第180話 なお、バイバイデッドラインとする

 ロッジを出ると、私達は東へと向かった。白樺のような樹の林の中を進んでいく。ダイブ前に鬼瓦先生はトリガーの枠を二つ設けていると言っていたけど、バグの能力がコピーならまだ出さない方がいいだろうということで、手ぶらでデッドラインへと歩いている。


「あぁ、アレだな」

「結構近いね、デッドライン」

「ロッジからデッドラインが近いってことは、そんだけヤバいってことだろ」

「あー、言われてみれば……」


 私は今回の任務の深刻さを理解すると、デッドラインを見つめた。隣では志音が面倒くさそうな顔で頭を掻いている。シラミかな?

 志音の隣に知恵がいる筈なんだけど、小さ過ぎて私の立ち位置からちょっと見えない。見えないなーと思いながらざっざっと歩みを進めて、デッドラインを跨いだ。

 ここからはいつバグが出てきてもおかしくない、気を抜いてはいけない空間だ。まぁそんなすぐバグと対面することはないだろうけど。


「とりあえず、戦法を考えようぜ」

「あぁ、まずは話を整理するぞ。バグが一度にコピーできる人数は不明、ただ複数であることは間違いない。そしてアームズの強さも全く同じようにコピーできる」

「最強じゃん。帰ろ」

「待て待て待て待て」


 志音は踵を返す私の肩を掴んで制止する。いや、帰るべきでしょ。バカじゃないの。めちゃくちゃ強いじゃん。変な気遣ってないで早くプロに依頼して。


 力で志音に勝てるわけもなくじたばたしていると、私達のやりとりを見守っていた知恵がいきなり大声を出す。何? コンロの火でも消し忘れたの?


「おい……帰ろうぜ」

「は? なんで?」

「多分、この手のバグなら、菜華が最強だ。なんで気付かなかったんだ……」


 何それ、彼女だからって贔屓してない? 私だって最強だけど? ちょっともう帰りたいだけで、最強なんだけど?


 知恵が突然口にした言葉の意味が分からず、私は無言で知恵を指差しながら志音を睨み付ける。分かったから人を指で指すのやめような、と腕を下ろされてしまった。あんただって人のことバナナで刺すくせに。


「知恵の言う通りだ。相手がバグなら、菜華以上に有利に戦えるやつ、もしかしたらプロでもいないんじゃないか?」

「ちょっと何? ヤンキー二人で会話進めるの止めてくれる? 私の人権はどうなったの?」

「人権を脅かすほどのことじゃなかったろ」


 そうして知恵は説明してくれた。菜華のアームズなら、いくらコピーされても問題無いと。彼女の話を聞いて、私は「確かに……」と呟く。菜華はバグ特有のセキュリティホールを突いて攻撃できるんだ。私達にそんな弱点はないし。

 もしかしたらそれが無いタイプのバグかもしれないけど、とりあえずデバッガーに被害が出ることはないだろう。いや爆音で鼓膜を破りに掛かられたら困るけど。それほどの出力はできないっぽいので、その辺は大丈夫だ。


「考えれば考えるほど、だね。それじゃ戻ろっか」

「入れ違いになるとマズいし、とりあえず歩いてロッジまで戻らないか?」

「そうだな。菜華が一人で先行して、他のバグに襲われる可能性だってある」

「分かる。私もそう言おうと思ってた」

「お前は首筋に手を当てながら何言ってんだ」


 だってすぐ戻りたいじゃん……そんなワケ分かんないヤツ相手にしたくないし……。私は二人の咎めるような視線を振り切って先頭を歩いた。歩き続けて、異変に気付いた。


「ねぇ、デッドライン、ないんだけど」

「おう」

「見えすらしないんだけど」

「そうだな」

「どう思う?」

「ヤベぇな」


 少し前に超えた筈のデッドラインが驚くほど後退している。これが意味するのは、周辺にバグの反応等があって、それがガチンコでヤバくて、さっきまでの「この辺まで安全だよ」が「やっぱり駄目だわ」になったということ。もう災害じゃん。


 体温が下がっていくのを感じる。物音で敵に気付かれるかもしれないので、静かに早歩きしていく。そこで私はある提案をした。


「あのさ、事情が変わったし、一人だけ帰れるか試してみない?」

「は?」

「じゃあ私がやってみるね」

「ダメに決まってんだろ!」


 知恵は私の手を掴むと怒鳴った。そりゃもう結構大きい声で。知恵の声が林の中に吸い込まれていく。もう嫌な予感しかしない。


 私の予感の的中を確信させるように、かさりという音が響く。誰かが葉を踏みしめたような音。それはこの近くに私達以外の誰かがいると思わせるには十分だった。誰ともなく立ち止まり、周囲の気配に警戒する。


「……知恵のせいだからね」

「ちっ、違うだろ。大声出してすぐ来るなんて、元々近くにいたんだろ」

「そうだったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今はそんなこと言ってもしょーがねーよ。どうする」


