第227話 なお、問い合わせフォームにメールが殺到してるとする

 帰還操作を行った私はダイビングチェアの上で放心していた。

 私の両耳が一斉におかしくなったんじゃないとすれば、礼音さんは私のことを”彼女”と言った。もういっそ両耳がおかしくなっていてくれていた方が良かったまであるんだけど。多分、それはない。残念ながら。

 私は自分の耳の健康さにがっかりしながら、隣のダイビングチェアを思いきり睨み付けた。帰還して目を覚ましていた志音は、首をぽりぽりしてふぅなんて言ってる。ふぅじゃないわ。文句を言うために口を開こうとしたところで、礼音さんが数人の職員を引き連れてこちらへと駈け寄ってきた。


「いやぁー! お手柄だったね! お疲れ!」

「モニターで見てましたよ! お二人ともすばらしい活躍でした!」


 からからと笑って私達を労う礼音さんと、褒めてくれる職員達。ダイブする前は職員の人もタメ口だったと思うんだけど、今は敬語を使われている。大人に敬語で話されると、恐縮してしまって反応に困るっていうか。しかし、なぜ急に彼らの態度が変わったのか、謎はすぐに解けた。


「いやぁ、まさかトリムさんの娘さんだったとは! も〜、言ってくれれば良かったのに!」

「あぁいや、別にあたしが何者だろうと関係無いかと思って」


 トリガーを外しながら、志音はかなりドライに反応してる。さっきまでの、寝起きみたいな腑抜けた顔は鳴りを潜めて、少し冷めた表情をしていた。

 私だったら「平伏せ」って顔で得意げに振る舞うんだけど。まぁ親がトリムだってことで過去に色々あったんだろうし、こいつの対応も分からなくはない。分かってはいるんだけど、それはそれとしてムカつく。なんで最後にちょろっとやってきてぺぺっと参加したこいつと私が同等に扱われてるんだ。絶対私の方が頑張ったでしょ。職員総出で変わるがわる頭を撫でるくらい褒めて欲しいんだけど。


「母さん、さっきの。あたしがいなくても、なんなら夢幻がいなくても、自分でどうにかできたんだろ?」

「え? 何言ってんの?」


 別に怒っているような声色ではない。ただ事実を確認するように志音は言い、礼音さんはきょとんとした顔をして続けた。


「当たり前じゃん」

「だよな」

「もち」


 礼音さんは志音が座っているダイビングチェアの手すりに軽く腰かけると、腕を組んで笑っていた。まぁ、彼女の言うことは分かる。決して強がりや嘘なんかじゃないはずだ。あれほど一つのアームズを駆使して戦える人が、あの状況でお手上げ状態になるとは考えにくいし。私達に花を持たせてくれた、ということだろう。それに、一応研修だしね。超実践的だったけど。


「あたし、これから車で空港に向かうから。良かったら二人も駅まで乗ってかない?」

「いいのか?」

「うん。いいよね?」

「はい、もちろん! 責任を持ってお届けします!」


 礼音さんが振り返って職員に確認すると、すぐに元気な返事が返って来た。それにしても、空港に行くって……?


「これからどこに行くんですか?」

「あぁ、東京だよ。ちょっと面倒な解析結果が出たから見て欲しいって。社外秘だから念のため来てくれっていう。まぁ今日と同じような依頼だね。夢幻ちゃんも来る?」

「こらこら。あたしらは明日も学校だからパスな」

「冗談じゃーん」

「あのなぁ」


 志音に止めに入られて、礼音さんはひらひらと手を振っている。こんなに気さくなおば……お姉さ、いや、おば……まぁ女性があのトリムだったなんて。彼女の正体を知っても尚、定期的に「マジか……」という気持ちになってしまう。


 そうして私達は支度をすると、職員達に挨拶をしてモニタールームを後にした。入口まで車を回すから、そこで待つように言われている。

 携帯端末を見ると、時刻は17時過ぎ、もう夕方。家に帰る頃には結構遅くなってそうだ。それでも、あのダイブを経験しない方が良かったかと聞かれたら、絶対にそんなことは無いと答える。帰りが翌日になってたとしても同行させてもらうべきだった、とすら言えるだろう。それくらい、礼音さんの戦い方は私にとって革命的だった。


