第158話 なお、通行人に撫でられるとする


 私達はこっそり雨々先輩達と同じ空間に進入すると、物音を立てないように移動した。井森さんの声が聞こえる。良かった、まだ生きてるようだ。


「で。この書類はなんですか?」

「守秘義務って知ってる? 井森さんは私の空間で何を見たのか、誰にも話しませんっていう制約書」

「なるほど、それでこんなに大仰なんですね」


 ぺらぺらと紙をめくる音が響き続ける。え、何枚あんのそれ。

 私達は目を合わせ、井森さんが渡された書類がかなり重要そうな内容のものだと驚き合った。


「でも、私はこれにはサインしませんよ」

「え?」


 ダメ、井森さん。して。死ぬよ。いやしなくていいの、先輩の空間にダイブしたの私だし。でもとりあえずするポーズだけは見せて。中の構造や家具を答えられなかったくらいでこんな扱いを受けるのは納得いかないよね、分かるよ。分かる。でも下手に抵抗しないで。

 もういっそ、私が出て行った方が早いかもしれない。そんな風に迷い始めた頃、井森さんは予想外の爆弾を投下した。


「棚の上にあったのは写真立て。ですよね?」


 彼女がされた質問は分からない、が……これはきっと、さっきの犯人探しの、彼女が回答すべき答えだったと思う。家森さんが目を見開いて、声のした方を向いていた。


「……なんで知らないなんて嘘をついたの?」


 雨々先輩の顔は見えない。けど、おそらくとんでもない眼光で井森さんを見ていると思う。だって、声がさっきと全然違う。


「こうでもしないと、先輩と二人きりになれなさそうだったから」


 ……。


 ……。


 っべぇ〜……井森さん、っべぇ〜……。


 まさか先輩をこんな方法で口説くとは。もう、先輩を口説くっていうのが既にレジェンド級の勇者なのに、さらにこんなシーンで逆手に取ってって。

 何?

 勇気あり余り過ぎじゃない?


「……」


 井森さんすごい。先輩ですらドン引きしてる。どっちかっていうとドン引きされるようなことしてるのは先輩の方なのに、その先輩をドン引きさせてる、なんかカッコいい。ちょっと好きになりそう。

 隣を見ると、家森さんは心から呆れ切ったという顔をして額を押さえていた。ため息をつかないように我慢してるっぽい、偉いね。志音はというと、半笑いになっていた。アンタ、心配して損したって思ってるでしょ。


「でも、その顔を見ると、受け入れてもらえなさそうですね」

「そうだね」

「それでは、私はこれで」


 椅子を引く音がする。どうやら二人は椅子に座っていたらしい。しかし、ぱしっという乾いた音が響いて、続けて先輩の声がした。


「話はまだ終わっていないわ」

「……どういう意味です?」


 腕を掴まれているらしい井森さんは、静かに先輩の言葉を待つ。こちらまで緊張してくる。彼女が口にしたのは、至極当然の意見だった。


「あなたが下らない嘘をついたお陰で、本当にダイブした誰かを取り逃がしてしまったでしょう」

「それについては謝りますけど、私達は夏休み中もダイブしにきますし。またすぐに会えますよ。一分一秒を争って誰が犯人かを突き止める必要あります?」


 空間歪む。ねぇ。ぎゅぅぅんってなる。静かにバトらないで、お願いだから。無意識の内に、拳を握っていた。怖かったんだよ。あとさ、さっきから犯人犯人って言ってるけど、ダイブ先間違えられたこっちは被害者だから。悪者みたいに言うな。


「VP空間って主にアームズの強化に使用されると聞きましたよ。まぁ、管理者の資格がある先輩なら色々な空間をお持ちなんでしょうけど」

「そうだねぇ。本当に、その通りだよ」

「よほど都合の悪い何かがあるんですね」

「さぁ」


 なんていうか、むしろこのやりとりは私達にとって都合が悪い。というか私と志音にとって。家森さんは比較的淡々と会話に耳を澄ましていたけど、私と志音はそうは行かない。負のオーラに当てられたせいか、気付けばどちらからともなく手を繋いでいた。しかし井森さんは止まらない。誰かあいつを止めろ。もう殺ってもいい。