 囁き合うように打ち合わせをする。そう、下手に武器を見せる訳にはいかないのだ。とりあえず、私に言えるのは、志音がアームズを出すのは最終手段にすべき、ということ。私達の中で一番アームズのリンクが強いのはこいつだ。

 それに、どうせ身体能力までコピーできるんだろう。そういう意味でも厄介だ。志音をコピーの標的にしたくない。


「知恵、あんた出しなさいよ」

「なんでだよ」

「パソコンコピーされるくらいなら平気でしょ」

「ケンカ売ってんだろ」


 知恵が牙を剥いて私を睨んでいる。あぁ、フェレットっぽい。いつかのダイブを思い出して、彼女の顔を小動物に重ね合わせると、そこで閃いた。


「ねぇ……生体アームズ使ったら……?」

「それコピーされたらガチでシャレになんねぇな」

「おい、来たぞ」


 志音の視線の先にいるのは、影のような人間だった。身体が黒に近いようなグレーで、手に槍を持っている。おそらくはバグが生み出したというコピー人間だろう。

 体格から、男性がコピーされたであろうことが窺えるものの、顔もほとんど黒塗りで、元の人相までは分からない。


 バグがゆらりと腰の位置で槍を構えると、黒い切っ先がこちらを指す。あー、やだやだ。やめて。

 願いもむなしく、想像していた通り、彼は私達に向かって突進してきた。


「夢幻! やれ!」


 志音が叫ぶ。意味を理解すると同時に、私はまきびしを呼び出す。バグが走るであろう一直線のルート上に2mほどの高さで呼び出し、通過するタイミングに合わせて、まきびしを巨大化させながら全速力で落下させる。

 軽く地面が揺れ、見事にバグを捉えることに成功した。恐る恐るまきびしを浮かしてみると、ヘドロのような塊がぐちゃりと音を立てる。そうしてそれは、小さいモザイクになってすぐ消えた。


「……やったか」

「推理漫画の犯人みたいなバグ、やっつけたね」

「バグにまで失礼なこと言うって相当だぞ、お前」


 しかし、この危機の回避の仕方には大きな問題がある。というか問題しかない。咄嗟にやってしまったものの、きっと私は。

 ざっという音がする。振り返ると、そこには犯人になった私と、槍を構えた犯人(♀)が立っていた。


「さっきのヤツ! 消えたんじゃなかったのかよ!」

「よくみろ、女だ。まぁ、槍なんて武器、珍しくもないしな。夢幻、いけるか?」

「無理でしょ。私って美少女だし最強だもん。これは苦戦するよ」

「置いてくぞ」


 志音は腕を組んで呆れた顔を作っていた。久々にまきびしでお灸を据えてやろうと思った瞬間、何かが飛んできた。反応が間に合わない。おそらくはまきびしだろうけど。志音が私を抱き寄せ、なんとか回避すると、直後にカッ! という音が鳴った。

 体勢を整えるのも忘れて、志音の胸の中で音の正体を確認してみると、樹に刺さっているのは槍だった。

 いや槍かい。そういうのはどっちかっていうとまきびしの役割でしょ。


「さっきのバグとは違うタイプの槍使いみたいだな」


 黒系一色の身体の色で気付かなかったけど、なんか背中にいっぱい槍を背負ってる、あの人。あんなアームズの使い方する人いる……?

 投げたらすぐ消して、また手元に呼び戻せばいいんだし、複数所持してるメリットがないような……。


「あっ」

「どうした?」


 もしかしてだけど、誰かがバグのデリートに乗り出すのを想定して、わざとコピーさせたってことはない……? いや、考え過ぎかな。でも、考えちゃうよね。だって、出来すぎてるもん。

 私が言うよりも早く、知恵が私がしたかったことと同じことを言った。


「おい、これ使おうぜ」


 木に刺さった槍を取りに行こうとすると、今度こそまきびしが飛んできた。明らかに知恵を狙っている。そうだよね。分かる。私がバグでもそうしたと思う。私は志音から離れて普通に立つと、それらをアームズで叩き落とした。


「私が足止めするから、二人は武器を回収して!」


 二人がかりならなんとかやれるだろう。これで武器の回収が終われば、とりあえず二人が戦える状態になる。槍を持っている方のバグが2本目を投げれば、全員が武器を持つことに。志音はあいつはなんでも使えるから大丈夫だろう。

 知恵は槍なんて持ったこともないだろうけど、身を守るくらいの役には立つ筈だ。あの槍は志音に任せることにして、私はに集中すればいい。活路を見出したことで、自分の瞳に光が宿っていくのを感じた。

 光の私と闇の私の決戦って感じでかっこいい。口にしたかったけど、「使ってるのはどっちも闇の塊みたいな武器だけどな」って志音に言われそうって気付いたから黙った。


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