 出入口に設置されている受付の前まで戻ってくると、研修をしてくれた二宮さんと、二宮さんから尋常じゃない殺意を受けている受付嬢のお姉さんが口論していた。口論というか、二宮さんがびゃーびゃー言って、お姉さんははいはいと受け流している感じに見えるけど。


「だからー連絡先なんて受け取ってないって言ってるじゃないですか」

「お前の言うことはあてにならないんだよ!」

「あのときも言いましたけど、個人的にやりとりしてないっていうのは本当ですよ?」

「大原の言葉を真に受けた学生が施設の問い合わせフォームに連絡先を直接送ってきたのが問題だって言ってんだよ!」

「あ、お疲れ様です〜。いまお帰りですか?」


 正直、めちゃくちゃ声を掛けにくかったから、二宮さんには悪いけどスルーして帰ろうとしてた。私は不義理を心の中で謝罪しながら愛想笑いをする。受付のテーブルに両手を付いて、大原とかいうお姉さんに抗議をしていた二宮さんは、慌てて振り返って優しく笑った。取り繕うとかじゃなくて、TAKE2みたいなノリで。


「あ、二人とも、随分と遅かったんだね? 今日はどうだった? 有意義な一日になったとしたら、研修を担当した職員としてすごく嬉しいな」


 いや私達、二宮さんが怒鳴り飛ばしてる現場ばっちり見てるんだけど……え……何コレ……見なかったことにしないといけない系……? 逆にリアクションに困るんだけど……。

 戸惑っていると、代わりに志音が対応してくれた。私は横で、珍しく志音が正しく敬語使ってるなと思って聞いていただけだ。


「はい、勉強になりました。さっきはありがとうございました。大原さんも」

「いえいえ。私は連絡事項を伝えただけですから。それにしても、トリムさんの娘さんって本当ですか?」

「まぁ。はい」

「ぅ……?」


 大原さんと志音の会話を聞いていた二宮さんが固まる。分かる、ビビるよね。「は?」ってなるよね。何かを言おうとしてるんだけど、上手く言葉にならないらしくて、「え」とか「どぅ……?」とか言ってる。さっきまで怒鳴ってた人とは思えない。


「えと、あー……ちょーっと馴れ馴れしすぎちゃった、です、かな……?」


 どう接したらいいか、ここまで迷っている人を見たのは初めてかも。大原さんが「普通に喋ればいいじゃないですかー」なんて言って、また二宮さんに睨まれていた。

 だけど、これについては大原さんの言う通りだと思う。こうなるのが面倒で、志音は人にあんまりその話をしないんだろうし。

 隣を見ると、志音はほんの少し眉間に皺を寄せていた。悲しんでいるのか、怒っているのか、ただ元々目付きが悪いだけなのかは分からないが、ベリベリハッピーな状態じゃないことだけはハッキリと分かった。あい分かった、任せろ。私に。全てをな。


「全然気にしなくていいですよ。こいつがトリムの娘だなんて、私も今日初めて聞いたくらいですし」

「そう? 怒ってない?」

「うぅん……おやつにバナナが無かったことについては、もしかすると……」

「え!? バナナ!?」

「あたしをゴリラ扱いするのはやめろ」

「びぅっ」


 言いながら、志音は持っていた見学用のパスで私の脇腹を突いた。あんたみたいな剛力の持ち主がそんな薄っぺらいもので人体を突いたら腹から真っ二つになるかもしれないんだけど、その可能性については理解してんの?

 横っ腹を押さえていると、大原さんが営業スマイルって感じの笑顔で、だけど業務中じゃ絶対に見せないであろうサムズアップをして言った。是非またお越し下さいね、と。あの人がモテるの、なんか分かる気がするな。


 私と志音は視線を合わせてからほぼ同時に笑って、そして二人に手を振って施設の外に出たのであった。


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