第216話 なお、理念じゃないとする
私は制服の上に薄いコートを着て、鈴重駅の改札に立っていた。
今日はデバッカー研修当日。私と志音はこれから隣県まで向かう予定だった。向かいにある背の高い時計が指す時刻は朝6時。本当にバカじゃないのって思う。こんな早朝に出発なんて気が触れてる。
そう、私は志音を待っているのだ。そして私を待たせているにも関わらず、あの女は正面から悠然と歩いてきた。
「遅い」
「おい……あたしが待ち合わせでお前を待たせたみたいな顔するなよ」
そう、志音は待ち合わせにギリギリに来たわけではない。というか私よりも先に着いてたし。喉乾いたって言ったらなんか買ってきてくれるって言うから待ってた。それだけ。
志音から温かい飲み物を受け取ると、改札エリアを通った。ここで志音がチケット購入で何か不備をやらかして駅員室に連れてかれたりしたら面白かったんだけど、そんなことはなく普通に通れた。
昔はチケットや非接触型のパスをかざしたりしないといけなかったんだってさ。それもゲート型の改札機に。引っ掛かったら後ろの人に怨念で殺されそうなシステムだ。
「私達が乗るリニアって何番線?」
「リニアは5・6番線って決まってるから、とりあえずあっちのホーム行くぞ」
5番線と6番線のホームまで行くと、案内に目指す駅名がそのまま書いてあったのですぐに分かった。東京方面と言えば東京方面だけど、実際に東京に行きたくてこのホームから乗り込む人って少ないんだろうな、なんて思いながら所定の位置に並ぶ。
前に並ぶ二人組、見覚えがあるなと思ったら……。
「知恵! 菜華!」
「んあ!? な、な、なんだよお前ら! おま、お前らもこれに乗るのか!?」
「すごい偶然。驚き」
「あんたは絶対驚いてないでしょ」
振り返った二人の表情は全然違った。菜華はめちゃくちゃ淡々としてる。感情という名の忘れ物をしたの? ってくらい無。知恵達と同じリニアに乗るってことにも驚いたけど、こんな時ですら菜華がギターを背負っていることに更に驚いた。何をどうやったらこんな熱心なアホを産めるんだ。
ちなみに、知恵は顔を赤くしていた。まぁ、分かる。彼女とおてて繋いで電車を待ってたら、後ろから話し掛けられるってさ。結構恥ずかしいよね。しかも菜華に体重預けるようにして寄りかかってたし。「こんな早朝、誰にも会わないだろ」って油断してたんでしょ。狼狽え具合から分かるよ。
私は優しいからね、「やーい! 知恵ちゃんあっちっちー!」と冷やかしたら可哀想だってちゃんと分かってるからね、そんなことしないよ。
「私達に遠慮しないで菜華に甘えていいよ」
「はぁ!? るっせぇ! うるっせぇ! な、なん、なんだよ! っばーか!」
「知恵、落ち着け。このホームでお前が一番うるさいぞ」
「二人とも知恵を冷やかさないで。これは私がやれと脅迫しただけで知恵本人はそんなことしたいとは微塵も思っていない」
「お前の過激過ぎてバレバレの嘘フォローが一番辛いんだよ! やめろ!」
知恵は顔を覆って、その上から菜華に肩を抱くように抱きしめられてる。顔を上げるのが恥ずかしいらしく、知恵は菜華にその身を預けていた。
「こいつら朝から面白いな」
「それね。夜のホテル楽しみにしてるの、菜華だけじゃないんだろうなって確信した」
「それ言うなよ? めちゃくちゃ面倒くさいことになりそう」
「聞こえてんだよ! クソ!」
前の方から知恵の反論が聞こえる。ちなみに顔はまだしばらく上げられないらしい。結局、知恵が復活したのはリニアの車内に乗り込んでからだった。
4人乗りのボックス席を確保したので、私達はそこに腰掛けて雑談をしていた。ちなみに、志音が買って来たスナックをみんなで摘んでいる。
「到着まで1時間くらいか。知恵達は?」
「あたしらは協会の最寄りがリニアに止まらない駅だからもっとかかるぞ。何時着だっけ?」
「現地に着くのがおよそ4時間後。これでも協会の人が駅まで迎えにきてくれるから、楽できてると思う」
それにしても4時間の移動はつらいと思う。どれだけ暇だったとしても、菜華には暇潰しでギターを弾かないよう、キツく言いつけておいた方がいい気がする。おもむろに練習し始めるくらい、平気でやりそうだから。
「にしても……βの研修、現地に行くのお前らだけなのか?」
「そうだよ。私も意外だったんだけどね、私達以外はオンライン研修だってさ」
そうなのだ。志音が熱弁するものだから、てっきり同じような考え方をする生徒が他にもいると思ったのに。デバッカー協会βの現地研修組は私達だけ。知恵が希望しているδや井森さん達が招かれたαなんかよりもよっぽど近いので、他にも数組いると思ったのにね。まぁ、たかだか研修にそこまで熱を入れる生徒は稀なんだろう。
