第157話 なお、さすがに罪悪感を覚えるとする

 教壇に立った女は、奥の準備室からかっぱらってきた白衣をはためかせ、眼鏡を光らせていた。呆れた視線が生徒達の座席から教壇に向けられるのを感じる。私もその一人だ。

 これは長引きそうだ。下手に時間を消費するよりも、さっと自分が先生の探す犯人であることを告げた方がいいかもしれない。ダイブ先の空間については適当に嘘をつけばいい。どうせ中身については本人以外の与り知るところではないのだから。下手に引っ張って、その間に先輩がここに来る方が恐ろしい。


 そうと決まれば。私は背筋をぴっと伸ばして、のびやかに挙手した。私の挙手とほぼ同時に、粋先生は奥の準備室に向かって手招きをする。


「私のワトソン君はこの人! みんな大好き雨々先輩だよ!」

「こんにちは、私も少し確かめたいことがあって、手伝うことにしました」

「で!? 札井さんは何かな? あ、もしかしてダイブしちゃったのって札井さん?」


 改めて当てられた私は勢いよく起立する。そして、できるだけハキハキとした声で宣言した。


「私の名前は札井夢幻! 好きな言葉は一日一殺! こしあんよりつぶあん派です!」

「……は?」


 ふぅ。私は今の挙手を”自己紹介する為の挙手”として誤摩化すと、ため息をつきながらダイビングチェアに腰を下ろした。かなり強引だったが、周囲の視線など気にしてなどいられない。こちとら命がかかっているのだ。


「おい、お前、今のなんだよ」

「知らないの? 自己紹介」

「今のは事故だったろ」


 小声で話しかけてくる志音には悪いが、この場で真相は言えない。あの先輩は異様にスペックが高い。きっと耳もいいだろう。っていうか耳が遠めの雨々先輩なんてヤダ。なんかキャラじゃない。


「私のVP空間にダイブしちゃった人、いるよね?」


 先輩はニコニコしながら私達に語りかける。真相を知ってしまった今となっては、あの笑顔が恐ろしくてたまらない。しかし、隣に立つ粋先生は至極めんどくさそうに、がしがしと頭を掻きながら「あのさー、別に取って食ったりしないんだからさー。別にちょっと違った空間に飛んじゃったくらい、隠すことでもないでしょー?」と宣った。

 取って食おうとしてる人があなたの隣にいるんですがそれは。私の生物としてのシックスセンスというか、本能の部分が警笛を鳴らして止まない。


「じゃあ……不本意だけど、本当に犯人探ししよっか」


 雨々先輩は身を乗り出してテーブルに手をつくと、私のすぐ右隣を見つめていった。視線の先にはきっと志音がいる。


「屋根。何色だった?」

「黒っぽい色っすね」

「そっか。じゃあ家森さん」


 突然名前を呼ばれた家森さんは目を丸くしつつ、首を傾げている。


「椅子の他に、何か座れそうなものはあった?」

「マシュマロの大きなクッションがありましたよー」


 彼女が何をしようとしているのか、私は確信した。ちなみに、いま家森さんが答えた質問が私に来ていたら完全にアウトだった。

 ほっと胸を撫で下ろしつつ、先輩の視線を追う。あれ。私……?


「札井さん、テーブルのところにある椅子、どんなだった?」


 あっ、ここ、進研ゼミでやったとこだ!

 思わず声に出しそうになったが、なんとか堪えてみる。そして、私は記憶をたどるような顔を作って、切り株を模していたと答えた。


「……」


 何故か彼女は私を静かに見つめ続けている。

 おかしい。実物は見てないけど、家森さんも菜華もそう言ってた。まさか、二人にハメられたの……? いや、まさか、そんな……。

 冷や汗が油汗に変わり始めた頃、先輩はやっと私から視線を逸らした。


 そうして知恵、菜華は危なげなく受け答えし、井森さんの番になった。おそらく、先輩は矛盾した発言する後輩が出てくるまで、実際にダイブした者にしか分からない質問を繰り返していくのだろう。

