第190話 なお、In My Pocket とする

 私達はひとしきり喜んだあと、やっと帰ることにした。キキとエンジンが再会を喜んでいるようだったから、もう少しゆっくりしていたかったんだけど、そうも言ってられない。

 私はスピーカーの上、知恵の横に立つ菜華の方を向いた。


「海に居たんじゃないの?」

「そう。ただ、知恵のピンチだと聞いて、タクシーで帰って来た」

「はぁ!? お前、あたしのために、そんなっ」

「たっ」


 タクシーで? 海から? 帰宅? それ絶対料金エグいことになってるよね。

 だけど私はあえてそこには触れなかった。だって明らかに数万してるもん。数万とか、ちょっと高校生の私には抱えきれるような額じゃない。ここで話に割り込んだのは、意外なことに鬼瓦先生だった。


「そうだったのか。ご苦労だった。あとで領収書をくれ。協会には俺から請求しておく」

「分かりました」

「え!? 領収書があればデバッカー協会からお金出るんですか!?」

「あの流れでは当然だろう。急いでると伝えて、鳥調は最も早急に現場へと急行できる方法を取ってくれたんだ。報告書には俺から申請が下りる様に書いておく」


 そういえばこの戦いは実習ではなく、依頼なのだ。幾人ものデバッカーが協会から依頼を受けて、それをこなして飯の種にしている。つまり、私達は社会人と同じことをやっている、ということになる。そう考えると、なんだか色々すっ飛ばして大人になったような気すらしてくる。


 それにしても……交通費出るんだ……じゃあ私もどっか旅行行って、帰るタイミングで依頼受けて、タクシーで帰って交通費浮かしたいな……。


「お前、またアホなこと考えてるだろ」

「は? じゃあアンタは一緒に旅行来ちゃ駄目だから」

「え、おい。なんだよそれ、連れてけよ」


 志音は慌てて私の肩を掴んでいる。そんな必死になられるとは思っていなくて、少し動揺してしまった。なんだこいつ、私と旅行行きたいのか。

 私達が妙な会話をしていると、知恵がうっと呻いてゆっくりと地面に手を付いた。そうだ、こいつ、私を庇って……。


「いってぇ……やべぇ……あたし、歩けそうにないな」

「念の為確認するが、手足の感覚なんかはしっかりとしているか?」

「あ、あぁ。普通にあるぞ。なんだよ、あたしが蹴られたのは腰で」

「背骨にダメージがあった場合、体にどんな反応が起こるか、想像できないわけではないだろう?」


 鬼瓦先生はそう言って、知恵の返事を待った。

 彼の言葉が何を意味しているのか、分からないわけがない。打ち所が悪ければ、知恵は車椅子生活を送ることになっていたのかもしれないのだ。それに気付くと、私達はもちろん、エンジン達すら口を噤んだ。