スナックも食べ終わって、それぞれがケータイをいじり始める。しばらくして、知恵が「せっかくだからみんなで何かして遊ぼうぜ」等と言い出した。と言っても、しりとりはムカつくワードを言わされそうになるから嫌なんだよね……。
「じゃあ子供の頃のあるあるで一番共感できること言った人が優勝ね」
「なんだよソレ……」
知恵がすごい顔で引いている。失礼過ぎるわ。みんなが幼少期どんな子供だったのか分かるし、面白そうだと思ったんだけど。
じゃあ別のを考える? そう言おうとしたところで、菜華がいつもの様子で淡々と答えた。
「好きな子が帰った後、その子の席に座る」
「はいスタート。みんな、ちゃんと共感できるやつ考えてね」
「今すげーヤバいの挙げたヤツがいたんだけど気のせいか?」
知らない。はい、気のせい。
志音がヤバい人を見る目で正面に座ってる菜華を見てるけど、私は何も聞かなかった。別のにしようかと言おうとしたところで爆弾発言をされたので、ついスタートさせてしまったけど。
しかし、これを聞かされて黙っていられない人物が一人いる。
「お前、あたしの席に座ったり……」
「まさか。今はしていない、そんな幼稚なこと」
「幼稚かどうかすらわかんねぇよ」
「ちなみに、この感情が進化すると縦笛を舐めるようになる」
「なんとなく分かるようなこと言うのやめろ」
「つまりお前は縦笛舐めたことあるんだな」
ほぼ分かりきってたけど、私が菜華の幼少期に共感することはないだろう。っていうかするヤツがいたらそいつって絶対ヤバいよ。「分かる〜! その子が帰ってから1分以内に座れたら至福だよね〜!」なんて言って話を合わせる人、知り合いに居て欲しくない。
もうちょっと可愛いのを要求してみると、腕を組んで窓の外を見ていた知恵が「あ!」と声を上げた。
「かき氷食べ過ぎて頭きーんってなるのはどうだ!?」
「それは趣旨に合ってるの……?」
「っていうか、ダメだろ。夢幻は現役でやってそうだし」
「黙れ」
話題をいなして私に被弾させるな。
確かにさ、私もきーんってたまにやるよ。悔しいけどそれは認める。今年も志音の家でやった気がする。でもさ。
「知恵の”してそう感”には敵わないよ」
「あぁ……あたしもそれは思った……」
「はぁ!? どういうことだよお前ら!」
「実を言うと私も、始めは今朝の朝食の話でもしてるのかと思った」
「この寒くなってきた時期にかき氷なんて食べるワケねーだろ!」
「季節感を無視して食べてそうだよな」
「あー、分かる。夏に鍋食べて喜んでそうだもんね」
3対1はしんどいらしい。
知恵はうるせー! と言うと、びしっと志音を指差した。
「そーゆーお前はどーなんだよ!」
「え……? あー……。家事を手伝えって言われそうな雰囲気を察知した時は、先手を打って宿題がたくさんあって忙しいとアピールする」
「先手を打つなよ、手伝えよ」
「手伝ってあげなさいよ」
「志音はご両親が多忙だと聞いた。一緒にいる時くらい家族として親の手伝いをすべき」
「一番それっぽいの挙げてフルボッコにされることってあるんだな」
志音は口を尖らせて「子供ってそんなもんだろー?」とか言ってる。まぁ私は家事の手伝いから逃げる気持ちも分からなくないし、それなりに微笑ましいなーって思うんだけどさ。
志音って多分、尋常じゃないくらい避けまくってきたんだと思うんだよね……。だってあんな家事出来ない人類、初めて見たもん……。
「夢幻もなんか言ってみろよ。あたしより軽蔑されるようなこと言いそうだけど」
「あたしよりバカっぽいこと言いそう」
「私より気持ち悪いこと言いそう」
みんな好き勝手言いやがって。
見せてやるわ。軽蔑もされない、バカっぽくもキモくもない子供の頃あるあるを。
「リネン室のリネンの意味が分からなくてみんなに聞いて回るんだけど誰も由来を知らない」
「優勝」
優勝の声は3人がハモった。
菜華は、優勝商品として【ネットで買ってみたけどイマイチだったというギターの弦及びピック】を鞄に忍ばせてくれた。どういう場面で使えばいいのか分からないからとりあえずほっとくけど、多分ずっとこの鞄に入ったままだと思う。
遊んでいる間にトンネルを抜けて、あと少しで降りる駅に停車する時間だった。忘れもののチェックなどをして、私達は降車に備え始めた。
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