第189話 なお、思われるとする
遅れてやってきた真打ちは、私の側から動けずにいる知恵を見つめていた。横からまきびしが飛んで来てもギターで打ち返し、流れ玉のようなビームが頬をかすめても眉一つ動かさず、ただ阿修羅のような顔で付いてくる。
本当に、本当の本当にそれはあってほしくないんだけど、今の菜華の明らかなキレっぷりの1割でもいや1%でもが、知恵とくっついてる私に向けられてたら死ぬ。人が一回に受けていい殺意の致死量的なものを超えるから。
調子を乱すことなくすぐ近くまできた菜華は、しゃがんでそっと知恵の患部に触れる。知恵は短く声を上げて、心配すんなとだけ言った。
「……誰がやったの」
「……誰だっていいだろ、ここにいるバグのどれかだ。親玉は奥にいるウサギみたいなバグだ。一人だけ色ついてるから分かりやすいだろ?」
「知恵。菜華、行っちゃったよ」
「へあ!?」
菜華は知恵の言葉を聞くと途中で消えた。厳密に言うと、”親玉は奥にいるウサギ”くらいで。しゅん! って感じでいなくなった。
私に被さる形で、どちらかというとうつ伏せ状態になっている知恵が、菜華がほぼ瞬間移動のように消えたことに気付けなかったのは無理もないだろう。私もホログラムの映像が切れてしまったような、そんな錯覚に陥ったくらいだ。
「あいっつ、どこ行ったんだよ」
「いや……分かるでしょ……」
「まぁ、想像はつく……」
菜華は地を駈けていた。間に志音や、ブラーフル、あとは飛び交う私のまきびし。障害となるものはたくさんあったけど、構わずアルミラージへと、最短距離で走った。
そして辿り着く。アルミラージは座り込んで木を背もたれにしたまま動かない。菜華がギターを振り上げると、それを阻止するように背後から炎が襲いかかった。
振り向き様にギターを大きく振り、風圧で炎を裂く。まさかそんな芸当を披露されるとは思わなかったのだろう。怯んだ黒いエンジンとキキとを見逃すことなく、まとめて縦に叩き潰した。
「ギターが斧かなんかに見えてきた」
「あいつ……弾けよ……」
楽器を奏でればこの窮地は脱せるはずなのに……私も知恵も、それを菜華に伝える手段を持たなかった。というよりも、先生も志音も、誰もそんなものは持っていない。
だって恐らく、”弾けば終わる”ということは、菜華にも分かっているのだ。直接物理的にぶっ叩かないと気が済まない、と思っている彼女を説得できるような人間は、リアルにもバーチャルにも、言ってしまえばこの世にもあの世にも存在しない。
「どーすんの」
「……気が済むまでほっとくしかないだろ」
「せっかくあいつが駆けつけたってのに……」
そう言いつつも、頭では仕方がないことを理解している。知恵をゆっくりと体を起こして、菜華の動向を見届ける体勢になった。
菜華を止める為にバグが苦戦しているのは明白だ。証拠と言ってはなんだけど、こちらへの攻撃はかなり緩和されている。アルミラージの周辺の人口密度がヤバい。まぁ人はあそこに菜華しかいないんだけど。たくさんの黒い影と、女と、ウサギのお化けみたいなバグが一ヶ所に固まってわちゃわちゃやっている。
「……邪魔!!」
菜華は小さく、しかし吐き捨てるように呟くと、ギターをジャイアントスイングみたいに回して回転する。避けきれなかったバグが頭を潰されて、どろりと形を失って消えていく。
一周して止まるかと思った勢いが何故か激しさを増し、最高潮のところで菜華の手から鈍器と化していたギターがすっぽ抜ける。軌道上にはアルミラージがいた。そこでやっと、菜華が奴目掛けてギターをブン投げたのだと理解した。凄まじい勢いで放たれたアームズが一直線にバグへと向かう。
衝突の瞬間、バグは手で飛来物を弾き飛ばした。回避できず、しかし反応はしてみせた、と。それを見た菜華は淡々とした表情で、地面に落ちたギターを消して手元に呼び戻す。
「……すっかり我を失っていた」
「やっと気がついたか。おい、こっちこい」
「のあっ!!?」
知恵は地面にぽんと手をつくと、あのスピーカーのようなパソコンのようなアームズを自分の真下に呼び出した。パソコンをカタカタを操作する音が聞こえる。だけど姿は見えない。
なぜなら、知恵が私のことを一切考えずにアームズの呼び出しをしやがったせいで、私はスピーカーの端に辛うじて尻を置いていたという格好となり、まぁ端的に言うと知恵のアームズが具現化すると同時にそこから落ちて尻を晒していた。自分の脚の間から逆さの世界を覗いてる。
