第159話 なお、あとちょっとで死ぬとする

 私と先輩は少し移動して、準備室の真ん中で話をすることにした。ちなみに立っている。これは私がちょっとした空き時間に少しでもダイエットをしようとしてるんじゃなくて、外で待機してくれている三人に姿が見えやすいようにそうしているのだ。私の身に何かあったらすぐに突入してくれ、という願いを込めているつもり。

 志音は言わなくても飛んでくるだろうし、あの二人も賢いから私の言わんとしていることを分かってくれるだろう。その点はあまり心配していない。


 そんなことよりも真っ先に心配しなければいけないことがある。分かるよね。はい。目の前の裏ボスである。先輩は表情こそ穏やかだけど、品定めするような視線で、たまに私を物のように見る。怖い。


「札井さんだったんだ、やっぱり」

「やっぱりってなんですか」


 あれだ、私が椅子の形を答えた時のこと。しばらくこちらをじろじろと見ていた。あの時に違和感を感じたのは、私だけじゃなかったんだ。


「だってさ、椅子のデザインとか、札井さんが覚えてるワケないなって思ったもん」

「それは酷くないですか」


 そんなことないって言えない自分が憎い。確かに、実際ダイブしてたらそんなの覚えてなさそう。そうか、答えられたことがおかしいと思われたのか。答えても答えなくても怪しまれるって、私って結構詰んでるよね。


 無駄話は終わりだとでも言うように、先輩はデスクの空いたスペースに腰掛ける。雰囲気ががらっと変わった。


「で? 何を見たの?」

「クッキーって言ったら、それでもう充分じゃないですか」

「もっと教えてよ」


 嫌だ。答えたくなんてない。何せ、私は何も履いていない真先輩に馬乗りになられたりしているのだ。自分から言うつもりはないけど、態度で察知される可能性は大いにある。

 しかし私は思いついてしまったのだ。つまり、私が何を見た、ということに重きを置くのではなく、何かを見た結果どう思ったかを話せばいいんじゃないか、と。

 元々、これについてはどうしても言っておきたいことがあったし。そう心に決めると、私はゆっくりと口を開いた。


「真先輩、可哀想です」

「そう?」


 はい、会話終了。

 だって、青空を見て「青いね」って話しかけた相手が「え? ビリジアンだよ?」とか言って来たら、もうそれ以上言うことないじゃん。無理じゃん。

 そう? じゃないが。


 不意に、真先輩の寂しそうな横顔と、お尻にまきびしが刺さって悶絶する表情が脳裏に浮かび上がった。ねぇ後者はいま絶対に必要ないから記憶の奥底で眠ってて。

 気を取り直して先輩がこれまで感じてきたものを想像してみる。やっぱり可哀想だ。分からないなら分からせるしかない。

 あの人、めちゃくちゃ変な人だったけど、悪い人じゃなさそうだし。そもそも恋人の為にイチかバチか死ねる人が、悪い人な訳ないし。


「なんで分かんないんですか」

「え?」

「真先輩、諦めたような顔してました」

「諦めたならいいでしょ」

「良くないです! 諦めさせたのは先輩じゃないですか!」


 私は吠えた。不満を訴えないからと言って、何も思っていないと思うな。真先輩は、言わないだけで、感じていないわけじゃない。いま初めて、雨々先輩にムカついている。彼女と向き合っているというのに、恐怖よりも怒りが勝るなんて。自分でも信じられなかった。


「真先輩、私が帰るって言っただけなのに、泣き縋りました!」


 さすがの雨々先輩も、これには驚いたらしい。ぎょっとした顔で私を見た。だけど私は止まらなかった。そうだよ、それくらいあんたの彼女は寂しがってたんだよ。

 真先輩がこちらに来れない分も、私は主張しなければいけない。彼女のことを知っているのは、この世で私と、目の前の完璧超人のサイコパスだけなのだから。


「帰らないでって……! きっともう会えなくなるから、って……! 帰還操作まで邪魔されて、本当に必死だった……!」

「そう、だったんだ……邪魔って?」

「私を押し倒して、股がって! それで……! …………」


おや?


うん?


あっ……。


「ごめんなさい、今の無し。”本当に必死だった”って台詞からTAKE2いきますか」

「いけると思う?」


 なんで私ってこうなんだろう。いらんこと言い過ぎ。だって、先輩の為にどうにかしなきゃって、それで……まさか命を落とす事になるとは。

 視界の隅っこには、ものすごく冷たい目をした先輩が、腕と足を組んでデスクに座っている。一番言っちゃいけない言葉を言ったのは分かってる。分かってるんだけど、でも……。


「あのさぁ。真。下、履いてなかったでしょ?」

「……」


 履いてなかった。履いてなかったけど、それを認めたら死って感じだし、だからと言って何か履かせたというのもある種の死という感じがする。どうしたらいい。どうすれば傷が浅い……そうして私は思いついた。我ながら天才だと実感しながら、それを口にする。


「えー……? そうだったんですか……? いやぁ見てないんで、知らないですねぇ……」


 必殺すっとぼけ。

 これが最も効果的だろう。今の今まで知らなかったというスタンス。マジでナイスアイディアじゃない?

