インターバル
第229話 先のことは誰にも分からないけどさすがに限度があるとする
先週の研修で遠方に行った生徒達も、土日を挟むと無事に戻ってきていた。VIP待遇だった井森・家森ペアはもちろんのこと、怪しいホテルに泊まってきたであろう知恵と菜華も揃っている。
それぞれ得るものはあっただろうけど、礼音さんとダイブをしてきた私達にはきっと敵わないだろう。本当はトリムとダイブしてきたってめっちゃ言いたいけど、志音が隠してるっぽいから言えない。つらい。ものすごく自慢したいのに。とか思ってたら、凪先生がホームルームで言ってくれた。「現地に行った札井達はトリムとダイブしたらしい。先生が代わって欲しかったよ」とかなんとか。ざわめく教室は快感だった。志音は後ろから見てるだけでも硬直してるのが分かったけど、最悪母親だとバレなければいいでしょって心の中で念を送っておいた。で、放課後に至る訳なんだけど。
「お前らマジでラッキーだな! 意味分かんねー!」
「トリムといえば私ですら名前を知っている。正直、一緒にβに行けば良かったとすら思う」
「だよなー? でも、あたしらよりも、βのオンライン研修受けてたやつのが悔しいだろうな」
そう言って、知恵は声を潜めた。彼女の言う通りだと思う。トリムとダイブできるって知ってたら俺だって現地行ったし! って実際に聞こえてきたし。でも、そんな前情報無しで飛び込むからこそチャンスは巡ってくるのだ。私一人だったら絶対に現地に行ってなかったと思うけど。その点では志音に感謝してる。いやそもそも礼音さんが志音のお母さんだから実現したことなんだけど。でもそこでまで感謝しちゃったらすごいたくさん感謝しなきゃいけなくなるからダメ。
私の隣の席にいる家森さんと、その机に腰掛ける井森さんは他人事のように私達の会話を聞いていた。
「良かったねー」
「随分他人事だな……お前達はどうだったんだ?」
「私達? 別に、普通だよ」
「知恵、家森さん達、めっちゃすごかったってさ」
「あぁ、今のはあたしにもそう聞こえた」
こういうときに普通って言う奴は大体すごい経験してる。それは私のこれまでの人生経験で分かる。逆に「めっちゃすごかったよ!」って言うヤツは大したことないか、マジでめっちゃすごい。私の人生経験がしょぼすぎて泣けてきた。
「実は、大きな声で言えないんだけど、仮契約を交わしてきたの」
「はぁ!?」
「私はデバッカー、井森さんはまだどっちか分かんないって条件でね」
「碧はタチなんだと思ってた」
「誰が性行為における役割について契約を交わすんだよ」
アホなことを言っている菜華はおいといて、井森さんの契約内容について気になるのは私も同じだ。まじまじと二人の顔を見つめていると、井森さんが教えてくれた。今後、αの仕事を試験的に手伝うことになる二人は、家森さんはデバッカーとして、井森さんはそれに加えて会議や取引に同行する可能性があるらしい。それって、ものすごくすごいことなのでは……そっか、「めっちゃすごかったよ!」って言われなくてもめっちゃすごいパターンもあるんだ……心に刻んどこ……。
「と言っても、私達は学生だし、頻繁ではないけどねー」
「そうね。それに、会議なんかに同行することがあると言っても、ただの付き添い。要するに見学のようなものよ」
「でも、お前はそれで良かったのか?」
椅子の背もたれに肘を掛けて、志音は井森さんに向きながら言った。ここは情報技術科、つまりはデバッカーになる為のコースだ。志音と同じ疑問を、私も抱かなかったわけではない。井森さんがあまりにも自然に言うから、彼女の進路はそっちなんだとばかり思ってたけど。
「というよりも、私には特に拘りが無いのよ。現場を知っている人間が指揮を執るって、それってすごく合理的だわ。信頼できる。向こうが私の将来性を見込んで仮契約を申し出たのだとしたら、私だって組織の将来性を考えてそれを受け入れたの」
何この人、本当に同い年か? 視点が既に異次元なんだけど?
