第222話 なお、気まずさで呼吸困難になるとする
前回のあらすじ。トリムという日本を代表する世界的にも有名なデバッカーが綺麗な女の人だったっていうか志音の母親だった。なおかつ「帰りにクレープ食べない?」と誘うJKみたいな気軽さで、一緒にダイブしないかと訊かれた。というかする方向で学校側と情報のやりとりをしている、と。
何この、二日連続で宝くじ当たってヤクザの銃撃戦の流れ弾が数キロ離れたところから被弾したみたいなミラクルは。
「……あたしらが行っても何もできないと思うぞ」
「えぇ? 母さんに調査させるの?」
「そのために来たんだろ」
「違うって、娘に楽しい研修受けさせる為。一応言っとくけど、それも責任者には確認取って依頼受けてるから契約違反とかじゃないよ。ま、気楽にやんなって。夢幻ちゃんも、ね?」
「は、はぁ……」
彼女はカラカラと笑って、私達の背中をバンバン叩く。私のお母さんとは違う方向でアクが強いな、志音ママ……。
携帯端末が鳴って、志音ママが「はいはーい」とそれを耳に当てる。すぐに切って、今度は肩を組むように私達にのしかかってきた。
「準備出来たってさ。行こっか」
私達の間をすり抜けるように闊歩するママンの背中を見つめながら私は志音に訊いた。そういえば、お母さんなんて名前なの? と。
「
「外でトリムさんって呼ぶ訳にいかないでしょ」
「あぁ、それもそうか」
志音が母親のことを意図して隠していたのはなんとなく分かる。今まで憧れのデバッカーについて話をしたことなんて無かったけど、それにしてもこんな有名なデバッカーを親に持っていたら、話題に上がってたはずだし。
何らかの理由で、トリムの娘として見られたくない気持ちがあったのは想像に容易い。志音がずっと隠してきたことを勝手にペラペラ喋るわけにいかないし。ほら、私って失言の図書館だから。
「そんじゃそこにパス挿してくれる?」
「あ、はい」
βのダイビングチェアは学校の物よりも一回り大きくゴツかった。手すりの横にスロットが付いていて、そこにパスを挿入できるようになっているようだ。言われた通りケースから取り出して挿してみると、ダイビングチェアのモニターの電源が付いた。
「協会の登録デバッカーは座るだけで静脈認識して電源が付くようになってるんだけど、二人とも今日はゲストだからさ」
職員が持って来たケースを受け取りながら礼音さんが言う。彼女は志音の方を向くと、それを放った。しかも二つ同時に。難なく両方をキャッチした志音は一つを私に渡す。何コレ。プレゼント?
「中にトリガーは入ってる。モニターに表示されてる番号があるだろ。それと箱に表示されてる番号が一致してるか一応確認してくれ」
「……うん、合ってる。なんで? ここでダイブしたことあるの?」
「おう。って言っても、どこもゲスト用のトリガーの扱い方は大体同じだけどな」
あぁ、そういえば言ってたっけ。本当はダメだけど、親がデバッカーの子はその辺を結構融通してもらえるとかなんとか。私はケースを開ける前にもう一度表示されてる6桁の番号が合致していることを確認する。
中に入っているトリガーの形状はいつも使っているものとほぼ同じで、難しいことは何もなかった。
「二人とも準備オッケー? 先に行って待っとくから、モニターに合図が出たら潜ってきてね」
礼音さんはそう言って、志音の隣のダイビングチェアに座った。まもなく、奥の職員が何かの機器をいじりながら「トリムのダイブを確認」と、周囲に告げた。私達がダイブしたときもなんか言ってくれるのかな。美少女のダイブを確認って言ってくれないかな。言ってくれないね。
「お、出たぞ」
「じゃ、行こっか」
「志音ちゃんだっけ? ちょっと待ってくれる?」
「え」
職員が志音に話しかけると同時に私はトリガーを噛んでいた。ちょっと、あの職員なに? 嫌がらせ上手過ぎるでしょ。ねぇちょっと。
「あれ? 志音は?」
「なんか、職員に呼び止められてて……」
「あー。あいつ昔ここのVP室でダイブしたことがあった筈だから……トリガーの情報がぶつかっちゃったとかかな」
ジャンプした先はごちゃごちゃと入り組んだ街の中だった。チャイナタウンって感じで色とりどりの看板がこれでもかと言うほど自己主張をしていて、暗い街の中をビカビカに彩っていた。そう、夜なの。ナイター的な。
バーチャルの夜の街を彼女の母(初対面)と歩くってすごくレアでは?
