぁ、私はこんなに速く走ったりできないや」と感心するのと同じような気持ちでいる。


「そういえば、前に菜華が「告白は知恵からだった」って言ってたけど、どういう経緯なの?」

「……いや、違ぇと思うけど」


 菜華、こいつ……ほんとに……。

 まさか会話がここで躓くとは思っていなかった。菜華が知恵に対してこんな風に振る舞うのには、もしかすると始まり方に何かきっかけがあるのかなって思ったから訊いたのに……。でもなんか違ったみたい。菜華の言う知恵関連のこと、いちいち信用できなくて怖くなってきた。

 ぞっとしている私をよそに、知恵はなんで菜華がそんなことを言い出したのかを思い出そうとしているようだった。


「あー……やけにベタベタしてくるから、どういうつもりなんだって言ったことはあったけど」

「あぁ。それはポジティブな菜華に言わせれば告白だね」


 普通じゃ絶対有り得ないけど、菜華のことだから「どういうつもりか聞いてくるなんて、なんとも思ってない相手には言わない。つまり知恵は私に告白をしてる」くらい思ってもおかしくない。かなり強引だけど、菜華に寄せて考えたつもりだ。だけど、知恵の返答は私の予想の上をいくものだった。


「いや、こいつの中では既に付き合ってたからな」

「付き合っているのを確認しつつ、性的に誘われてるんだと思った」

「性犯罪者が法廷で証言する「無理のある言い訳」を本気で口にしてる」

「否定する気になれねーな」


 二人分の呆れた視線を受けても尚、菜華は平然としている。前後の会話の流れをすっ飛ばしていいなら「どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」って声を当てても不自然じゃない。顔に何か付いてる? じゃあないんだよ、あんたが憑いてる側なんだよ。

 しかし、こうまで強烈なフィルターをかけられたものを垣間見てしまったら、正史が気になるのは人の性というものだろう。


「知恵の記憶ではどうなってるの?」

「あたしらの場合、正確なそれが無いんだよ」

「……まさかと思うけど、順序逆的な、そういう爛れた話をしてる?」

「いや……えっと、いつの間にかって感じっていうか」


 知恵は言いにくそうに視線を泳がせた。爛れた話をしているかと聞かれてはっきりと否定できない時点でもうアウトな気がするけど、志音が戻ってくるまでにはまだ時間があるし、私はある提案をしてみることにした。


「はい、じゃあ再現VTRスタート」

「VTRじゃなくて実演じゃねぇか」

「私は一向に構わない」

「お前はあたしに触りたいだけだろ!」

「そうだけど。何か問題がある?」


 開き直ったスケベほど性質の悪いものはない。私は井森さんや菜華のおかげでそれを痛いほど理解している。がたっと椅子から立ち上がりにじり寄る菜華を見上げて、知恵は叫んだ。


「どういうつもりなんだよ! お前!」

「……なるほど。さすが知恵。賢い」

「ほら、やってやったぞ」

「自然過ぎて、言われるまで再現してくれたんだと気付かなかったわ」


 菜華にその意図はなかったみたいだけど、知恵は上手いことこの場を収めたようだ。菜華は元の席に座り直した。もう少しだけ寸劇を見せてくれるつもりらしい。


「どういうつもりって、私達は付き合っているのだからこれくらいは普通」

「付き合ってないぞ」

「そう。知恵は知らなかったんだ」

「あたしが知らない事実みたいな言い方するのやめろ」


 そう言い終えると、知恵は「こんな感じだったな」と言って、どこか諦めたように笑った。それは、戦争を描いたシリアスな作品で、若い部下が自分を置いて殉職していく上官だけに許される種類の笑みだからやめておけ。

 しかし成り行きは分かった。これをきっかけに、知恵が「じゃあ……まぁ、付き合うか」と折れたのだろう。犯罪スレスレのアタックの甲斐あって今に至る、と。


「誰かが付き合うことになった経緯って、アドバイスになったり参考になったりしそうだけど、知恵達のって絶対無理だね」

「菜華を見習うヤツがいたらヤバいだろ」

「おすすめはしない」

「自覚あるんかい」


 菜華は無表情のまま、私のツッコミに頷く。

 そして続けた。


「当然。付き合うまで、私が知恵に「本当にやめて欲しい」って言わせたこと、あった?」

「……言われてみれば。付き合うまでは無かったような……」

「ごめん、真剣に議論してるところ悪いんだけど、さっきから「付き合うまでは」ってフレーズが気になって仕方ないんだけど」


 私は二人の中で存在が消えかけているのを察知して、わざわざ手を挙げて発言した。それさ、付き合うようになってからはアレソレあったってことを示唆してるよね? 知恵に何をして言わせたの? って訊きそうになったんだけど、どうせ破廉恥なことだからいい。聞かない。

 私が深く追求するのを諦めていると、菜華は少しだけ微笑んで言った。


「というわけで、一応私だって考えてはいる」

「上手く言えないけど……暴走してるように見えて実はしっかり考えた上でやってたって本当にヤバいヤツ感しかないから、あんまり得意げに言わない方がいいよ」

「夢幻に正論言われるって相当だな」

「だけど知恵とは付き合えている。私はそれでいい」

「そうだけど……ちっ、もういいよ」

「ふふ」


 色んな人がいて色んな付き合い方があるんだなぁー……。私は再び、チーターを見つめるような目で、二人のやり取りを眺めていた。志音、早く帰って来ないかな。

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