 しかし、先ほどのマシュマロの例もある。基本的な作りについては理解しているつもりだが、プラスアルファの要素まで、詰めて確認していない。そしてそういった部分こそ、人々の記憶には残りやすいものだ。答えられないとかなり怪しい。

 二巡目に備えて、それぞれの色や使用されている菓子等を頭の中で反復する。それを邪魔するように、真先輩の言葉が脳裏に響く。


 ――私ね、殺されたの


 ――愛されたから


 ヤダ。

 マヂ無理。


 しかも私、自分の意思ではないけど、ちょっと変な空気になったりした。若干後ろめたい。絶対どぎまぎしちゃう。


 ダイビングチェアの手すりをぎゅっと掴んで、意識的に深く呼吸をしてみる。すると、隣から声を掛けられた。


「お、おい。大丈夫か? お前、まさか」

「……志音」


 雨々先輩は井森さんに注目していてこちらに気付いている様子はない。私は志音に視線で訴えようとしたが、それは井森さんのとんでもない言葉で遮られることとなる。


「……すみません、覚えていません」

「……そう」


 え。

 何を質問されたかは分からない、が、井森さんは回答できなかったということは分かる。先輩の目は優しいままだ。怖い。

 そして彼女の隣では、作業着の上に白衣という、めちゃくちゃな格好をしている女が腕を組んで頷いていた。いやアンタ何もしてないじゃん。


「これで誰が犯人かはっきりしたね!」


 やけに高いテンションでそう言うと、最後に一件落着! と声を張って、私達を帰らせるような空気を作った。そしてすぐに、個別に井森さんが先生に呼びつけられる。打って変わって、だるそうないつもの調子に戻っていた。

 おそらくは先生なりに責任を感じてはりきっていたのだろう。緊張の糸が切れたように見えなくもない。生徒達のプライベートを暴いたと問題になれば、色々と面倒だしね。


「井森。悪いけど、これ持って雨々と準備室に行ってくれる?」


 井森さんが手渡されたのは謎のプリントである。受け取る井森さんの肩に優しく腕を回して、先輩は「じゃ行こうか」と言った。怨念の籠った目をしながら。

 先生と井森さんの視線は書類に釘付けで、みんなはそれぞれやっと帰れると呑気に話している中、私だけが先輩の鋭い視線を目撃したことになる。


「え……こわ……」

「夢幻?」


 知恵と菜華は肩を並べて廊下へと出て行く。志音だけが私の顔を覗き込んで声をかけてくれた。大げさだと笑いたくなる程に眉尻を下げて困っている。おそらくは私の表情や顔色がそうさせているのだろう。


「井森さんが、嘘つく必要、あったと思う?」

「え? ……うーん、ないな。あたしも妙だとは思ったけど……」

「私も」


 振り返ると、そこには家森さんが居た。彼女は不満げな表情を隠そうともせず、かなり険しい顔をしていた。どちらかと言うと、いつも能天気に振る舞っている彼女のそれはかなり珍しい。普段のキャラを知っているからこその威圧感があった。


「井森さん、性格悪いけどさ。みんなが拘束される時間をいたずらに伸ばして遊ぶような子じゃあないよ」

「そうだよな。あたしもそこが引っかかったんだ。そもそも、あいつは一度も先輩のVP空間にダイブしたなんて認めてねぇよ」


 今ならば二人には真実を告げられる、が、勝手に伝えるのは流石に憚れるし、なにより井森さんが心配だ。私は理由を伏せて、とりあえずは準備室で何が行われているか、それを確認しようと提案した。

 二人はすぐに頷いてくれた。ガラス張りの準備室をちらりと盗み見る。二人の姿は見えない、ということはこちらから近付いても問題ないということだ。背の高い機器を挟んだ位置に二人はいるのだろう。


 物音を立てないようにして近付く。静かにドアを開けるのが最難関だったが、それは家森さんのおかげですぐに解決した。仕組みは分からないけど、板状のものをドアとドア枠の間に挟んで、レバーハンドルを下げることなく扉を開けてしまったのだ。

 私達は3人でアイコンタクトを取ると、思い切って内部に突入した。



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