「お前……散々知恵のパンツをいじり倒しておいて……自分はまきびしのパンツ履いてるってやべぇよ……」
「誰がまきびしパンツじゃ!!」
私の名誉の為に言っておくけど、これはまきびしのパンツじゃない。黒い星なの。よく見なさいよ。まきびしのパンツなんて、もうそれ絶対オーダーメイドじゃないと無いから。そんなのわざわざ特注で作る余裕あるなら、他のことに時間とお金使うから。っていうかヤバすぎて多分業者さんも「そんなパンツ作りたくない」って言うから。
「……まきびしパンツじゃないのか?」
「よく見なさいよ、黒い星でしょ」
「うーん?」
志音はよく見ようと、近付いて覗き込むような格好になったけど、よくよく考えたら布を隔てているとはいえ、股間を凝視されるなんて絶対イヤ。私は逆さになった体勢のまま、脚を挙げて志音の顔面を蹴り上げる。
「恥ずかしいから見ないで!」
「ってぇな! よく見ろっつったのお前だろ!」
そのときだった。菜華のギターの音色が爆音で鳴り響いた。音量の大きさについては、ここまでやる必要はないけど、まぁ菜華の怒りを音で表現するとなると、小さい音というよりは大きい音になりそうだ。彼女の気持ちは汲む。やっぱりまだイライラしてるんだろうしね。
でもさ、よく考えて? 私、スピーカーから転がるように落ちて、音が出るっぽいあみあみのところに顔付けてるんだよ。そんなおっきい音をゼロ距離で聞いたら普通どうなると思う?
分かんないかな。あのね、狂うんだよ。
「うるっっっっっっっさ!!! はぁ!? 何?! うるさい!!?」
「落ち着け夢幻!」
私はスピーカーから離れるようにゴロゴロと転がって、10メートルほど移動してからやっと体を起こした。手で耳を覆いながら立ち上がると、それを補助するように志音が私の体を支えてくれる。アンタ鼓膜平気なの? それとも、あらかじめ破っておいたの?
「いってぇー……おい、菜華! 楽譜の通りに弾け!」
「ちゃんとパソコンに出ている音も少しは混ぜている。証拠に、バグ達は動けずにいる」
「遊んでないでちゃんとこれの通りに弾けよ!」
「この怒りをギターで表現しないのはもったいない」
「あ と に し ろ ! !」
私と志音は呆れていた。こいつら、こんなときでも……。見ると、ラーフルやエンジン、キキまでもが「あーあ」という顔をしている。鬼瓦先生一人だけが、周囲の警戒を解かずに、気を張りつめたような表情をしていた。
知恵は菜華を怒鳴りつけながら、たまに眉間に皺を寄せて腰を押さえている。多分、ギターの音が負傷した腰に響くのだろう。知恵には少しだけ同情する。ちなみに、傷への影響ならギターよりもベースの方がヤバい。私はそれを身を以て知っている。
怒りを表現し終わったのか、どうやら菜華は知恵の出力した楽譜通りに弾き始めたらしい。二人がそれを口にすることはなかったが、言われるまでもない。何故ならば、バグ達の反応が明らかに変わったからだ。
初めに消えたのはブラーフルだった。それを皮切りに、大勢の影達が膝を付き、消えていった。
最後の最後まで残ったアルミラージは、頭を抑えながら何かの抵抗をしている。様子を見守っていると、知恵が言った。誰かあいつにトドメを刺してくれ、と。
この声がした直後、奴の頭上からは大きなまきびしが雨のように降り注ぎ、斜め右からは火炎放射が、斜め左からは目が潰れるくらい明るく放射角度を絞った鋭い光が放たれた。そう、知恵の声に反応したのは私とラーフルとキキ。それぞれ相当ヘイトを溜めていたようで、待ってましたと言わんばかりに全力で潰しにかかった。
ラーフルから放たれた光の柱が消えて、炎がまだ少し残る中、奴がいたところには、モザイクのようなノイズが走って、すぐに消えた。知恵がパソコンで周囲にバグの反応がないかを確認して、「やったぞ」と呟くと、私達はやっと両手を上げて喜んだ。喜びに震えながら、私は志音に語りかけた。
「ねぇ志音」
「どうした?」
「全然関係ない話なんだけど、私って今後の人生で黒い星の柄の何かを持ち歩く度に、まきびしかなって思われるのかな」
「マジで全然関係なくてびっくりした」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます