第230話 なお、翌日ふとももが腫れてるとする
とある放課後、ホームルームが終わると志音は振り返って私に話し掛けた。急いでるときとか、こいつはこうやって横着して斜め後ろの私に話し掛けることがある。
どことなく申し訳なさそうな顔をして言うから何かと思ったけど、全然大した話じゃなかった。思わせぶり女子め。
「悪い、委員会で呼び出されてるから今日は一人で帰ってくれ」
「委員会? さっき先生が、美化委員は校内清掃があるとかなんとか言ってたけど?」
「だからそれだよ」
うんざりした様子で、志音は首に手を回してため息をついている。だけど私はそれどころじゃなかった。美化委員と言えば、不人気ポストの一つで、学級委員長と一緒に最後まで人が決まらず残っていたのだ。そういえば志音はクラスで役割を決めるときに、寝てるからという理由で美化委員を押し付けられていた、気がしなくもない。
押し付けられてしまったことも面白いし、志音が美化委員っていうのがふざけてるみたいで面白い。私は一人でケラケラと笑った。
「笑い過ぎだろ……しかも始まるのが三十分後だぞ。とっととやって帰りたいってのに」
「一人で始めればいいじゃん」
「それじゃただのいい人じゃねぇか」
志音はむすくれた顔で腕を組む。しかし、まだ少し時間があるなら開始まで付き合ってやらないこともない。どうせ帰ってもすることないし。
私は空席となっていたすぐ前の席、椅子の背もたれをぽんぽんと叩いて志音を呼びつけた。意図を理解したらしく、志音は立ち上がって席を移動する。なんか躾けられた犬みたいで、ちょっと可愛いと思った。ちょっとね。微粒子と同じくらい。
「そういえば、母さんと電話で話したんだ。あのあと」
「あのあとって、研修の?」
「おう」
時間まで世話話をすることにしたらしい志音は、なんてことない家族の話を私にしてくれた。あまり親のことを語りたがらなかったこいつが、自分から親の話をしてくれるなんて。そういう意味でも先日礼音さんに会えて良かったと思う。
「それで?」
「母さん、学生時代に賞金がかかってるバグを倒しまくって荒稼ぎしてたらしい」
「え」
「そしたらデバッカー協会が学生への全額支給無しにしちゃった、って笑ってた」
「うわ……あの人のせいで出来たルールだったんだ、あれ……」
ただの世話話に見せかけて過去に起こった重大なルール変更の話をするな。
だけど、あの人ならやりかねない。あのアームズの使い方を見るに、当時からズバ抜けて強かったんだろうし。
「あたしも知らなかった……察してるだろうけど、母さんも結構めちゃくちゃな人なんだよな」
「だからあんたもめちゃくちゃなんだ」
「今の”も”はお前にかかってるんだぞ」
「はぁ?!」
私は机の下から脚を伸ばして、志音が座っている椅子の底を蹴飛ばした。「おわっ」なんて間抜けな声を上げて、座りながら縦にぴょんと跳んだ志音がハッピーセットに付いてくるオモチャみたいで面白い。
「お前なぁ。あたしが痔になったらどうしてくれるんだよ」
「どうもしないけど」
「つれぇ……」
「どうにかしてほしいの? 浣腸とか?」
「せめて”ごめんなさい”は欲しい」
「ささやかでウケるんだけど」
項垂れる志音を見ながら、私は一つ、思ったことを口にした。こいつ、今まで美化委員の校内清掃なんてやってたっけ?
