デバッカー研修

第213話 なお、全然頭から離れてないとする

 今日の午後の授業は高度情報技術科の時間だ。いつもなら2時間ぶち抜きで時間割が作られていることが多いが、というか基本時間割はそういうことになっているが、今日は1時間のみ。一部の先生の不在とそれを埋め合わせる為とかで、変則的な時間割になっていた。

 このあとの授業は化学。高度情報技術の授業が終わったらあとは帰るだけだと、この高校生活で体に叩きこまれているので、どんな気持ちで化学式やらと向き合えばいいのか、ちょっと分からない。

 それは私だけじゃなく知恵も同じだったらしく、「たった1時間で何すんだよ」等と言っていたが、菜華が「ギターに触れる前の指のストレッチや簡単な基礎練など」と言ったのでなんかうやむやになってしまった。お前は一人で授業中に音色を奏でていろ。


 鬼瓦先生が教室に入ってくると直後にチャイムが鳴った。先生はいつも時間ぴったりに来る。人によってはちょっとだけ遅れてきたりすることもあるけど、彼が遅れて来るときっとみんな心配するだろう。それくらい時間通りに動く人だ。

 日直のきりーつ、れーというやる気の無い号令が、鬼瓦先生の時だけ軍隊ばりになるのはいつものことだ。この声は八木くんか。すごいでしょ、クラスメートの声で人を判別できるくらいこのクラスに馴染み始めているの。ううん、本当は八木くんの席が私から見えるところなだけ。


「今日は1時間しか無く、この教室での授業ということで、何をするのか不思議に思っている者も多いと思う。プリントを配るので、各自目を通してくれ」


 先生はそう言って一番前の席の生徒達にプリントを配っていく。後ろに行き渡るのを確認すると、自分で作ったであろうそれを読み始めた。きっと彼が読み終わると「そろそろいいか」と生徒に声を掛けるつもりなのだろう。

 私も周囲に倣ってプリントに視線を落とすと、そこには「デバッカー研修のお知らせ」と書かれていた。


 今日の授業は説明で終わるようだ。学校が提携しているいくつかの施設の中から選んで、プロの仕事を見学しよう、ということらしい。

 志音みたいな例外は除いて、ほとんどの人はプロがどんな流れでデバッグにあたっているかは知らないだろう。私も知らないし。


 プリントのタイトルを見た時は研修なんてつまらなさそうだと思ったけど、よくよく考えてみると結構面白そうだ。組んでいる相方と話し合って研修先を決めるよう書かれているということは、そのまま二人で参加することになるのだろう。

 志音に強い希望があるとは思えないし、逆に難航しそうだ。私もこれといって見たい施設なんて無いし。施設名の隣に書いてある住所を元に、いくつかピックアップするのが無難だろうか。


「みんなそろそろ読んだか。ここに書かれている通り、デバッカー研修を実施する。提携先施設が書かれているが、他に行きたいところがある者は申し出てくれ。学校から交渉をする。くれぐれも自分で連絡を入れたりするなよ」


 先生は苦々しい表情を浮かべてそう言った。あ、過去にいたな、こりゃ。知り合いに施設管理者がいる等の立場でもない限り、自ら突撃しても許可してもらえる確率は限りなく低いだろう。というか、勝手にそんなことしたら学校の印象まで悪くしそう。


「せんせー! この株式会社完全VP構築ってなんですかー?」


 隣の家森さんが挙手と同時に質問を投げかけた。本当だ。デバッカー協会や近場の施設の他に、とんでもない名前の施設がある。しかも、住所が沖縄……? え……? なんでこんなところと提携を……?

 私の頭がハテナで埋め尽くされていると、先生はため息をついて言った。


「……誰とは言わないが、それは数少ない”生徒が勝手に動いて何故か交渉成功してしまった”例だ。普通は門前払いなんだが。去年、その生徒は約束を取り付け、さらにその態度が大いに認められ、向こうから今後も提携させて欲しいとまで言わしめたんだ」


 あ、伏せられてるけどこれ絶対雨々先輩だ。絶対そう。

 やだな……彼女をVP空間に閉じ込める為にガチの有能が本気出したらこんなことになるんだ……っていうかその為に沖縄まで行ったんだ、あの人……。


「何度も言うが、これはとんでもない例外だ。あと、ここはVP空間構築に特化した研究施設なので、一般の生徒は必ずその他機関から選ぶように。もし迷ったら、デバッカー協会のどれかにするといい。ここは毎年多くの生徒を受け入れているので、勝手が分かっているし、色んなデバッカーが集まるから勉強になるだろう」

「どこも遠いよなー」


 そう言ったのは知恵だ。確かに、どのデバッカー協会も他県にある。授業の一環というだけでそこまでの交通費を捻出してくれる家庭はごく僅かだろう。志音みたいなブルジョワは置いといて。先生は気軽にデバッカー協会にしろなんて言っちゃダメだと思う。


「ちゃんと資料をよく見ろ、乙。デバッカー協会は直接足を運ぶことも可能だが、オンライン研修も受け付けている。わざわざそこまで行く必要は無いぞ」


 そうだよ知恵。ちゃんと資料を読んでね。

 先生が気軽にデバッカー協会にしろって言うには訳があるんだから。


 私は知恵と全く同じ状態だったことを棚に上げて、心の中で知恵を窘める。ちなみに、雨々先輩が交渉して提携先となった先程の怪しい会社にはオンライン研修可能のマークが付いていない。うん、分かってた。なんなら知ってた。


「タブレットで各施設の紹介を読めるようにしておくから、それも参考にしてくれ。また、学校への申請も端末から行うものとする。申請は今週中に、何か分からないことがある者は俺のところまで。いいな」


 先生はそう言うと、主要提携先の説明に移った。どの施設が特別面白そうというのはない。ただ、どこに行っても勉強になりそうだとは思ったけど。

 そうして授業は滞りなく終わり、先生は時間きっかりに日直に号令をかけさせて教室を出ていった。次の授業までの時間は10分しかないが、当然クラスは研修先の話題で持ち切りだった。


 周囲を見渡したあと、黒板に視線を戻すと、目の前に檻から脱走してきたゴリランチョが立っていた。


「夢幻、どっか行きたいとこはあったか?」

「ううん。全然。志音は?」

「あたしも。どこでもいいから、オンライン研修じゃなく足を運びたいと思ったくらいだな」


 志音がこんなことを言うなんて意外過ぎて、私は目をぱちくりさせた。実際に足を運ぶなんてことに拘るタイプには見えなかったのだ。


「意外そうな顔だな」

「そりゃね。志音は知らないかもしれないけど、実際に施設に行ったからって、よく分からないボタンを押したり、スイッチを入れまくったりしていい訳じゃないんだよ?」

「そんなワクワクすることしようとしてねぇよ」


 志音は呆れた顔で話した。実際に自分が施設に行った時、写真や映像付きの通話で見た景色とまるで違って見えたということを。

 せっかく生徒として堂々と中に入れる機会を、オンライン研修で潰すのはもったいないという考えらしい。実体験を元に話されたらさすがの私も弱い。というか、今回は特に希望も無かったし、志音の主張も理に適っていると思ったので、素直に従うことにした。


 大体の方向性が見えてきたところでチャイムが鳴り、頭をVRという科学から化学へと切り替える。はい、もうこのことを考えるのは一旦おしまいね。

 放課後になったらみんなにもどこに行きたいのか聞いてみよう。私は化学の授業が終わるまでプリントをちらちらと見ては想像を膨らませた。

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