第154話 なお、サイコ的なパスガチ勢とする

 私は小さなダイニングテーブルに座って、焼き立てのクッキーをちびちびと口に運んでいた。甘い匂いの原因はこれだったのかぁと、頭のどこかでふわふわと考えながら咀嚼して飲み込む。美味しい気がする。よくわかんない。

 私が味覚を喪失してしまったのは窓ガラスを舐めてしまったからではなく、正面に座っている女性がSBSSの生徒だったと言って名乗ったからだ。“だった”、彼女は確かにそう言った。かれこれ一年近くここで暮らしているらしい。


「えと、一応、先輩ってことでいいんですよね?」

「多分ね。一年生なんでしょう? なら、私は一つ上、ということになるね」

「そう、ですか」


 お分かりだろうか。この人はヤバい。ヤバすぎる。だって、自宅とはいえ、シャツ一枚で過ごす? せめてパンツ履かない?


 私の視線に気付いた真先輩は困っていた。困ってるのはこっちなんだけどね。私のそんな気持ちを知ってか知らずか、目の前の先輩は顔を赤くしてもじもじしている。なんでこっちがいたたまれない気持ちにならないといけないの。


「えーと……なんか履かないんですか?」

「でもほら、ここって私以外いないし」

「そういう問題じゃなくないですか?」


 私に正論を言わせるとは……この先輩、なかなかできる。

 真先輩、か。どこかで聞いたことがある気がする。でも、どこで……。私が考え事をしていると、先輩が言った。


「あのね、私、死んでるんだ」

「え?」


 死んでる……?

 それは下半身を露出させたまま外をうろついて社会的に死んだということ……?


「バグに襲われて死んだってことになってるの」

「えーと……」


 なんか聞いたことのある話だ。

 私は記憶を総動員させ、やっと気付いた。


「あ! 雨々先輩の!!」

「え!? 笑のこと知ってるの!?」

「真先輩って、雨々先輩のパートナーだった先輩ですよね!?」


 なんということだ。死んだって、生きてるじゃん。

 いや、生きてるって言っていいのか?

 分からない、でもこうやってバーチャル空間で話すことができる。先輩が焼いたクッキーを食べる事もできる。


 ……死ってなんだ。


「そう、私が笑の彼女」

「彼女……」


 これまたダイレクトに告げられた。っていうか私の周りって男に興味無い女ちょっと多過ぎない? 私も結果似たようなものになってしまったけど、志音は女じゃないっていうかヒトじゃないし……。

 クッキーを持ったまま唖然とする私を余所に、先輩は笑っていた。


「だって、もう学校のパートナーではないもの。今はただのあの人の彼女だよ」

「今は……つまり、雨々先輩は真先輩がここにいること、知ってるんですね」

「というか、ここは笑が私の為に作った空間だし」


 話が見えてきた。きっと、雨々先輩はバグにやられてしまった真先輩を、バーチャル内だけでも留めようとしたんだ。どうやったのは分からないけど、あの人は優秀だ。何か手立てを考えて、そうしたんだ。そして今日、設定ミスで私と先輩のダイブ先が、入れ替わってしまった。


 雨々先輩が足繁くVPにダイブする理由が、今はっきりと分かった。強さなんて、きっとどうでもいいんだ。先輩は、逢い引きの為に仮想空間を利用していたんだ。


「ふふ。笑が先輩やってるとこ、なんか想像つかないな」

「冷たいですけど、優しい先輩ですよ。冷たいですけど」

「無理してない?」


 先輩のドン引きした表情が走馬灯の様に頭の中を駆け巡る。あの人に私、一体何度引かれたんだろう。初めて引かれたのはイオナズン唱えた時だっけ。いや、厳密に言うと、私と志音がお互いの名前を認識しないままペア組んだって聞いた時には、もう引いてた気がする。こうして考えると、私結構あの先輩に迷惑かけてるな。


「私が不出来なだけなんで……」

「え、えっと、大丈夫。きっと、まきびしの子? よりはマシだよ。アームズとしてまきびしを呼び出す子がいるんだって。面白いよね」


 先輩、励ましてくれてるつもりなんだろうけど、それ私です。

 私は静かに、握った手の中に数個のまきびしを呼び出した。名前を唱える必要は、かなり前からなくなっている。それくらい、こいつとは長い付き合いになってしまっているのだ。