「先輩の顔、綺麗だなって、廊下ですれ違うときとか見てるんですけど」

「そうなんだ、ありがと」

「そんなに必死な顔してるの、初めて見ました」


 彼女がそう言った瞬間、なんていうだろ、時間が心停止した。トゥッ……って感じで、時間という概念すら消え失せたみたいに静まり返って、私は息をすることができなくなった。

 井森さんはくすりと笑って先輩をからかう。え、本当に意味分かんないんだけど、何してんのアイツ。


「先輩、良かったら、手伝いましょうか?」

「……ただじゃ手伝ってくれなさそうだけど」

「えぇ。何があるのか、教えて下さいよ。美人の秘密は気になっちゃうので」


 私は小さな、本当に隣にいる志音にすら聞こえないような声で、小さく「え?」と言った。もちろん声を出すべきじゃないのは分かってるんだけど、分かってたのに、気付いたら言ってた。

 だって、この状況を逆手に取って先輩を口説こうとした挙げ句に強請るってヤバくない? どんな神経してたらそんな、ただでは絶対起きないみたいな気持ちで行動し続けられるの?

 先輩が誰かに脅迫されるところ、初めて見た。っていうか彼女が死ぬまでこれから一生無さそう。


「……その必要は無いわ」


 先輩は井森さんの手を離したようだ。足音で2〜3歩距離を取ったのが分かる。断られるとは思っていなかったのか、井森さんは意外そうな声色で、へぇと言った。


「私、犯人が誰か分かったら、何があったか聞いちゃうかも」

「そんなことがあったら、殺しちゃうかも」


 もういやだーーーやめろーーーー。

 どっちもそれを実践する。それが分かっているからこその心の叫びだ。もう我慢できない。私はばっと立ち上がり、身を隠していたデスクに思いきり頭をぶつけた。


「っだぁ!!」

「え!?」

「ばっ! お前何やってんだよ!」

「あちゃ〜……」


 痛い。強打して頭取れた。

 ぶつくさ文句を言いながら、今度こそ立ち上がると、私は振り返った。そこにはこちらを見つめる魔王二人がいた。

 私の唐突な行動に驚いて声を上げた志音と家森さんも遅れて立ち上がる。家森さんは井森さんを見つめて一言、「心配して損した」と吐き捨てた。こっちもこっちで怖い。


「先輩、私、ダイブしました」

「……え?」


 私の告白に、先輩だけじゃなくて家森さん達も驚いていた。ただ一人、志音だけが「やっぱりか」という表情をしている。そうなんだよ、やっぱりなんだよ。あんまりだよね。


「待って。近寄らないで下さい。それ以上近寄ったら、私があそこで何を見たのか、言いますよ」


 あと漏らします。確実に。

 お菓子の家で見た物について、矛盾のない証言をした私が犯人だとは思えないのだろう。しかし、何があったのかを言う、という宣言は効いた。彼女はこちらを見つめるばかりで、動こうとはしない。


「一つだけ聞かせて。札井さん。あなたが私のVP空間にダイブした証拠は? 誰かを庇おうとしているだけなんじゃない?」

「クッキー、美味しかったです」

「……そう。分かった。充分だわ」


 これは私達にしか分からないだろう。ダイブする予定だったお菓子の家にだって、クッキーくらいある。というかお菓子の家にクッキーが無かったら暴れる。

 しかし、これに特別な意味があることを、彼女だけは知っていた。これ以上のことは、今はまだ言うべきじゃない。彼女も私の配慮を汲んでくれたようで、矛を収めるように優しい目に戻った。


「志音」

「なんだ?」

「準備室の前で待ってて。っていうか待ってろ」

「……いいけど」

「家森さんと井森さんも、できれば居て欲しい。予定があったら、もちろんそっち優先してくれて構わないんだけど……」

「いいよいいよ、待ってる。ね? 井森さん」

「そうね」

「あたしだけコンビニの前にくくり付けられた犬みたいな扱いじゃねーか」


 実際そうでしょ。あしらうようにそう言うと、三人をガラスの向こう側に待機させる。準備は整った。そうして私は、先輩と向き合った。

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