第155話 なお、かまってとする

 前回のあらすじ、一目惚れしかけた美形の先輩がガチモンのヤバい人だった。以上。


 愛されたから殺された。現に殺されたという本人はそう言って、何故かまた微笑んだ。私には理解できそうにない。

 かつてこれほどのハテナマークが頭の中を占拠したことがあっただろうか。色々と通り越して、私は自分の名前すら忘却してしまいそうになっていた。


「話そっか。で、笑からはなんて聞かされてるんだっけ?」

「先輩はバグに襲われて、怪我をして……」


 私が聞かされている話は、なんとかこちらに戻ってきたけど、バグに受けたダメージのせいで真先輩が植物状態になってしまった、というものだ。そして、尊厳死を選択した、と。


「うんうん、打ち合わせ通りって感じかな」

「そうですか……で、真相はなんなんですか」

「まぁ大した話じゃないんだけどね。私がダイブ中に、笑がダイビングチェアの電源落としたんだよ」


 それを聞いた瞬間、私は全身が鳥肌立った。有り得ない。一般人にも分かるように言うと、可動している食肉カッターの触り心地が気になって手を伸ばしたというレベルで鳥肌ものである。それは、絶対にしてはいけない操作だ。

 そもそもダイビングチェアの電源は簡単に切れるようになっていない。起動にもシャットダウンにもパスワードが要る筈だ。……まぁ、あの先輩ならそんなのどうとでもしそうだけど。


「あらかじめ作っておいたVP空間に繋げたんだよ」

「そんなことできるんですか……!?」

「特別な権限が必要になるから、他の生徒には無理だけどね。当時、生徒で唯一、その操作をできるのが笑だった」

「……VP管理者の資格、ですか」

「察しがいいね。そう、理論上は可能というだけで、普通はやろうとしないものらしいけど。素人から見てもリスクが大きすぎるものね。でも私達はその可能性に賭けたの」


 話を聞いていても全然見えてこない。真先輩には命を賭してまで、そんな危険をおかなさなければいけない理由があったのだろうか。それを問うと、真面目な顔のまま、先輩は言った。


「えぇ。当時はアホだったのよ」

「……?」


 アホだった……?

 死因:アホ、ということ……?


「提案してきたのは笑。それを受け入れたのが私。どちらもおかしいけど、どちらかと言うと私の方がおかしいと思わない? アホとしか言いようがないわ」

「いやもう本当にその通りなんですけど……その、なんで雨々先輩はそんなことを提案してきたんですか?」


 聞かされたのは、普通のカップルの話だった。高校で出会って、意気投合して付き合うことになって、ここは本当にそんなに詳しく話してくれなくても良かったのにって感じなんだけどまぁ体の関係を持つようになって、そんな時に隣のクラスの生徒がダイブ中に命を落としたらしい。


「当たり前のことなのに、その時に初めて、私達がこうなるのは明日かもしれないって危機感を覚えたのよ」


 入学式で先生があれほど口すっぱくして言ってたのに? きっと先輩達も言われた筈なのに? それを他人事として聞き流してたってこと? 生に対する自信が強すぎない?

 まぁ、私達くらいの年頃といえば、特に”自分は大丈夫”という根拠のない自信に満ちているものだ、彼女の言うことも分からなくはない。

 そして、それから猛勉強し、雨々先輩は管理者の資格を取得したという。普通は短期間で頑張ったって取れる資格ではないと思うんだけど。色んな意味であの人はやっぱり異常だと思う。


「この時、笑がどうしてあんなに勉強していたのか、私には分からなかったわ」

「え、知らされていなかったんですか?」

「多分だけど、この時はまだ、こんな幽体離脱のような真似ができる確証が無かったから、私には話していなかったんだと思う。でも……」


 先輩は当時を思い出すように遠い目をして、天井を見つめた。


「遂に打ち明けられたんですね」

「そう。私を永遠に自分のものにしたい、絶対に離れたくないって。そして私はアホだったからすぐにオーケーしたわ」

「恋人の為に死ぬ事を二つ返事でオーケーすることを、アホという言葉で片付けていいんでしょうか」


 やめて。私に正しいこと言わせないで。疲れる。

 しかし言わざるを得ないだろう。だって、普通ならもっと戸惑う。この世に何の未練もない人間の方が珍しいはずだ。

 それにしても、雨々先輩の言葉はプロポーズのようにも聞こえる。いや、もしかしたら本人はそのつもりだったのかもしれない。


「そして私達は実習で気になるところがあったと居残りを申し出て……こう見えて優等生だったの。笑は今もだろうけど。誰も私達のことを疑わなかったし、先生は私達を実習室に置いたまま席を外したわ。全ての準備が整った瞬間だった」


 彼女は、今もその選択を間違っていたとは思っていないのだろう。当時のことを振り返る目がそう物語っている。


「事情は分かりました。で、どうして下履いてないんですか?」

「……それ、聞くの?」

「いや……スルーするにはあまりに大きすぎて……とりあえず、私がいる間は何か適当なものを」

「ないわ」

「え」

「ない」


 え。

 この人何言ってるの?