私は若干の気まずさを感じているけど、礼音さんはどうなんだろう。恐る恐る横顔を盗み見ると、腕を組んで私を見ていた。なんか笑ってる。
「ずっと話してみたかったんだよねー。志音の相方、まきびし使い。マジで発想がブッ飛んでるよ」
「え……ご、ごめんなさい」
いや私も好きでまきびし使いになった訳じゃないんだけど。きっかけは間違いで呼び出しちゃったってだけだし。私の返答を聞くと、礼音さんは、「謝んないでよー! 褒めてるんだから!」と慌てて訂正した。褒めてたんだ……。
「今まで突飛なアームズを使うヤツは色々見て来たけど、まきびしは初めてだったよ。むしろその手があったかって感動したね! ねね、見せてよ」
志音と同じ方向性の顔をしているくせに、人懐っこい顔で私の顔を覗き込んでくるので調子が狂う。だけど、現役のトップデバッカーに自分のアームズを見てもらう機会なんて滅多に無い。私はちょっと怯みつつ、まきびしを呼び出した。ふよふよと私の周りを浮いている。
「ホントにまきびしだ……。いやぁ、やっぱ世界は広いわぁ」
「あの、え、いいんですか?」
「え? あぁ、志音? 平気でしょ」
礼音さんは志音の到着を待たずに歩き出したのだ。凶悪なバグの調査でダイブしてるのに、置いてくなんて。私は彼女の後をついて歩きつつも、何度も後ろを振り返った。
「大丈夫。あいつはそんなやわじゃないよ。それにあたしらが先にドンパチやってたらどこに居るかはすぐに分かるでしょ」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「あ、ちょい待ち」
目の前に手が出される。ぴたりと動きを止めてみると、周囲に電球が付いた長方形の大きな看板が上から降ってきた。すごい音が鳴ってちょっとビビった。青白い電流がバチバチと看板の周りを纏うように走っている。
「随分と攻撃的な性格みたいだなー。……あーらら。夢幻ちゃん、走るよ!」
「へ!?」
地面でいまだにバチバチ鳴ってる看板を避けて、私は礼音さんに手を引かれて走った。さすが志音の母、脚はっや。そもそもコンパスの長さが違うんだよな、私なんかとは。
誰もいないはずの街中なのに、なんだかざわざわする。バグが私達の動向をつぶさに監視して、息の根を止めるタイミングを心待ちにしているような、そんな不穏な気配をビンビン感じる。
落ちてくる看板をかいくぐったと思ったら、キャスターの付いている置き形の看板が爆発する。それもなんとか冷静に避けたと思ったら、今度は建物の壁にむき出しになってるコンセントがバチバチっと鳴って建物ごと爆ぜる。
「ひっ」
「今のは危なかったねー!」
結構ヤバい状況だと思うんだけど、礼音さんは楽しげだ。確かに、彼女に手を引かれる通り逆らわずに走っていけば、向こうの攻撃が直撃するということはなさそうだ。彼女には予兆のようなものが分かるようだ。
「夢幻ちゃん、しばらくあたしらの真上に壁作れる!? 無理ならすぐ答えて!」
「できます!」
できるのか? いや、できるでしょ。弱気になるな。
私は自分達の頭上でまきびしを小さくして密集させ、板のような即席の盾を作った。
直後にガシャガシャとまきびしに何かが降っては当たっていく。連結が外れないように、強く凝縮させるようなイメージで板の形を保ちながら走っていると、ゴキゲンな声が聞こえた。
「ヒュー! やるじゃん!」
「あ、ありがとうございます。あの、本当に志音のこと置いて来て大丈夫だったんですか?」
「それ気になってたー! ここまで酷いとは思わなかったから、結構ヤバいかも!」
いやぁたはは、なんて言って笑っている。
笑い事じゃないが……?
私は振り返る余裕も無く、なんとなく志音が無事で居てくれることを祈った。ただし、ダイブしてなくて一人でのんびりモニター観てたとか言われたらムカつくから、ダイブはしてて欲しい。
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