「もー。ゆーと、びっくりさせちゃだめだよ」

「むっ。しかしだな」

「生徒に用心してほしいのはわかるけど、怖い顔で怖いこと言っちゃ、だめだよ!」

「む……」


 ラーフルは先生を叱りつけるようにそう言った。しかし、怖い顔で怖いことを言ってはいけないなら、先生は一生怖いことを言ってはいけない、ということになってしまう。


「ラーフルの言うように、いま乙の手足の感覚がなかったとしても、リアルにそれが引き継がれる可能性かかなり低い」

「へ? そうなのか?」

「あぁ、俺の体感だが、バーチャルで受けた傷の30%〜50%がリアルに感覚として引き継がれる。札井は負傷の経験があるから分かるだろう」

「うんうん。しばらくお尻が痺れて変な感じしたよ。そのまま持ち越されたら、多分しばらく普通に座れなかったと思うから良かった」

「なるほどな」


 知恵はひとまず安心したようだ。しかし、隣にいるギター奇人は真剣な表情で知恵の横顔を見つめていた。


「私は知恵がそうなっても、寄り添って生きていく」

「お、おう」

「毎日ご飯を作って、お風呂に入って、寝るときも一緒に」

「いや、あたし平気だから。縁起でもない想像すんなよ」

「ふふ……私無しでは生きていけない知恵……」


 不謹慎大魔神かよ。

 私は菜華の後ろ向きな独占欲に普通にドン引きしながら、今のやりとりの一切をスルーした。うん、聞こえなかった聞こえなかった。知らない知らない。ね、志音。


 私達は先生と周辺の状況を確認して、エンジンとキキとラーフルにお礼を言う。「いつの間にキキと契約してたんだ」なんて、志音はまた私を責めるように言った。

 多分、知らされてないことがあったのが気に食わないんだと思う。妙なところで子供っぽいというか。いじいじゴリラのことはもうあまり考えたくないので、これくらいでいいか。

 キキに「今度からは普通に呼び出しに応えてくれる?」と聞いたけど、「気が向いたら」という答えしかもらえなかった。私のアームズって、どうしてこう、変なのばっかりなんだろう。まぁそれをいま考えても仕方がないけど。


 そうしてラーフル達にお別れを言うと、最終確認の為、首筋に手を当てて歯を鳴らした。カチンという音と共に、周囲の景色が学校のそれになる。

 どうやら無事に全員戻れたようだ。つまり、周囲の脅威は完全に過ぎ去っていたということになる。


「っはー……やっと帰ってこれたな……」

「今回はタフなダイブだったね……」

「少し休憩していてくれ。書類の準備をしてくる」


 鬼瓦先生は棚の上に千円を置いていくと、部屋を出て行った。これで好きなものでも飲んでくつろいでいろ、ということだろう。私はダイビングチェアから立ち上がって近付くと、そっとそれをポケットに入れて、また自分の席へと戻った。


 スマホを見ると、もう夜の7時だ。これから報告書を作成するということになると、家に帰るのは9時頃くらいになりそうだ。お母さんにメッセージを送っておかないと。


「……?」


 志音が若干青ざめた顔で私の顔を覗き込んでいる。まぁ今回こいつは、結局最後までアームズを呼び出さなかった唯一の人間だ。こいつにしか感じられなかった恐怖があったのだろう。私はうんうんと頷いて彼女の苦労を労うと頭を叩かれた。意味が分からない人の為にもう一度言うが、頭を叩かれた。労いの頷きの直後に。


「はぁ!? 急に何!?」

「急に何!? じゃねーよ! なに自然に千円札ポッケにないないしてるんだよ!」

「え……千円、欲しかったから……」

「そんな無垢な目で言うなよ」


 志音は呆れながら私のポケットに手を突っ込んでお札を取り出すと、知恵と菜華に「適当でいいか?」と聞いて外に出て行った。え……私がお金盗んだみたいになってるけど、うん、まぁその通りなんだよね。自然な流れでやったら許されるかなって思ったけど、駄目だったね。普通にめちゃめちゃ怒られたし没収されたね。


「お前……自然な流れで泥棒するのやめろよ……おい、菜華。お前もなんか言えよ」

「知恵、体は大丈夫?」

「って、あたしのことかよ。まぁいいけど。平気だよ。ちょっと腰が痛いけどな。脚が動かせないとか、そういうのは全然ない」

「そう……」

「残念そうにするんじゃねぇ」


 菜華はしゅんとしながら、知恵の話を聞いていた。予測していた通りだけど、菜華は私がしようとしたことについてどうでもいいらしい。っていうか、こいつは多分、知恵以外の全てがどうでもいいんだよね。

 志音が戻ると、その手には飲み物が抱えられていた。適当なものを各々手に取ると、誰かがカシュッと缶を開ける音が響く。


「まぁ、とりあえず。お疲れ」

「そうだな」

「乾杯」

「札井夢幻の多大なる貢献を讃えて、乾杯」

「それ讃えてるのお前だけだぞ」


 私達4人は互いの無事や任務の成功を喜び、自販機のジュースでささやかな祝勝会を開いた。私の貢献を讃えようとしない志音にはこっそり、”せっかく両親が帰ってきたのに志音の帰りが遅くて「あーあ、久々に家族揃って食事できると思ったのになー」とネチネチ言われる”という呪いをかけておいた。



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