つまり、品定めしているつもりで、デバッカー協会側が品定めされていた、ということになる。私は、自分の将来を考えるときにここまでしっかりものを考えられるだろうか。……うん、多分無理。おそらくはギャラとか給料とかしか見ない。
「で? 知恵達はどうだったの?」
「お前らみたいに面白いことがなくて悪いけど、ふっつーに中を見学させてもらって、ちょっと機械いじらせてもらっただけだ」
「そっか。ま、そんなもんでしょ、研修って」
「ちなみに菜華が「波形のリズムがあそこだけ違う」とか訳分かんねぇこと言い出して、マジで発生したばかりのバグを発見した小さなお手柄付きだ」
「そ、それは……」
こいつ……研修先でもいつも通りだったんだ……私は呆れながら菜華を見た。何食わぬ顔で首を傾げているけど、職員よりも先にバグを見つけるって何気にすごいことじゃ……。
菜華は知恵が「やっぱりデバッカーじゃなくて職員の方で特技を生かしたい」と言ったとしても十分役に立てるようだ。それがはっきりしただけでも有意義だったと言うべきか。将来どんな道に進むかなんてことは予測できるものじゃないから、少しでも色んな可能性は見ておいた方がいいだろう。
私もお試しで海賊王とかやってみたい。念のため海賊王になってみたいとか言ったら志音すごい顔しそうだな。
「でで、トリムってどんな人だった?」
「えあーっと……なんていうか、すごい人だったよ」
「そーじゃなくてー! あの人って正体不明でしょ? だから年齢とか性別とか、そういう話!」
「あー……」
予測はしていた。私だって、逆の立場なら絶対に訊くと思うし。志音の方をちらりと見ると、私以上に困った顔をしていた。まぁ、自分の母親を他人として語るって状況が特殊過ぎるし、無理もないと思う。ここは私が頑張ってあげなくちゃ。
「実を言うと私も顔は見てないんだよね」
「そんなこと有り得る!?」
「トリムがダイブしてから私が呼ばれて、入ったら甲冑みたいな防具で全身覆ってたんだよ。アームズとして呼び出したって言ってた」
「あー……すごいね、そこまで徹底してるんだ」
私の嘘を聞いて、家森さんはやっと引き下がった。いやここで引き下がってくれないと怖いんだけど。甲冑は脱がせた!? とか訊かれたら怖くて泣くわ。残念そうな声を上げているのは家森さんだけだが、井森さんや菜華までもがどこか拍子抜けした顔をしている。この二人に少しでも興味を持たれるって、礼音さんはすごいなぁ。
適当に話題を切り上げると、私と志音は教室を後にした。
学校を出てふらふらと歩いていると、志音が立ち止まって私の背中に声を掛けた。聞こえるか聞こえないか、本当に微妙な声の大きさで。むしろ、今のを聞き逃さなかった私すごい。偉い。
「ありがとうな」
「……え、なにが?」
「トリムのことだよ。お前のことだから「っていうかトリムって礼音さんっていって志音のお母さんなんだよ!」くらい言うかと思った」
「サイコパスすぎるでしょ」
こいつは私のことをなんだと思っているんだ。いや普通にサイコパスだと思ってそう。ムカつく。
そんなこと、するわけがない。というかできる訳がないのだ。もうちょっとどうでもいい感じのことだったら、志音の言う通りにしたかもしれないけど。例えば志音の靴下に穴が開いていて「恥ずかしいから絶対に言わないでくれ」って言われたら、「靴下、絶賛穴開き中!」って書いた紙を背中にそっと貼るし。
だけど、さすがにそういうことをしていい規模の隠し事じゃないっていうのは分かる。施設に居た時の志音の扱われ方を見ていると、それは嫌でも感じることだろう。
「よく考えて志音。こんな弱み、理由もなく人に話すメリットなんて無い。どうしても成し遂げたいことができたら……そのときまでカードはとっておくものなんだよ」
「訳をすると、いざとなったら「トリムの正体バラすぞ」って脅迫するってことか?」
「あんまり私が悪者になるように言い直すのやめてくれる?」
「お前しか悪者がいない状況で悪あがきをするなよ」
志音は私の頭を小突くと、呆れたようにため息をついて、最後に笑った。あ、こいつ、私が照れ隠ししてると思ってる。許せない。悔しい。
「悔しすぎる……今からトリムさんのことネットの掲示板に書き込もうかな……」
「急にどうしたんだよ!?」
私は志音に携帯端末を取り上げられ、そのまま志音の家まで連行された。そして美味しい出前と面白いゲームを楽しんで、かなり遅くに帰宅した。トリムのことネットに書こうとしたら素敵な放課後が過ごせるということを学んだのだった。
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