 手中のそれを感触で確認すると、テーブルの上で手を離す。乾いた音が響き、先輩はそれを凝視した。


「あっ……」


 さすがSBSSの元生徒。私が無言でこれを呼び出せる意味を即座に理解したらしい。真先輩は慌てて手をぱたぱたと動かしている。


「あ、えっと、励まそうとしただけっていうか、まきびしのこと、バカにした訳じゃない、よ? ね?」

「いいんです……どうせ私、変だし……」

「そうだね」

「励ますの諦めるの早過ぎません?」


 分かるよ、初対面で自分の家を舐めてた女に変じゃないって言うの、あまりにも困難だよね。でも傷付くじゃん。私だってさすがに分かってたらやってなかったし。


「変だけど、笑は気に入ってるみたいだよ?」

「え?」

「”まきびしの子”と、”それに振り回されてる子”の話、よくするもの」

「……私、誰かを振り回したりしてないと思いますけど」

「そういうところだと思うよ」


 まさか、志音の話をしているのか。先輩、私達のこと、彼女さんに色々話してくれてるんだ。なんか嬉しい。部活に所属してこなかったから、上級生とはこれまでほとんど無縁だったけど、結構いいものだね。


「下手なバラエティ番組より面白いって、よく言ってる」


 前言撤回。

 何? 勝手にそういう楽しみ方するのやめてくんない? こっちは大真面目なんだけど? あ……そっか、だから余計面白いのか……。


 私が一つの真理に達しているところで、真先輩は衝撃的な事実を打ち明けた。


「こんな楽しい子が入学してくるなら、死ぬの、もうちょっと後にすれば良かったかな」

「……うん? はい?」

「え? あ、ごめんね、悪い意味じゃないの。ただ、学校で夢幻ちゃん達と話せる笑が羨ましいってだけで」

「そうじゃなくて」


 いまこの人なんて言った?

 ”死ぬの”?

 それじゃ、わざと死んだかのような言い方じゃないか。


「……ふふ。あーあ、今のはちょっと失言だったかも。ま、いいや」

「あの、先輩って」

「ねぇ、私達って、いま二人きりなの」


 急に真先輩の目付きが変わる。いや、変わったのは目付きというか、オーラかもしれない。今までが”ちょっと不思議なエッチなお姉さん”だとしたら、今は”サキュバス完全体”って感じ。私に対してそういう空気を出してくる理由が、全く分からないけど。


「……ですね。私はマニュアル通りの設定しかしていません」

「つまり?」

「割り込みの許可設定はいじってません。デフォルトはOFFだったと思います」

「じゃあ、誰も入って来れないってことだね。笑ですら」

「……そうですけど」


 先輩は立ち上がった。そしてベッドへと足を向ける。

 え?

 ごめんなさい、私は処女だし童貞だからあなたの行動の意味が全くわかりません。


 うろたえる私に気付いたのか、先輩はもぞもぞとベッドに潜ると「お昼寝の時間になったから寝るね」と言って、本当に目を閉じた。


 ……?

 さっきのとろんとした目って、色気じゃなくて眠気だったの?


 どうやら先輩の雰囲気に当てられていた私が勝手に勘違いしただけのようだ。だって、あのタイミングであんな表情でいきなり二人きりだねとか言われたら絶対勘違いするじゃん。やましい気持ちは全くなかったけど、ちょっとビクってなるじゃん。


「私は寝るけど、別に入ってきてもいいよ」


 ほら! こういうとこ! こういうの!

 こんなこと言われて意識しない人いる!?

 軽々しく入ってきていいとか言ってるけど、あの人シャツ一枚だからね!?


 私は声に出せない怒りを脳内に響かせながら、ひたすらクッキーを食べた。そろそろ無くなる。多分、雨々先輩のために焼いたのだろう。だけど完食してやる。せめてもの腹いせだ。

 大体、私の周りの同性カップルってどうしてこう、変な奴らばっかりなんだ。


「あの」


 私はクッキーを完食すると、立ち上がった。口の周りについた欠片をごしごしと拭いながら、ベッドの隣に立つ。


「来てもいいよって言ったけど、本当に来ると思わなかった」


 彼女はまた笑っている。何がそんなにおかしいのだろう。全部か。


「さっきの話、ちゃんと聞かせて下さい」

「さっきのって? どうして私がこんな格好してるかってこと?」

「違います! さっき、わざと死んだみたいな言い方だった」

「あぁ。うーんと……そうだね、いいよ。私ね、笑に殺されたの」


 あっけらかんと告げられた言葉に反比例するような内容。

 頭がついていかない。え、殺……?


「なん、で……殺されたって……」

「なんでって、愛されたから。あと、愛してたから」


 絶句するしかなかった。

 今すぐ菜華と家森さんに謝りたい。サイコパスとか言ってごめん、本当にごめん。あと知恵にも。頭おかしいカップルとか思っててごめん。みんな、全然健全の範疇だった。

 私は現実逃避するように、心の中で級友達に謝罪することしかできなかった。

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