第228話 なお、やっと研修が終わったと思ったら他のことも終わりかけたとする

 薄暗い空の下、私は志音にもらったマフラーに顔を埋めてリムジンが来るのを待っていた。リムジンだよとは一言も言われなかったけど、VIPの車といったら昔からリムジンと相場が決まっているものだから。

 私がきょろきょろしてると、志音は「母さんならもう少しかかると思うぞ」と、ふてぶてしく上着のポケットに手を突っ込んだまま言った。


「なんで? 化粧でも直してるの?」

「いんや。簡単な報告書はすぐにあげなきゃいけないだろうからな」

「そんなの下っ端にやらせときゃいいのに……」

「普段はそうしてるっぽいけど、今回は母さんの提案であたしらをダイブさせて、学校にトリガーデータの照合までしてるからな」


 そういえばそうだった。学校からデータ取り寄せてるって、言ってたなぁ。ま、長いこと待たせるつもりなら外に出てろなんて言わないだろうし、ここはこいつと雑談でもして待っとこう。


「イヤそうにするよね」

「何がだよ」

「トリムの娘として扱われるの」

「そりゃイヤだろ。ちょっとあそこにいただけでも面倒なのが分かったろ」


 私は志音の言うことを否定しない。どんな風に接すればいいのか、いきなり分からなくなってしまう人達のことを思い出した。特に二宮さん。他の職員はどうでもよかったけど、彼女は今日一日私達の面倒を見てくれた人だし、なんていうか、ショックの度合いが大きかったっていうか。


「志音ごときに緊張するなんて、みんなまだまだだなって思った。その点、私は強いから全然なんとも思わない。やっぱり私って最強なんだね。敗北を知りたいよ」

「母さんに会ったとき動揺しまくってたじゃねーか」

「即座に敗北を認識させようとするのやめろ」


 あれは、違う。違うから。トリムという存在は規格外すぎるから、例外なんだよ。志音だって私のお母さんに会った時に動揺してたくせに。トリムは世界的なデバッガーだから驚いちゃうのはしょうがないとして、志音はただの専業主婦にビビったワケだから、やっぱりどうしても私の方が強いということになる。

 そうして考えていると、やっと思い出した。私は志音にクレームを付けなければいけない。それも特大級の。シロナガスクジラみたいなやつ。


「あんた、何ちゃっかりお母さんに私とのこと話してんのよ」

「? あぁ、付き合ってるって話か?」

「当然。さっきいきなり彼女呼ばわりされて本当に焦った」

「あー……」


 志音は間抜けな声を上げたあと、気の毒な人を見る目でこちらを見た。まさかこんな形で母と私が会うことになるとは思っていなかったみたいで、それらしい準備を一切して来なかったらしい。

 そもそも、私と付き合うことを礼音さんが知ることになったきっかけも、「アンタの相方ってどんな子? 彼氏とかいないの?」「いない。っつーかあたしと付き合ってる」「あ、そうなんだ 〜姦〜」という感じで緩く流されたんだとか。

 会わせる機会が出来たときに、断片的に伝えてきた情報を整理すればいいかと思っていた、と志音は弁明した。親への報告はもちろん、私と会わせることも、志音は近い将来のイベントとして一応考えてはいてくれたらしい。


「志音は偉いね。彼女とのこと、真剣に考えてて」

「すっげぇ他人事みたいな言い方だな」

「私は彼女の紹介の仕方なんて、全然考えてなかったよ?」

「いやお前の言う彼女ってあたしだろ。面と向かって「考えてなかった」って言われるショックやべーよ」


 というか志音のことは紹介するも何も、お母さん知ってるし。というか、我ながら意味不明なシチュエーションだとは思うんだけど、付き合う瞬間にお母さんもその場に居たし。

 お父さんは知らないかもしれないけど、私が言う必要ってあるんだろうか。お母さんが既にいい感じで伝えてそう。有り得ない初手を打つと、有り得ないくらいその後が楽になることもあるんだね。


「私の彼女はちょっとゴリラっぽいんだけど、木に登ってバナナや木の実を取って来てくれるんだよ。優しいよね」

「そんなことした覚えねーよ。たまにマジで優しいゴリラと過ごしてる可能性あるぞ」


 今のは夢幻語で、気を利かせてマフラーをプレゼントしてくれたりするということを言いたかっただけなのでセーフ。

 私はおもむろに携帯端末を取り出して、母に研修が終わったとメールをした。母のことだから、私が今日研修に行ってることすら忘れてそうだけど。念のため、ね。


「お、あれじゃないか?」


 ヘッドライトが周辺の木々や看板なんかに反射して、一台の車が近付いてきたことを知らせていた。そこには白い車がいた。ああいうのなんて言うんだっけ。バン? 後部座席にダンボールとか積んでありそうな、ふっつーの車。私が思い描いていたリムジンとは似ても似つかない平凡さがこっちに寄ってくる。