 ちらりと先輩の表情を盗み見ると……カミソリみたいな目をしてた。無理。怖い。死が近過ぎて、お死っこもら死たって感じ。


「……はい、履いてなかったです」

「だよね?」


 ヤバい。これ、まともに会話したらいけないやつだ。ほら、あるでしょ、妖怪とか都市伝説でさ、返事したら死ぬとか振り返ったら死ぬとか、そういう類いのアレ。


「エッチだなぁって、思わなかった?」

「……」

「ねぇ」


 先輩はいつの間にかデスクから下りてきて私の顔を覗き込んでいる。私は彼女から目を逸らすので精一杯だ。言えばいいのに。何も? 別に? って。

 こんなの適当に答えちゃえばいい。そうは思うのに、さっきの嘘がバレたことで、なんていうか、次に嘘がバレたら本当にヤバい気がして、っていうかあんな性的な人を前にして何も感じなかったなんて言って許されるのか分からなくて、私はただ視線を逸らしていた。


「ねぇ。答えてよ」

「……思いました」


 言っちゃった。でも、下手に嘘つくより、こっちの方がいいかなって。どうかな、どうだろう。なんかすごい喉乾いた。


「で、馬乗りになられて、札井さんは何をしたの?」


 あ、これなら言える。だってエッチなことじゃない。

 そう思った私は、それまでだんまりだったのが嘘のように、さらっと答えた。なんなら語尾に音符が付くような勢いで答えた。


「邪魔だったのでお尻にまきびしを刺しましたっ」

「……え?」


 そしてすぐに後悔する。彼女のおしりにまきびし刺されて喜ぶ女がどこにいるんだよ、と。私はむしろ相手が志音なら積極的に刺してく系女子だし、他の人がそうしようとしていたら応援する系女子だけど、普通はそうじゃない。それくらい分かる。

 これまでの”不慮の事故的な感じでそうなりました”という流れとは全く違い、私の意志で先輩に危害を加えたと証言したのである。あのVP空間の中で、最も許されざる行為だった可能性が高い。私は恐る恐る先輩の顔を見ると、なんと彼女は笑っていた。


「ちょっと、札井さん、やっぱり面白すぎ。なにそれ」


 今までのホラーショーが嘘のように、まるでドッキリだったとでも言うように、彼女はケラケラと腹を抱えている。ガラスの奥に目配せをすると、志音達も唖然としていた。先輩の表情に釘付けだ、誰も私と目が合わない。ちょっと寂しい。


「あー……笑った。向こうにダイブしたのが札井さんで良かったよ。正直あの井森って子じゃなくて良かったって思ったんだ」


 うん、私もそれダイブしたとき思った。流石にそんなことは言えないので、愛想笑いをしてみる。しかしそれはそれ、これはこれだ。


「ごめんなさい。私、真先輩と勝手な約束しちゃいました」

「勝手な約束って?」

「また、来るって」


 そう言うと、先輩の表情がまた少し固くなった。


「まぁ、そう言わないと真が離さなかったんでしょ。仕方無いよ」


 怖い。だけど、引いちゃダメだ。


「そうですけど。私、その約束、守りたいんです」


 先輩の麗しい瞳から放たれるキラキラビームVS私の元々悪い目付きからびゅっと飛び出る謎の光線。はいキラキラビームの勝ち。私は怖くなってすぐに視線を逸らした。だけど、それだけでは終わらせない。私は視線を逸らしたまま言った。


「私、志音と付き合うことになりました」

「……へ?!」


 先輩は目を丸くしている。私もそうしたい。色々すっとばしてこんなことを言ってしまって、なんていうか本当に恥ずかしい。だけど言ってしまったなら、ちゃんと伝えきらないとダメだ。私は続けた。


「絶対、真先輩とそういう関係になりませんし」


 というか私は元々ソッチじゃないから、そんな心配はないと言えばないのだけど。でも、真先輩に危険なエロさを感じたのは間違いないし……。


「もし先輩が同行できるなら、もちろんそうして欲しいですし……あの、本当にやましい気持ちとかなくて」


 雨々先輩は淡々とした表情で私の訴えに、一応耳を傾けてくれている。分かってる、こんな独占欲の塊みたいな人に、言うことじゃないって。だけど、私は、実行しようともせず、嘘つきになりたくなかった。


「……うん、分かった。私も、こんなことになると思ってなくて。これから真に会うの。少し考えさせてくれるかな」

「そう、だったんですか」

「うん、クッキー食べ損ねたしね」


 ごめんなさい、それ私が全部ヤケ食いしたから残ってません。

 まぁ元々この人は他のものを食べに行っているようなものだし、クッキーについては黙っておこう。


 そうとなれば、私にすべきことはあと一つ。先程の書類へのサインだ。手に取ってみると、長々と謎の文章が書かれている。目が捉える単語を要約すると、「誰にも言うなよ」ということで、確かに間違いなさそうだ。

 しかし、筆をとった私から、先輩は書類を取り上げた。


「これもとりあえずはおあずけ。オッケー?」

「私は別に、いいですけど……」


 早くサインさせたがっていたのは先輩の方だし。彼女も私が犯人だと分かって、焦る必要はないと思ってくれたのかもしれない。


「ちょっと札井さん用に書き直す必要があるかもだし。私が持ち帰ってチェックするね」


 なにそれ怖い。

 だけど私はそれ以上深く聞けず、ただ震えながら、先輩に背中を見送られた。背中がなんかヒヤヒヤする。気のせいかな。


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