第215話 なお、窓に映った顔は赤かったとする
先生の言いつけ通りに私達は期限内に申請を出し、返事を待っている状態だった。迎えた翌週の半ば頃の昼休み、全ての生徒の研修受け入れ先が決まり、廊下の掲示板に張り出されていた。
一応第一から第三希望まで書いたが、大体の生徒は第一希望のまま通っているらしい。定員超えを起こして第二、第三希望に移動させられることになった生徒もいるらしいが、異を唱える者はいなかった。ちなみに私達もめでたくβで研修させてもらえることが確定した。
ただ、非常に近い形で嫌みを言ってる人ならすぐ側に居た。私のすぐ近くで掲示板を見上げるポニテの少女、家森さんだ。
「はぁー。井森さんのせいでマジでαまで行かなくちゃいけなくなったじゃーん」
「旅費はあちらが完全負担だし、むしろ私のオマケで美味しい思いができることを有り難く思って下さらないと」
そう。どこでも良さそうだった二人だが、αに行くことが決まっていたのだ。しかも、二人の会話から察するにオンラインじゃないっぽい。っていうか旅費が向こうが完全負担ってどういうこと? 学校側は一切負担しないから行ける範囲にしとけって書かれてなかった?
展開についていけなかった私に助け舟を出すように、すぐ後ろに立っていた志音は井森さんに質問した。
「それ、どういう意味だ?」
「私達はどこでも良かったのだけど……あちらの責任者のサカタさんが是非って言うのよ」
「ほら、前に井森さんがリーダーってことにしてαの依頼受けたでしょ? あのときにものすごく気に入られたらしいよー。研修先から言ってくるなんて、逆指名って感じだよね」
「すごいな。αの依頼って、もしかしてクソ村の時のか?」
「そう、クソ村よ。随分前のことだから、向こうから申し出があるまですっかり忘れてたけど」
井森さん、周りにたくさん人がいるけど、クソとか言って大丈夫かな。いや、逆に周りの人が「井森さんがクソなんて言うわけがない。きっとク・ソムラさんの話をしているんだ」って補正かけたりしてるのかな。おしとやか美女すごすぎ。
それにしても、逆指名なんてあるんだ……。私は何の声もかからなかったけど、もしかしてバグかな……こんなところにまで悪影響を及ぼすなんて、本当に許せない……。
「じゃあ二人は他人の金で九州まで旅行するってこと?」
「あはは、札井さんの言い方ヤバいってー。んーでもまーそういうことになるね」
「他人の金で旅行だなんてとんでもないわ。飛行機も質素にビジネスクラスだし、空港までも空港からも全てタクシーで移動よ」
「三歳の老人、みたいな矛盾したこと言うなよ」
「せめて家から空港までは電車で行ってあげて」
あんなよそ行きの柔らかい雰囲気でめちゃくちゃなことを言われたら、混乱しながらも受け入れてしまいそうになる。女の子を歯牙にかけるときも同じことをしてるのかも、と思ったらちょっとぞっとした。
とにもかくにも、二人も無事に研修先を決められたようだ。それもかなりいい待遇で。
もう考えないようにしようと思ったけど、やっぱり考えてしまう。私もこの間リーダーとして依頼を受けてちゃんとバグをデリートして戻ってきた筈なのに、なんでお呼ばれしないんだろう。いじめ?
「夜野さん達、やっぱり
「あいつのことだからεには過去に呼ばれたことがあって、今回は趣味に走ったとんでもない施設に行くかもと思ってたけどな」
「あぁ。性格は違うけど、こういう時に雨々先輩の後を一番追いそうな人だもんね」
「ばっ……!」
志音は慌てて、背後から私の口を押さえる。
何? なんかマズいこと言った?