「え? あぁ、あれは違う」

「なんでだよ」

「あんなどこにでもあるような乗用車なワケないでしょうが」

「お前、トリムに夢見過ぎだって……」


 トリムというか、私は恐らくトップデバッカーに夢を見ている、と思う。それくらい周囲に特別扱いされてて欲しいっていうか。

 命を掛けて戦って、しかもその戦いぶりは一般人には知られることもなくて。高給取りなんだから十分元を取ってるだろってことかもしれないけど、そうじゃなくて。上手く言えないけど、デバッカーは大事にされていて欲しいのだ。今のところ、私も将来同じ職に就く予定だし。

 トップが死ぬほど大切にされてないと、下々のデバッカーの扱いなんてうんこになるじゃない。だから、トリムさんのような国際的に活躍しているプロは、これでもかってほど丁重に扱われてて欲しいの。


「あ、やっぱそうだ。ほら、見ろ。母さんだ」

「あ……うん……」


 私の期待をあざ笑うかのように、礼音さんは車の窓を全開にしてそこから身を乗り出して手を振っていた。選挙か?

 目の前に車が止まると、私達が何かする前に礼音さんがドアを開けて降りて来た。


「さ、乗って乗って。志音、アンタ先乗んな」

「おう」

「次、夢幻ちゃんね」

「あ、はい」


 後部座席に三人が並んで座ると、職員さんが駅の名前を聞いて来た。ここに来る時に聞いたっきりだった駅名は、人の口から聞くのも、自分で口にするのも違和感がある、馴染みの無い名前だった。随分と遠くに来て、そしてそこで一つのことを成し遂げたんだなぁという達成感が、今更になって込み上げてくる。

 私……今日は研修をこなして、後半はあのトリムと一緒にダイブをして、それなりに戦えたんだ。変な感じがするけど、すごく嬉しい。車は走り出したばかりだというのに、私のまぶたはほとんど落ちかけていた。今はこの充足感を胸に、少しだけ。車の揺れに抗わずにいると、志音の肩に頭が着地した。ちょうどいいので、このまましばらく枕にさせてもらうことにしよう。


「で、志音」

「なんだ?」

「今日、どうだった?」

「まさか母さんがいると思ってなかったから驚いた」

「ははは。んじゃドッキリ成功だ」

「手の込んだドッキリはやめろよ……でも、夢幻をダイブに連れてってくれたのは感謝するよ。こいつに母さんが戦ってるところ、見せたいと思ってたんだ」

「あー、ね。変なアームズ使ってる子は、あたしみたいな変なアームズ使いの戦いを見せるのが一番手っ取り早い」

「おう。ま、終始圧倒されてたみたいだけどな」

「はは、可愛い子じゃん。大事にしなよ」

「してるぞ」

「ホントかなー」

「してるっつの」

「キスは?」

「したした」

「マジ!? そうなの?!」


 !?

 さっきからぼんやりと聞こえていた会話が急に迷走し始めたんだけど!? っていうか私達、そんなことしてないよね!?


「じゃあじゃあ、えっちは!?」

「したに決まってんだろ」

「ひゅ〜!」

「待ちなさいよ! してないでしょうが! 親に対して見栄張り過ぎじゃ!」


 いやこれは見栄って言っていいのか。

 とにかく私は目を開けて志音に全力でツッコんだ。ツッコむだけじゃなく、さらに片手で胸ぐらも掴む。だけど、志音はへらへらとした表情を崩さずに、「まだ完全に寝付いてないみたいだったから、ちょっとからかった」と言って笑った。

 完全にハメられた。ムカつく。まだ私にハメてないくせにハメるなんて、許せない。あと礼音さんは今のが冗談だと知ってあからさまにテンション下げないで。なんなの。


 私は志音の肩をばし! と叩くと、礼音さんにくっついて目を閉じた。「おい」とか「なぁ」とか聞こえるけど知らん。安眠を妨害するな、そしてお気に入りのキーホルダーの金具が壊れてリングの部分だけ残して紛失しろ。


「あーあ。怒らせてやんの」

「じょ、冗談だろ……」

「それにしても可愛いわー。志音と同い年とは思えない体の華奢さ。やっぱ東京連れてこうかな」

「駄目だっつってんだろ」

「そろそろ駅だね。志音、下りる支度できてる?」

「なんであたしだけ下ろそうとしてんだよ! 夢幻も連れてくからな!」


 お察しの通り、志音がうっさくて車の中じゃほとんど一睡もできなかった。全然怒ってないけど素足でガラス踏んでほしい。

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