 履いてないんじゃなくて、存在してないの?

 この空間怖すぎない?


「笑がね、どうせ脱ぐんだし履く必要なくない? って言うから」

「いやそれおかしいですよ、気付いて。気付いて下さい。その理屈がまかり通るなら、どうせ汚れるからお風呂の中で生活すればよくない? も通用しちゃいますよ」

「でも……笑がそっちの方が好きだっていうなら応えてあげたいでしょう?」

「知らねぇよ」


 もうやだ。なにこの人。静かに狂ってる。

 っていうかいま気付いたけど、先輩がそんなドスケベなら、この部屋の至るところでしてるよね。多分このベッドなんてヤバいよね。

 そう考えると、触れてはいけない気がして、私はベッドから少し離れた。横にあった棚に腰掛けてため息をつくと、横から真先輩の声がする。


「その棚にもよく手を付いてシてるよ。あとさっき座ってたダイニングテーブルにも」

「想像させるようなこと言わないで下さい!」


 この人、絶対に私の反応を見て遊んでる。あんまり酷いことをされたら、まきびしでケツを刺そう。そうするしかない。

 そこで私ははたと気付いた。「帰ればいいのでは?」と。私が帰還操作を取ろうとしたのを察知した真先輩は、慌てて駆け寄って私の手首を掴んだ。そしてそのまま腕を引かれる。


「いたっ、ちょっと離してくださいよ! ……ちょ、ぎゃ!」

「そこは努力してても「きゃあ!」って言ったら?」


 そんなことしてる余裕があるか。私はベッドに投げ飛ばされたのだ。

 ヤバイ、死ぬ。ここはあまりにも性のオーラが強過ぎる。このままでは私という存在が、真先輩と雨々先輩のセックスという概念になってしまう。


「何するんですか!」

「だって、夢幻ちゃん帰ろうとしたでしょ!」

「したよ!? しましたよ!?」

「もうちょっと、居てくれてもいいじゃん……」


 そう言って先輩は私の胸に飛び込むように抱きついて、わんわんと泣いた。押し倒され、天井を眺めながら先輩の頭を撫でる。なんだこの状況。っていうか、この人なんで泣いてるの? 普通、初対面の後輩が帰るって言って泣く?


 しかし今日の私は冴えていた。それを声に出す前に、彼女の涙の理由が分かった気がしたのだ。おそらく、この空間で生きるようになってから、真先輩は雨々先輩としか会っていない。これから先も、会う予定はずっとないのだろう。

 それが今回、たまたま設定ミスで私という人間がやってきた。そうして雨々先輩の話をする。それは、雨々先輩が唯一埋められない穴だったとも言えるだろう。あと単純に、他の人とも話したかったとか。とにかく、私に執着する理由にいくつか思い当たった。

 このまま私が帰ってしまえば、雨々先輩以外の人間との今生の別れになるかもしれない。あの先輩が似たようなミスを犯すとは思えないもの。

 たまたま私がダイブしたから良かったものの、先輩の同級生や先生が来ていたら大変だ。死んだ筈の生徒が暮らしているのだから。しかも下半身を露出させながら。絶対に問題になる。というか問題になるポイントしかない。


 私にすべきことはただ一つ。ここで真先輩を説得することだ。なんか最近こういうの多くない? と思いつつも、優秀な私は前回の反省点をすぐに見つめる。

 かぐや姫と話をしたときは、会話のパターンをいくつか決めてその中から選ぶようにしたが、今回はやめておく。何故ならばもっと簡単な方法があるからだ。


「泣き止みました?」

「泣いてたらもっと側にいてくれる?」

「いいえ」


 またチョロい奴ならころっといきそうな思わせぶりな言い方をしているが、もう私には通用しない。私は空中にまきびしを召喚すると、彼女の尻にぶつけるように念じた。


「痛い!」

「今だ!」


 痛みに身をよじる先輩から抜け出すと、即座に起き上がって距離を取る。後ろに飛び退きつつ、アームズで牽制する。私達はベッドを挟んで睨み合っていた。ちなみに先輩は尻をさすっている。ごめんなさい。


「いたた……えー、帰っちゃうの?」

「申し訳ないですけど。でも、多分また来ます」

「本当に?」

「えぇ。雨々先輩がいいって言ったら」

「多分言わないから、内緒で来てよ。ね?」


 最後の最後までこういう……。

 私は今度こそ帰還操作をした。「あぁ、この先輩、井森さんには絶対会わせちゃダメだ」と考えながら。

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