っていうか、ずっと押さえられてると苦しいんだけど。私の口に手を当てたいなら、せめて手の内にあめ玉くらい忍ばせておけ。いや、やっぱりいきなり口の中にあめ玉放り込まれたら嫌だな。
志音は誰にも聞こえないくらいの声の大きさで、私の耳元で器用に怒鳴った。
「おまっ……! VP関連のことで雨々先輩の名前を出すなって……!」
「べ、別に私はそんなつもりじゃ」
「いいか、お前にそんなつもりがあろうとなかろうと、誰かにアレを勘付かれれば、あの人は契約内容を必ず執行する。分かるな?」
「……ぅぃ」
わかりゅ。絶対殺されりゅ。
彼女をVP空間に囲ってることが他の人にバレたら、何故か私達が死をもって償いますってやつ。そうだね……慎重にしないと……家森さん達は途中までの事情も知ってそうだし、面白半分で詮索してきそうだし……。
私は志音に口を押さえられながら、こくこくと頷いた。
「志音、どうしたの? 急に札井さんを後ろからハグするなんて」
「しかも耳元で何か囁いているみたいだったわ」
なんか怪しげな誤解をされている!
こういうの久々だなって思いながらも、私は「ちょっ!」と声をあげた。が、すぐに雨々先輩の顔が脳裏にちらついた。
そうだ、ちょっと内緒話してただけなんて言ったら絶対追求されるし、そうなったら私は絶対にいらんことを言う。確実に言う。
反論しようと声を出してから一瞬でそこまで考えると、私は体を反転させて志音に抱き着いた。
「志音ったら、みんなの前で恥ずかしいよー♥」
「あ、あぁ……ぇあ、あぁ、悪い。つい」
「もー♥ そういうのは二人っきりになってから、ね?♥」
媚びるような上目使いで志音を見上げてそう言いつつも、私は家森さん達の反応を横目で窺った。なんか話してる。
——明らかになんか隠してるよね
——そうね、不自然過ぎるわ
——っていうか志音引いてるじゃん
はぁぁぁぁぁ??????
全力でラブラブに振る舞ったのになんなの????
いや二人の会話は聞こえなかったけど、表情がそう言ってたんだもん。ヤバい、まずい。いたたまれなくなってきた。っていうか信じられてても、それはそれでいたたまれない気がする。どうすべきか迷っていると、頭の上から声がした。
「んじゃ、あたしら飯行くから」
「どこで食べるの? 空き教室? 体育準備室?」
「家森さんったら、うふふ。昼ならVP体験室がおすすめよ」
「そりゃどーも」
私は志音にくっついて、二人に更なる違和感を与えないように廊下を離れた。家森さんが妙な場所ばかり挙げた理由に私が気付いたのは、角を曲がって人気のない場所まで歩いた頃だ。
「井森さん……あの様子だと、VP体験室で誰かと……」
「はた迷惑だよな、マジで……あの椅子に座るの、少し嫌になったぞ……」
志音の言った意味を考えてみる。ダイビングチェアと簡単な荷物置き場くらいしかないような空間だ。そういうことをするとしたら……あぁそうか……私も、座るの嫌になっちゃったなぁ……。
どの体験室で行為に及んだのか聞きたいと思ったけど、そこしか空いてないって時に辛い気持ちになるから、この疑問は胸の中にしまっておこう。
「ちょっと遠いけどエクセルの方に行くか」
「行く必要なくない!?」
行く必要ないでしょ。さっきのはあの二人から逃げるための口実だったんだし。私は志音を服の裾を引っ張って、教室に戻るように促す。まぁ志音のことだから、他に理由があるとは思うけど。
「……あぁ。そっか。……悪い、そうだな」
志音は「本当だ……」って顔をして、立ち止まって惚けていた。
いや理由ないんかーい。
私と二人きりになりたかっただけかーい。
どう反応していいのか分からず、教室に戻る道を指差してみた。行こうぜ的な。志音はふらっと動き出す。とりあえず戻る意思はあるようだ。私は踵を返して志音の少し前を歩く。
「なぁ」
「なに?」
後ろ姿に掛けられる声に、振り向くことなく応対した。
「さっきの、もっかいやってくれって言ったら怒るか?」
「さっきのって?」
「だから、ハグしたりだよ」
「怒んないけど……え、まさかと思うけど、してほしいの……?」
「あたし、そんなドン引きされるようなこと言ったか????」
志音は困惑してるけど、それでも私は振り向くことなく、背後から聞こえる足音に耳を澄まし続けた。振り向かなかったんじゃなくて、振り向けなかった。
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