「校内清掃なんか毎回参加してたっけ?」
「まさか。たまたま放課後のダイブと被ったりで免除になってたんだよ。だから今回が初めてだな。男子は八木がそうらしいけど、あいつは結構顔を出してたみたいだ」
「八木くんが何をしたっていうの」
井森さんに惚れ、相方にボロクソ言われ、家森さんを庇って倒れ、菜華に余計な手出しはするなと脅迫され。志音だけは何もしてないと思ってたのに、こいつまでクラスの役割を押し付けてたなんて……。
八木くん、ここまで来ると知恵にも何かされてそうな気がする。私は「何から何まで報われない人って実在するんだな」って、この世の無情さを噛み締めた。
「あ、おい。端末光ってるぞ」
「ホントだ」
携帯端末を操作すると、画面にメッセージが表示された。ぴょろ〜と流れたメッセージは至ってシンプルだ。「今日、志音ちゃん連れてきて!♪」。私はそれを読むと一気に青ざめて、机の上にちょっと残ってる消しゴムのカスをじっと見つめることしかできなかった。
「いやあたしを呼んだだけでそんな暗い顔するなよ!?」
「違う。志音は知らないんだ。まだまだ私のお母さん初心者なんだね?」
「意味が分かんねぇし、上級者だったらそれはそれでキモいだろ」
私は志音に説明した。お母さんが語尾に音符を付けるときはなんかヤバいって。前に「早く帰ってきて〜♪」ってメッセージが届いて帰ってみたら、よく分からないすごい布団を買わせようとしてるセールスマンと対峙してたし。
「私はここで待ってるから、早く校内でも顔面でも美化してきて」
「顔面は美化しねぇよ」
志音は私にそうツッコミつつも、少し笑って立ち上がった。多分、私が待ってるのが嬉しいんだと思う。そうは言わないけど。授業参観にお母さんが来た少年みたいな顔してる。そこで私ははたと気付いた。
「そういえば志音って授業参観にお母さんが来たことあるの?」
「あると思うか?」
「なさそう」
「おう」
なんか普通に可哀想になってきた。母の仕事を尊敬しているかどうかと、母が仕事を優先して生きることを寂しく思わないかどうかは別問題だろう。それを引きずるような性格じゃないだろうけど、きっと当時の志音は寂しかったと思う。
「わかったよ、志音。これからは私は志音の授業態度、ちゃんと見ておくからね」
「おいやめろ」
「礼音さんの連絡先教えてくれる? たまに動画に撮って送っとくから」
「お前絶対あたしが寝てるとこ撮って母さんに送るだろ」
礼音さんも、きっと授業中に娘がどんな風に過ごしているか知りたいことだろう。ここは私が一肌脱がなきゃ。大丈夫、とびっきり授業態度が悪いところ、送っとくからね。
「母さんの連絡先は教えないぞ」
「えー」
「当たり前だろ。それに、異様に夢幻のこと気に入ってたし。なんかヤダ」
「母親に妬くって怖いし重いんだけど」
「そういうんじゃねーよ」
志音はちょっと間を置いてから「多分」と言うと、気まずさを誤魔化すように荷物をまとめ始めた。私もちょっと気まずいから何も言わずにほっとこ。
「多分、一時間もあれば終わるから」
「そう。ま、待ってることに飽きたら帰るからお役目果たしてきて」
「いや帰るなよ」
私は志音にひらひらと手を振って見送ると、携帯端末を取り出した。時間まで暇だから久々にゲームをしてみることにしたのだ。私の端末に入っているのは、基本的に一人で進めるタイプのものだけだ。他人が介入してくる余地があるとしてもランキングで名前が表示されるくらい。
これを言うと志音に「社会性ガチでゼロじゃねぇか」って言われそうだから教えたことはないんだけど、ゲームで他人と協力するってダルくて面倒だと思ってる。私に付き従ってくれるコンピューターとかならいいんだけど。「俺がこの魔法唱えたんだからお前はこうしろよ」みたいな無言の圧力を感じるのが嫌。味方の攻撃でダメージ入る系のゲームは特に最悪。ちょっと攻撃が当たっちゃっただけなのに執拗に追いかけてくるヤバい奴とかいるし。やられたら私だって黙ってられないから、敵そっちのけで他のプレイヤーと殺し合いになる。
もうお察しだと思うけど、私はプレイしたことがないまま他人と協力するのが嫌だと言ってるのではなく、色々やらかした結果、嫌気が差している。本格的に社会性ゼロ。美少女で本当に良かった。全部帳消しになるから。
私が一人でクイズに励んでいると、肩をとんと叩くと同時に「よっ!」と声をかけられた。視線をゲームから離さないまま、「まだ帰ってなかったんだ?」と応える。声の主が知恵だったから。
「フェンダー」
「え?」
「そのクイズの答え」
「あぁ。あ、ホントだ」
隣には菜華も居た。私にクイズの答えを教えながら隣の席に座る。そしてしたり顔で自分のふとももを軽く叩いて知恵を見ている。おそらくは、座れ、ということだろう。知恵にも意図は伝わっているようだが、人前でベタベタするつもりは無いらしい。
結局、菜華が私の隣に、知恵がさっき志音が座ってた私の前の席に座ることで落ち着いた。菜華は目を血走らせながら、自分のふとももをバンバンと叩き続けている。合唱部の鬼コーチか何かか? 赤くなってるからやめた方がいいよ。あとうるさい。
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